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第11話 城下へ行けば、飯の種も厄介も増える

朝の腹は、夜に決めたことをよく覚えておる。


昨夜、村はずれの夜道で空を見上げながら、わしはたしかに思ったのだ。どうせ面倒ごとが向こうから来るなら、こちらからも少し近づいてみよう、と。織田の城下へ、もっと深く。うつけと呼ばれる男のいる方へ。寺と村と城下のあいだを結ぶ、あの妙な匂いのする方へ。


その時は、それなりに立派な気持ちでおった。


だが朝になって、腹がぐうと鳴ると、その立派な気持ちはたちまち別の言葉へ変わる。


――で、飯はどうする。


実にもっともな問いである。


志だの面倒の匂いだのと言うても、腹が鳴るたび人は現実へ引き戻される。乱世がどうあれ、うつけが何を企もうと、寺の裏で誰が何をしていようと、わしの腹は今日も何か食わねば黙らぬ。


「よし」


わしは朝の光の中で伸びをした。


「ならば、飯の種を探しつつ、面倒にも近づく。これなら文句あるまい」


誰に言うでもない理屈を整え、草履の鼻緒を締め直す。今日も空はよく晴れておる。春先の朝の光は、夜の不穏を嘘のように洗い流す。だが、洗い流したように見せておいて、その下へちゃんと残しておるのが世の中というものだ。


わしは城下の方へ足を向けた。


織田の城下は、村と違う。


村は土の上に人が暮らしておる。城下は、人の上に人が暮らしておる。


田を耕す百姓、物を売る町人、寺に仕える者、城へ出入りする小者、荷を担ぐ男、武家へ媚びる商人、商人を利用する坊主、坊主の顔色をうかがう女房衆。誰かの下で誰かが頭を下げ、またその下で別の誰かが腹を立てておる。


だから、飯の種も多い。


その代わり、厄介も多い。


城下へ入る道すがらでも、もうその匂いは濃かった。通りの端では、菜を満載した籠を担いだ女が、場所取りでもめて隣と口論しておる。少し先では、荷運びの若い男が親方らしき者に耳を引っ張られていた。


「だから昨日の銭は今日返すと言うただろうが!」

「今日返せぬ者が明日返すか!」

「寺へ納める分を先に回せと言われたんだ!」

「寺だぁ? 寺へ顔を立てて、うちの口利きを潰す気か!」


寺へ顔を立てる。


その言い方が妙に引っかかったが、今は止まって聞くわけにもいかぬ。腹が減っておる男の足は、面白そうな喧嘩より、まず飯の方を向く。


城下の朝は、すでに忙しい。荷車がきしみ、店の戸が開き、井戸の水が汲み上げられ、味噌や干魚の匂いが風に乗る。昨日まで顔を見た者もおれば、初めて見る顔もある。だが誰もが、どこかへ向かう足をしておる。


わしは通りの端を歩きながら、その足を見た。


飯の種というのは、人の足についていることが多い。急ぐ足は急ぎの仕事へ向かうし、迷う足は迷うだけの事情を抱えておる。偉そうにふんぞり返っておる者ほど、たいてい後ろで別の誰かが働いている。そういうものだ。


さて、今日は何をするか。


荷運びの口でもよい。使い走りでもよい。店先の手伝いでも、倉の掃除でも、武家屋敷へ物を届ける小者でもよい。何でもよいが、今日のところはひとつ、城に近い仕事が望ましい。


城に近い仕事は、面倒にも近い。


だが同時に、銭にも近い。


「世はようできておる」


感心したように呟きながら、わしは人足や小者の集まりやすい辻へ向かった。


そこは朝になると、日雇いのような仕事を探す者が何人も立つ場所である。荷担ぎ、使い、掃除、材木運び、店の開け閉め。何かしら急に人手の要る時、親方衆や店の者が覗きに来るのだ。


