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バカというやつがバカ。

作者は、ボケよりバカと言われて怒る人が多い地域に住んでいます。

「うん、お前バカか」

 案の定のきつい言葉。

 しかし、悠にだって言い分がある。

 場所は先日のベンチ。時間は徐々に景色が夕暮れ色に染まるころ。

 ゼミの直後に石神を呼び出した。

 石神は二つ返事で、駆けつけてきた。

 石神なりに気にしていたのだろう。

 なんだかんだで石神は、人の幸せを素直に喜べる男だ。

 しかし今、彼はふざけるなと言わんばかりに怒っている。

 いや、それすら通り越しているといった印象だ。

「しかし、ほかに会話の糸口が……」

「持ってる本に触れるな、と言ってるんじゃねえ。むしろ戦略としては良い手ですらある。誰しも、じぶんが読んだ本の素晴らしさを語りたくてしかたないからな。そんな語彙と表現力、ついでに言うと批評する力量もないくせにな」

 村上春樹をセックスと射精だけで片づけた男がよく言えたものだ。

 そんなことを思いながら、悠は言う。

「じゃあなにが……」

「鈍いなお前はほんと。なんでこの俺を会話に出したんだと言ってるんだ」

「そりゃあ。石神がたまたま村上春樹の話をしてたから……。俺、読んだことないし」

「そんなもん適当に取り繕えばいいんだよ。とりあえずはじぶんが読んだってことにしてな。あとで、全作品急いで読めばそれで済む話だ。感想振られたら俺が言ってた通りに話せばいいだけじゃないか」

