第12話 化ける娘と、化かされぬ男
町娘に化けたところで、目までは変えられぬらしい。
通りの向こうを歩いていく娘を見ながら、わしはひとりで得心していた。小袖の色も、籠の持ち方も、歩幅の取り方も、城下に慣れた町娘そのものである。よく見ねば、昨日今日で見知ったあの娘だとはまず気づくまい。
だが、気づく者は気づく。
いや、正しく言うなら――わしが気づいた。
「これはなかなか、面白い」
思わず口元がゆるむ。
人は変装というと、顔や服ばかりを見がちだ。だが本当に隠しにくいのは、癖の方である。人込みの抜け方、立ち止まる間合い、道の端を見る角度、声をかけられた時に最初に動く場所。あの娘は上手く化けておる。上手く化けておるが、上手すぎるせいで逆に目立つ。
普通の町娘は、もっと人にぶつかる。もっと足を止める。もっと品を見て迷う。もっと、背中が隙だらけだ。
だがあの娘には隙がない。
「さて」
わしは懐の銭を指で鳴らし、ゆっくりと歩き出した。
向こうは向こうで仕事か何かの最中なのだろう。ならば邪魔をせぬ方がよい――と、まともな人間なら考えるところだが、わしはそこまでまともではない。しかも、知り合いの顔はするなと言われたばかりである。そう言われて素直に従うようでは、わしはここまで飢えたまま生きてこられぬ。
娘は通りの人波を縫って進み、小物屋の前でほんの一息だけ足を止めた。
品を見ているふりだ。
だが目は品ではなく、店の奥の出入りを見ておる。誰が入るか、誰が出るか、何を持つかを拾っておる目だ。
わしはその背後まで寄り、何でもない声で言った。
「おや、町娘殿。今日はずいぶんと目つきのよい買い物じゃのう」
娘の肩が、ごくわずかに止まった。
次の瞬間、こちらを振り返る。
顔は町娘のそれである。だが目だけが、一瞬であの娘に戻った。
「……おぬし」
と、低い声が落ちる。
「何をしておる」
「見ての通り、城下で真面目に飯の種を探しておる」
「わしの後をつけるな」
「つけたのではない。見つけたのじゃ」
「同じだ」
「違う。おぬしが化けても、わしは化かされぬという話よ」
娘はほんの一瞬、目を見開いた。
驚いたのであろう。
その驚きはすぐに消えたが、代わりに心底面倒そうな顔になり、小さく舌打ちした。
「ちっ」
「おお、今のは町娘らしくない」
「黙れ」
「化けるなら、舌打ちももう少し愛らしく」
「今ここで踏むぞ」
「それは以前にもされた」
娘は眉間に皺を寄せた。
普段の顔より、今の町娘の顔でその表情をされる方が妙におかしい。見目だけなら柔らかな娘なのに、目の奥では短刀でも抜きそうな気配がある。
「何で分かった」
と、娘が小声で言う。
「何が」
「わしだと」
「目」
「目?」
「うむ。あと歩き方」
「歩き方まで変えておる」
「変えておるが、変え方がうまい者ほど、元の癖がよく見える」
「訳の分からぬ理屈だ」
「褒めるな褒めるな」
また面倒そうな顔をされた。
だが、今ので確かに分かった。あの娘も少しは気にしておるのだ。自分の変装が見抜かれたことを。しかも、見抜いたのがたまたまの幸運ではなく、こちらをよく見ておるからだと察した時の顔をしておる。
それはわしにとって、なかなか悪くないことだった。
「で」
と、わしは娘の横へ並んだ。
「今日は何を探っておる」
「探ってなどおらぬ」
「町娘が小物屋の奥の出入りばかり見ておる時点で怪しい」
「おぬしの方が怪しい」
「それは認める」
娘は言葉に詰まり、また小さく舌を打った。
どうやら、今日は機嫌がよくないらしい。いや、この娘が機嫌のよい顔をすることは稀だから、いつも通りと言うべきか。だが、そのいつも通りの中に少し焦りが混じっている気がした。
娘は急に歩き出した。
わしもついていく。
「ついてくるな」
「行く先が同じかもしれぬ」
「違う」
「まだ聞いておらぬ」
「聞かずとも違う」
「ひどい決めつけじゃ」
通りを抜け、魚売りの並ぶあたりへ差しかかる。魚の匂いが濃い。娘は顔をしかめず、するすると人の肩の間を抜ける。やはり上手い。だがわしも負けぬ。こういう雑踏は慣れておる。腹を減らしておる時ほど、人の隙間へ入り込む術は覚えるものだ。
「のう、猫目」
「呼ぶな」
「今日の顔では猫目に見えぬな。町娘風じゃ」
「だから何だ」
「では“町猫”か」
「……本当に殴るぞ」
「それは困る。せっかく今日はよい働きをして得た銭がある」
「銭があるなら消えろ」
「そういうわけにもいかぬ。知り合いを見つけたのでな」