すでに十人ばかり集まっておる。若い男もいれば、年かさの者もおる。顔つきは様々だが、腹の事情で立っておることだけは皆同じである。


「おや」

と、わしはその端に見覚えのある顔を見つけた。

先日、荷運びで一緒になっておった小柄な男だ。名を確か庄助といったか。

「まだ首はつながっておるようじゃの」

と、わしが声をかける。

庄助は振り返り、すぐ苦い顔になった。

「おぬしか。首はつながっておるが、おぬしのせいで親方の機嫌は悪くなった」

「わしのせいか」

「おぬしが余計なことを言うたからだ」

「荷の積み方が悪いと言うた件か」

「あれだ」

「悪かったか」

「正しかったのが腹立つのだ」


それは気の毒な話である。


わしは笑い、庄助の隣へ立った。

「で、今日は何か口はあるか」

「知らぬ。城下は忙しいが、人も多い」

「忙しいならよいではないか」

「よくない。忙しい時ほど、既に顔の利く者へ先に回る」

「なるほど、口利きのある者が強いか」

「城下はそういうところだ」


その言葉がまさしく、と思う。


城下は村より豊かだ。だが豊かなだけでは人は飯を食えぬ。誰の顔を立てるか、どこの口から仕事が落ちてくるか、寺へ先に納めるか、武家へ先に通すか、そういうところで食い扶持が決まる。


村では土が物を言う。城下では縁が物を言う。


わしはそういう土地を、嫌いではない。


むしろ、好きかもしれぬ。


なぜなら、縁というものは、手を伸ばせば増やせるからだ。家柄や田畑は急には手に入らぬ。だが、人の機嫌と腹の具合と、何を言えば笑うかを読むのは、わりと得意である。


「おぬしは、城下向きかもしれぬの」

と、庄助がぼそりと言った。

「ほう」

「褒めておらぬ。舌がよう回るからだ」

「それはだいぶ役に立つ褒め言葉ではないか」

「そうやってすぐ増長する」

「増長しておるのではない。己の才を正しく見ておるだけだ」

「やはり城下向きだ」


そんなやり取りをしておると、前の方でざわめきが起こった。


小さな醤油屋の手代らしい男が来て、二人ばかり見繕って連れて行く。次に材木問屋の若い衆が来て、力のありそうな男を三人ばかり連れていく。さらに少しして、どこぞの寺へ物を運ぶらしい仕事も出たが、これは既に顔見知りが押さえていた。


「ほれ見ろ」

と、庄助。

「顔がある者は早い」

「では、顔がない者はどうする」

「口を利くか、待つか、腹をくくるかだ」

「なるほど。わし向きじゃ」

「待てと言うておる」


だがわしは、すでに次の仕事の口へ目を向けていた。


通りの向こうから、三十前後の女房風の女が早足でやってくる。手には包みを抱え、顔はやや青い。急ぎの使いか、あるいは自分の店から抜けられぬ事情でもあるのだろう。こういう顔の者は、人をすぐ探す。


案の定、女房は集まっておる男らを見回した。

「誰か、北の辻まで走れる者はおらぬかい!」

「銭は?」

と、すぐ誰かが聞く。

「五文!」

「安い!」

「荷は軽い、道は近い!」


皆が顔を見合わせる。近いが安い、という顔だ。


わしは一歩前へ出た。

「わしなら七文で走ろう」

女房がむっとする。

「五文だよ」

「なら六文」

「五文」

「道中で相手が留守なら、戻りもある」

「……五文半」

「成った」


庄助が横で「おぬし、そういうところだけやたら速いな」と呟いたが、わしは構わず女房から包みを受け取った。


「どこへ」

「北の辻の鍛冶屋の隣、染物屋だ。若旦那にこれを渡して、今朝の帳面をすぐ寄越せと言いな」

「帳面か」

「そうだ。急いでおくれ」

「承知」


包みは軽い。文か、小さな帳面か。こういう仕事はよい。荷は軽く、足と口が要る。


わしは走った。


城下の道を走ると、目に入るものが増える。鍛冶場の槌音、寺へ向かう荷、足軽崩れのような男の屯し、武家屋敷の塀際で頭を下げる商人、口論する露店、子どもを抱いて急ぐ女。豊かだが、皆が何かに追われておる。


