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物語の主役はあなた。

ほんとそうだと思います。

 京都駅の正面入り口。といえば、わかるだろうか。

 多くの人待ち顔がそこで手持ち無沙汰な時間を過ごしている。

 多くは携帯電話に目を落とし、時間をつぶしている。

 約束の時間まであと五分少々。

 まだゆかりと未央の姿は見えない。

 かまえすぎていた気をいったん落ち着け、悠は深く息を吸う。

 そして吐く。

「緊張しているな」

 石神が笑みを浮かべながら言う。

 挑発的な調子であったが、悠にそれを指摘する余裕はなかった。

「緊張しているな」

 無視されて、もう一度繰り返したというわけでもない。

 強調のためでもない。

 ほんとうに緊張しているんだな、と心配する声色だった。

 笑みが消えていた。

「ああ。そりゃそうだ」

「ふん。無理もない」

 急に芝居がかったセリフ回しになり石神は言う。

 物語の主役。とそのよき友人。

 おおかた、そんなイメージが石神の脳内で固まっていたのかもしれない。

 じぶんが物語の、世界の主役であるという感覚は誰しもが一度は抱き、成長と共に幻想であったと知ることになる。

 しかし、石神はいまだにそれを幻想になどせずに、自己の中に確固たる事実として保管しているのかもしれない。

 それが、彼の全能感を支え続けているのだろう。

 そんなことを思いながら、悠は周囲を見回す。

 人。人。人。

 そんな中でふと目につく人物がいた。

 電子機器に自己を埋没させる待ち人が多い中で、その男だけは落ち着かなげに辺りを見渡していた。

 恐ろしくせわしない。

 しかし、その焦った態度とは裏腹に彼の表情から悲壮感はうかがえない。

 むしろ逆だった。

 幸福感に満ち満ちていた。

 男もまた物語の中の主役なのであろう。

 そんな男に近づく一人の女。

 うすピンクの可愛らしいキャリーバッグをカラカラとひいている。

 年のころは、二十代の前半。いや、若くは見えるがもう少し年かさなのかもしれない。

 根拠はないが、悠は不思議とそう思った。

 女性はなにかをたくらむような笑みを浮かべながら男に歩み寄る。

 男はまだ気づかない。改札口の向こうを見、むかって右のエスカレーターで降りてくる人びとを確認している。

 灯台下暗し。

 細かい文脈はわからないが、だいたいの状況は悠にもわかった。

 女が目の前、体が触れるか触れないかの距離にまでなったとき、男が不意に視線を落とした。

 気づいた。

 表情でわかる。

 男は一瞬面食らった表情を浮かべたが、まもなく満面の笑み。

 女もそれに応えて笑顔を返す。

 大学生とちょっと年上の彼女。

 女は空いてるほうの手を「やあ」とあげる。

 遠距離恋愛なのであろうか。

「いい光景だな」

 いつから見ていたか定かでないが、悠の視線の先に気づいたのであろう。石神も同じように心温まる邂逅の一部始終を眺めていたようだ。

「ああ」

 そして悠は「ほんとうに」と続けた。

 言葉少なであったが、石神も悠と同じように名前も知らない二人を祝福していることが伝わってきた。

「俺たちが待っている人も来たようだぜ」

「待ち人来る」

 悠がつぶやく。

「おみくじにそう書いてあったのか?」

「いいや」

「そうか」

 そう言って、石神は楽しそうに笑ってみせた。

 ゆかりと未央がこちらに歩いてくる。まだ二人は悠たちに気づいていないようだ。

「おおい」

 石神が大きく手を振る。

 そんな動作できるのか、と悠は驚いた。

 先に気づいたのは未央だった。

 ゆかりの肩を叩きなにごとかをささやく。

 それにゆかりが笑って答える。

 それだけで空気を和らげてしまうほど、二人には華があった。

 ゆかりは青のロングスカートに赤と白のボーダーシャツ。長い背丈によく似合っていた。

 未央は水玉のフレアスカートに黒のトップス。首もとには白のフリルがついている。

