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二十 作戦会議

「セシリアがアルアンヌに行って戻ってこなくなったとき、正直安堵した。恐らく好い事態にはなっていないが、……アルアンヌがアンヌ王を殺すわけがない。海を操る力はアルアンヌにこそ必要だ」

 石造りの壁。堅牢な要塞や牢屋を思い起こさせる白灰色の広い部屋は、しかしらしくない明るさに満ちていた。

 火とは違う、色を持たない白い光。建物の外でも星のように灯っていたものが室内を皓々と照らしている。目を眇めて見てみれば、壁に埋め込まれた魔鉱が光を放っているのが分かる。

 ジェレミアとマリースが案内されたのはあの水の傍らの建物、アンヌの王城だった。

 人払いをして閑散とした部屋で眩しすぎる光から逃れて隅に座る三人は、非日常の中で日常を送るような奇妙な感覚に包まれていた。話題は部屋と違い明るくないと言うのに、空気は張りつめず、どこか緩やかに流れている。

 折しもセシリアがしたのと同じような話をジェレミアとマリースに語り終えたアルフィージは大きな石材を置いただけの椅子に座り、足を伸ばしていた。冷たい石の上に布を敷いて、彼は丁寧に爪先の半乾きの血を拭う。

 その横では、ジェレミアが椅子と同じ石のテーブルに水浸しの麻袋や容器を並べ、一つ一つ口を開いていた。手を離してしまったのが悪かったのか、水を渡ってきた当人たちはまるで濡れていないというのに、沈んでいた鞄の大半は水を吸ってしまっている。それでも、ジェレミアは大して困った様子もなく淡々と袋を開き、中から少々ふやけた草の根や種をつまみ出している。

 マリースはその横で、これまた角が塗れた本を開いていた。ジェレミアに言われた頁を探して、本がそれ以上酷いことにならないように、慎重に。

「この地の底で魔物に食われて死ぬくらいなら、アルアンヌで永らえてほしかった。民として王の帰りを待ちながらも、私は……彼女が帰ってこないほうがいいと」

「でもあの人は戻ってくるつもりだった」

 王国の民ではなく、女王の臣下ではなく。ただ一個人としてのアルフィージの言葉を遮るようにジェレミアの声が響いた。

「あの人は希望を抱いていた。まだ諦めていなかった」

 摘まんだ黒い粒を擂鉢に放り込む手元から目は逸らされないが、独白染みた言葉はアルフィージに宛てられた。穏やかに、言い聞かせるように言いながら、彼は薬草を磨り潰すのに手を動かす。

 常は胸に赤い硝子を光らせるジェレミアだが、十日に一度ほどと、結構な頻度で医術塔にも出入りしている。親しい友人が多く、賢者との関係も良好、そしてなにより自分の研究が人体に与える影響を考えてのことだが、診療治療もそこそこにはできる。薬の調合に至っては、城の人々から仕事を貰っても問題ない腕だ。医術塔が大量の薬作りを要請された際には手伝いに出向くこともあった。これだけは解剖学だけを修めたイーノスとは逆だったようで、いつでも彼の父を知る賢者に面白い顔をされる。

 医術塔からこっそり盗み出した――兄さんは意外と悪い子だったのね、とマリースが呟いたのに、ジェレミアは苦笑いをするしかなかった――いくつかの薬草を混ぜてすりつぶし、蜂蜜を加えて練る。出来上がった薄茶色のペーストに沸かした湯を少量加えて引き伸ばすてきぱきとした作業を見て、黙り込んでいたアルフィージはようやく小さく笑った。