鍛冶屋の隣の染物屋へ包みを届け、若旦那から帳面を受け取り、また走る。戻る途中で、別の店先から「そこの若いの、ついでにこれも」と声が飛ぶ。桶屋の端材を一束隣まで運んで三文。よし、悪くない。


北の辻から戻る頃には、わしの懐に銭の音が少しだけ生まれていた。


「ほう」


銭の音というのは、実によい。


多くはない。だが、ないよりははるかによい。朝から仕事をひとつ掴めば、次も寄ってくるかもしれぬ。人は、動いておる者へ声をかける。ぼんやり立っておる者より、「あいつなら走る」と見える者を使いたがる。


城下にはそういう流れがある。


つまり、飯の種の匂いが濃い。


と同時に、厄介の匂いも濃い。


女房へ帳面を返すと、今度は通りの端で口論が始まっていた。借金の取り立てらしい。魚売りの男が、干物屋へ銭の支払いを渋っておる。少し先では、寺の小僧が露店から何やら受け取っておる。礼を言う顔ではない、顔を覚えるための受け取り方だ。


寺へ顔を立てる。

武家へ顔を売る。

人足の組へ借りを作る。

商人へ先に銭を通す。


城下は銭だけで回っておるのではない。顔と恩と不満で回っておる。


「面白いのう」

と、わしは小さく笑った。


ただの道ではない。ただの店でもない。どこもかしこも、人の都合が重なっておる。その重なりの隙間へ入り込めば、わしのような男にも食い扶持はある。


だが、隙間へ入るというのは、たいてい他人の面倒のそばへ立つということでもある。


それでもよい。


面倒のそばには、銭も転がっておるからだ。


「結局、おぬしは城下向きなのだな」

と、いつの間にか近くへ来ていた庄助が言う。

「そう見えるか」

「見える。嫌な意味で」

「嫌な意味でも腹は膨れよう」

「その考え方がもう城下だ」


庄助は呆れたように笑い、それからまた別の仕事へ引っ張られていった。わしも次の口を探して歩き出す。


すると、通りの向こうで、ふと目を引く娘がいた。


町娘ふうの姿である。


小ぶりの籠を提げ、目立たぬ色の小袖を着て、髪も町の娘らしく結っておる。誰が見ても、買い物かお使いの娘にしか見えぬだろう。足取りも急ぎすぎず、遅すぎず、実に自然だ。


だが。


「……ほう」


わしは立ち止まった。


自然すぎる。


自然すぎる娘というのは、たいてい自然ではない。


歩幅、目の配り方、足の置き方。店先の荷に当たらず、人の流れを半歩先で読む。しかも、顔は前を向いておるのに、横の気配を拾っておる。あれはただの町娘の足ではない。


そして何より、見覚えがあった。


目つきである。


今は町娘の柔らかな顔をしておる。しておるが、その奥に、あの猫のような鋭さが隠れておる。寺の裏で会い、守りを拾い、路地で知り合いの顔はするなと言うた、あの娘だ。


「おお……」


思わず口元が緩む。


今度は町娘の姿か。


ほんに忙しい娘である。村娘にもなれば、寺の近くでは別の顔をし、今また城下では町娘のふりをしておる。どこまでが本当の姿か分からぬ。いや、たぶん全部が“使う顔”なのだろう。


その娘は、こちらにまだ気づいておらぬ。


いや、気づいておって、気づいておらぬふりをしておるのかもしれぬ。


どちらにせよ、面白い。


わしは人混みの中でその背を目で追いながら、小さく笑った。


「城下へ来れば、飯の種も厄介も増える、か」


どうやら、今日もその通りらしい。

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