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第2話 炊き出しの列で足を掛けた娘は、妙に目つきが悪い

「立て。騒げば、余計に面倒になる」


見知らぬ娘は、わしが土まみれで這いつくばっておるというのに、情けひとつ見せぬ声でそう言うた。


面倒を起こしたのはどこの誰だと問われれば、どう考えてもこの娘である。寺の門前で、腹を空かせて駆け込んだ善良な若者に、見事な足払いを食らわせたのだ。これが面倒でなくて何だろう。


わしは土をぺっぺっと吐きながら顔を上げた。


「おぬしのような娘を、世ではたいてい面倒の種と言うのではないか」


少女は少しも顔色を変えぬ。


どこにでもいそうな、村の娘ふうの姿であった。地味な小袖に、控えめな帯。髪もきちんと結っておるし、着ているものも派手ではない。だが、近くで見ると妙に整いすぎておる。袖口は土ひとつついておらず、足袋も薄汚れてはおらぬ。寺へ炊き出しをもらいに来る腹ぺこ娘の身なりではない。


何より、目である。


人を見る目ではなく、人を測る目をしておる。


「騒ぐなと言うた」

少女はまた言った。

「おぬしひとりが恥をかくならそれで済むが、今はそれでは済まぬ」

「わしの恥が、なぜおぬしの都合に関わる」

「関わるから黙れ」


えらい言い草である。


わしは起き上がりかけて、列の向こうを見た。炊き出しの釜のそばには僧が二人、湯気の立つ大鍋を守っておる。その周りに並ぶのは、子連れの女、やせた旅人、腰の曲がった老人、傷んだ着物の若い男。誰も彼も、自分の腹のことしか考えておらぬ顔だ。


いや、ひとりだけ違う。


釜の近くに、旅の商人ふうの男がいた。手代にでも見える地味な格好だが、列へ並ぶでもなく、炊き出しを受けるでもなく、何やら周囲を気にしておる。目立たぬようにしておるが、逆にそれが目立つ。


少女の視線は、その男へ細く伸びていた。


なるほど、わしを転ばせたのは、あの男へわしの目を向けさせぬためか。あるいは、わしが駆け込んで騒げば、男に気づかれると思うたのか。


「……ふうむ」


わしが立ち上がって土を払うと、少女はすっと半歩だけ距離を取った。まるで、わしが急に抱きついてでもくると警戒しておるようである。心外だ。確かに相手が美しい娘なら、そういう夢想をせぬでもないが、初手で足を掛けるような娘に抱きつくほど、わしも安い男ではない。たぶん。


「分かった、分かった。大声は出さぬ」

と、わしは肩をすくめた。

「じゃが、ひとつだけ言うておく。腹を空かせた男を転ばせるのは、かなりの悪行じゃぞ」

「腹を空かせておるなら、なおさら黙って飯を待て」

「おぬし、優しいようで優しくないのう」

「優しく見えたなら、目が悪い」


ぴしゃりと言い切りよる。


わしは思わず笑いそうになった。面白い娘である。いや、面白いと言うてよいのか分からぬが、少なくとも気の弱い娘ではない。


門前のざわめきが少し落ち着き、列が動き始めた。僧たちが木杓子で粥をよそい、並んだ者に順々に配っておる。早く受け取らねば、なくなるかもしれぬ。わしの腹はその可能性を考えただけで騒ぎ出す。


「のう」

と、わしは小声で言った。

「おぬし、あの商人ふうの男を見ておるな」

少女の眉が、ほんのわずかだけ動いた。

「見ておらぬ」

「見ておる者の言い草じゃ」

「おぬしこそ、見すぎだ」

「腹が減っておる時は、飯と面倒の種に敏くなる質でな」

「ろくでもない質だ」

「よう言われる」


少女はそれきり答えなかった。だが、否定もせぬ。否定せぬということは、だいたい当たりである。


列が一歩進む。釜から立つ湯気が流れてきて、米の匂いが鼻を打った。胃がきゅうと縮む。粥だ。塩気は薄そうだが、今のわしには御馳走である。隣に立つ老婆など、匂いだけで涙ぐみそうな顔をしておる。


