表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹が「お姉様の代わりは務まります」と言うので、婚約者も役目も譲りました。ですが務まらなかったようです【連載版】  作者: 本城オブリゲータ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/23

第二十三話 成功すると、皆が最初から正しかった顔をします。けれど今回は違いました

 建国祭の朝、王宮はまだ夜の冷えを少しだけ残していた。



 白の間、蒼の間、大広間。

 三つの会場は、それぞれ別の顔をしているのに、今日だけは一つの長い儀礼の列として繋がっている。


 そのことを知っている人間だけが、廊下の角度や盆の順番まで神経を尖らせていた。



 私は中央回廊の工程板の前に立っていた。


 赤札、白札、青札、灰札、緑札。

 黒札は例外用。


 昨日まで積み上げた線と順番が、今日は本当に人を動かす。



「白の間、入場開始」



 マルタ女官の声が飛ぶ。


 最初の赤札がロッテへ渡り、彼女が一礼して列を動かす。

 エミルが中継へ入り、蒼の間側のミナが次の札を受け取る。


 誰も慌てていない。

 緊張はしている。

 けれど、少なくとも自分が何を持ってどこへ渡すかは、全員の手の中にある。



 私はその流れを見ながら、ようやく小さく息を吐いた。


 始まった。

 もう、途中で「やはり私が全部走るしかない」とは言えない。


 今日は本当に、この形が立つかどうかの日だ。



 白の間では顕彰式が予定どおり進む。


 勲章盆の順も崩れない。

 ロッテは黒札を一度だけ使った。


 年配の功労夫人が、自分の列の順番へ不満を示したときだ。


 でも昨日までの訓練どおり、彼女は《《北列で最初に勲章盆をご覧になる位置です》》と返し、相手を座らせた。


 私はわざわざ近寄らなかった。

 必要ないと分かっていたからだ。



 蒼の間では歓迎宴の準備が少しだけ詰まった。


 通訳の控えが半歩遅れた。


 でも、エミルが灰札を切り替え、ミナがそのまま位置をずらした。

 札の上で決めたことが、人の足へ変わっていく。


 それを見るのは不思議な気分だった。

 私は動いていないのに、私が引いた線の続きを誰かが歩いている。



「補佐官殿、白の間はこのまま持ちます」



 エミルが小走りで戻ってきて報告する。

 頬は少し赤い。

 でも目は落ち着いていた。



「ええ。蒼の間へ戻って」


「はい!」



 その背を見送りながら、私は少しだけ可笑しくなる。


 少し前まで、彼は紙束を抱えておろおろする若い書記官だった。


 今は違う。

 工程の一部として、ちゃんと動いている。



 昼の顕彰式が終わるころ、大広間では舞踏会の準備が始まった。


 ヴァルブルク公爵令嬢は北列で夫人方の迎えを捌いている。

 あの人を殿下の隣ではなく、流れの先頭へ置いた判断は正しかった。


 華やかで、顔が利いて、しかも目立つことに慣れている。

 だからこそ「こちらへどうぞ」と言うだけで人が動く。


 あれは、座らせるより働かせたほうが強い人だ。



 ルドヴィク典礼監補も、今日は黒札の流れを止めなかった。


 むしろ、自分の古い私用覚えから拾った注意点を、先回りしてマルタ女官へ口頭で渡している。

 完全に手放したわけではない。


 でも、《《自分一人しか分からない形》》からは出てきていた。

 それで十分だと思った。



 そして夕方、使節歓迎宴から祝賀舞踏会への切り替えが始まる。


 今日最大の継ぎ目だった。

 片づけ、花台、照明、通訳の引き上げ、楽団の再配置。


 どれか一つ遅れれば、夜の大広間が冷える。

 冷えた夜会は空気まで冷える。


 そういうものだ。



「灰札三、北列の花を先に!」



 クラウディア次席儀礼官の声が走る。


 その声に、若い下働きが迷いなく反応する。

 昨日までなら、たぶん誰かが「誰の指示ですか」と立ち止まっていた。


 今日は違う。

 札があり、順番があり、声を受ける場所まで決まっている。


 だから人が止まらない。



 私は中央回廊の位置から、その全部を見ていた。


 白の間の終わり。

 蒼の間の退席。

 大広間の立ち上がり。


 流れが一本になっているのが分かる。


 見える。

 ちゃんと見える。



 その瞬間、不思議な気持ちになった。


 私がいなくても白の間は回った。

 私が走らなくても蒼の間はつながった。


 そして今、大広間も誰かたちの手で立ち上がっている。

 それは寂しいことではなかった。


 少し前まで私が恐れていた《《消える感じ》》とは、まるで違った。

 むしろ、自分の仕事が人の手に渡って残っているのを、初めて見た気がした。



「……いい」



 思わず漏れた声に、自分で少しだけ驚く。


 かなりいい。

 本当にそう思ったのだ。



 夜の祝賀舞踏会は、ついに最後まで大きく崩れなかった。


 遅れはあった。

 小さな綻びもいくつか出た。


 でも、どれも札の内側で吸収された。

 誰か一人が目立って埋めたのではない。


 局全体で回したのだ。

 その違いは、思っていた以上に大きかった。



 そして、いつもの時間が来る。


 催しが成功したあと、人々はたいてい《《最初から正しかった顔》》をするのだ。