 石神は頭がいいのか、バカなのかわからない。

 全作品を読めとあっさりと言い放つところも、石神がふつうより大きくずれていることを示唆していた。

 大変な読書家である石神にとって、それは造作もないことなのだろう。

 いや、もしかするとすでに村上春樹作品をすべて読破しているのかもしれない。

「はあ? 石神、さすがにそれはねえだろ。じぶんがなんて言ったかもう忘れたのか? セックスと射精だぞ。そんなの言えるわけねえだろ」

「お前、俺の感想が信用できないってのか? 実際、ゆかりは笑ったんだろ?」

「うう……まあ、そうだが」

「ほれ見ろ。友人を信用できない男に、女がなびくわけねえんだよ」

 無茶苦茶な論理だが、悠は反論する言葉を持たなかった。

 たしかに石神の村上春樹評をきっかけにして、悠とゆかりが多少は打ち解けたのは事実だ。

 しかも、結局はそのあとゆかりから言いだす形で悠は彼女とグループを組むことになった。

 もちろん例の都道という男も一緒だったが……。

 とにかくさらにあと一人の女子学生にゆかりが声をかけて、無事にグループメンバーは固まった。

 楠田未央という名の女子大生はゆかりの友人らしい。

 といっても二回生からの付き合いなので、まだまだ交流は浅いそうだが。

 悠が石神に感謝こそすれ、文句をつける立場にいないのはたしかだ。

 それにしても、それにしてもである。

 目隠しして投げた球が、たまたま的に当たったからといってえばられても困る。

「でも、気が進まんな」

「……ゆかりさんと会うのがか?」

「うむ」

「なぜだ。石神だって美人は嫌いではあるまい」

「美人は好きだよ。だけど、それが問題なんだ」

「どういうことだ?」

 悠は首をかしげる。

 いつもつかめない石神の真意が、さらに見えなくなったからだ。

「まだわからんのか。お前はいったいどれだけできの悪い弟子なんだ」

「お前の弟子になった覚えはない。さらに教え子でもないから」

 あとの言葉は、石神がよく使う表現をついでに訂正しておいたものだ。

「え、違うの!?」

「おい、しょうもないこと言ってないで話を進めろ」

「ゴホン。そうせかすな。確認だが、ゆかりは美人なんだな? お前の可愛いはまったく当てにならないからな」

 石神曰く、悠の可愛いは「ずれていてそれでいて広い」らしい。まったく厄介だ、と常々言われているが悠はいまいち自覚がない。

 だから石神は、悠の異性に対する審美眼を一切信用していない。

 しかしながら、今回ばっかりは自信をもって断言できる。

「それは心配しないでいい。ゆかりさんは美人だ。お目目パッチリだ」

「最後のは、完全にお前の趣味だな。まあいい。ゆかりが美人であると困るんだ」

「さっきからなにを言ってるんだ。話がまったくよめないぞ」

「お前は絶対、村上春樹のような文学は読めないな」

「なぜだ?」

「文脈を読めってことだ。格好つけた言いかたをするなら行間を読め。俺は美人が好きだ。ゆかりさんは美人だ。ほら!」

 三段論法もこんなげすい使いかたをされるとは夢想だにしなかったろう。

 アリストテレスも泣いてるに違いない。

 しかし、偉大なるギリシア哲学の巨人によって、悠も石神の言っていることにようやく見当がついた。

「石神が、ゆかりさんを好きになるかもしれないって?」

「俺だって鬼じゃない。友人は大事にしたいと思っている。だから余計なリスクはできるかぎり取り除くべきなんだ」

 呆れた。

 なにを心配しているんだこの男は。

 しかし、石神らしい気遣いでもあったので、悠はバカにすることをしなかった。

「一目ぼれなんてしてしまうとめんどうだから会いたくないと……変なの」

「一目ぼれなんてしねえよ。あんなもん、生殖本能が反応してるだけじゃねえか! ああ、あいつからならいい遺伝子をもらえそうだなってな。知的生命体がすることじゃねえよ」

「でも、美人が好きなんだろ?」

「ううむ……」

 はじめてこの屁理屈屋を説き伏せることができると思ったときだった。

 石神はパッと顔を輝かせて、「これこそ真理だ」と言わんばかりの勢いで言い放った。

「俺が言う美人ってのは、ただ顔立ちが整ってることを指しているのではない。『美人は気から』っていうだろ? 中身も美しくてはじめて美人になるんだよ!」

 なんという凡ミス。しかし、そこを責めない手はない。

「それを言うなら『病は気から』な……」

「あ……」

 横綱相手に土をつける小結の絵が浮かんだ。

「いや、まあいい。でも、よかったじゃないか同じグループになれて」

「ああ、まあな。メールアドレスをゲットすることもできたしな」

「とりあえずのスタートラインには立てたわけだ。しかし、ゆかりという女はこちらが思っているよりも厄介かもしれないな」

「なぜ、そう思う?」

「俺を評価するからだ」

 潔いまでの言い切り。

 自覚があるなら正せばいいのに。

 そんなことを悠は思った。

「なるほどな」

「そこはスッと通るのな」

「自覚があることに驚いたくらいだ」

「ずれていることは気づいてるが、俺が悪いとは思ってないぞ」

「時代が俺に追いつけと?」

「そこまで言ってないが、ニュアンスとしてはそんなところだ」

 スケールの大きい自信家過ぎて、突っ込む気にもなれなかった。

「……」

「なぜ、黙る? 沈黙は宝だ、寡黙こそが美徳だと本気で信じているのか?」

「ならば、石神とはとっくに縁を切っている」

 その言葉を聞いて、石神は愉快そうに「ハハハ」と笑ってみせた。

 そんな風にしてると、やけに度量ある男に見えないこともないのだから、人間とは不思議な生き物だ。

 そして石神はなにかを考える様子で腕を組み、右手を顎にあてながらうなった。

「ううむ。では次はデートだな。さて、どう攻めるか……」

「なんだか話が急に進み過ぎてないか?」

「なにを言う! 善は急げだ。Don’t think,Feelだ!」

 ヤケになめらかな発音で言う。こいつは英語もいけるのか、と悠は驚きを通り越してつい呆れてしまう。

 だが、よくよく考えたら全然意味がわからない。

「それブルース・リーのセリフだよな。使いどころおかしくねえか?」

「だから考えるなって! 感じろって!」

 もうめちゃくちゃだ。

「……デートとかどうやって誘うんだよ」

「そんなもん、ご飯行こうでいいじゃないか。ほかになにがある?」

「それができれば苦労しねえって」

「なにを言う。うじうじ考えるな。ドン――」

 トシンクフィール。

 しかし、言わせてなるものか。

「わかったから。もうわかったから」

 石神は気に入ったフレーズを連発する傾向にある。

 三回も四回も聞かされるこっちの身にもなって欲しい。

「とりあえず一度、石神を含めた三人で会おう。ゆかりさんが言い出したのだから違和感もないだろう」

「うむ。よかろう」

 気づけば太陽は完全に姿を消して、暗闇が世界を支配する時間となっていた。

「腹が減ったな」

「そうだな」

「飯……行くか」

 誘いをかけるのはいつも悠。べつにかまわないが、石神がじぶんから言いだすことは滅多にない。

 ほんとうによくわからない男だ、と思う。

「おう」

 そう言うと、二人は立ち上がりなにを言うでもなく歩いた。


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