第8部:幼少期編 —— 枕元の生首と十字の誓い
プロローグ:最後の仕上げ
イマイとタケの死により、トバリの精神は限界を迎えていた。
頼れる仲間を失い、孤独に震える夜。
彼が最後にすがりついたのは、絶対的な強者であり、父である「村長」の存在だった。
だが、ルナは知っている。
絶望の底に突き落とすには、最後に残った希望の糸を、一番残酷な形で断ち切るのが効果的だということを。
1.静寂の暗殺者
深夜。
月明かりさえ届かぬ闇の中、ルナは村長の屋敷の屋根に張り付いていた。
小さな体は、夜の空気に完全に溶け込んでいる。
「……パパ殿は言っていたぬ。『大物は、寝ている時も隙がない』と」
ルナは屋根瓦を一枚外し、そこから細い糸を垂らした。
糸の先からは、無色無臭の液体がポタリ、ポタリと滴り落ちる。
その真下にあるのは、村長が寝る前に必ず飲む水瓶だ。
混ぜたのは即効性の毒ではない。神経を鈍らせ、筋肉の反応をコンマ数秒遅らせるだけの、地味だが致命的な痺れ薬。
「これで、対等だぬ」
ルナは音もなく屋敷の中に滑り込んだ。
廊下を歩く足音はしない。心臓の鼓動さえ制御し、気配を完全に殺す。
目指すは最奥の寝室。
障子を爪一本分だけ開け、隙間から中を覗く。
布団の膨らみ。規則正しい寝息。
ルナは愛用の解体ナイフを逆手に持ち、獲物との距離を測った。
――今だ。
ヒュッ。
風のような踏み込み。
ルナの刃が、布団の膨らみ目掛けて突き刺さる。
ガキンッ!
金属音が響き、火花が散った。
布団の中から飛び出したのは、クナイを持った村長だった。
「……やはりか。殺気こそ消していたが、獣の臭いがしたぞ、小娘」
村長は 冷や汗一つかかず、ルナのナイフを受け止めていた。 さすがは抜け忍の里の長。寝込みを襲われても動じない。
「あら、バレてたかニャ。……こんばんは、村長殿」
「……ここで死ね!」
村長の手首が返り、鋭い斬撃がルナを襲う。
速い。重い。
まともに受ければ、五歳の体など両断される。
だが、ルナはニヤリと笑った。
「遅いぬ」
村長の剣閃が、わずかにブレた。
薬が効いている。指先の感覚が狂い、踏み込みが甘くなる。
そのコンマ一秒の隙があれば、ルナには十分だった。
シュパッ。
ルナは村長の懐に飛び込み、その膝裏の腱を切り裂いた。
「ぐっ……!?」
体勢を崩す村長。
その背中に回り込み、ルナは軽やかに肩へと駆け上がる。
「さようなら、パパ殿。……トバリ殿へのプレゼントになってくれるかぬ?」
耳元での囁き。
それが、村長が聞いた最期の言葉だった。
ザンッ。
鮮やかな手際で、首が胴体から離れた。
血飛沫が天井に赤い花を描く。
ルナは転がり落ちそうになる「それ」を空中でキャッチし、愛おしそうに抱きしめた。
「重いぬ。……知識と経験が詰まってる重さだニャ」
2.悪夢のプレゼント
トバリは自室のベッドで、悪夢にうなされていた。
イマイとタケが死ぬ夢。ルナが笑う夢。
ガバッ、と飛び起きる。全身汗びっしょりだ。
「はぁ、はぁ……。夢か……」
まだ夜明け前だ。
トバリは震える手で水を飲もうとし、ふと、枕元に違和感を覚えた。
何か、丸いものが置いてある。
ボール? いや、湿っている。そして、鉄の臭いがする。
「……なんだ、これ?」
トバリは恐る恐る手を伸ばし、それに触れた。
ざらりとした髪の毛の感触。冷たい肌。そして、温かい断面。
窓から差し込んだ月明かりが、その「物体」を照らし出した。
見開かれた目。苦悶に歪んだ口。
それは、彼が最も尊敬し、頼りにしていた父――村長の生首だった。
「あ……あ、あ……」
トバリの思考が停止する。
理解できない。理解したくない。
父は強い。誰よりも強い忍びだ。それが、こんな……こんな肉塊になって……。
「おはよう、トバリ殿」
闇の中から、鈴を転がすような声がした。
トバリが振り返ると、そこには返り血で真っ赤に染まったルナが、ちょこんと座っていた。
「プレゼントだニャ。……中身は空っぽじゃなかったぬ」
「う、うわああああああああああああッ!!!」
トバリの絶叫が、夜の静寂を引き裂いた。
3.誓約の十字傷
翌朝。
トバリは、集落の外れにある洞穴――かつてヤヨイが心を壊された場所――に連れ込まれていた。
手足は拘束され、うつ伏せに寝かされている。
目の前にはルナ。その手には、焚き火で赤熱させたナイフが握られていた。
「ひっ、や、やめ……殺してくれ……! もう殺してくれぇ……!」
トバリは泣き叫ぶ。
父の死。仲間の死。そして自身の敗北。
心はとっくに砕け散っていた。死んだ方がマシだ。
「殺さないよ」
ルナは優しく告げる。
「トバリ殿は、あたしのモノになるのぬ。……だから、名前を書いておくニャ」
ルナは熱したナイフを、トバリの背中に押し当てた。
ジュウウウウウウッ!!
