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影踏みのルナ ~地下世界の猫族少女は、五歳で血の温かさを知る~  作者: 猫寿司
第2章:少女編 —— 錆びついた鳥籠と赤い風

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第2部:少女編 —— 聖女の鞭と純白の処刑人 第3部:少女編 —— 落ちる石、沸く油、そして屍の山

プロローグ:歪んだ愛の儀式


(アガサの回想)


 私には、三人の兄がいた。

 彼らは正妻の子であり、ヘスティア教の神官長である父の愛情と、正統な血統を一身に受けて育った、輝かしい存在だった。

 対して、末っ子である私は、父が妾に産ませた不義の子だ。


 幼い頃の記憶は、礼拝堂の冷たい石床と、背中に走る鋭い痛みで埋め尽くされている。


「……悔い改めなさい、アガサ」


 父の声は厳格だった。

 教えに少しでも背けば、私は“教育”と称して折檻を受けた。

 父の手によって振り下ろされる、革の鞭。


 ピシッ!


 白い背中に、赤い痛みが走る。

 恐怖と激痛に涙を流しながら、それでも私は、父の足元に縋り付いた。

 普段は兄たちばかりを見ている父が、この罰の時間だけは、私を見ている。私だけに触れている。

 歪んだ認識だった。けれど、孤独な少女にとって、それは父との唯一の「繋がり」であり、特別な儀式のように思えたのだ。


 だから私は、父に認められるために剣を取った。

 兄たちよりも秀でた剣技を身につけ、教義を誰よりも深く学び、清貧を貫いた。

 そして18歳になった日、私は厄介払いのように「メネシス」の隊長に任命された。


「お前には才能がある。……その力を、神のために使いなさい」


 父の言葉は、私にとって絶対の福音だった。

 金髪碧眼の美貌。敬虔な信仰心。そして、冷徹な殺人剣。

 私は表向きは「お飾りの護衛隊長」として、そして裏では「血みどろの工作員」として、ヘスティア教の闇を背負う聖女となったのだ。

1.進軍のファンファーレ


 現在。

 早朝の森を、長大な行軍の列が進んでいた。

 総勢5000の正規軍。その先頭を行くのは、純白の騎士服に身を包んだ精鋭部隊、メネシス。


 私は、巨大な軍馬の背に揺られながら、眼下に広がる景色を見下ろしていた。

 風が、金色の髪を撫でていく。


「アガサ隊長。間もなく作戦区域です」


 馬を寄せた副官の報告に、私は短く頷く。

 今回の任務は、亜人種の村の殲滅。

 神聖なる地下世界に巣食う、穢れた血を根絶やしにする「浄化」の儀式だ。


「……これより、村の包囲網を敷きながら、徐々に攻める」


 私は伝令兵を呼び寄せ、短く指示を飛ばした。


「A、B、C、Dの各小隊長に伝えよ。メネシス部隊の指揮下に入り、先導を務めろと。包囲網から、一匹たりとも逃すな。亜人種ども……あの邪悪な獣たちを、神の庭から排除するのです」


「はっ!」


 伝令たちが馬を駆り、各部隊へと散っていく。

 便利な道具などない。頼れるのは、鍛え上げられた兵士たちの足と、完璧な統率のみ。

 抜け道の確認も怠らない。父に教わった通り、完璧に、徹底的に。

 これは殺戮ではない。掃除なのだから。


2.断罪の演説


 里の前まで軍を進めると、私は馬を降り、最前線に立った。

 静まり返った里。恐怖に震えながらこちらを窺っているであろう「獣」たちに向けて、私は大きく息を吸い込んだ。


「――聞こえますか、迷える子羊たちよ!」


 よく通る凛とした声が、静寂な森の空気を震わせ、里の奥まで響き渡る。

 魔術も道具も必要ない。鍛錬された腹式呼吸と、絶対的な自信があれば、声は届く。


「私はヘスティア教・異端審問局直属、メネシス隊長のアガサ。神の代行者として、貴方たちに告げます」


 一呼吸置き、私は言葉に力を込めた。


「全員、投降しなさい。お前たち邪教徒は、神聖な裁きを受けなければなりません。大人しく武装を解いて、前に出なさい! さすれば、神の慈悲により……苦しまずに死ぬ権利を与えましょう」


 生かすつもりなどない。

 けれど、抵抗する気力を奪い、恐怖で支配してから殺すのが、私の……いいえ、神のやり方だ。


 さあ、どうする?

