第6部:蜜と毒の教典
プロローグ:おもちゃの感想
「……んぅ」
ルナは、まどろみの中で大きく伸びをした。
指先に残る、昨夜の感触。
ヤヨイの体は、アキラよりも柔らかく、そして複雑だった。
泣き叫び、懇願し、最後には壊れて笑い出した少女。その体内構造と精神の脆さに、ルナは知的好奇心と嗜虐心の両方を満たされていた。
「女の体は、複雑で面白いにゃ……」
ルナは舌なめずりをする。
未知の領域を開拓する喜び。それは、新しい狩場を見つけた時のワクワク感に似ていた。「ママ殿、パパ殿 女の体はどういう 仕組みなのだ この前 ヤヨイのまたに棒をいれたらまたから、血を出したぞ」
「いいかい、ルナ。女の体というのは、ただの肉袋じゃない。複雑な機構を持った『錠前』であり、同時に相手を狂わせる『鍵』でもあるんだ」
決して普通ではない。いびつな、性教育が始まった。
父は資料を広げた、それは解剖図に近い無機質な人体の神経図。 ルナは無表情のまま、その講義を聞いていた。
「男という生き物は単純だ。快楽という電気信号を与えれば、どんな重要機密も吐き出す。お前たちのその小さな体には、男の理性を焼き切るための『毒』と『蜜』を仕込むことができる」
「……蜜、にゃ?」
「そうだよ。痛みだけが支配じゃない。与えられた快楽は、痛み以上に人を奴隷にする」
パパ殿がルナの顎を持ち上げ、品定めするように目を細めた。 そこには父性など欠片もない。あるのは、研ぎ澄まされたナイフの切れ味を確認するような、道具への視線だけだった。
「お前のその愛くるしい顔、珍しい白黒の耳……。今はまだ蕾だが、いずれ最強の『ハニートラップ』になる。使い方を間違えるなよ。自分の価値を安売りするな。最高値で売りつけ、相手の全てを奪うために使うんだ」
ルナの頭の中で、常識が書き換えられていく。性教育 武器を仕込む場所 道具 愛。体は道具。快楽はスイッチ。 幼い心に、歪で冷徹な「帝王学」が、どろりと流し込まれていった。
1.土下座と殺意
その日の午後。
ルナの家の前に、異様な集団が押し寄せていた。
先頭に立つのは、村長だ。
その横には、虚ろな目をして何かに怯えるように震えるヤヨイと、その両親。
さらに、リーダー格のトバリ、腰巾着のイマイ、武闘派のタケ。それぞれの家族も全員揃っていた。
「……娘が、すまなかった」
村長が、苦渋に満ちた顔で頭を下げる。
それに続き、大人たちが一斉に土下座をした。
「申し訳ありませんでした!」
「うちの息子が、あんな……あんな真似をして!」
それは、ルナの両親に向けられたものではない。
大人たちの視線は、恐怖に引きつりながら、ただ一点――五歳の幼女、ルナだけに向けられていた。
アキラの廃人化。そしてヤヨイの精神崩壊。
たった数日で二人の子供を「再起不能」にしたこの少女は、彼らにとって最早子供ではなく、人の皮を被った怪異として映っていたのだ。
「ルナちゃん、許してやってくれ……!」
「もう二度と、関わらせないから!」
懇願の声。
ルナは退屈そうに、自分の尻尾の毛づくろいをしながらそれを見ていた。
(……つまらないぬ)
勝負はついた。
親が出てきて、頭を下げて終わり。
ヤヨイはもう使い物にならないし、他の雑魚たちも恐怖で萎縮している。
復讐心など、とっくに消えていた。
ルナにとって復讐とは「処理」であり、終わった処理に感情は動かない。
「もういいニャ。飽きたから」
ルナが欠伸混じりにそう言い放ち、家の中に戻ろうとした、その時だった。
――チリッ。
肌を刺すような、鋭い視線を感じた。
ルナは足を止め、振り返る。
土下座する大人たちの後ろ。
子供たちも無理やり頭を下げさせられていたが、二人だけ、顔を上げてルナを睨みつけている者がいた。
トバリと、タケだ。
フクロウ族のトバリの瞳は、屈辱と憎悪で血走っている。
犬族のタケは、獣特有の唸り声を喉の奥で押し殺し、今にも飛びかからんばかりの殺気を放っていた。
(……ほう?)
