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妹が「お姉様の代わりは務まります」と言うので、婚約者も役目も譲りました。ですが務まらなかったようです【連載版】  作者: 本城オブリゲータ


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第十八話 見えない仕事は、見える形にしなければまた奪われます

 建国祭まで、あと十日。



 王家儀礼局の書記室は、昨日までとは違う意味で騒がしかった。


 札を置き換える音。

 木板を運ぶ音。

 控えを書き写す羽ペンの音。


 誰か一人の頭の中にだけあった段取りを、紙と札と順番へ引きずり出す作業は、思っていた以上に音が多いらしい。



 私は長机の中央へ、大きな板を三枚並べた。


 会場ごとではなく、工程ごとに分けた板だ。


 入場。

 着席。

 贈答。

 移動。

 片づけ。


 昨日引いた線を、今日は実際に人が読める形にしなければならない。



「色を変えるのですね」



 エミルが、札束を抱えたまま私の手元を覗き込む。



「ええ」



 私は頷いた。



「会場で分けると、同じ人が三枚の紙を追うことになるでしょう? でも工程ごとなら、自分が今どの流れの中にいるかだけを見ればいい」



 赤は入場。

 白は着席。

 青は贈答。

 灰は移動。

 緑は片づけ。


 札の右上には、次に誰へ渡すかの印を小さくつける。


 引き継ぎ先まで見えるようにするためだ。



「では、入場係は赤札だけ見ればよいのですね」



 若い女官のロッテが、少し緊張した顔で訊いた。



「基本はそう」



 私は答える。



「ただし、自分の札の右上に青い印があるときだけ、贈答側へ声をかけてから動く。そこだけ覚えておけばいいわ」



 ロッテは真剣に頷いた。


 いい顔だと思う。

 最初から全部覚えろと言われた人の顔ではなく、自分が何をすればいいかが見えた人の顔をしている。



「こんな小札で現場が回るなら苦労しませんよ」



 ルドヴィク典礼監補が鼻を鳴らす。


 今日も変わらず、机の少し外側に立っている。

 手伝うでもなく帰るでもなく、《《紙の理屈がどこで破綻するか》》を待っている人の立ち方だ。



「紙で回すのではありません」



 私は視線を上げた。



「人が、互いの順番を見失わないようにするだけです」

「現場では順番通りにいかない」

「だから、例外札を作ります」



 私はそう言って、別に用意した黒札の束を示した。



「顕彰式が半刻以上押したとき。歓迎宴の通訳が一人抜けたとき。祝賀舞踏会の花が届かないとき。その場合は、この黒札に従って《《誰がどこへ寄るか》》を先に決めておきます」



