第14話 忍びの頼みは、たいてい碌でもない
忍びの頼みというものは、たぶんもっとこう、静かで格好のつくものだと思うておった。
月明かりの下、屋根の上で囁くとか。
巻物をすっと差し出して「これを届けよ」とか。
あるいは「この名を聞いたら忘れよ」だの「今宵のことは墓まで持っていけ」だの、そういう、いかにもそれらしい物言いである。
ところが現実は違った。
狭い物陰の中、短刀を袖へ戻したばかりの娘が、ひどく真面目な顔で言うたのは、
「今宵だけ、目になれ」
これである。
「……目」
と、わしは繰り返した。
「耳でも鼻でもなく」
「おぬしは耳も鼻も勝手についてくる」
「便利な言いようじゃのう」
「便利だから使う」
「それで、何を見ればよい」
「人の出入りだ」
「どこの」
「今から行く先の」
要領を得ぬ。
この娘は、こちらへ頼み事をする時でさえ、必要なことしか言わぬ。いや、必要なことすら半分しか言わぬ。こういう相手の頼みを聞くのは、本当に碌でもない。
「のう、猫目」
「呼ぶな」
「せめて、どういう面倒なのかくらい教えてくれぬと、わしの足も迷うぞ」
「迷うくらいなら帰れ」
「そう突き放されると、逆に気になる」
「本当に面倒な男だな」
娘はため息をつき、それから物陰の外をうかがった。追手の気配は今のところ戻ってこぬらしい。城下の夕暮れは、追う者にも追われる者にも忙しい。
「深くは関わるな」
と、娘は低く言った。
「今夜のおぬしは、ただ見ればよい」
「見るだけで済めば安い」
「安くはない」
「ほう」
「おぬしのように、見たものを勝手に繋げる男にはな」
ひどい言い方だが、否定しづらい。
わしは肩をすくめた。
「つまり、見てよいが考えるなと」
「できるならな」
「それは難しい注文じゃ」
「知っている」
知っていて頼むのだから、なお碌でもない。
それでも、わしは頷いた。
どうせ今ここで「嫌だ」と言うても、この娘はひとりで行くだろう。そしてたぶん、その先にはまた、ろくでもない男どもや妙な荷や、寺や商人や、そういう匂いのするものが待っておる。だったらせめて、見張る目がもうひとつくらいあった方がよい。
そういう理屈で自分を納得させた。
もちろん、本当のところは、面白そうだからである。
「よし」
と、わしは言う。
「ただし、あとで飯一つ分くらいの礼は欲しい」
「命がつながれば安い礼だ」
「そういうところが忍びらしいのう」
「端くれだと言うた」
「では、端くれらしい」
「黙れ」
娘は物陰からするりと抜け出した。
わしも続く。細路地を抜け、夕闇の混じり始めた通りを二つ三つ渡る。娘はもはや町娘の顔へ戻っていた。歩幅も柔らかく、人波への紛れ方も自然だ。先ほどまで短刀を抜き、追手を撒いておった娘と同じとは思えぬ。
だがわしは知っておる。
町娘にしては、人にぶつからなさすぎる。
荷を避ける目が早すぎる。
立ち止まるふりをして、立ち止まっておらぬ。
やはり、化ける娘である。
「のう」
と、わしは並んで歩きながら小声で言った。
「今から行く先というのは、町か、寺か、武家か」
「全部だ」
「それはだいぶ嫌な答えじゃ」
「だから碌でもないと言うておる」
「先に言え」
娘は答えず、ある辻で足を止めた。
そこは大路から少し外れた場所で、茶屋とも酒肆ともつかぬ小さな店が並んでおる。昼間の市のような賑わいはないが、そのぶん、顔を合わせて話したい者には都合のよい場所だ。表向きは飯を食うたり茶を飲んだりする場。だが、裏向きには口利きや文の受け渡しにも使えそうな空気がある。
娘が顎で示した先には、古びた看板の下がる茶屋があった。
「ここだ」
「茶屋か」
「茶屋に見えるだけだ」
「見えるだけ、とな」
「表はな」
なるほど、始まった。
こういう言い方をし始める時の娘は、たいてい本気だ。
茶屋の前には、すでに二人、三人の客らしき姿が見える。ひとりは商人ふうの男。帯に帳面差しを挟み、手は細いが、よく動く手だ。もうひとりは寺の僧に見える。だが寺の者なら、夕刻にこんな茶屋へ一人で立ち寄るかどうか。三人目は、供のいない小者のような格好だが、草履や帯が妙にきちんとしていて、町の使い走りとは少し違う。
「見ろ」
と、娘が言う。
「何を」
「誰が入って、誰が出るか」
「それだけか」
「今はな」
わしはそれとなく茶屋の向かいの壁にもたれた。娘は少し離れて、野菜売りの残り物でも見るふうに佇む。お互い、知り合いの顔はせぬ。もっとも、さっきまで狭い物陰であれだけ揉み合うておいて今さらだが、こういうところの切り替えは必要なのだろう。
茶屋の出入りを見張る。
簡単そうに見えて、案外難しい。何しろ夕刻の通りは人の流れが途切れぬ。荷を引く者、帰る者、これから夜の支度をする者。しかも見張る以上、こちらが見張っておることを気取られてはならぬ。