「粥ひと椀でこれほど人を静かにできるとは、寺というのは大したものだのう」

わしがつぶやくと、少女は横目だけ寄越した。

「静かにしておるのは腹が減っておるからだ。満ちた者ほどよく喋る」

「それもそうじゃ」


しかし、その“静けさ”の中で、ひとつだけ妙な音があった。


さら、と布の擦れるような音。風ではない。人が懐へ何かを滑らせる音に近い。


わしは目を細めた。


商人ふうの男の近くで、痩せた小僧がふらふらと動いておる。年は十かそこら、着物は汚れ、髪は伸び放題。炊き出し目当ての浮浪児に見えるが、その目つきだけは餓えよりも先に“狙い”がある。男の袖の影へ、するりと小さな手が入りかけて――


その瞬間、商人ふうの男が、気づかぬふりのまま足を引いた。


小僧の指先は空を切る。


ただの盗人と、それを見越していた相手。そう見えた。


が、わしには少し違って見えた。


小僧は“盗ろう”としたにしては、狙いが浅い。懐ではなく、袖口の内を探るような手つき。商人の方も、懐を守る動きではなく、“触れられたくないもの”を避ける動きだ。


「おや」


思わず声が漏れた。


少女がすぐにわしの袖を引いた。見た目よりずっと強い力である。


「見るな」

「いや、もう見てしもうた」

「なら黙れ」

「黙るが、あの小僧は金を盗る気ではないぞ」

「……何?」


わしは少女の方を見ず、前だけを向いて早口で言った。


「金なら懐を探る。あやつは袖の内へ手を入れようとした。商人も、懐ではなく左の袖をかばった。紙か、小さな包みか、何かそこにある」

少女の視線が鋭くなるのが分かった。

「なぜ分かる」

「荷運びをしておれば、重いものを持つ人間と、隠して運ぶ人間の手つきくらい分かる。あの男、左袖だけ妙に丁寧に扱っておる」


少女はほんの一瞬黙り、それから舌打ちを飲み込むように息を吐いた。


「……余計なところがよく見える男だ」

「褒め言葉として受け取ってよいか」

「黙っておれと言うておる」


そうこうするうちに、列の前方でざわめきが起こった。


「あっ、何をする!」

誰かが叫んだ。


見れば、あの小僧が今度は僧の脇をすり抜け、炊き出しのそばに置かれていた小さな布袋をひったくろうとしておる。布袋の中身は銭か、あるいは薬種か。寺にとっては大事なものなのだろう。僧のひとりが慌てて腕を伸ばすが、小僧はするりとかわし、門の外へ走る。


「盗人だ!」

「捕まえよ!」


列が乱れ、人が押し合い、泣き声が上がった。


ああ、こうなると思うた。


わしは反射的に横へ飛び、転びそうになった老婆を支えた。こういう時、真っ先に危ういのは弱い者である。少女はもう別方向へ動いていた。まるで最初からそうするつもりであったような速さで。


村娘の格好をしておるくせに、走り方が全然違う。膝の上がり方も、足裏の置き方も、犬か山猫のように静かで速い。ありゃあ、どう見ても畑仕事の娘ではない。


小僧は門を抜け、松林の方へ飛び込んだ。


少女が追う。


「おぬし、粥は!?」

と思わず叫んだが、少女は振り返りもしなかった。


ひどい娘である。人の腹のことなど、ほんに何とも思うておらぬ。


だが、そう言いながら、わしの足も勝手に動いていた。


「ええい、なぜわしまで!」


自分に毒づきつつ、走る。


松林の地面には乾いた松葉が積もり、滑りやすい。小僧はこの辺りに慣れておるのか、するすると木の間を抜ける。少女も速いが、間合いを詰めきれぬ。あれは正面から追うより、進路を読んで回り込んだ方がよい。


わしは立ち止まり、周囲を見た。


小僧は細いが、逃げる時に左肩が少し下がる。右利きで、重心が逃げるたびに右へ流れる。となれば、松林を抜けた先の獣道では、たぶん大きな岩のある方へ寄るはずだ。そこは足場が悪いが、体の軽い子どもには有利……いや、追われて焦れば、逆に不利か。