「実に用意周到だな」

「魔物退治の冒険に出るんだ。すぐに思いつく、要りそうな物は詰め込んできた。あっても困らないだろ」

「兄さん、煮立ってるけど」

 ふつふつと聞こえる音に顔を上げ、木ではなく石を燃やす奇妙な窯だで熱していた小振りな壷をちらと見て、マリースは兄に声をかけた。

「ああ、じゃあ下ろしてくれ」

 指示を受けて火から下ろされた壷の中では、気泡と共に鋸のようにぎざぎざとした縁の丸い葉が躍っていた。やはり盗み出された痛みを和らげる薬草を煎じたもので、水は黒っぽく濁っている。

「まだ負傷者もいるんだろう。あるだけ作って配ろう」

 杯に注いでアルフィージに手渡し、ジェレミアは部屋の外を窺った。人集めをとジェレミアに請われて城内に散らばった人々は、アンヌの要職だと言う。アルフィージとは違い、皆一様に青い瞳の、アルアンヌの者と違いない容姿をしていた。

「……戦える者と共に確認しているはずだ。じきに誰か来るだろう。それより――君は魔物退治の策も、詰め込んで来てくれたのだろうか。こちらには何も進展がない。むしろ後退し続けている」

 練った薬を布に塗りつける作業に戻った男に、アルフィージは問いかけた。

 魔物が近くに居ないならまず体勢を立て直そう、とは、ジェレミアの提案だった。治療なら後で構わないという人々を押し切って、状況把握のついでだと、話を聞くに徹して薬を作り始めた。奇妙なほどに――アルフィージにとっては前に見た印象を覆されるほどに落ち着きはらった様は、此処を訪れてからというもの崩れることが無い。

 アルフィージに、初対面の人々に、そして妹にあれこれと指示を出してから、彼は多くを聞き出した。

 アンヌとアルアンヌの成り立ち、それぞれの王の力、急増した魔物たちとの対峙――犠牲を払いながらも勝利を収めたその末に現れた竜との絶望的な遭遇。

 彼の魔物は今、人の居住区に続かない道の一本で誘き寄せ、生き埋めにされたところだと言う。ただしその作戦は何度も決行された後で、足止めにしかならない上に長くは持たないのだとも聞かされた。王族ではないと言いながらも王の側近を名乗るアルフィージは、現状を最も客観的に把握しているようだった。

 お陰でジェレミアもその視点を得ることができた。此処はやはり地下の国で、あの女王はエレオノーラの双子の妹で、自分を此処に連れたてたのはどうやらアルアンヌの天使信仰と対を成す水――さ青の蛇神と呼ばれる神の力だということも、納得はともかく理解はした。

 即ちジェレミアとマリースはこの国においては神の使いであるから、アンヌの人々は君たちの言葉に従うだろう、とも、アルフィージは言ったのだった。実際そのとおりで、アンヌでは権威を持っているはずの誰もが、部外者であろうジェレミアの言うことに耳を貸した。

「兄さん、あったわ。これでしょう?」

 呼んで、マリースが開いた本を見せる。インクが滲んでいるが、そこには件の黒い竜が描かれている。

「ああ、そうだ。丁度いい。今度は俺が話そう」

 薬を塗布した布をアルフィージの爪先に当てて包帯を手早く巻きつけ、手にされたきりの杯の中身も乾すようにと促してから、ジェレミアは切り出した。薬湯を一口飲んだアルフィージが顔を顰めたところで床に放り出されていた鞄を探り、紡錘の一本、金色の金属で出来た細長い物を手に取る。

 ひやりとするそれを指示棒代わりに、姿勢よく立った彼は竜の絵を示した。アルフィージとマリースが揃って本を覗きこむ。

「あの魔物の鎧とも言うべき表皮は魔力で、常に働き続け、常に最大の硬度を保っている。あれをどうにかしない限りは魔物は倒せない。それは貴方たちも分かっていることだろう」

 紡錘の先端は尾がややぼやけた竜の輪郭を撫で、声は滑らかに本の内容を辿る。文字を読むのではなく記憶から引き出された言葉はやや早口。目は、絵では掌で覆い隠せてしまいそうな大きさの竜を見ている。