 ルドヴィク典礼監補の眉が動く。

 たぶん、そこまでやるとは思っていなかったのだろう。



「例外まで紙にするのか」


「ええ」



 私は頷いた。



「そうしないと、また誰か一人の勘だけで埋めることになるので」



 部屋が少し静かになった。


 ルドヴィク典礼監補だけではない。

 マルタ女官も、クラウディア次席儀礼官も、その言葉の意味を分かった顔をしている。



 勘で埋める。

 経験で埋める。

 それ自体は悪いことではない。


 でも、それが見えないまま続けば、結局《《誰か一人しか分からない仕事》》になる。

 そして、そういう仕事はたいてい《《最初から誰でもできるもの》》みたいな顔をして奪われる。


 私はそのことを、少し前まで身をもって知っていた。



「見えない仕事は、見える形にしなければまた奪われます」



 気づけば、私ははっきりとそう言っていた。



「奪われる、というのは大げさでは?」



 ロッテが戸惑ったように言う。

 若い彼女には、まだ少し実感しづらい言葉なのだろう。



「大げさではないわ」



 私は答える。



「誰も見ていない仕事は、やっても当然にされる。できていても《《最初からそう回るもの》》だと思われる。だから、見えるようにしておくの」



 少しだけ言葉を選ぶ。



「誰が何をして、どこで渡し、どこが詰まりやすいのか。それが見えれば、後から来た人も続きを持てるし、誰か一人だけが潰れる形にならない」



 ロッテは、ゆっくりと頷いた。

 エミルも紙の端へ、何かを強く書きつけている。


 こういう若い人たちには、最初から形で渡したほうがいいのだと思う。

 私みたいに、分かる人の後ろで何年も気配を読むよりずっといい。



「では、実際に歩かせます」



 クラウディア次席儀礼官が口を開いた。



「紙の上で分かった気になるのが一番危ない」


「賛成です」



 私はすぐに答える。



「白の間から蒼の間まで、入場係と贈答係だけでも一度流しましょう」



 そこからの一刻は、本当に訓練だった。


 ロッテに赤札を渡し、エミルに青札を持たせる。

 私は廊下の曲がり角へ立ち、マルタ女官は白の間の入口、クラウディア次席儀礼官は蒼の間の手前につく。


 札の受け渡しだけで人を動かしてみると、やはりすぐに詰まりが見えた。


 曲がり角の幅。

 札を読む立ち止まりの位置。

 次へ渡す声の大きさ。

 言葉だけでは分からなかった小さな不便が、歩かせるとすぐ露わになる。



「ここは二歩下がって渡して」



 私はロッテへ言う。



「前へ出ると、次の人が札を受け取りにくい」


「はい」


「エミル、返事は短く。『承知』だけでいいわ。そのほうが次の足が止まらない」



 何度か回すうちに、動きが少しずつ滑らかになる。


 最初は札を見るだけで固くなっていた若手たちも、自分の役目が切り出されていると分かると、案外しっかり動くものらしい。



「……悪くない」



 マルタ女官が、二度目の通しのあとで言った。



「思ったより、頭に残るわ」


「全部覚える必要がありませんから」



 私は答える。



「今、自分が何を受け取って、どこへ渡すかだけでいいんです」



 そのとき、少し離れた位置で腕を組んでいたルドヴィク典礼監補が、低く言った。



「現場で足が止まるのは、札のせいではなく、人が不安だからです」


「ええ」



 私はその意見を否定しなかった。



「だから、最初に不安を減らすための札です」



「不安は、結局経験でしか消えん」


「経験を積む機会がないまま、ベテランだけに抱えさせるよりはましです」



 彼が不機嫌そうに黙る。

 でも今日は、それで引かなかった。



「ルドヴィク典礼監補」



 私は一枚の黒札を持ち上げた。



「顕彰式が押したとき、歓迎宴の通訳を誰が埋めるか、去年まであなた一人しか分かっていなかったそうですね」



「……だから何だ」



「それを今年は二人にします。片方が抜けても、もう片方が埋められるように」



 彼の顔が少しだけ険しくなる。



「私が要らなくなるとでも?」



 その問いには、部屋の空気が一瞬だけ固まった。


 エミルもロッテも目を見開く。

 そこまで露骨に言うとは思っていなかったのだろう。



 でも、私は少しも驚かなかった。

 それが、この人の本音だと昨日から見えていたからだ。



「要らなくなるのではありません」



 私は静かに答えた。



「《《いなくなった瞬間に全部が止まる形》》をやめるだけです」



 一歩、黒札を机へ置く。



「あなたが知っていることは、残すべきです。ですが、握っているだけでは残りません」



 ルドヴィク典礼監補はしばらく黙っていた。


 怒るより先に、どう返すかを考えている顔だった。

 だから私は続ける。



「むしろ逆です」



 彼が顔を上げる。



「見える形にしたほうが、あなたがしてきたことは《《きちんと仕事》》になります」



 一拍置く。



「誰も知らないまま一人で埋めていたら、後から来た人はそれを《《最初からそうだった》》と思うでしょう。でも、工程と例外と引き継ぎが形になれば、《《それを作ってきた人》》の仕事も見える」



 ルドヴィク典礼監補が、今度こそ言葉を失った。


 そこまでは考えていなかったのかもしれない。

 あるいは、考えても認めたくなかったのかもしれない。


 どちらでもよかった。

 いま必要なのは、ここで止まることではなく、形にすることだからだ。



「……書け」



 やがて彼は、低く吐き出すように言った。



「何をですか」



「例外だ」



 ルドヴィク典礼監補は、机の端へ寄ってくる。



「顕彰式が押したときだけでは足りん。通訳が抜ける場合は二通りある。歓迎宴の前半か、後半かで違う」



 私は黒札を二枚、彼の前へ置いた。


 ようやく、ここからだと思う。

 握っていた知識が、初めて外へ出てくる。



 夕刻までには、黒札の束が昨日の倍になっていた。


 例外。

 代替。

 補助。

 前倒し。

 差し替え。


 それらが一つずつ言葉になり、札になり、木板の上へ置かれていく。

 見えなかった仕事が、初めて見える形を持ち始める。



 私はその光景を見ながら、不思議と少しだけ息が軽くなるのを感じていた。


 今までの私は、誰かの隣で全部を埋める側だった。

 でも今は違う。


 私がいなくても回る形を作ることが、今の私の仕事なのだ。



「エルシェナ嬢」



 気づけば、レオンハルト殿下がすぐ後ろに立っていた。



「はい」


「どうだ」



 その問いに、私は少し考えてから答える。



「面白いです」



 自分でも少し意外だったけれど、本音だった。



「一人で抱えるより、ずっと」



 彼の目が、ほんの少しだけやわらぐ。

 口元もまた、見えにくいあの笑い方になった。



「それはよかった」



 そう言われて、私はようやく本当に肩の力を抜いた。


 見えない仕事は、見える形にしなければまた奪われる。

 でも今、こうして札と黒板の上へ置いていけば、少なくとも《《誰か一人の献身》》としては消えない。


 それだけで、ずいぶん違う。



 日が沈むころ、訓練用の札はすべて所定の箱へ戻された。


 でも、箱の中身は朝とはまるで違う。

 形になった。

 まだ粗いけれど、たしかに形になったのだ。


 そのとき、扉口に控えていた女官が一礼して告げた。



「ヴァルブルク公爵令嬢がお見えです」



 私は思わず手を止めた。


 その名前は知っている。

 王宮でも評判の高い、公爵家の令嬢。


 そして、レオンハルト殿下の婚約候補として何度も噂に上がる人でもあった。



 書記室の空気が、ほんの少しだけ違う緊張を帯びる。

 建国祭の段取りとは別の意味で、面倒な札が一枚追加された気がした。

次話は明日の19:40投稿予定です。

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