「知り合いの顔はするなと言うた」
「したではないか」
「……」
娘は立ち止まり、わしをじろりと見た。
「おぬし、ほんに阿呆だな」
「それもよく言われる」
「どうして胸を張る」
「言われ慣れておるので」
「慣れるな」
やれやれ。
だが、そのやり取りのあいだにも、娘の目は時々こちらではなく別の方へ流れていた。通りの向こう、茶屋の脇、荷車の後ろ、人足のたむろするあたり。何かを警戒しておる。
その警戒は、探りをしておる者のそれというより、探られておる者のそれに近かった。
おや、とわしは思う。
もしかすると、この娘は今日は何かを見に来たのではなく、何かを追われながら見ておるのかもしれぬ。
そう思うて、わしも自然と周りへ目をやった。
すると見えた。
少し離れた通りの端、干魚屋の前に男が二人。買い物をしておるふりをしておるが、魚にはほとんど目を向けず、時々こちらの方へ視線を送ってくる。ひとりは頬に古い傷のある男、もうひとりは髭の薄い若い男。町人にも人足にも見えるが、どちらとも少し違う。
そしてその目つきは、“娘の顔を見ておる”のではなく、“娘の動きを数えておる”目つきだ。
監視、か。
なるほど。
「猫目」
と、わしは小さく言った。
「呼ぶな」
「後ろから見ておる男らがおるぞ」
娘の顔色が変わるかと思ったが、変わらなかった。変わらぬ代わりに、まぶたがほんのわずかに動いた。
「気づいておる」
「そうか」
「だから、おぬしは消えろ」
「消えたら、おぬしだけ目立つ」
「もとよりそのつもりだ」
「強いのう」
「おぬしが邪魔だ」
ひどい話である。
だが、言い方に少しだけ棘が増した。つまり、本当に面倒なのだろう。あの二人はただの町の荒くれではない。何かの命で動いておる目だ。娘を知っておるか、少なくとも“町娘ふうの誰か”として追っておる。
「何をした」
と、わしは尋ねた。
「聞くな」
「追われるほどの娘になったか」
「もともとだ」
「胸を張ることか」
「おぬしには言われとうない」
娘はそう言って、角をひとつ曲がった。わしも続く。
後ろの男らも、わずかに間を置いてついてきておる。あからさまではない。だが止まらぬ。二人とも、道を知らぬ者の歩き方ではない。こういう追い方は、最初から“囲わず見失わず”を教わった者の足だ。
寺の裏で見た、あの偽坊主ほどではない。だが、素人でもない。
娘は苛立たしげに言った。
「おぬし、本当に離れぬ気か」
「今離れると、おぬしはひとりで囲まれよう」
「囲まれるほど下手は打たぬ」
「そうかもしれぬ。だが、わしがおる方が向こうも少し読み違える」
娘は黙った。
「町娘がひとりで歩くより、口の軽い若造がまとわりつく方が、男らも見極めにくい」
「……」
「そうであろう?」
「調子に乗るな」
「当たりか」
「半分だけな」
おお、半分でも当たった。
娘は本当に舌打ちしたそうな顔をしたが、それでも「消えろ」とはもう言わなかった。つまり、少しは理があると思うたのだろう。
だが、男らの距離はじわじわ詰まっていた。
前の角、横の辻、路地の口。城下は道が多いようでいて、追う者が本気になると案外逃げ場が狭い。娘もそれを分かっておるからこそ、何度か曲がりながらも広い通りを離れきれずにおるのだ。
「のう」
と、わしは何でもない声で言った。
「何だ」
「本当に、今日は町娘の顔をしておるのう」
「今さらか」
「怒るとすぐ元へ戻る」
「黙れ」
「だが、その顔も嫌いではない」
「気色の悪いことを言うな」
「褒めたのに」
「褒めておらぬ」
やり取りは軽い。だが、その裏でわしの頭は急いていた。
どこへ抜けるか。
この先は大路に戻る。大路へ出れば人は多い。だが人が多いぶん、あの男らが別の仲間へ合図を送ることもできる。逆に細い路地へ飛び込めば、一対二、あるいはそれ以上になった時に面倒だ。
けれど――人の目がある方が必ずしも安全とは限らぬ。
人の目というのは、見てくれているようでいて、肝心な時ほど誰も助けぬからだ。
娘もそれを知っておる顔で、次の角の手前でほんのわずかに迷った。
その迷いを見て、わしは決めた。
「こっちじゃ」
「何?」
「喋るな」
わしは娘の手首を掴んだ。
細い。思うていたよりずっと細いが、筋はしっかりしておる。掴んだ瞬間、娘の肩がぴくりと跳ねた。反射で振り払おうとしたのかもしれぬ。だが後ろの男らの気配がそれを許さぬと分かったのだろう、娘はほんの一瞬だけ抵抗を止めた。
その隙に、わしは細路地へ飛び込んだ。




