表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/38

36話 ふたりで見る景色

 凛の柔らかい毛先が頬に触れた。

 彼女の柔らかい腕が僕の首に回された。

 僕を抱きしめた腕に力をこめながら、

「お願い。直人くん。言わないで。」

 凛の声が震えていた。

「聞いてしまうと友達でいられなくなる。ごめんね。私わがままだよね。」

「わかってた。わかってたけど知らん顔してた。だって、直人君といつまでも友達でいたかったから。ずっと。」

 彼女の柔らかい体の感触を感じながら、苦しくなった。

「ここへ来て初めて。ううん。大阪にいるときも誰にも心を開くことが出来なかったわ。お母さんにも。だけど、直人君は受け止めてくれたの。私のこと。直人君になら気負わずに素直に自分を見せることが出来る。ずっとそう感じていた。あの夜も、直人君に会わなかったら言わないままだったかもしれないけど、本当の私のことを話すことが出来た。あの後、直人君から連絡なかったままだったけど、私、直人君に本当のこと言って、言えて良かったって思ってた。どこかで、直人君は私のこと受け止めてくれているって信じてたのね。こんなふうに思うの、本当初めて。だからこそ、直人君を失いたくない。恋人にはなれないけど。」

 少し沈黙があったあと、凛は苦しそうにつぶやいた。

「私、わがままだよね。」

「いや。」

 口の中がからからに乾いて、やっとのことで口を開いた。

 凛は続けた。

「いつも自分に自信がなくて、どこにも自分の居場所なんてないんだって。あきらめて、自分で自分を卑下してて、そして何でも斜めに、素直に真っ直ぐに見れなくて、自分のことが嫌で、消えてなくなりたいって思う時も一杯あって。だけど、直人君と友達になってから本当楽しくて。ちょっとだけど、自分に自信持てるようになったし、直人君といる時は、消えなくてもいいんだって、ここにいていいんだって思えるようになって。」


 凛が僕のことをそんなふうに思ってたなんて、知らなかった。僕は友達面して、下心一杯だったのに。本当は。何だか自分の方が恥ずかしくて、消えてなくなりたかった。だけど、心とは裏腹に身体が痺れたように熱くて、下半身に全部血がいっちゃったような感じだったんだ。ちょうど、彼女のお腹の辺りにその感触は伝わっているはず。何だか情けない感じだった。そして、僕の腕は凛に羽交い絞めされたので、ぶらりと力なく下がって。本当は腕一杯に彼女を抱きしめたかった。

 だけどここで彼女を抱きしめたら。もう平常心でいられなくなる。

 僕はやはり又腹に力を入れて、手で彼女の肩を押し戻した。

 少し興奮したように頬を赤く上気させた彼女の目は少し潤んでいた。

 その表情が素直で可愛らしいと思った。初めて出会った時の、斜に構えたクールな影はもはや消えてなくなっていた。

「そんなふうに思ってくれてたんだ。嬉しいよ。凛の役に立てたんなら。」

 展望台の下を強い風が通り過ぎ、草が靡くように音を立てた。

 僕はふと、譲兄ぃが言っていたネイティブアメリカンの話を思い出した。

「あの、これ譲兄ぃから聞いたんだけど。」

 そう言って話始めると、

「誰かの思いが自分を創っているってことなのかしら。不思議だわ。でも何だかそう考えるとほっとするわ。」

 凛はそう言った。

「自分を創っているっていうか、元々自分は自分で存在するんだよ。だけど、人は一人では生きられない。どこかで、誰かと、いろんな人と繋がっている。そして、その繋がりの中で自分の存在を意識するんだと思うよ。」

 僕はそう話しながら、おかんやおとん、お姉や、譲兄ぃ、修一兄ちゃん、誠二、会社の皆、釣り仲間のやつらや、いろんな人の顔が頭の中に浮かんでいた。

 遠くの景色にじっと視線を動かぬようにしたまま聞いていた凛の頭の中にも、いろんな人の顔が浮かんでいるんだろうと思った。

 僕は凛の肩に手をかけた。


「今日、鏡見た?」

「見たわ。」

「いただろう。」

 僕の言葉の意味がわかってか、凛は軽く口の端をあげてみせた。

「その中に僕もいるよ。いつも。」

 そうとしか言えなかった。

 だけど、自分の想いはきっと伝わっている。


 展望台から頭を出して、大きく息を吸った。

 透き通った涼やかな空気が肺一杯に吸い込まれて、気分がすっとした。

 凛も隣で同じように真似をしている。

 そして、僕の顔を見て笑った。

「いつか、大阪に遊びに来て。通天閣登ろうよ。」

 黙って頷いた。

 そう。そうだね。恋人同士じゃ登れないけど、僕等なら登れるよな。

 この気持は恋なんかじゃないんだから。

 僕の目に映る世界が滲んだ。

 水のフィルターがかかるように、展望台から見える山も道もマッチ箱のような家やおもちゃのように走る車も、少しづつ滲んで揺れていた。



 鏡の中に君がいる。

 自信がなくて自分が嫌でたまらなくて、消えてなくなりたいと思う夜も。

 想う人に思いが伝わらなくて、胸が塞ぎこんでしまう日も。

 先が見えなくて、希望が持てず、起きるのが億劫な朝も。

 鏡をごらん。そこに君がいるから。

 それは、誰かがこの世界で君のことを思っている。君のことを考えている。

 だから、君は消えない。鏡を見てごらん。消えてなくなったりしないから。

 どこにいても、君のことを思っている。君のことを考えている。だから君は消えない。僕がこの世界で、この胸のどこかで、君を抱きしめる。だから、君は消えない。

 鏡を覗いてごらん。そこに君はいるから。自信を持って、君を思う人たちがいることを確信して。そして前に。少しずつでも先へ進んでいこう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