 未央がゆかりを引っ張り小走りに駆け寄ってくる。

 そして一言。

「どう? 可愛いでしょ?」

 そう言って、スカートのすそを引っ張る。スラリとした足がセクシーだ、と悠は不覚にも思った。

「開口一番、おもしろい冗談だ」

 しかし、なんとか憎まれ口を叩くことができた。

 悠の言葉に、ゆかりは楽しそうに笑っている。

「こんにちは。石神くんはおひさしぶりですね」

 場を華やかにする明るい声でゆかりが言う。

 もちろん、花のような笑顔をそえることも忘れずに。

「三人で飲んだとき以来ですね。その節はどうも」

 慇懃なお礼。緊張しているのが伝わってくる。

 ゆかりはそんな石神の物言いがおかしかったのか、楽しそうに笑う。

「石神くんって、そんな人だったっけ? もっと破天荒なイメージがあったんだけどな」

「破天荒ですか」

 石神が苦笑を浮かべる。

 面と向かって「あなたは破天荒ですね」と言われる経験などあるわけないのだから、当然の反応だった。

 そんな二人のやり取りをしり目に、未央は悠の身体を肘でせっつく。それがなにを意味しているのかは明白だった。

 しっかりやれよ。

 未央なりの悠への激励なのであろう。

 悠はそんな彼女に「ボチボチやるよ」とちょっとすかして答えた。

「楽しそうね?」

 ゆかりが二人のやり取りに気づいて意識をむける。

「うん? なんでもないよ」

 答えたのは未央。

 しかし、言葉のわりには悠に意味ありげな視線を送る。

 なにかあると言っているようなものではないか。

 悠は抗議したい気持ちに駆られた。

 が、ボロを出すとまずいのでなにも言わなかった。

 それがますますゆかりの好奇心に火をつけたのか、彼女は興味深そうに二人を見比べた。

「え、なになに? 気になるなあ。そうやって二人でなにか隠しちゃって……。あ、もしかしてそういう関係?」

 これはもちろんゆかりなりのジョークだ。

 しかし、状況が状況だけに悠は勢い込んで否定する。

「違う、違う。そんなんじゃない!」

「なんでそんなに慌ててるの? ますます怪しいなあ」

「ゆかりさん。この二人はなにもありませんよ。僕が保証します」

 よくわからない理屈だが、石神は彼なりの助け舟を悠に送った。

 しかし、肝心要の未央がニヤニヤと不敵な笑みを浮かべるだけで否定も肯定もしない。

 いや、この場合の沈黙はそのまま是を意味する。

「未央さんもなにか言ってくださいよ。ゆかりさんが変な勘違いしてますよ!」

「ええ? あたしはべつに勘違いされてもいいかなって思ってるけど?」

 一瞬なにを言ってるのかが、悠にはわからなかった。

 石神も同じようで、唖然とした表情で未央を凝視する。

「ほら、やっぱりそうなんだ。私の女の勘も、まだまだ捨てたもんじゃないなあ」

 ゆかりだけは、この状況を純粋に楽しむような発言を飛ばす。

「でも、言ってくれたらよかったのに。冷たいなあ。ねえ、石神くんも知ってたの?」

 ゆかりの明るい声だけが響く。 

 この状況なら、ひどく空気を読まないものに思えてしまうのだから、人間心理とは不思議なものだ。

「え!? ああ、いや。僕は知らなかったです……」

 これ以上の誤解を生まないように、慎重に言葉を選んでいることは悠にも伝わってきたが、さしもの石神も混乱しているのであろう。

 ゆかりの勘違いを正すことはできなかった。

「そっかあ。ってことは、今日はダブルデートだ。私と石神くんはそれにまんまと付き合わされるわけだ。なあんだ」

 ダブルデート。

 ああ、間違いない。

 だが、組み合わせが違う。

「いや、ちょっと、ゆかりさん。あなたは少し勘違いしている」

「勘違い? またそうやって隠そうとする」

 駄目だ。

 このままでは、永久にゆかりの誤解を解けないと思い、悠は少し切り込むことにした。

「たしかに今日はダブルデートだけど……。その、なんていうか組み合わせが違うというか……。僕と未央さんではないというか……」

「え、じゃあ誰と誰をくっつけるのが目的なの?」

 不審げな目でゆかりは問う。