「こっちじゃ!」


わしは少女へ向かって叫び、自分は横へそれた。


「何だと!」

少女の怒ったような声が飛ぶ。人の言うことを簡単には信じぬ声である。よろしい。わしも初対面の娘なら信用せぬ。


だが、時間はない。


獣道を駆け下りると、案の定、小僧が岩場の方へ飛び込んでくるのが見えた。向こうもわしに気づき、目を見開く。


「しまっ――」


小僧がきびすを返した瞬間、足元の石が滑った。


転ぶ、と見えたので、わしは慌てて前へ出た。だが、こういう時に限って人は嫌な方へ転ぶ。小僧はわしにぶつかり、二人まとめて地面へ転がった。背中に石が当たり、息が詰まる。


「ぬがっ!」


小僧は必死にもがく。見た目より力が強い。布袋を放さぬまま、肘でこちらの顎を狙ってくる。こやつ、ただの飢えた子どもではない。逃げる癖がついておる。生きるために噛みつく獣のようなものだ。


「待て待て、落ち着け! わしも腹が減っておるだけで、おぬしの敵では――いてっ!」


額を引っかかれた。


そこへ、少女が音もなく飛び込んできた。


低い姿勢のまま、小僧の手首をひねる。布袋が落ちる。さらに肩を押さえ込み、逃げようとした足を払う。実に無駄がない。いや、無駄がないどころか、あまりに手慣れていて怖い。


小僧は歯をむき、少女へ唸った。

「離せ! 離せよ!」

「盗ったものを返せ」

「うるせえ! あいつが――」


小僧の言葉がそこで止まった。


少女の目が、すっと細くなる。


「……あいつが、何だ」

「……」


小僧は唇を噛んで黙る。


追いついてきた僧と村の男たちが、息を切らして集まってきた。布袋を拾った僧が中を確かめ、安堵の声を漏らす。どうやら無事らしい。


「この盗人め!」

と男のひとりが小僧の襟首を掴もうとしたので、わしはとっさにその腕を押さえた。

「待て待て、殴るな」

「なぜだ!」

「殴って何が出る。袋は戻ったのじゃろう」


「だが――」

「それに、こやつはただ腹が減って盗った顔ではない」


男が怪訝そうにわしを見る。少女もまた、わずかにこちらを見た。


わしは小僧へ目を落とした。


「おぬし、最初に狙ったのはあの商人ふうの男の袖じゃな」

小僧の肩がびくりと震えた。


僧たちがざわつく。男たちも顔を見合わせる。少女だけが無言で小僧を見ておる。まるで、その一言を待っていたかのように。


「銭ではない。何を盗ろうとした」

小僧は口を閉ざしたまま、うつむく。

「誰に頼まれた」

「……知らねえ」

「知らぬ顔ではないのう」


わしがしゃがみこんでそう言うと、小僧は悔しそうに睨んだ。よい目である。怖がって泣くよりは、よほど生き延びる気がある。


僧が険しい声を出す。

「旅の商人が、何か隠し持っておるということか」

その問いに、少女が初めて口を挟んだ。

「今それをここで広げるな」


皆が少女を見た。


しまった、と思うたのか、少女は一瞬だけ言葉を失った。だがすぐに顔を立て直す。


「門前で騒ぎを大きくすれば、人は集まり、肝心の者が消える」

「肝心の者?」

と僧が問う。

「……この小僧が追うた相手だ」


うまい誤魔化しである。全部は言うておらぬが、嘘でもない。


わしは立ち上がり、松林の向こうを見た。


いたはずの商人ふうの男の姿は、もう見えなかった。


「ああ、逃げたの」

と、わしは肩を落とした。

「粥も食えず、面倒の種だけが残ったわ」

「自分から走ったくせに」

と少女が言う。

「おぬしが走ったからじゃ」

「止めはせぬ」

「ひどい」


だが、僧たちの前でこれ以上やり合うのも面倒である。村の男たちは小僧をどうするか相談し始め、僧は布袋を抱えて眉を寄せておる。炊き出しは止まったままだ。列の者たちの腹が限界になる前に、事を収めねばならぬ。