だが、わしはこういうのは嫌いではない。
立っておるだけに見えて、人の足と顔を拾う。誰が焦っておるか、誰が時間を潰しておるか、誰が来るべき相手を待っておるか。そういうものは、腹を空かせて人の懐具合を見て歩くうちに、少しは分かるようになる。
しばらくすると、まずあの商人ふうの男が茶屋へ入った。
歩き方は静かだが、ためらいがない。常連か、少なくとも一度きりではない足である。店の暖簾を上げる前に、周囲を一度だけ見た。見るというほど大げさではない。だが、見ぬ者の首の動きではなかった。
次に、僧。
こちらはもっとさりげない。茶でも飲みに来た顔をしておる。しておるが、僧衣の裾が町の埃に慣れすぎておる。寺にこもる者の裾ではない。どこかとどこかを、日常的に行き来しておる者の衣だ。
さらに遅れて、小者ふうの若い男が入る。
これが妙だった。
武家の使いに見える。見えるが、使いとしては供もおらず、荷もない。ならば私用か。だが私用にしては、腰の物の扱いがきちんとしすぎている。つまり、誰かの命で、誰にも目立たず来た者だ。
「ほう」
思わず声に出しかけて、あぶないあぶないと口を閉じる。
武家の使い。
寺の僧。
商人。
それぞれ別の顔でありながら、同じ茶屋へ、似たような時刻に、似たような“気づかれぬふり”で入っていく。
偶然では、あるまい。
娘が少し離れた場所で、野菜を眺めるふりをしたまま、こちらへ視線だけ寄越した。どうだ、と問う目だ。
わしはわずかに顎を引いた。
まだ何も言わぬ。だが、見えてきたものはある。
茶屋の表では、年寄りが団子を食い、旅人が茶をすすっておる。だが奥では、別の話がされるのだろう。商いの顔で入る者、寺の顔で入る者、武家の顔で入る者。その三つが同じ場所へ吸い込まれるのなら、そこには人目に出したくない話がある。
それに気づいたところで、茶屋の裏手から、また別の男がひとり出てきた。
こちらは店の客ではない。店の者とも違う。裏口に慣れた足だ。包みを脇に抱え、急ぎすぎぬよう急いで去る。顔は伏せておるが、帯の結び方が商家の手代風ではない。むしろ、寺の使いか、どこぞの屋敷の下役か。
「繋がっておるのう……」
今度は本当に小声で呟いた。
ただ一軒の茶屋に、人が集まるだけなら珍しくもない。だが、顔の違う者たちが、別々に入り、裏口から別の者が出る。しかも夕刻、城下が表向きの顔を閉じ始める時刻に。
それはもう、ただの茶飲みではない。
少しして、僧が先に出た。
出る時の顔は何でもない。茶を飲み終えた者の顔だ。だが懐へ手を入れる時、指先が一瞬だけ袖の内を探った。何かを確かめる手つき。文か、銭か、あるいはもっと小さなものか。
次に商人。こちらは出る時に、茶屋の若い衆へ声をかけるでもなく、店の前に置かれた空の樽へちらりと目をやった。合図か、確認か、いずれにせよ、見えぬところで何かが動いている者の目である。
最後に小者ふうの若者。これがいちばん難しい顔をしていた。表情が薄い。薄いくせに、少しだけ肩に力が入っておる。あれは緊張だ。誰かへ言われた通りに動いておる者の緊張。
「……なるほど」
わしはようやく、娘の頼みの意味が少し分かった。
彼女はたぶん、ひとりでは追いきれぬのだ。
商人だけを見るか、僧だけを見るか、武家だけを見るか。どれか一つならまだしも、三つが同じ場所で交わるとなれば、見る目はいくつあっても足りぬ。しかも娘自身は、追手や監視の目も受けている。ならば、わしのような“余計なところまで見る男”を使うのは、理にかなっておる。
癪だが。
いや、使われるのは癪だが、面白いのも確かだ。
娘が野菜屋から離れ、こちらのそばへすっと寄ってきた。人目にはただの通りすがりに見える距離だ。
「どうだ」
と、娘が低く言う。
「だいぶ碌でもない」
と、わしは答えた。
「最初に入った商人、あれは顔なじみの足だ。僧は寺に見えるが、町慣れしすぎておる。小者ふうの若いのは武家筋の使いだが、用向きを知らされすぎぬ顔だ」
「……」
「しかも、裏口から別の男が出た」
娘の目がわずかに細くなる。
「見たか」
「見た」
「どんな男だ」
「店の者でも客でもない。包みを持っておった。寺か屋敷の下役めいた足だ」
「ふむ」
「さらに言えば、あの茶屋は表より裏の出入りの方が気を使うておる」
「なぜ分かる」
「店先の若い衆が、客の顔より、暖簾の揺れ方と裏手の音を気にしておる」
娘はそこで、ほんの少しだけ黙った。
そして、口元だけで笑った。
はっきり笑うのではない。息が一つ、気持ち軽く抜けたような、小さな笑いだ。寺で初めて会うた時から数えて、こんな顔は初めて見た。
「おぬし」
と、娘は低く言った。
「目だけはよう利く」
それはたぶん、ようやくもろうたまともな褒め言葉であった。




