13話 名物マスター
「いらっしゃい。」
アンティークの飾りが細かく施されたガラス戸を押すと、譲兄ぃのよく通る少し甲高い声が聞こえた。
「譲兄ぃ?」
店の中に入り、カウンター越しに声をかける。
「直ね。ちょっと待ってて。」
店の奥から譲兄ぃが答える。
僕はカウンターの椅子に腰掛けて待つことにした。
カチカチカチカチ・・・
店の入り口に置かれたアンティークの掛け時計が、ゆっくりと時を刻む。
〝静かだな。〟
この時間、店内には客がひとりもいなかった。
マリオネット、ビロードとスパンコールで作られたピエロのマスク。
ガラス細工の花が盛られた花瓶。バラの細工が施されたオルゴール。
店に飾られたそれらを見ていると、時が遥か昔に逆戻りしていくような錯覚に陥る。
僕はカウンターの椅子を降りて、ゴブラン織りのソファに身を沈める。
譲兄ぃの店。
アンティークの家具と雑貨でまとめられたカフェ。
店の売りは、個性的なマスターと、さくらんぼのケーキ。
僕が子供の頃から譲兄ぃはこの店をやっている。
譲兄ぃとおかんが何故か気が合うらしく、もう長年おかんは2日に一回はこの店に来て、入り浸っている。
おとんが気を揉まないかって?
それは全然問題なし・・・
「おまたせ~。」
譲兄ぃがケーキを乗せたトレイを持って、店の奥から顔を出した。
「ありがと。後でおかんにお金持ってこさせるわ。」
ポケットを探ったが財布を忘れた。おかんも僕にお金を預けなかった。
「あら、いいわよ。和ちゃんにはいつも会うから。」
和ちゃん。おかんの名前、和子だ。
「それより、何か飲んでく。」
「あ、嬉しい。」
僕はまたカウンターに座りなおす。
そして、カウンター越しに譲兄ぃの今日の服装をチェックする。
「譲兄ぃ。そのパンツってちょっといたくない?」
「あら、何が。ぴったりよ。」
10年前から体型が変わらないのは感心するけど、その襟にフリルのついたシャツに、黒の皮のベスト。そしてぴちぴちの恐ろしくスリムな革のパンツ。
先の尖ったブーツ。襟足をちょっと長めに伸ばした髪の毛をオールバックにし、鼻の下に伸ばした髭。サリーちゃんのパパを連想するよ。その髭。
名物マスター。
僕も最初はその風体が気味悪かったけど、ついでその女言葉も。
だけど、譲兄ぃはすごく気さくで優しくて、いつも明るい。
中坊の時なんか、学校で嫌なことがあると、いつもここで譲兄ぃに聞いてもらった。今はそんなに悩みを聞いてもらうこともあまりないけど。でも、何かあると譲兄ぃに会いたくなる。
「あんまり最近来ないわね。仕事忙しいの?」
エスプレッソのカップをカウンターの置きながら、譲兄ぃが聞いてきた。
「でもないけど。」
ははん。デートで忙しいとか?
僕は曖昧に笑ってごまかす。
胸を張ってデートで忙しいのだと言いたい。だけど、言えない。
凛とはよく会ってるけどそれはデートじゃない。ただの友達。会ってもその髪の毛一本すら触れることは許されない。
僕はまたあの夢を思い出してため息をついた。