エーデンベルト偵察
雪上車を停車させ、尾倉は操縦席から…湖越しで一キロ先に佇むその巨城を眺めた。
西日を背にした旧シバ城が黒々とした輪郭でこちらを見下ろしている。…西洋の城、と聞いて誰もがイメージする、正にその荘厳な姿だ。
…居城の規模だけで言えば、アルダガルドには敵わないがブレメルーダよりも巨大だ。…今は炊事の時間か、城の各所から火災とは違う穏やかな煙が立ち上っている。
(領主の癖に随分と贅沢な城だが…防御への備えも忘れてはいないな)
車体から降り、後続するクロエを待った。
「尾倉殿、お待たせしました…!」
「…馬を休ませてやれ。ここで夜営する」
この城を制圧すればリノーシュ王との約束は果たされる。…何より…例え望んだ形では無いとはいえ、領主不在で宙吊りのままの領民の心に一筋の方向性を示す事はできるだろう。リノーシュは必ずや善政を敷いてくれるだろう。
…問題は領主不在の間にその地位を簒奪したであろう地元の貴族連中だ。…敗残兵や流入してきたならず者をまとめ、あの城に籠ったらしい。
…皮肉にも、パープルハートの獅子奮迅の戦いぶりが敗兵を追い立て、あの城への合流を成功させたようなものだ。…今度は2000やそこらの兵ではあるまい。…ブレメルーダ防衛戦終盤、三万の敵戦闘部隊は二万以下にまで減らされていた。…さすがに二万近い兵がそのまま残っている事は無かろうが、最低でも5000は見ておかねばなるまい。…流石に今度は十倍以上の敵だ。いくら大淵の可愛がった精鋭の少女騎士達でも、まともに当たれば熱した鉄板に落とした水滴のように蒸発するだろう。
…千里眼持ちの賢王とはいえ、そこまでは見抜けなかったか。
肝心な大淵は敵の小癪な罠にかかったらしく、一日ないし半日だけ遅れるという。…本当に、トラブルメーカーと言わざるを得ない因縁の持ち主だ。
「…こちらは独自に敵地偵察に向かってくる。 …夕食の準備にまた当番の騎士を二個小隊、60人貸してもらう。 …日が完全に落ち切り、完全に無明となるまで火を使う事は厳禁とし、また、火は天幕等で極力光を隠すように頼む。 …それまでに下拵えを全て済ませておくよう伝えてくれ」
「…尾倉殿が偵察を?」
クロエは意外そうにオッドアイの美しい眼を瞬いた。
「…意外か?」
「あっ、いえ」
「…安心しろ。野外行動の経験は大淵より長い」
そう言い置くと踵を返し、地図とコンパスを手に、かんじき…ワカンを履いてスキーを背負った。
…高々2年の経験値だが。
それでも野外行動や冬季スキーでも尾倉は自他の評価以上の実力を持っていた。…そもそも、尾倉は自衛隊…若しくは他国の軍隊と言う組織に於いて、「極めて優秀な兵」ではあるが、「兵隊」としては最悪だった。…本来なら集団行動より個々の能力の高さが必要となる特殊部隊…その中でも単独行動をメインとする集団に入るべき人材だった。
極端なコミュニケーション障害を持ち、大淵小隊のような最も心を許す仲間達にさえ必要以上の言葉を滅多に喋らない尾倉だった。…射撃能力・格闘能力・機動力・忍耐力・精神力・判断力…兵士として必要な素質を人並み以上に持っていたが、最も肝心なコミュニケーション能力が欠如していた。…また、感情表現に乏しい尾倉は、その屈強な体躯と強面のおかげでいじめこそ無縁だったが、周囲もまた彼を敬して遠ざけていた。…勿論、それは自分に問題があった事だが。
…結局、自衛隊には馴染めず、再び飲食店で働くことになった。…しかしどこへ行っても自分の人格は受け入れられた物ではなく、職を転々とする毎日だった。
そんなある日…21の時、自分に発現した能力こそ狂戦士の職業スキルだった。
…まさかスキルまで他者から敬遠され、単独行動に特化したモノに巡り合うとは思わなかったが。…それでも転々とする職にもウンザリしていた為、自分はソロ探索者として活動を始めた。