肉が焼ける音。焦げ臭い匂い。
そして、魂を削り取るような激痛。
「ぎゃあああああああああッ!!」
トバリの背が弓なりに反る。
ルナは手際よく、縦に一本、そして横に一本。
消えることのない、大きな「十字傷」を刻み込んだ。
「ハァ、ハァ……ッ」
痛みに泡を吹いて気絶しかけるトバリの耳元で、ルナは呪いの言葉を紡ぐ。
「これは『鎖』だぬ。……お前は一生、この背中の傷が痛むたびに、あたしを思い出すニャ」
それは所有の印。
お前は私の所有物であり、私の許可なく死ぬことも許されないという、絶対的な契約。
「……はい、といいなさい。トバリ」
ルナの冷たい命令。
トバリの瞳から光が消え、暗く濁った色が広がる。
彼は、痙攣する唇で答えた。
「……はい、ルナ様……」
その瞬間、誇り高きフクロウ族の少年は死に、忠実なる「影」が誕生した。
エピローグ:皮肉な王冠
村長暗殺と、その息子トバリの失踪(ルナによる支配)。
指導者層が壊滅した抜け忍の里は、混乱の極みにあった。
次の長を誰にするか。力のある者は誰か。
白羽の矢が立ったのは、皮肉にも、この騒動の元凶であるルナの父親――『牙』だった。
組織を翻弄した実力、そして(表向きは)子供の揉め事に介入しなかった冷静さ。
里の住人たちは、彼こそが新しいリーダーにふさわしいと推挙したのだ。
「……勘弁してくれ」
新村長の椅子に座らされたルナの父は、深々とため息をついた。
「俺は、集団行動が苦手だからここに来たんだぞ……」
だが、彼はその椅子を蹴り飛ばさなかった。 イマイとタケの死、そして前村長の暗殺。これら一連の事件の裏に、自分の娘がいることを彼は知っていた。 もし自分が村長にならなければ、ルナは「危険因子」として里全体から追われる身となるか、あるいは処刑されるだろう。 そして何より、権力を持てば、イマイたちの死を「不幸な事故」として処理し、なかったことにできる。
「……わかった。引き受けよう」
父は覚悟を決めた。
子供がやったことの責任。そして事件のけじめ。
それを背負い、娘を守るための盾となる道を選んだのだ。
横では、何も知らない(ふりをしている)妻が、「あらあら、出世ねぇ」と笑っている。
そして、その足元には。
新しい「下僕」を影に従え、無邪気な顔で微笑む娘、ルナの姿があった。
「パパ殿、村長就任おめでとうだニャ。……これで、もっと自由に遊べるぬ」
父は娘の笑顔を見て、背筋に冷たいものを感じながらも、観念したように苦笑するしかなかった。
こうして、ルナの幼少期編は幕を閉じる。
彼女が得たのは、絶対的な暴力への自信と、歪んだ性癖、そして背中に十字傷を背負った忠実な犬。
物語は、次なるステージ――組織編へと進む。
(第8章・幼少期編 完)