 泣いて命乞いをするか、無様に逃げ惑うか。

 どちらにせよ、私の剣の錆になる運命は変わらない。


 私は銀のレイピアを抜き放ち、美しい顔に恍惚の笑みを浮かべた。

 浄化の時が、始まった。


第3章:少女編 —— 落ちる石、沸く油、そして屍の山


1.蟻地獄の開門


 アガサの演説が終わると同時、5000の兵士たちが怒涛のように押し寄せてきた。

 大地を揺らす足音。雄叫び。

 対する抜け忍の里は、静まり返っていた。


 里の正門。

 そこは既に破壊され、無防備に口を開けているように見えた。

 だが、先陣を切った騎兵隊が門をくぐろうとした瞬間、地面が消失した。


 ズドォォォォン!!


 巨大な落とし穴だ。

 深さ5メートル。底には、竹を削って作った鋭利な槍が無数に植えられている。

 先頭の数十騎が悲鳴を上げながら落下し、串刺しになった。


「怯むな! 乗り越えろ!」


 後続の歩兵たちが、仲間の死体を足場にして乗り越えようとする。

 その瞬間を、里の男たちは待っていた。


「放てェッ!!」


 即席のやぐらの上から、無数の矢が降り注ぐ。

 さらに、屋根の上からは、煮えたぎる熱湯と、真っ赤に焼けた石が投下された。


「ぎゃあああああっ!! 熱い、熱いィィ!!」


 鎧の上からでも皮膚を焼き爛れさせる油の雨。

 前進を阻まれ、密集した敵兵たちは、格好の的だった。

 里の入り口は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


2.弱者の牙


 里の奥、岩山を利用した天然の要塞。

 そこには、戦う力のない老人や女、子供たちが避難していた。

 だが、彼らとてただ震えているだけではなかった。


「掘れ! 少しでも深く、長く!」


 女たちは泥まみれになりながら、洞窟の奥へと続く抜け道を拡張していた。

 子供たちは、小さな体を生かして狭い隙間に潜り込み、敵が侵入してきた際に作動する「逆茂木さかもぎ」や「くくり罠」を設置して回る。


 この里に、無関係な者などいない。

 全員が「忍び」の血を引く者たちだ。

 生きるため、あるいは少しでも敵を道連れにするため、彼らは持てる知識と技術の全てを動員していた。


「時間を稼ぐんだ。……村長たちが、敵の大将を食い止めている間に!」


3.逆落とし


 前線の防衛ラインが限界を迎えつつある頃。

 村長『牙』率いる精鋭部隊が、乾坤一擲の賭けに出た。


「門を開けろ! 打って出るぞ!!」


 守りを固めていたバリケードが、突如として開かれる。

 予想外の行動に、攻城側のメネシス兵が一瞬怯んだ。

 その隙を突き、数十人の忍びたちが風のように敵陣へ切り込んだ。


「うおォォォォォッ!!」


 彼らは死兵だ。生きて帰るつもりはない。

 狙うは敵の指揮官、あるいは兵糧庫。

 混乱に乗じて火を放ち、少しでも敵の出血を強いる。

 その鬼気迫る特攻は、一時的にではあるが、5000の軍勢を押し留めるほどの勢いを見せた。


4.蹂躙の足音


 だが、多勢に無勢。

 圧倒的な物量の前には、個人の武勇も、精緻な罠も、砂の城のように脆かった。

 罠は死体で埋まり、矢は尽き、刃こぼれした刀だけが残る。


「……鬱陶しいですね。数で押し潰しなさい」


 後方で戦況を見ていたアガサが、冷ややかに呟く。

 彼女の指示とともに、控えていた本隊が動き出した。

 蟻の群れのように湧き出る兵士たちが、傷ついた防衛線を物理的に踏み越えていく。


「ひっ……いやだ、来ないで……!」


 洞窟の入り口を守っていた少年兵が、槍の林に囲まれ、なすすべなく貫かれる。

 女たちが築いたバリケードも、質量という暴力の前にあっけなく崩れ去った。

 燃え上がる里。逃げ場を失った生き残りの部隊は、自然と村長の屋敷へと追い込まれていった。


5.修羅の家


 村長『牙』の屋敷は、朱に染まっていた。

 そこは、かつて村人たちが酒を飲み交わし打ち解けるような場所ではなかった。互いに腹を探り合い、不可侵条約の中で牽制し合いながら、それでも外敵から身を守るためにギリギリの均衡で寄り集まっていた場所。

 だが今は、鉄の臭いと臓物の臭いが充満する、死の舞踏場と化していた。


 四方は敵だらけ。壁の向こうからは、壊れた楽器のような悲鳴と、肉を叩く音が響いている。

 囲炉裏からは火の粉が舞い、破れた障子の隙間から黒煙が流れ込んで視界を遮る。足元の畳は、すでにたっぷりと血を吸って、踏みしめるたびにグチョリと不快な音を立てていた。