…そうした折、ひょんなことから知り合った川村に紹介されたのが藤崎、そして大淵と黒島だった。…あの二人に至っては自分達をチンピラとでも思ったらしく、ボロアパートの二階から黒島に掴まって逃げだして行ったのには思わず笑ってしまったが。
狂戦士と言うハズレ職業は本来、単独行動者にとっての天職だった。味方に迷惑を掛けるリスクも減り、一日に実質二回までの致命傷に耐えられる。…変身前に受けた傷と、変身後に受けた傷だ。…流石に頭部を潰されればダメかもしれないが、それ以外では手足も復活時に回復し、心臓への致命傷も回復した事例が確認されている。…現状、最も不死に近い職業だ。
…それでも大淵の不死身と言えるまでのしぶとさには負けるが。
森林の中に溶け込み、敵地の全景を窺った。城と湖を囲うように迂回する街道があり、シバ城を囲む湖…地図上にはクレセントレイクとあるが、成程シバ城を三日月のように南から東、北までを囲んでいる。
同じく西日に影を伸ばされた城下町が、城の背に隠れるように広がっていた。…両岸まで平均一キロ前後ある三日月の湖が、天然の要塞になっている。 特に南側は一切陸地が繋がっておらず、そちらからの侵攻は渡河能力でも持つ部隊でなければまず不可能だろう。…遮蔽物一つ無い湖上で狙い撃ちにされても平気な部隊であれば、だが。
森林が途切れたため、山地に登って樹林帯に向かった。 …その湖も北川からは陸地に繋がっていた。そこには街道もあり、城下町にも繋がっていた。…攻めるならここから西側しかない。城下町にも部隊が駐屯しているのか、炊事の煙が上がっていた。
高性能双眼鏡を取り出し、各所を見やった。…中隊規模が六、七…十… 別エリアには…
一旦双眼鏡を下ろし、もう一度炊事場を中心に敵の数を再確認した。 …間違いない。
尾倉はスキーに履き替え、山中を滑って大隊の元へと戻った。
辿り着いた時には出発から既に三時間以上かかっており、日はとっくに暮れて夜の帳が落ち切っていた。シバ城と城下にはポツポツと明かりが灯されいた。 …少女達は言いつけ通り、天幕のシートを張ってタープとし、その下で火を強くし過ぎないようにしながら、昨日の道中で狩ったエーデンデールの肉入りシチューをじっくりと煮込んでいた。
「ご苦労様です、尾倉殿!」
クロエが駆け寄ってきた。
「警戒は?」
「腕利きの騎士中隊を回らせております。敵の暗殺者であろうと必ず発見してくれます」
「そうか」
「どうぞ、夕食が出来るまでお休みください」
「…助かる」
クロエは10式へと戻る尾倉の背中を見送った。 入れ違いに、臨時でメノムらの代わりに中隊を率いているリリンが歩み寄ってきた。
「一人、軽い凍傷に掛かりましたが治療中です。今の所、周囲に異状ありません」
「御苦労。引き続き交代を守りながら警戒を」
「はっ。…その、尾倉様はダイス様に比べると少し怖い方ですね」
「そうか?あれこそ日本の古武士の風格というものなのだろう。お前達が怖がるのも無理はないな」
「…ダイス様は古武士では無いのでしょうか?」
「…一概には言えんが、ダイス殿は武士や騎士とも違うような気がするな。ダイス殿はダイス殿なのだ。…なかなか珍しい御仁だろう?」
「はい、確かに」
リリンも熱心にダイス殿を追いかけていた一人だ。…ダイス殿と尾倉殿ではまったくタイプが違うが、どちらも根が優しく穏やかな所に違いは無い。 …たしかに尾倉殿は言葉が短く端的ゆえ、勘違いしてしまいそうになるが、長い言葉を発するのが苦手なだけなのだろう。
夕食を摂り終え、警戒要員以外の兵が寝静まった頃、微かな物音にクロエは目を覚ました。
…これは、例の白い雪車の音か。
外に出ると、尾倉が出迎える先に、ライトの光を下向きにして覆いをかけて光量を殺した雪上車が到着した。操縦席にはアリッサが座っている。
「お疲れさん、日菜子、アリッサ」
