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序 塔の学者

 塔の群れ。しんと静まりかえった城の敷地、木々に囲まれる中で古井戸を取り囲み、井戸と同じように古い石造りのそれらは天を見上げていた。

 閉じられた井戸に程近い薔薇紋章を掲げた塔の五階は、まだ蝋燭の火を絶やさずにいた。物音は少なく、紙と鉛筆の触れ合う音、頁を捲る音、フラスコを熱する小さな音が、静かに降り積もる。

 蝋燭の火がぼんやりと照らす部屋の中には多くの机と棚がある。新しいものと古いものとが混然一体となって調和している。長机の上、まだ何も記されていない紙が積まれている傍らにはよく手入れされた顕微鏡があり、奥には多くのランプが整然と並べられている。ある棚の隅には靄を集めたように白いものがゆらゆらと揺らぎ続ける瓶が、また別の隅には、真珠色の翅を持つ蝶の標本が置かれていた。下段に置かれた本の数々は幾分古びた色をしているものの、埃も丁寧に掃われていて傷みは少ない。

 円硝子をいくつも嵌めた採光窓の向こうでは、春の柔らかな翠を湿らせる雨がしとしとと降り続いている。その音もまた、塔の部屋に染み入るようだった。

 そこに足音が加わった。中央の柱と共にある、螺旋に捻じれた階段をゆっくりと昇ってくる音だ。

「ジェレミア・オークロッド。居るかね」

 足音が止まり、しわがれた声が五階に呼びかける。並ぶ机の一つで書き物をしていた青年が顔を上げてそちらを見遣った。

「……はい、居ります」

 机上の灯が照らす顔は若く、アルアンヌ国民の一般的なパーツを備えていた。青い瞳と白い肌。加えて、通った鼻筋に薄い唇。彼は少々癖のある茶髪だった。おざなりにかきあげたままの短い髪の端がうねっている。

 凡庸な顔立ちの彼――今年二十二になるジェレミアは鉛筆を置いて立ち上がり、階段の手摺から離れた塔の管理者、上司でもある老人へと歩み寄った。

 深夜も深夜。黒いタイは曲がっていたし、書き物をしていた袖には皺が目立った。けれど、それを非礼と詰る者など居ない。時間帯もそうだが、此処はおよそ、そうしたことに無頓着な人々の巣窟なのだ。

「陛下がお会いしてくださるそうだ。明後日の午後に、庭に来るようにと」

 老人が皺を深める笑顔で告げる。数秒置いて、ジェレミアの表情にも喜びが滲んだ。机に残って自分の作業を続けていた者たちもやっと顔を上げて、二人を見てはひそひそと言葉を交わし始める。

 彼らのよく似たタイを留めているブローチの硝子は、一様に深い赤色をしていた。

 夜の風が外を吹き抜けて森の木々を揺らす。ざわめきの中に絶えない水の音がある。


〝水の導きにより禍は地の底に。そして天使が扉を閉ざし、人は祝福された〟――

 伝承が残るその地、水と地の豊かな王国を、「海をも操る王が立つ島国」と詩人は謳う。

 国の名をアルアンヌ。海原に抱かれた、美しく栄えた国である。


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