 王妃殿下も王女殿下もお美しく。


 使節団も満足げで。

 列も乱れず。

 まるで、最初から何の危うさもなかったみたいに。


 そういう顔を、私は前から何度も見てきた。



 だから、今夜もそうなるのだろうと思っていた。

 少し苦く、でももう受け入れられる気持ちで。



 けれど今回は、違った。



 祝賀舞踏会の最後、楽団がゆるやかな終曲へ入ったそのときだった。

 レオンハルト殿下が、王妃殿下の少し後ろから一歩前へ出たのだ。



 大広間の空気が、わずかに張る。


 皆が見る。

 王弟が何を言うのか、と。



「本日の建国祭は、無事に終わった」



 声は大きくない。

 でも、広間の隅までよく届く声だった。



「それは《《自然に》》ではない」



 一拍。


 その言葉で、私は思わず顔を上げた。


 今、はっきりと《《自然にではない》》と言った。

 それだけで、何かが変わる気がした。



「王家儀礼局が、今年は一つの催しごとではなく、三会場を一つの流れとして組み直したからだ」



 広間が静かになる。

 ざわつきすら起きない。


 たぶん皆、どう受け取るべきか一瞬だけ測っているのだろう。



「補佐官エルシェナ・リューネが工程を切り、次席儀礼官クラウディア・ベルムが運用を整え、マルタ女官が現場を支え、ルドヴィク典礼監補が長年の覚えを開いた」



 私は息を止めた。


 名前が、一つずつ、順番に呼ばれていく。

 しかも私だけではない。

 私が組んだやり方で動いた人たちの名も、一緒に。



「ロッテ女官、エミル書記官をはじめ、若い者も今日の流れを実際に担った」



 ロッテが、はっとして顔を上げる。


 エミルなど、今にもひっくり返りそうな顔をしている。

 無理もない。

 自分の名がこういう場で出るとは思っていなかったはずだ。



「ゆえに、今年の建国祭は《《王家儀礼局の仕事》》として記す」



 そこで、ようやく広間に小さなどよめきが広がった。


 でも、それは不満の気配ではない。

 少なくとも今日は、正しく伝わったのだと思う。



 私の仕事が、私だけのものではなく、人の手へ渡って残る。

 しかも消えずに、名前ごと。



 胸の奥が熱くなる。


 危うく、泣きそうになる。

 こんなふうに残る形を、私はずっと欲しかったのだろう。


 ただ便利に使われて、ただ当然に消えていくのではなく。


 ちゃんと仕事として、誰が何をしたかが見える形を。



 王妃殿下が、そこで静かに頷いた。


 王女殿下も、はっきりと嬉しそうに笑っている。

 私はその場で深く礼を取った。

 顔を上げるときには、どうにか平静を保てていたと思う。


 たぶん。



 舞踏会のあと、書記室へ戻る道すがら、ロッテがまだ信じられない顔で私の隣へ来た。



「補佐官殿……今、本当に私の名前が」


「ええ」



 私は笑った。



「ちゃんと聞こえたわ」



 彼女の目が、少しだけ潤む。


 エミルも後ろで、どうしていいか分からない顔のまま何度も瞬きをしていた。

 マルタ女官は「泣くなら札を全部片づけてからにしなさい」と呆れたように言い、クラウディア次席儀礼官は黙ってうなずいている。


 その光景を見て、私はようやく本当に思った。

 これは、私一人の成功ではないのだと。



 書記室へ戻ると、工程板がまだそのまま残っていた。


 赤札も白札も、黒札も。

 人が動いた跡だけが、少し乱れている。


 私はその板の前へ立ち、指先でひとつだけ黒札を揃えた。



「どうだ」



 低い声が横から落ちる。

 レオンハルト殿下だった。



 私はしばらく答えられなかった。

 だって、まだうまく言葉が追いついていなかったからだ。



「……不思議です」



 ようやく出たのは、その一言だった。



「何が」


「私の仕事が、人のものにもなっていることが」



 そう口にしてから、少しだけ笑う。



「でも、嫌ではありません」



 むしろ嬉しい。

 すごく嬉しい。


 けれど、その嬉しさを《《自分が消えた》》と取り違えなくて済むくらいには、私はもう少しだけ変われたのだと思う。



「それでいい」



 殿下は短く言った。



「役目が人に残ることと、あなたが要らなくなることは違う」



 その言葉に、私は静かに頷く。


 たしかにそうだ。

 今日の建国祭で、私の仕事は人の手に渡った。


 でも、だからこそ私は次を見られる。

 札の外側を見る役目へ、少しずつ移っていける。



「ありがとうございます」



 私がそう言うと、殿下の灰色の目がほんの少しだけやわらいだ。


 今夜はそれで十分だった。

 たぶん次に話すべきことは、もう少し先にある。


 でも、ここまで来たからこそ、私はそれを待てる気がした。



 成功すると、皆が最初から正しかった顔をする。


 けれど今回は違った。

 ちゃんと名前が呼ばれた。


 やり方ごと残った。

 そして私は、ようやくそのことを嬉しいと思えた。



 それだけで、建国祭は十分に価値があった。

次話は明日の19:40投稿予定です。


面白ければ、ブックマークや評価で応援いただけると嬉しいです。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