15話 泣いてる
「ああっ~。」
おかんの地を這うような叫び声にびっくりして、テレビのリモコンを落としかけた。
「何だよ。へんな声出して。」
時計は11時を指している。そろそろテレビを消して、二階の自室のベッドへ潜り込もうとしていた僕は、おかんの突拍子もない叫び声に非難の声を上げた。
「だって、明日お父さんが飲む牛乳がないんだもの。」
前髪に拳大ほどの大きさのカーラーをふたつ巻いたパジャマ姿のおかんが、冷蔵庫を覗き込んでいる。
「切らしてるもんしょうがいないじゃん。」
僕は気にも留めずそのまま階段を上がろうとした。そこへおかんの鉄拳が飛んだ。
「痛て。何だよ。」
「ちょっと直。角のコンビニまでひとっ走り行って来てよ。」
「え、もう寝ようと思ってたのに。」
僕は口を尖らせた。
「だって、お母さんもうパジャマだし。あんたまだ服着てるし。」
そりゃそうだけど。面倒くさいなあ。
「親父なんかお茶かコーヒーでも飲ませておけばいいじゃん。」
「駄目よ。朝はイチゴジャムのトーストに牛乳って決まってんだから。」
うちの親父は融通が利かない。判で押したように毎朝同じメニューを食べ会社に行く。変わったモン食べると電車の中で下痢するんだってさ。ホントかな。牛乳の方が腹くだりそうだけど。
「わかったよ。」
僕はしぶしぶおかんから受け取った小銭を短パンのポケットに突っ込み、サンダルを引っ掛けて玄関を出た。
近くのコンビにまでは歩いて数分。住宅街を抜け、大きな通りまで出るとすぐに光々とした明かりが見えてきた。近くにあるのでよく利用する店だ。
キーパーからいつものMミルクを取り出し、レジでお金を払う。釣りをポケットに突っ込み、店を出ると、どこかで見たようなメタリックのコンパクトカーが止まっている。
ナンバーを確認すると、おや、こんな所で、こんな時間に。
凛だ。
僕は車に近寄り、運転席の人影に目をやる。
何の考えもなしに、運転席の窓を手で叩くと、びっくりしたように彼女は顔を上げた。手には携帯。誰かにメールしていたみたいだ。
彼女は窓を少し開けた。
「こんな所で何してるの?」
僕は偶然彼女に会えた嬉しさに、明るくそう声をかけた。
「うん、ちょっと。」
答えた彼女の声のトーンが低いことに気がつき、その顔を良く見ると目が赤く腫れていている。
泣いていたのかな。
声をかけてまずかったのかと、少し後悔したけど、腫れた目に気がつかないように声のトーンを高くした。
「これ、買いに来てさ。家、近所なんだ。」
牛乳が入ったビニール袋を掲げてみせる。
「そうなんだ。」
凛は窓を少し開けただけで、降りてこようともしないので、やはり間が悪かったのかと思い、その場を後にしようとした。
「メールしてたんだろ。ごめん、邪魔して。」
「じゃ、行くわ。」
そう言ってコンビニの駐車場を歩いて通りに出た。数歩歩いて、足が止まった。
気になるな。泣いてた。
僕は、余計なお世話か、迷惑かもと思いながらも、先ほどのコンビニの駐車場にとって返した。メタリックはまだ停まっている。僕は助手席側に回り、もう一度窓を叩いた。
凛が顔を上げる。僕は車の外から助手席のシートを指差した。
〝開けて。乗せて。〟
凛はロックをはずして、僕を車内へ招き入れてくれた。