第22話 口先だけで止められる喧嘩と、止められぬ喧嘩がある
人は、腹が減っておる時と、田が乾きそうな時には、冗談をあまり笑わぬ。
これはわしも前から何となく知っておった。何となく、である。知っておるつもりで、実のところはあまり分かっておらなんだのかもしれぬ。というのも、わしは今まで、だいたい口先でどうにかしてきたからだ。怒鳴り合いの輪に飛び込み、適当に軽口を混ぜ、誰かの拍子を崩し、笑う者が出れば、そこへ話を滑り込ませる。
そういうやり方は、うまくいく時はうまくいく。
だが、うまくいかぬ時もある。
そして今が、どうやらその時らしかった。
「寺の田に入る水だけ、なぜ妙に安定しておるのだ」
わしがそう言うたあと、場はたしかに静かになった。
なったのだが、それで話が綺麗に動くほど、人の腹は単純でもないらしい。
「だから何だ!」
最初に怒鳴ったのは、上流側の若い男であった。腕に力がありそうで、朝からずっと眉間に皺を寄せておる男だ。さっきから何度もこちらへ噛みついてくるあたり、この手の揉め事ではいつも前へ出る性分なのだろう。
「ああ、それじゃ、寺が夜のうちに水を盗ったとでも言うのか!」
「わしは、そうは言うておらぬ」
と、わし。
「では何だ」
「なぜそうなっておるのか、見ねば分からぬと言うておる」
「同じことだ!」
「違う」
「違わぬ!」
ああ、いかん。
これはよくない流れだ。
前回の水争いの時なら、ここで「まあまあ、寺の坊主が夜中に泥まみれで堰をいじっておる図を思うてみよ、あれはあれで滑稽じゃぞ」とでも言えば、何人かは吹き出しただろう。そうして空気を一段落とし、その隙に理屈を差し込むこともできたはずだ。
だが、今日は違う。
今日は誰も笑う気分ではない。
下流側の男の一人が、日に焼けた手を握りしめたまま言うた。
「笑いごとでは済まぬのだ。うちの下の田は、もう昨日から水が薄い」
「だから、川の加減だと言うておるだろうが!」
「都合のよい加減よ! 寺の田ばかり満ちておるではないか!」
「寺の名を勝手に出すな!」
「なら、何のためにそこだけ流れが死なん!」
また怒鳴り合いである。
しかも前より、質が悪い。
以前は、どちらが先に堰をいじっただの、誰が見ただのという、まだ“揉め方”に余裕があった。だが今回は違う。皆、自分の側の苦しさを知っておる。知っておるから、相手の理屈を聞いてやる余地が少ない。
農村娘がわしの横へ来て、低く言った。
「言うたろう」
「うむ」
「軽口で収まるほど軽くない」
「見事に、その通りじゃ」
わしは鼻の頭をかいた。
どうやら今回は、口だけではだめらしい。いや、最初からだめだと分かっておればよいのだが、わしという男は、ついまず口から入ってしまう。腹が減っておる時と同じで、癖とは厄介だ。
「おぬし」
と、農村娘。
「まだ何か言う気か」
「言わぬと、もっと悪くなる」
「言えば、もっと早く悪くなる」
「それもそうかもしれぬ」
娘はじろりと睨んだ。
「笑うな」
「笑っておらぬ」
「笑いそうな顔だ」
「癖じゃ」
「その癖が厄介だと言うておる」
ほんに容赦がない。
だが、今のわしには、むしろそれがありがたかった。こういう時、おつねなら「また余計なことを言うた」と呆れるだろう。猫目なら「黙れ」で済ますだろう。だがこの娘は、もっと土の上の怒りで叱る。つまり、今この場で失敗すれば、本当に誰かの田が乾き、飯が減るのだという重みで叱るのだ。
それは、なかなか効く。
「よし」
と、わしは言った。
「口で止まらぬなら、目で見せる」
誰に言うでもなくそう呟いて、水路へ踏み込んだ。
「何をする!」
と、上流側の男が怒鳴る。
「何って、見ておるのじゃ」
「見るなら勝手に見ろ!」
「勝手に見る」
わしは草履を脱ぎ、裾をまくった。
春先の水はまだ冷たい。泥へ足を入れた途端、ぞわりと脛が冷えた。だがこの程度でひるんでは、村の者に笑われる。いや、笑われるくらいならまだよい。余所の若造が口だけ叩いて泥へも入らぬと思われれば、二度と何を言うても耳に入らぬ。
水路の中ほどまで入り、堰の下へ手を差し込む。
