35話 気持ちを伝えたい
展望台の階段に足をかけて、思いきって早足で階段を駆け上がる。ほんの数メートルしかない高さの展望台だが、高所恐怖症の僕にとっては、勇気のいることだった。
展望台の上から、下の景色を眺めてみた。高台にある場所から、さらにその上に上がってきたことなんて初めてだ。眺める景色の中に、ゴマ粒みたいに小さな車が道を右往左往と走り、やっぱり小さなマッチ箱みたいな家や工場が立ち並び、遥か向こうの方には山が連なり、雲なのか、靄なのか、白い膜のようなものが、山の上にかかっている。
初めてだ。まともに高台の上から景色を眺めたことなんて。
凛と一緒にあのタワーに登った時も、下の景色なんてまともに見ていなかった。無理に視線を遠くに向けるような振りをしながら、本当は自分の手元を見ていた。
怖かったから。
そう、自分の気持を言うこと。それによって相手の反応がどう返ってくるのかわからないこと。それを受け止めること。僕が苦手としてること。
自分の気持を伝える勇気がない。だから、今もって、女の子に告白したことがない。紹介されて何となく付き合ってみたとか、相手の子から告白されて、何となく流されて付き合ってみたとか、そんなんばっかり。
本当に好きになって、本当に勇気を出して、気持を伝えたことってないんじゃないか。
もっとも、そこまで思える相手に今まで出会えなかったということも原因だけど。
だから、凛に会った時、この子だって思った。だから、恥ずかしくても何でも、凛にアタックしたんだ。だからこそ、凛の恋人が女の子だったこと。同性が好きだということ。知ったときのショック。永遠に手が届かない子だってわかったこと。
だけど、もっとショックだったことは、凛の腕の傷。
「どうしたの。」
凛が展望台に上がってきた。
「ああ、景色眺めてみようかなって。」
「直人くん。高いとこ苦手なんじゃないの。」
え、知ってたの。
凛は、目じりを細めて、笑みを浮かべ、
「ふふ。タワーに登ったとき、直人君の視線が宙に浮いてたの見て、高いとこ苦手なのかなって疑ってたの。」
〝大丈夫?〟
凛は僕のすぐ横に来て、囁いた。
「大丈夫だよ。」
凛は今日も薄い長袖のシャツを着ている。僕はそのシャツの袖に隠された薄い桃色の蚯蚓腫れの傷のことを思った。
夏とは明らかに違う澄んだ秋の風が、展望台に立つ僕らの間を吹き抜けていった。
「あのさ。」
「うん。」
凛は微笑を浮かべ、僕の目を見た。
「このまま君が大阪へ帰っちゃって、もう会えないのかとか思ったり、いや、思いたくないし、そうしたいわけじゃないけど、でも、もしかして今言わないと、もう絶対言えないかもしれないし。」
何言ってんだ。自分は。
凛はきょとんとした顔で僕を見ている。
何言おうとしてるんだ。
鼓動が早くなる。頭に血が上っているみたいだ、顔が熱い。
いや、でもここで言わないともう二度と言うチャンスはないかもしれない。
凛はこのまま大阪へ行ってしまう。友達なら又会えるかもしれないけど、だけど自分の気持を隠したままもう彼女と会えない。もし駄目になっても、もう凛に会えなくなっても、だけど自分の気持を知ってほしい。自分がしたかったことってやはりこれなんだ。自分の気持を伝えたい。
腹に力をこめた。
「友達でって言ってたけど、だけど本当は凛のことが・・」
そう言った途端。
甘い果物のような香りが鼻腔の奥を通り抜けた。