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二十五 水の導きによりⅡ

 ブランヘアックの門前で騎士の魔法が弾けた。門番に立っていた人々を魔力の体当たりで退け、二頭の馬が敷地に駆け込み、転がるように馬を飛び下りたセシリアが走る。土と石ばかりの地を踏んで、白いマントが翻り解れた金の髪が靡く。

 王の指が古井戸の縁、確かに此処で違いないと教える波模様を刻む石材を撫でる。

「お願い、応えて。開いて!」

 叫びは井戸に木霊した。水脈目指して穿たれた穴を覗いて、アンヌの王が古の扉に呼びかける。身を投げんばかりの勢いで、彼女は愛しい国へと手を伸ばした。

 ハイラムとナフムはただ見守るしかない。夜が明け徐々に明るくなっていく世界で、その光がアンヌまで届くことを、扉の在り処と鍵たる王の力を信じ、アルアンヌとアンヌの民として願うほかなかった。

 地につけた足に僅かな振動を感じ、彼らの肌が粟立つ。馬が怯えるように嘶いて身を竦めた。続く、意識を洗う水音。

「蛇よ、此処よ! 此処まで来て! アンヌと此処を繋いで、お願い!」

 泣き声に似た祈りが地に響き、幻の水音と共に満ちる。

 セシリアは暗い井戸の中に姉の姿を見た。自分と同じ白い服を着て、髪を纏め上げたアルアンヌの女王。彼女は手を空へと掲げ――伸ばした手が触れ合う。

 ひやりと冷たい感触は水だった。映る女王の姿が揺らいで波になる。

 急激に増した水位が女の腕を濡らす。井戸が吐き出す水は留まらず、セシリアの体を浸し、乾いた地面を潤していく。絶えず井戸から零れる水の中に転がる赤い輝きを見つけて、ナフムが目を瞠った。

「兄さん、」

 そして声に顔を向けた先で、蒼褪め強張っていたハイラムの顔がふっと緩んだのを見た。呆然としたその表情は徐々に引き締まって、騎士の顔つきとなる。何事かも分からないでいる間に、ハイラムは指揮棒を構えた。

 地平から太陽が姿を現し、ブランヘアックの山肌を照らす。光を受けて一等眩い、蛇の鱗の如く重なりあう新種魔鉱の脈が人の目を引き寄せた。

 三人、そして彼らを追ってきた騎士たちは、白い光に包まれた魔鉱の壁が揺らぎ奥で色を変えて輝くのを見た。魔法の光で亀裂が入り、冗談のように、その全てが一瞬で水となるのを。

 神の訪れは、誰の目にも明らかだった。

 人々の足に触れる波と同じ、透く清らかな体。竜よりも巨大な蛇神が深い眠りから目を覚まし、身を擡げた。

「来た!」

 セシリアが声を上げたのと同時、流れ出る膨大な水。天を目指し駆け登った大蛇の体を食い破って、闇のように黒い体の竜が抜け出した。

 飛沫を纏う蛇に似た長い体に、鳥の嘴に似た大口、十の翼と禍々しく渦巻く赤い瞳。体を覆う黒い皮膚は陽の光に晒され、揺らいで、ふやけた紙のように剥がれはじめる。鱗か羽か、細かく、羽ばたく度に飛び散り――傷跡の残る体が露わになった。

 その僅か下の水中から投げ出される小さな人影。揃って大きく息を吸い、濡れた手で指揮棒を掲げた。

 蛇神の中から現れる手負いの天使。血の滲む指をきつく握り、白い翼を広げる。

「マリース!」

 竜を縛る魔法を展開したアルフィージに次ぎ、距離をものともしないハイラムの魔法が跳躍するマリースの足場を成す。

 双子の行動は的確に噛みあう。何もない所から現れる白い足場を辿る戦乙女の足取りは地を踏みしめるのと変わらず確かで軽やか。予めの作戦でもあったかのように迷いなく、二人で竜への間合いを詰める。

 マリースの指揮棒に残る全ての魔力が収束し、彼女の体よりも大きな剣と化した。

「く、らえッ!」

 純白の大剣は大上段、痩せた翼を動かし大口開けて向かい来る竜を地に伏す勢いで叩きつけられた。悲鳴を上げて身悶える竜の体から最後の鎧が剥落し、赤く、熱された鉄の色で脈打つ魔力の炉が表出する。

「撃て! 赤いところだ!」

 ナフムの声が飛び、ハイラムは指揮棒に指を滑らせ妹の大剣と同じ純白の矢を紡いだ。鋭い目で身を捩る姿に狙いを定め、弦を弾く動きで引き絞った魔法の矢を放つ。

 熟練の騎士にも劣らぬ精度の高い魔法は、吸い込まれるように脈の中でも太い魔物の心臓部に衝突する。爆ぜる魔力。穴開いた竜の断末魔が風となり鉱山に吹き渡る。

 翼が動きを失い、目で渦巻いていた魔力が失せる。重い体は頭から地に引かれて落ちて、微かに地を揺らした。

 アンヌを脅かした恐ろしい魔物の終焉だった。命尽きて落ちる竜の体と共に、天を走った水の一部が慈雨となって山に注ぐ。

「……間に合った、のね、……アンヌは助かったのね」

 呆然と、セシリアは呟いた。ハイラムが言葉もなく頷く。

 彼らは間に合ったのだ。禍は蛇に導かれ、天使のような人々に退けられた。ほうと息を吐き、三人は呆然として立ち尽くした。今にも水浸しの地面に座り込んでしまいそうだったが、すぐにはっとして辺りを見渡す。

「――ジェレミアは?」

「……こっち!」

 ハイラムがマリースの気配を辿って鉱山の奥を指差す。休む間もなく三人は駆けだした。呆けた騎士たちが取り残され――彼らの背後から蹄の音が聞こえた。それらは一つではなく、合わせて人の声も聞こえてくる。

「これは凄まじいな、伝説と任務を足して割った感じだ」

「……ええ、まったくもって」

 慌てて振り返った人々は、また目を見開いて言葉を失うこととなる。目まぐるしく変わる事態に、楓葉紋の腕章をつけた騎士たちはもう、気絶しそうだった。

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