ルナの猫耳がピクリと動く。
恐怖していない。
自分たちが何をしたか、そして何をされたか。それを理解した上でなお、彼らの目の奥には、決して折れない「敵愾心」が宿っていた。
――殺してやる。
――必ず、お前を殺してやる。
声に出さずとも、その瞳がそう叫んでいた。
2.獲物の再設定
ルナの口元が、三日月の形に歪んだ。
(……いい目だぬ)
飽き始めていた心に、再び黒い炎が灯る。
ただ怯えて逃げ惑うだけの獲物は、狩っていても張り合いがない。
けれど、牙を剥いて向かってくる獲物は別だ。
それは「処理」ではない。「闘争」だ。
(やるか、やられるか……。そういうことだぬ)
ルナは、彼らに向かってニッコリと微笑んでみせた。
それは天使のように愛らしく、そして悪魔のように挑発的な笑みだった。
「……また遊ぼうニャ、トバリ殿、タケ殿」
トバリが拳を握りしめ、爪が掌に食い込んで血が滲むのが見えた。
3.窮鼠の反撃
大人たちが帰り、静寂が戻った家の中で、父が静かに口を開いた。
「ルナ」
「なに? パパ殿」
「……楽しそうだな」
父は、娘の好戦的な表情を見てため息をつく。
「だが、忠告しておこう。……相手を追い詰めすぎると、途端に今まで以上の力で反抗する個体がいる」
父の言葉に、ルナは首をかしげる。
「窮鼠猫を噛む、というやつかぬ? でも、所詮はネズミだニャ」
「慢心するな。あいつらだって、『忍び』の子供だ」
父の眼差しが鋭くなる。
「アキラやヤヨイは、油断していたから狩れた。お前を『ただの子供』だと思って侮っていたからだ。……だが、トバリたちは違うぞ」
父は指を立てて説く。
「今のあいつらは、お前を『化け物』だと認識した。恐怖を怒りに変え、死に物狂いで牙を研いでくるだろう。警戒心MAXの獲物に、真正面から挑んで勝てるのか? 力の弱いお前に」
ルナはハッとした。
確かに、身体能力だけで言えば、年上のタケには敵わない。数で攻められ、かつ罠や不意打ちを警戒されたら、不利なのはルナの方だ。
「……厄介だぬ」
「そうだ。これからは『いじめっ子への復讐』じゃない。……『殺し合い』のつもりでいろ」
父の言葉は重かった。
けれど、ルナの体は武者震いで熱くなっていた。
「わかったニャ。……なら、あたしも本気でいくぬ」
4.結束と亀裂
それからのトバリたちの警戒ぶりは徹底していた。
リーダーのトバリ、武闘派のタケ、そして腰巾着のイマイ。
彼らは片時も離れず、常に三人一組で行動するようになった。トイレに行く時でさえ、互いに見張りを立てる徹底ぶりだ。
「個」を狙い撃ちにするルナの狩り方を、本能的に学習したのだろう。
「おい、イマイ。小便なら俺たちも行く」
「えっ、で、でも……恥ずかしいよ」
「馬鹿野郎! 一人になった瞬間、あいつは来るぞ。あの猫の化け物は、影から常に俺たちを見てるんだ」
トバリが低い声で叱責する。その目は血走っており、クマが濃く刻まれている。
数日まともに寝ていない証拠だ。
「そ、そうだぞイマイ。アキラとヤヨイの姿を見たろ? ……次は俺たちの番だ」
タケもまた、木刀を握りしめたまま周囲を油断なく見回している。
あの武闘派だったタケですら、今は怯えを隠そうともしない。
「あいつは子供じゃない。人の皮を被った『何か』だ。……少しでも隙を見せたら、俺たちも何かを切り落とされるか、心を壊されるぞ」
「ひっ……! わ、わかったよぉ……」
イマイは泣きそうな顔で頷き、二人の間に身を潜めるように縮こまった。
彼らの間には、強烈な連帯感があった。
それは友情というよりは、生存本能による結束。
「一人になれば死ぬ」という共通認識が、彼らを強固な塊にしていた。
(……ふむ。堅い守りだぬ)
木陰からその様子を観察していたルナは、つまらなそうに頬杖をつく。
力押しのタケと、知恵の回るトバリが揃っている限り、正面突破は難しい。
だが、完璧に見える壁にも、必ず「継ぎ目」はある。
ルナの視線が、三人の中で一番おどおどしている少年――イマイに注がれる。
彼は常に周囲をキョロキョロと見回し、トバリの顔色を窺い、タケの影に隠れるように歩いている。恐怖に支配された、弱者の目だ。
(パパ殿は言っていたニャ。『強固な結束ほど、内側からの腐敗に弱い』と)
ルナは舌なめずりをする。
物理的に壊すのは、もう飽きた。
次に試したいのは、もっとドロドロとした、心の解体ショー。
「……ターゲットは、イマイ殿に決定だぬ」
ルナは邪悪な笑みを浮かべる。
「パパ殿から教わった『裏切り』というやつ……。どんな顔で仲間を売るのか、特等席で見てみたいニャ」
五歳の少女は、幼い爪を研ぐ。
集落という狭い檻の中で、食うか食われるかの、本格的な生存競争が始まろうとしていた。
(第6章 完)




