やっぱり黄金色。
ビール党です、はい。
女性が勢いよくジョッキをあおる姿は、なかなかお目にかかれるものではない。
ついつい見とれ、そしてすぐに酒豪であるとわかる飲みっぷりに圧倒されてしまう。
一気にジョッキの半分ほどが空になる。
そして、隣に座る石神も感ずるところは同じようだ。
珍しく、驚きに目を見開いてる。
そしてそんな二人の視線の先には、山手ゆかり。
そう。悠の意中の人である。
「ぷはああ。いやあ、おいしいね。あれ? どうしたの? もしかして二人、お酒はあまり好きじゃないとか……?」
その言葉に止まっていた時空が動き、悠は慌てて言葉を紡ぐ。
「い、いえ。そんなことないよ。ただ……」
「ただ?」
ゆかりは心配そうに言う。
「ゆかりさんの飲みっぷりが意外に素晴らしかったもので……。なあ?」
「あ、ああ。もっとかわいいらしいものを飲まれるものだと思ってましたので余計……」
「やっぱり、女がビールを飲むのっておかしいかな?」
「ややや、そんなことはないよ! 僕はいいと思う」
そんなやや古臭い慌てかたで否定するのは、悠。
しかし、悠の言葉は本心から出たものであった。
彼自身がそこそこの酒飲みであるため、ビール女子は好感が持てる。
「だってねえ。カシスオレンジとか酔えないじゃん。オレンジジュースのほうがおいしいじゃん」
「まあ、個人差あるとは思うけど……」
そう言って、悠も手もとのジョッキを口に持っていく。
もちろん彼が握るジョッキにも黄金色に光る液体。
悠にとってアルコールといえばビールなのだ。
少々古臭い考えかたではあるが、好きなものは仕方がない。
「で、そうだ。石神くん、なんで私が石神くんとお会いしたかったか九鬼くんにお聞きになりました?」
「ええ、まあ一応」
今日の石神は妙に大人しい。
そもそも石神が女性と話しているところをあまり見たことなかったが、もしかすると彼も異性はあまり得意ではないのかもしれない。
そのくせにあんなに偉そうなご高説を垂れることができるのは、ある意味ですごいことなのかもしれない。
なぜ、こんなやつに恋愛相談したのだろう。
悠は、じぶんの愚かさを半分呪い、半分笑う。
「本はよく読むの?」
敬語からため口に。
同学年だからなにもおかしなところはない。
しかし、その言葉はもちろん悠に向けられたものではない。
「そうですね。唯一の趣味と言ってもいいかもしれません」「ふうん。そうなんだ。で、そんな読書家の石神くんにとって、村上春樹は官能小説と変わらないってことなんだ」
「いや、そこまでは言ってませんが……。セックスを抜くとなにが残るのだ、とは思いますね」
たいして変わらねえよ。
と悠は内心でツッコミ、二人の会話をうかがう。
それにしても、石神は口調こそは平素より丁寧だが、内容は大して変わらない。
変なところで一貫性のある男だ。
そして、残念ながら悠は本自体一か月に一冊読めば多いほうなので、二人のやり取りに参入することはできない。
ちなみに村上春樹はすでに買ったが、まだ読み終えてない。
「言うね。でも、まあファンとしても否定できないのが悲しいところ」
そう言って残りのビールを一気に飲み干す。
「読書が趣味の人ってなかなかいなくてね。ほら、今どきそんな辛気臭いことはやらないじゃない?」
「ええ、まあ」
苦笑交じりに石神は同意する。
これを、ほとんど本を読まない人間が言うと石神も怒りに駆られていただろうが、読書人の自虐だからこそ抵抗なく彼も受け入れられるのだろう。
「しかし、そうなると彼らはなにをベースにして生きているのか、まったく理解に苦しみますがね」
石神が言う「彼ら」とは、おそらく読書をしないすべての人間を指す。
「どういうこと?」
ゆかりが先をうながす。その目は興味深げに光っていた。
「ええ。人間ってのは、ものを考える生き物です。しかし、完全にフラットな状態、言いかえればなにごとにも依存しない状態で思考することは得意ではないのです。できないと言い切ってしまってもいいかもしれません。つまり本でもネットの情報でもなんでもいいのですが、なにがしかの情報を参照しながらじぶんの考えを組み立てる。それが、意識的であれ無意識的であれ」
「つまり、すべては受け売りに過ぎないってこと?」
「受け売り……。ううむ、そう言ってしまっても間違いではないのですが、少しネガティブな意味合いを強調しすぎているきらいがあります。つまりですね……」
そこで石神は一度言葉を切り、握ったままのジョッキのビールでのどを湿らせる。