 ちらとアルフィージのほうを見て、続ける。

「魔力皮は、太陽の光によってのみ分解される。と、此処まではアルアンヌの過去の調査によるまとめだ。……まだ反論しなくていい。太陽の代わりを持って来た」

 トンと音を立てて頁を叩き、顔の前まで紡錘を持ち上げ、二人の視線も共に持ち上げる。空いた左手の指先は側面を伝い、細く尖った先端に行きつく。宝飾品のような金属の光沢は、太陽ではない光を弾いて眩しい。

「俺の研究の最大の成果、今のところの、最高傑作だ。物質に含有されている魔力を安定した形で結束させ、物質内から取り出す道具だ。先端を対象に接触させ、魔力を引き抜く。作りはちょっと違うが、大体同じ効果を発揮できるものがあと五本ある。これを作ったのは俺が最初だから、こいつで試した前例はないが――」

 静かに言い、もう一度竜の絵をなぞった彼は歩いて石壁の傍に立った。眩い光を放つ魔法照明、壁に埋め込まれた魔鉱の表面に紡錘を触れ合わせ、何度か軽く叩く。手応えを得たところでゆっくりと紡錘を引いた。

 白い光の中から抜き出るのは、対照的な闇の如き黒糸。紡がれた糸を指一本ほどの長さで切り離し、アルフィージの前に示される。

「黒色の、人以外の魔力で出来なかった例は数えるほどだ。そこは改善点だが、まあ見る限り、この魔力組成なら問題が無い。むしろやりやすいほうだろう。一回触れれば捕まえられる」

 学者の手に引かれてついと動いた魔力の糸は、テーブルに置かれた水差しに至る。

 釣り糸のように水の中に垂らすと、糸は壁の魔鉱と同じように光を放ち始めた。照明が壁の裏で流れる水に反応して光っているのと、まったく同じ現象だった。

 糸の行き先を追いかけていたアルフィージの目が丸くなり、ジェレミアへと戻った。穏やかに微笑む顔が待ち受けている。

「……奴から鎧を引きはがしてやれる。そこに攻撃を加えることができれば、竜でも死ぬ」

 神の御使いは確かにアンヌに希望を持ってやって来た。セシリアが持ち帰ろうとしていたアルアンヌからの救いの手だ。それは王族が密かに伝え継いできた扉ではなかったが、確かな形で、アンヌの民の前に示された。

「マリ、予備の指揮棒があるだろう。貸してやってくれ」

「ええ」

 どこか自慢げに事の成り行きを眺めていたマリースも、微笑んで兄に応じた。ベルト、腰の裏から取り外したのは彼女が普段用いているものよりも更に短い、掌ほどの大きさで曲がった形をした、何かの角のような指揮棒だった。剣と共に挿している直線的な物とは似つかないが、これも彼女の武器だ。

 差し出されるままに鳥の羽のように軽い純白の道具を受け取り、奇妙な感触にアルフィージは目を瞬いた。さすがに指揮棒よりは色を帯びた指先には、触れたところから馴染むような、不可思議な感覚がある。

「そっちは俺の恩師の傑作だ。人の持つ魔力を安定した状態で発揮させる。本来ならば個人に合わせた調整があるが、そんな時間はないな」

 ジェレミアが言葉少なく解説する。

 この指揮棒の何より優秀なところは、魔法自体の扱いを心得ている者であれば、極めて感覚的に使えるという点にあった。握り、手の延長、剣の代わりとして考えればそれで良いのだ。後は個人の資質が物を言う。

「俺の見立てでは、貴方の魔力は平均よりも質と量がある。竜を押さえつけるぐらいはどうにかなる。その隙にしてやれれば」

 魔力の糸を切り離した紡錘を腰のベルトに挟み、ジェレミアはアルフィージを向いた。腰掛けている為に低い位置にある白い姿を見下ろして、息を吸い直しゆっくりと唇を動かす。