わしは口を開いた。

「のう、坊主どの」

「何だ」

「袋が戻ったなら、まずは炊き出しを再開した方がよい。腹の減った者を待たせると、今度は別の揉めごとになる」

僧はむっとした顔をしたが、列の様子を見て、渋々うなずいた。

「……そうだな」


よし。これで粥は戻る。


わしがほっとしたのも束の間、少女は小僧の耳元へ何か囁き、そのまま僧へ引き渡した。小僧は顔をこわばらせたが、泣きもしなければ喚きもしなかった。あの娘、何を言うたのだろう。脅し文句にしては、小さな子どもが妙に堪えすぎておる。


再び門前へ戻る道すがら、わしは隣を歩く少女へ声をかけた。


「のう」

「何だ」

「おぬし、いったい何者じゃ」

「腹の減っておらぬ娘だ」

「それは見れば分かる」

「なら十分だ」


相変わらず、つれない。


だが、近くで見ると、やはり妙である。走った後だというのに息が乱れぬ。袖も裾も、乱れたようでいてすぐ元に戻る。どこでそんな身のこなしを覚えたのか。農家でも町家でも、ああはならぬ。


門前では、炊き出しの列が再び整えられていた。ありがたいことに、まだ粥は残っておるらしい。わしは胸をなで下ろした。


「今度こそ食うぞ」

と呟くと、少女が横で冷めた声を出す。

「転ぶなよ」

「おぬしが足を出さねば転ばぬ」

「さて、どうだか」

「笑いごとではない」


列へ並ぶ。今度は少女も並んだ。やはり食う気はあるらしい。人を転ばせておいて自分だけ食わぬ、などという殊勝な真似はせぬ娘である。そのあたり、ある意味で信用できる。


前の老婆が振り返り、

「若いの、さっきはご苦労だったねえ」

とわしへ言った。

「礼には及ばぬ。粥を少し多めによそってもらえれば、それでよい」

「図々しい子だこと」

と笑われる。


だが、僧がこちらへ来ると、実際ほんの少しだけ杓子を深く入れてくれた。よし。世の中、働けば飯になることもある。


木椀を受け取った時、湯気が顔へ上がった。


薄い粥である。米粒は多くない。塩も控えめだろう。だが今のわしには、金箔を散らした御膳に見える。


「ありがたや……」

思わず拝みそうになる。


少女も自分の椀を受け取り、門脇へ移った。わしもついていく。なぜついていくのかと言われれば、自分でもよく分からぬ。だが、妙に目が離せぬのだ。


彼女は木の根元へしゃがみ、黙々と粥を啜った。食う姿は静かで早い。無駄がない。腹を満たすために必要なだけ口へ運ぶ食べ方だ。味わうというより、補う食べ方である。


「もっと嬉しそうに食えばよいのに」

とわしが言うと、

「飯にうつつを抜かしておると、背を刺される」

と返ってきた。

「そんな物騒な暮らしをしておるのか」

「さあな」

「ほんに、おぬしは“さあな”ばかりじゃのう」

「初めて会うた男に、ぺらぺら身の上を話す娘の方が怖い」


それは、もっともだ。


わしは笑って粥を啜った。熱いがうまい。五臓六腑に染みるとは、このことか。隣の娘は相変わらず目つきが悪いが、同じ粥を食うておると思うと、少しだけ不思議な心地がした。