その絶妙な間の取り方は、ゆかりに先ほど彼が語った言葉を整理させる時間を与えているようだった。
石神はたびたび言う。
名言に感動することは誰にだってできる。
なんだかいいこと言ってる気がするぞ。それだけでいい。
そしてほとんどの人間はそこでストップしてしまう。
しかし、一番大切なプロセスはその言葉の真意をじぶんなりに咀嚼し解釈することなのだと。
頭のいい人間ってのは、それを自然に習慣化できているやつらを指すと。
その意味では、ゆかりは石神の言う「頭のいい人間」に該当しそうだった。
「大事なのは、情報を取捨選択する能力と再構成する能力なのだと思います。正しく情報を選び取ることができるならば、すべての情報ソースをネットメディアに頼ることもいいでしょう。しかし、多くの人間は残念ながらその能力を持ち合わせていない。その点、本は簡単だと言えます。表向きはフラットな視点から情報を与えてくれますからね。もっとも、そこから差し引きする能力も必要なのですが……それは、ひとまず置いておくことにしましょう」
「つまり、情報がある程度選別されているぶん、本は楽だと?」
「楽。ええ、そういっても差し支えありません。要するに、本はバカ向けなんですよ。情報をじぶんで分別できないようなね。ネットは有象無象です。僕はそこから正しい情報や信頼できるデータのみを取り上げることができる自信がありません。だから本を読むのです」
「しかし、今はそれが反転している……」
馬が合うのか。よくわからない話をよくわからない組み合わせの二人がしている。
悠は、それをジョッキ片手に眺めるだけだった。
「お前はどう思う?」
石神が会話の矛先を悠にむける。
「どうって……」
「お前は人の会話を聞いていて、なにか思うところはないのか? それとも、なにか。ただテレビを見るがごとくボーっと聞き流して眺めているだけなのか?」
なんで怒っているのかわからないが、とにかく石神は悠に憤っているようだ。
それには、なんで俺がこんなにベラベラと話しているんだ。ゆかりと親睦を深めねばならないのは貴様だろという歯噛みする思いも込められているようだった。
だから、石神は無理やりに悠に話を振ったのかもしれない。
「九鬼くんは、読書はしないの?」
石神に激しくまくし立てられる悠を見て、気の毒に思ったのかもしれない。ゆかりは、柔和なトーンで尋ねた。
「まったく読まないことはないですが……。なかなかどうして」
そして続けて言った。若干の思惑もあった。
それは、功を奏した。
「なにから読んでいいのかわからないんですよね。茫漠と広がる砂漠の前で立ちすくむようというか……。難しい数学の問題とぶつかったときのような、なにから手を付けていいのかすらわからないお手上げの感じというか……」
不意に飛び出した詩的な表現に、石神は「ほう」と眉を細めて視線をゆかりに送る。
なにかを期待している目だった。
「たしかにね……。なにを読むにしても、案内がないとねえ」
そこでゆかりは思い立ったように、身体をまっすぐに伸ばして「そうだ」と誰に向けてでもなくつぶやいた。
右手のこぶしで左の手のひらを叩くというやや古めかしい動作を伴って。
「よければ私が持っている本、何冊か貸そうか? あんまりいい趣味でもないんだけど……」
石神の目が光った。思惑が的中した、と彼は微笑を浮かべる。
悠はすぐさま言葉を返す。
「お願いします! うん、それなら僕も読めそうだ」
「ほんとに? じゃあ、今度のゼミのときに持ってくるね! やったあ、なににしようかな」
ゆかりは腕を組み、宙を見上げる。その表情はなんとも楽しそうだった。
そこに、石神がすかさず付け足す。
「あ、ゆかりさん。村上春樹はダメですよ。彼、最近まとめ買いしたらしいですから」
悪そうな笑みを浮かべて、悠のほうを指差しながら。
「あ、石神、それは……」
「え、そうなの? もしかして、それは……」
ゆかりの口調からは嫌悪の色はうかがえない。
「ええ。どんなもんなのかなと思って……」
しかし、その申し開きは必要なかったかもしれない。
ゆかりは、どことなく嬉しそうな表情を浮かべていたからだ。
石神は、テーブルの下でゆかりに見えないように悠のことを二回小突いた。
どうだ。
と言わんばかりであったが、今回は石神はなにもしていない。ただしゃべっていただけではないか。
そう思ったが、もちろんそんなことを指摘せずに、同じように石神の膝を叩いておくだけにとどめた。




