序
こちらは『呪われた辺境伯と無色の聖女』シリーズものなので、先に『呪われた辺境伯と無色の聖女』をお読みになってからのほうがわかりやすいと思います。
本書は、ローゼンベルク領に伝わる逸話集
『銀の錨と黒い海』――
その最奥に秘され、和合の後にのみ姿を現した記録を、後世のために書き留めたものである。
これは断罪のための書ではない。
王とは何であったか。
力とは、何のために在ったか。
その問いに、ただ静かに――
事実のみを返すための記録である。
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序章 語られぬ真実の、語り方
辺境ローゼンベルクには、古い絵本がある。
子どもが眠る前に読む、ただの昔話――そう見える。
けれど本当は、違う。
これは、奪われた歴史の代わりに残されたものだ。
名を刻めぬ者たちが、真実を守るために選んだ形。
剣でも、法でも、記録でもなく――物語。
誰かが笑って捨てた言葉だけが、
二百年を越えて生き延びることがある。
だからこの伝承は、断罪のためではない。
復讐のためでもない。
未来の当主が、
自分を怪物だと信じて折れぬために。
未来の聖女が、
無色を欠落だと誤解して潰されぬために。
そして何より――
黒い海が、錨を得て、間に合うために。
これは、ローゼンベルク領に伝わる真の歴史。
『銀の錨と黒い海』の、その奥に沈められた物語である。
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序・補遺
――空白の頁と、扉
それは、すべてが終わったあとだった。
和合は果たされ、
呪いは解け、
ローゼンベルクの城には、久しく失われていた静けさが戻っていた。
城の最奥。
代々の当主が執務を行う、静かな部屋。
――執務室。厳密に言えば、「真の執務室」。
カイルとアリアは、一冊の古い絵本を前にしていた。
『銀の錨と黒い海』
アンジェリカが遺し、
エミリアが守り、
そして今、改めて二人の前に置かれている本だった。
「……この本、何度も読んだはずなのに」
アリアが、最後の頁を開く。
そこには、変わらず空白があった。
文字もない。絵もない。
ただ、何かを拒むような白だけが広がっている。
けれど――
その空白は、今夜に限って“空”ではなかった。
紙の奥に、かすかな重みがある。
触れていないのに、触れているような感覚が指先に残る。
「……前から、こんなだったか?」
カイルが低く呟いた、その瞬間。
空白に、淡い線が滲み出した。
最初は、影のように。
やがて輪郭を持ち、確かな形を結ぶ。
――家紋だった。
見覚えはない。
だが、血が知っている。
魂が、忘れていない。
「……アルカだな」
名を口にした途端、空気が変わった。
執務室の隅で休んでいた精霊たちが、静かに浮かび上がる。
騒がず、驚かず、ただ確信をもって告げた。
『来て』
『今なら、開けられる』
理由は語られない。
だが二人には、それで十分だった。
これは偶然ではない。
和合の後にのみ現れる、道標。
精霊たちの光に導かれ、二人は城の奥へ進む。
井戸の脇を抜け、そのさらに奥にある石階段を降りていく。
湿り気を帯びた空気。
深さだけを感じさせる、静かな暗がり。
やがて辿り着いたのは、地底湖だった。
水面は鏡のように澄み、
その底に沈む闇さえ、穏やかに眠っている。
湖畔の岩肌に、ひときわ淡い光があった。
精霊たちはそこへ集まり、短く囁く。
『そこ』
『ふたりで』
カイルが手を伸ばし、
アリアが指先を重ねる。
触れた瞬間、岩は冷たさを失った。
内側から脈打つような熱。
光がほどけ、石の継ぎ目が浮かび上がる。
それは、扉だった。
音もなく開いた先にあったのは、
黒曜石の石室。
光を吸い、音を沈め、
世界の喧騒を拒むような静けさ。
だが、息苦しさはない。
ここは閉じ込める場所ではなく、守るための場所だと分かった。
石室の中央には、ひとつの台座。
その上に置かれていたのは――一冊の書。
装丁は古く、文字は見慣れない。
けれど触れずとも、それが「記録」であることだけは、はっきりと伝わってくる。
精霊たちは静かに灯り、見守る。
カイルは息を呑み、
アリアは黙って頷いた。
そして二人は、頁を開いた。