「で」

とわしは言った。

「さっきの商人は、何者じゃ」

少女の箸――ではない、木匙を持つ手が止まった。

「しつこい男だ」

「気になるではないか。おぬしが見ておった。小僧も袖を狙った。で、その男は騒ぎの隙に消えた」

「それで十分だ」

「十分ではない」

「わしには十分だ」

「わしには足りぬ」


少女は深く息をつき、わしの顔をまじまじと見た。


その目は、やはり村娘のそれではない。人を値踏みし、使えるか、危ういか、放っておくべきかを見定める目だ。ずいぶん若いのに、そんな目をしておる。


「おぬし」

と、少女は低く言った。

「自分が余計なものを見たと分かっておるか」

「少しは」

「少しでは足りぬ。今の世は、見たものの値打ちひとつで首が飛ぶ」

「怖いことを言う」

「怖いから言うておる」


わしは木椀の底に残る粥を見つめた。


首が飛ぶ、か。


物騒な脅しだ。だが、この娘がただ脅しておるだけとは思えなかった。寺の門前で商人を見張り、逃げる小僧を追い、迷いなく押さえ込む。しかも、そのすべてを“余計なことではない”顔でやってのける。


わしは椀を空にして、土の上へそっと置いた。


「のう」

「何だ」

「おぬし、名は」

「要らぬ」

「わしは日吉丸だ」

「聞いておらぬ」

「聞かれずとも名乗るのが礼というものよ」

「礼を尽くす相手は選ぶ」


ひどい娘である。ほんに。


それでも、口元がほんの少しだけ動いた気がした。笑う寸前か、呆れたのか。そのどちらかだろう。


門前のざわめきが、少しずつ元へ戻っていく。僧の声、子どもの泣き声、木椀の触れ合う音。さっきの騒ぎが嘘のように、人はまた飯に向き直る。腹が減るというのは強い。面倒も不安も、ひとまず椀の中へ押し込めてしまう。


だがこの娘だけは、飯を終えてもなお周囲を見ていた。


誰がどこへ行くか。誰が誰を見るか。門前から村道、松林の奥まで、視線を滑らせて確かめておる。癖なのだろう。生きるためにそうなった目だ。


わしは、ほんの少しだけ真面目に言った。


「さっきの小僧、ただの盗人ではなかったな」

少女は答えぬ。

「商人の袖の内に何があったかは知らぬ。じゃが、ここの寺で、人目を忍んで受け渡すものでもあったのか」

「それ以上は言うな」

「言わぬ。だが、わしは見てしもうた」

「……」


少女はついにこちらへ向き直った。


風が吹き、松の匂いが流れてくる。遠くで鳥が鳴いた。門前のざわめきがあるのに、その一瞬だけ周りの音が遠のいたような気がした。


少女は身を寄せるように一歩近づいた。


近い。思ったより近い。


炊き出しの湯気と、松葉の青い匂いに混じって、かすかに乾いた香のような匂いがした。村娘にはつかぬ匂いだ。旅の薬師か、寺の香か、あるいは別の何かか。


そのまま少女は、わしの耳元で囁いた。


「おぬし、見たことは忘れよ」


声は低く、ひどく冷えていた。


「忘れねば、命が縮むぞ」


言い終えると、少女はすっと身を離した。


何事もなかったように椀を持ち上げ、立ち去る。名も告げず、礼も言わず、ただ風のように松林の方へ消えていく。去り際に一度も振り返らぬ。


わしはその背を見送りながら、しばし口を閉じていた。


命が縮む、だと。


穏やかではない。まことに穏やかではない。寺で粥をもらい、ちょいと盗人騒ぎに巻き込まれたと思うたら、見知らぬ娘から命の話をされるとは。腹が減っておる日の方が、なぜこうも面倒が寄ってくるのか。


「……ひどい娘じゃ」


そう呟いたものの、声には怒りより妙な可笑しみが混じっていた。


怖い。確かに少し怖い。だが、それだけではない。


あの目つき。あの走り方。あの囁き。


あれはただの気の強い娘ではない。もっと別の、表へ出ぬ場所で生きておる者の気配がする。


わしは空になった木椀を見下ろした。


腹は少し満ちた。だが、今度は別のところが騒がしい。好奇心というやつである。あれは飢えにも似ておる。一度火がつけば、なかなか消えぬ。


「忘れよ、か」


無理であろう。


人は、忘れよと言われるほど忘れられぬものだ。


寺の門の向こうで、松が風に鳴った。


わしは土のついた袖を払って立ち上がり、少女の消えた方角をじっと見た。


どうにも今日の炊き出しは、粥だけでは終わらぬらしい。

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