1話 ひとめぼれ
恋に落ちる瞬間。
たとえて言うなら、なんとしよう。
そう、そこだけが、彼女の周りだけが別の次元の空間のように、そこに佇む景色も、あの子を取り囲む空気さえも色をつける。
甘いワインを口に含んだような感触。
柔らかく、甘美で、ふんわりと花にも似た良い香りを放つ。
その瞬間。
予期することなく訪れる幸福。
そして僕を天国に、時には地獄へ突き落とす。
可愛いあの子。
でも、この出会いを感謝する。
すべての偶然に、そして、あの子と過ごすこの一瞬一瞬に。
ひと目惚れ。
そう、ひと目惚れだ。
ああ、ひと目惚れってこんな感じなんだ。
初めてだ。
こういう感じひと目惚れって言うんだな。
僕は、じっとその子の顔を見ている。
人様の顔を、それもうら若き女性の顔を、ぶしつけにまじまじ見るなんて失礼なことだとわかっていても、それでも視線をそらすことが出来なかった。
筋肉や筋や、体を動かすものに命令を出している脳のどこかの動きがストップしてしまったように、僕はでくの坊のようにぴくりと瞬きすら出来ず、彼女の顔をじっと見ていた。
顎のラインで丸く切りそろえたボブにふっくらとした唇。一重の切れ長の目がエキゾチックで、クールな感じのするきれいな女の子だった。
年はたぶん僕と同じくらい。
彼女がそこに座っているだけで、いつもの馴染みの店がまるで別空間だった。
彼女は友達と二人で飲みに来ているみたいで、隣に座った背の高いバレーボールの選手のようなスポーティな感じのする彼女は、その女の子より年長に見えた。腰まであるきれいに伸びたストレートヘアーが印象的な美しい女性だったけど、僕の興味はボブヘアーの彼女にまっすぐ向けられていた。
そこへ、トイレから戻ってきた誠二が、
「直、どうしたん?」
席に戻ってきた誠二の姿すら目に入らず、ぼーっと彼女を見ていた僕はびっくりして、
「別に。」
慌ててグラスに残ったビールをあおった。一気に飲んでむせて咳き込んだ僕の背中を、誠二はどんと叩き、
「なんか挙動不審だな。」
と、僕が今まで見ていた方向に視線を泳がせて、
「おっ。あんな子おったんか?気がつかなんだな。」
顎をしゃくった。
「きれいな子やな。」
やはり彼女は目立つ。
誠二も興味をひかれたみたいだ。
「どっち?」
と聞くと、
「俺、あのストレートヘアーの方。お姉さんぽくっていいやん。」
誠二が目をつけたのは彼女の方じゃなかった。僕はちょっとほっとして、
「両方ともいいな。」
そうと言うと、
〝行くか?〟
誠二が目配せしてきた。