「ここが死に場所だ! いくぞ!!」


 上座を背にした牙が吠える。全身に矢を受け、まるでハリネズミのような姿になってもなお、その闘志は衰えていない。

 残った数十名の忍びたちもまた、目が血走っていた。死への恐怖を超え、修羅と化している。


 その混沌の只中で、ルナだけが異質だった。

 彼女は、笑っていたのだ。


「……んッ、にゃッ!」


 トン、とルナが跳躍する。

 彼女が蹴ったのは床ではない。壁だ。

 重力を無視するように壁を駆け上がり、高い天井のはりへと音もなく着地する。

 頭上からの奇襲。猫族の本領発揮だ。


 梁の上から、獲物を見下ろす捕食者の目。

 彼女は重力に従って落下しながら、直下の兵士の兜の隙間――首筋の柔らかな一点に、逆手に持ったクナイを深々と突き立てた。


 ドサッ。

 兵士が崩れ落ちる。その体を盾にして、ルナはさらに奥へと滑り込む。


「遅いぬ」


 突き出された槍の穂先を、しなやかな体躯をひねって紙一重でかわす。

 すれ違いざま、手首のスナップだけで放たれた手裏剣が、槍兵の眼球に突き刺さった。


「ぎゃあああッ!!」


 絶叫が、ルナにとっては心地よい音楽だった。

 返り血を浴びるよりも早く身を翻し、次の獲物へ。

 狭い屋内、障害物の多い空間こそが彼女の独壇場。机の下を滑り抜け、鴨居にぶら下がって反動をつけ、三次元的な軌道で死を撒き散らす。

 彼女が通った後には、音もなく崩れ落ちる死体の山が築かれていく。


「吹き飛べぇぇッ!!」


 父である牙もまた、最後の力を振り絞っていた。隠し持っていた火薬壺を敵の密集地へ投げつけ、轟音と共に爆発を起こす。

 肉片と木片が飛び散り、屋敷の柱が一本、また一本と折れていく。

 その崩壊の最中、トバリもまたルナの死角を守るように、背中の十字傷を歪ませながら敵を切り伏せていた。


 だが、その奮闘の裏で、悲劇は起きていた。

 敵の増援が、破壊された壁の大穴から雪崩れ込んできたのだ。


「いやぁぁぁ! ルナ様ぁぁぁ!! 助けてぇぇ!!」


 悲鳴が響く。ヤヨイだ。

 彼女は数人の屈強な兵士に取り押さえられ、髪を掴んで引きずられていた。

 必死に手を伸ばし、畳に爪を立てるが、その抵抗は虚しく引き剥がされる。


 ルナが梁の上から一瞬そちらを見やる。

 だが、彼女とヤヨイの間には、新たに乱入してきた重装歩兵の壁と、爆発で燃え広がった炎の壁が立ちはだかっていた。

 今、あの炎を突っ切れば、自身も火だるまになる。


「……待っててにゃ。すぐ迎えに行くぬ」


 ルナは小さく呟くと、あえてヤヨイから視線を外した。

 助けるためにこそ、今は目の前の敵を排除しなければならない。

 クナイを握り直し、眼前の敵の心臓を貫く。

 ヤヨイの絶望的な叫びは、兵士たちの怒号と燃え盛る炎の音にかき消され、屋敷の外の闇へと遠ざかっていった。


6.狂気の撤退


 夜が明けようとしていた。

 屋敷の床は血の海となり、踏み場もないほど敵味方の死体が折り重なっている。

 それでもなお、生き残った忍びたちは止まらなかった。


 腕を斬り落とされても噛みつき、足を貫かれても這いずり回り、自爆覚悟で敵を道連れにする。

 体力が尽きることのない、死兵の集団。

 その異常なまでの執念と狂気に、攻め手のメネシス兵たちが恐怖し始めた。


「こ、こいつら……死なないのか……?」

「化け物だ……!」


 圧倒的な数を誇りながらも、兵士たちの士気は崩壊寸前だった。

 これ以上の消耗は無意味だと判断したのか、あるいはその不気味さに本能的な忌避感を覚えたのか。

 遠くで撤退の合図となる鐘が鳴り響いた。


「……引くぞ! 一時撤退だ!!」


 アガサ率いる軍勢が、波が引くように里から去っていく。

 後に残されたのは、半壊した屋敷と、静寂、そしておびただしい数の死体だった。


 血の海の中、ルナは小さく息を吐き、ヤヨイが連れ去られた方向を静かに見つめていた。

 その瞳に、敗北の色はない。あるのは、所有物を奪われた者の、冷たく静かな怒りだけだった。



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