 しかし、皮肉にもその問いは本質を的確に突くものだった。

 石神が息をのむ音が聞こえる。

 未央もすました顔を保ってはいるが、内心では会話の行き先を注視しているのであろう。

 それにしても。

 悠は思う。

 未央はなぜあんなことを言ったのか。

 悪戯心ならば、そろそろゆかりの誤解を解いてほしいのだが、と悠は不審に思った。

「ねえ、九鬼くん。『誰と誰のための』ダブルデートなの?」

 神の審判でも受けている気がするが、相手はただの女子大生だ。

 しかし、ゆかりの問いは悠に半端なごまかしを許さない。

 いっそこのまま告白に雪崩れ込むか。

 なかばやけに言葉を紡ごうとしたときだった。

「あの……」

 突然、石神が口を開く。言ってしまえば、石神は今四人の中で最も騒動から遠い。

 蚊帳の外と言ってもよかった。

 しかし、彼の発言は石神を一気にドダバタの中央に放り込むことになった。

「……俺とゆかりさんです」

 ……ハッ!?

 ……えっ!?

 ……まったく意味がわからない。

 ……なにを言っているんだ、この男は。

 ……狂ったのか、ついに狂ったのか?

 ……狂ったに違いない!

 未央と悠は驚愕に目を見開いて、石神を見る。

 ゆかりはゆかりで混乱し、呆然とした表情を浮かべる。

「えっと、それは……つまり?」

 石神は居ずまいを正す。

 そこで、彼は一度悠に視線をむける。

 石神の瞳には謝罪の色が込められていた。

 口げんかでも絶対にじぶんの非を認めたがらない男だ。そんな石神が今、悔恨やら後悔やら申し訳ないやらが入り混じった表情を浮かべている。

 その顔で、石神の今までの葛藤が悠には透けて見えた。

 石神は冷静だった。

 石神はゆかりのことが好きだった。

 おそらく一目ぼれか、それに近いものだったのだろう。

 しかし、石神は一度、一目ぼれを否定した。

 生殖本能が反応しているだけとまで言った。

 そんなじぶんがゆかりに一目ぼれしてしまったとは、死んでも言い出せなかったのだろう。

 そして石神はじぶんの気持ちを封印して友人に協力した。

 それは、心からのものであり、石神なりにベストを尽くしたものであったのだろう。些かずれてはいたが……。

 だが、未央の発言により事態は急転した。

 そう。石神にチャンスが訪れたのだ。

 そんな状況をむげにできるほど、石神の情熱はちっぽけではなかったのだろう。

 恨む気にはなれない。

 むしろ、清々しい気持ちでいっぱいだった。

 ……。

 ……ああ!

 悠は思考を広げてみてとんでもない事態に気がついた。

 今の石神の葛藤がそのまま当てはまる状況がもう一つあるではないか。

 それもすぐ近くに。

 であるならば、彼女の、未央の奇妙な発言もすべて説明がつく。

 なぜ、今まで気づかなかったのか。

 振り返ってみて、悠は未央の複雑な表情をいくつも思い浮かべることができた。

 そして石神は未央のそんな顔を見て、同じように複雑な表情を浮かべた。

 似た者同士。というと状況が違うが、石神も未央に奇妙なシンパシーを感じていたのだろう。

 じぶんが恋愛相談をした相手が、じぶんのことを好きだった。

 そんなまぬけなことがほんとうに存在するのか。しかも、最も道化なのはほかでもない九鬼悠その人。

 じぶんの鈍さに呆れかえり、笑い出したくなった。

「九鬼くんもなんで笑ってるの? あたしなにがなんだか……全然意味がわからないよ」

 不安気にゆかりは漏らす。

 無理もない。

 なぜなら、この状況を正確に理解している人など誰もいないのだから。

「とにかく、いつまでもここで立ち話もなんでしょ。予約してるから、そこでゆっくり話し合いましょ」

 そう言うと、混乱の張本人である未央はさっさと歩いて行ってしまった。

 残された三人は、慌ててあとを追う。

 こうしてダブルデートは幕を開けた。

 想定とは大きく異なる雰囲気にはなってしまったが……。


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