土の崩れ方、木の当たり方、水が巻いておる場所。目で見るだけより、手で触れた方が早いこともある。しかも、わしはこういう泥仕事が全く苦手というわけでもない。荷運びも、村の手伝いも、食うためなら一通りやってきたのだ。
「……ふむ」
やはり妙だ。
崩れておるのは、ただの自然な欠け方ではない。だが、あからさまに誰かが鍬で掘ったわけでもない。もっとこう、少し削り、少し踏み、あとは水に任せたような崩し方だ。そうすれば、翌朝には「夜のうちにやった」とも「朝に崩れた」とも取れる。
面倒ごとを起こすには、よくできた崩し方である。
「どうだ」
と、年寄りが岸から問う。
「すぐには決められぬ」
「役に立たぬ!」
と、さきほどの若い男。
「待て待て」
と、わしは堰の横を指した。
「ここを見よ。水は真ん中から下へ落ちる気でおる。だが、横へ逃がす土だけ、妙に柔い」
「だから何だ」
「だから、ここだけ人の手が入ったか、あるいは朝一番で誰かが踏んだのじゃろう」
「誰がだ!」
「それを今わしに聞くな」
「おぬしが言い出したのだろうが!」
その通りである。
だがその瞬間、下流側の年寄りが、小さく唸った。
「……昨朝よりは、たしかに崩れが新しい」
「ほう」
と、わし。
「どこで分かる」
「流れ跡じゃ。昨日の水はもっと細かった。今朝の崩れなら、夜明けのあとだ」
おお、それである。
わしは顔を上げた。
「最初からそう言えばよいではないか」
「おぬしが喋る隙を与えぬからじゃ!」
これは面目ない。
だが、今の一言で場が少し変わった。誰かが“夜の細工に決まっておる”と言い切るのではなく、“今朝の崩れではないか”と別の見方を出したのだ。言い方ひとつで、怒りの向きが少しずれる。
わしはそこを逃さず、声を張った。
「ほれ見よ。今ここで殴り合っても、昨夜のことか今朝のことかも決まらぬ!」
「……」
「水を奪われたと思うておる側も苦しい。疑われる側も腹が立つ。なら、まず流れをちゃんと見よ」
「どうやって」
と、農村娘。
「この堰をいったん均して、皆の見ておる前で水を通す」
「何だと?」
と、上流側。
「今、ここでか?」
「今、ここでじゃ」
男たちがざわついた。
わしも、ちと大胆なことを言うておるとは思う。だが今はこれしかない。誰が悪いと口で決めるのではなく、目の前で流れを見せる。そうすれば少なくとも、「知らぬ間にやられた」と「おぬしらがやった」の応酬は一旦止まる。
「均すって、おぬし」
と、農村娘が言う。
「今、ここで泥に入ってやる気か」
「もう入っておる」
「そういうことを言うておるのではない」
「やるしかあるまい」
「勝手に――」
「勝手にはやらぬ」
わしは堰の上へ腕を置いたまま、岸の者らを見た。
「上流も下流も、ここで見ておれ」
「……」
「寺の田へ流れる横の筋も見る」
「……」
「誰がどこをどう触るか、全部見えるところでやる」
少し間があった。
誰もすぐには頷かぬ。
当然である。村の水は命だ。見知らぬ若造が「よし、均そう」と言うたところで、そう簡単に土を触らせるはずがない。だが逆に、ここで誰も手を出さねば、また怒鳴り合いへ戻るだけでもある。
その沈黙を破ったのは、農村娘だった。
「わたしが見る」
と、娘は言った。
「おぬしが勝手なことをせぬよう、横で見ておく」
「おお、ありがたい」
「ありがたがるな」
「では、監視でもよい」
「その言い方が腹立たしい」
それでも、娘は草履を脱いで裾をからげた。
村の娘は強い。こういう時、口だけでは終わらぬ。男衆が怒鳴り合っておる間に、自分で泥へ入る覚悟を決める。おつねとは違う強さだ。あれは町を回す強さなら、この娘は土を守る強さである。
娘が水路へ下りると、上流側の年寄りも渋々言うた。
「……なら、うちからも一人見よう」
「よい」
と、わし。
「三人で触る。見ておるのは皆じゃ」
「若造」
「何だ」
「妙なことをしたら、ただでは済まぬぞ」
「その台詞は、近ごろ何人目かのう」
岸で何人かが、ぴくりと口元を動かした。笑うとまではいかぬ。だが、さっきまでのような、今にも誰かを殴りそうな熱は少し引いた。