「どうだろう、自信はある。アルアンヌの学者に賭けてくれないか」

 天使のような顔をした人は、長身の学者を見上げて三度瞬いた。きっと戻っては来ないだろうと思われた異国の男。妹まで連れて、この異界に戻って来た、アルアンヌの王に仕える学者。

 いつかは離した手を取り、アルフィージは跪いた。足を苛む傷の痛みはいくらかましになっていて、血は床を汚さなかった。

 握った他人の手を額に当てて、彼は笑う。それは天使の微笑にしては不敵な笑みだった。高からず低からず、薄い色味とは違いしっかりした声が応じる。

「どの道、全て擲ち賭しているんだ。その先を君にするだけだ。さ青の御方、蛇が導いた者ならば、アンヌの民にとってこれ以上はない」

「俺は選んで此処に来たんだ。神じゃなく、俺を助けた天使に恩を返しにな」

 ジェレミアは彼の手を引いて立たせ、長年の友人にするように肩に触れた。その先に翼などあるはずもなく、此処は地の底だった。

 そうした後に、彼は横で話を聞いていたマリースを見た。ジェレミアは自ら選んで此処に来たが、彼女は巻き込まれたと言ってよい。何より、愛する妹を恐ろしい竜の前に連れたてるのは、避けるべき事柄だと彼には感じられた。

 しかし、マリースは明るく笑う。

「兄さん、今更よ。私もハインも選んだの。私たちも戦うのよ。竜を抑えるなら私も居たほうがいいでしょ?」

 それは守られる妹や若い娘の台詞ではなく、守る側、力強い騎士の宣言だった。細く綺麗に肉の付いた指は腰にある剣の柄、騎士たちが王から賜る、唯一つの証に触れた。笑みが深まる。

 意思表明にジェレミアは薄く目を瞠り、複雑そうな顔をした。確かにマリースは大きな戦力だ。

 しかし、と出かかった言葉を数秒かけて呑みこみ、一つ頷く。

 彼の弟妹は、とうに兄に庇護されるだけの存在から脱却している。その意思を尊重すべきだと学者は自分を納得させた。双子もまたアルアンヌと、アンヌの民なのだ。

「天使様と神様がお揃いなら、何も怖くないわね。素敵だわ」

 複雑に過ぎる兄の顔を見て少し申し訳なさそうにしながらも、マリースは深く頷きを返す。宣言から続いた言葉は、愉快そうな響きだった。

 束の間、また空気が緩んだ。向かい合ったジェレミアとアルフィージ、二人は揃って――ハイラムとマリースがやるようにまったく揃った動きで肩を竦めて、またそれぞれに動き始めた。マリースがきょとんとして口元に手を添える。

 靴に足を入れながら、アルフィージは目を細め、光の先に続く通路を見た。行き来する人の気配が増えてきている。

「他が来たら具体的な戦略を練ろう。……皆喰われたんだ。動ける者はよくて二十。足りるか」

「俺は戦略面では素人だから、貴方のほうが指揮官向きじゃないかな。数には文句を言ってはいられないだろう。増援なんて見込めないんだ」

 呟くような声に応じる学者の言葉は無駄なく現実的だったが、事を嘆く悲観の響きはない。

「君が」

 ぐっと胸を張るように背筋を伸ばしたアルフィージは、マリースを見た。水面を覗きこんだような錯覚に短く息を止めて再び口を開く。

「君たちがアンヌに来た。見込めないと思っていた増援だ」

 閉ざされ開かぬ扉の向こう、竜を貫く陽の光。その一筋が零れてきた心地だと、アルフィージは渡された指揮棒を握りしめた。

 じわじわと、這いより迫ってくる禍の竜の気配、幾度も繰り返された戦いの予感。しかしこれが最後、仇討にして救国になる――その確信が、おぞましい時をほんの僅かだけ待ち遠しく、彼に感じさせた。

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