よし。
こうなれば、あとは手で見せるしかない。
わしと農村娘と、上流側の年寄りの三人で、堰の崩れを均していく。泥を寄せ、木を当て直し、水の落ちる筋をまっすぐに近づける。流れは嘘をつかぬ。少なくとも、人の口よりはつかぬ。
だがやってみて分かった。
「ぬう……」
と、わしは思わず唸った。
一度均しただけでは、また横へ逃げる。
下の土が柔らかい。表面だけならともかく、内側から崩れやすくなっておる。これは一晩二晩の自然だけでここまでなるか、少し怪しい。
農村娘もそれに気づいたらしい。
「内側が弱い」
「うむ」
「前から少しずつ削られておったのかもしれぬ」
「誰かが、な」
「……」
娘はそれ以上言わなんだ。
言わぬが、こちらを見た。
その目は、「ほら見ろ、軽口だけでは済まぬと言うたろう」というものではなかった。もっと、厄介な現実を前にして、認めざるを得ぬ時の目だった。
上流側の年寄りも、土をいじる手を止めた。
「これでは、夜に少し触れば、朝にはこうなる」
「そういうことじゃ」
と、わし。
「しかも、誰がやったか分かりにくい」
「……」
岸の上が、再びざわつく。
だが、そのざわつきは、先ほどまでの単純な怒鳴り合いとは違った。今は、皆が同じものを見たあとでざわついておる。人の手が入っておるかもしれぬ。しかもそれは、上流と下流の村同士だけの話ではないかもしれぬ。
「寺の筋を見ねばならぬな」
と、誰かが言った。
「寺ばかりとは限らぬ」
と、別の誰か。
「だが、寺の田だけ水が安定しておるのは事実だ」
「それを確かめもせずに言い切るな!」
また怒気が戻りかける。
いかん。
ここでまた口論へ戻れば、今の泥仕事が無駄になる。
わしは両手を泥だらけのまま上げた。
「待て待て! 今、分かったのはひとつだけじゃ!」
「何だ!」
「口先で決めるより、土を見た方がまし、ということよ!」
場が、一瞬だけ止まった。
なんとも情けない結論にも聞こえる。だが、実際そうなのだから仕方ない。わしの軽口が効かぬ時もある。どころか、軽口ではもっと悪くなる時すらある。今、ようやくそれを身に沁みて分かり始めておった。
人が本気で怒っておる時、口は刃になる。
だが、泥に入れば、少なくとも同じ冷たさを足で知る。
それは大きい。
農村娘が、水を払いつつ言った。
「……今日はこれ以上、ここで決めぬ方がよい」
「そうじゃな」
と、年寄り。
「見張りを置く」
「夜もな」
「寺の筋も、誰かが見ねばなるまい」
“誰かが”。
その言い方に、わしは少しだけ苦笑した。
誰か、という時、大抵その“誰か”の中には、わしのような余計者も数えられておる。もちろん、まだあからさまには頼まれぬ。だが、皆の顔に「おぬしも鼻を突っ込んだ以上、半分は当事者じゃぞ」と書いてある。
やれやれ。
わしは水路から上がり、泥だらけの足を拭った。冷たかった水が、ようやく脛の皮膚へ戻ってくる。
農村娘が、横でぼそりと言った。
「おぬし」
「何じゃ」
「口だけの男かと思うたが、少しだけ違うな」
「おお」
「少しだけだ」
「そこは強調するのか」
「大事だ」
相変わらず、厳しい。
だが、その厳しさの中に、昨日よりほんの少しだけ認めるものが混じっておるのも分かる。土の中で一緒に手を動かした者へ向ける目だ。
「褒めてくれてよいぞ」
と、わしが言うと、
「軽口はやめよ」
と娘は即座に返した。
「だから、その軽口がまだ早いと言うておる」
「……今日は、そうらしい」
そこでわしは、本当に苦笑した。
たしかに今日は、口先だけでは止められぬ喧嘩だった。
笑わせても、人の腹の底はすぐには緩まぬ。むしろ、笑いでごまかされたと思えば余計に怒ることもある。そういうことを、わしはようやく知り始めたのかもしれぬ。
水路の向こうで、寺の田へ流れる筋が朝の光を受けて光っていた。
静かで、穏やかで、何も悪くなさそうに見える。
だが、村の水は、ただ流れるだけでは済まぬ。
その向こうに、また別の面倒が立っておる気がしてならなかった。