「ライトほぼ無しで進むのは神経が疲れマスねぇ」
「ダイス殿、皆さん、ご無事で何よりです」
「いやー、つまらん道草を食わされた。…折角来てくれた三バカにも怖い思いをさせただけだったぜ」
「…ダイス先生、三バカって何ですか!?それから私達、あのくらいで怖がってなんかいません!」
メノムに鋭く睨まれ、慌てて大淵は訂正した。…ラナは不思議そうに、パルムはジトッと非難がましく大淵を睨んでいる。
「す、すまん、言い間違えた。名物三人娘だったな」
「ふん、三バカで良いではないか。お似合いだぞ」
…マオの奴はやたらと三バカ…三人娘に絡む。…決して馬が合わないとか、険悪という訳ではなさそうだが…
「…マオ様、言って良い事と悪い事があります。…訂正していただかないと後悔する事になりますよ?」
メノムが険しい顔で、マオの前にずいと立った。だがマオは涼しげな、小馬鹿にしたような顔を変えずにメノムを見上げている。
「ほぅ、どう後悔させるというのだ? …バカ1め」
「…ラナ、パルムッ」
マオの背後からラナとパルムが抑えつけ、脇をくすぐった。
「なッ…うひゃひゃひゃッ!?ひ、卑怯だぞ貴様らッ!わーっ!?」
「卑怯呼ばわりは敗者の負け惜しみにして最大の讃辞です!」
「わひーッ!? な、何をしておるリザベル!?こ奴らを引き離せぇッ!」
おずおずと助けに割って入ろうとしたリザベルの肩を大淵が叩いた。
「ああ見えて楽しんでいるんだ、邪魔しちゃいけない」
「ダイスーッ! おのれーッ!」
「しっかり反省しとけ。 尾倉、俺達の飯なんて残ってるか?」
「…十分に作らせてある」
笑い泣き転げるマオと三バカをよそに、大淵達はテントの一つに入った。
「…敵兵力は一万。満足な火砲も無い現状、常識からいえばとても相手にはできんだろう」
「…テルモピュライの戦いよりは遥かにマシだろう。 …丁度いい時間だ。これから攻撃して攻略する」
大淵の口から思わぬ決定を知らされ、尾倉は目を剥いた。…とても大淵の下す判断とは思えなかったからだ。
「…性急だな」
「…実は来る途中で旅人から不穏な噂を聞いてな。…シバ軍の残党と隣国から流れ込んだ魔物が結託して一万の連合軍を結成したと。…で、女だけの部隊ってのを皆殺しにすべく向かっているらしい」
「…お前の言っていた奴の仕業か」
「恐らくはな。…それが本当なら逃げ場はどこにもない。…仮にあったとして、その行く先々の人間を巻き込む事になるだろう。…流石に俺とお前、アリッサの収納を合わせても何百人も収納できないしな」
…そもそも、収納は魔法石所有者が死んでしまった場合、その死体を事情を良く知る仲間が回収してくれない限り、魔法石ごと収納した人間が永遠に封印されてしまうリスクもある。…あまり気持ちのいい避難場所では無いのだ。
「あの…例の転移の魔法石を使って日本に逃げれば…」
香山が思いついたように提案した。
「…俺も考えた一つの手だが、五百人も移動するとなればいくらスムーズにいっても小一時間以上かかるだろう。…仮に時間に余裕を持って行ったとしても、今度はもう一つの問題が出て来る」
「…味方の後続か」
「ああ。リノーシュだって一個大隊だけ送って城でのほほんとしている訳じゃ無いだろう。どのくらいの規模かは分からんが、陸軍が少ないブレメルーダだと総勢が1万…せいぜい、大奮発しても3000の援軍を送ってくるのが限界だろう。…俺達が逃げた場合、その援軍…もしかするとリノーシュ自身か、俺達のように黒島達が率いているかもしれん。…皆まとめて敵中に孤立する可能性が高い」
そして彼らは転移の魔法石を持っていない。本当に逃げ場無しで魔物を含む大軍を相手にすることになる。
「…援軍が来る事をアテに…信じてここを攻略し、今度は攻撃に備える。…粘って耐えている内に敵の背後から味方の援軍が来てくれる…そんな展開を信じて戦うしかない」
無線で連絡を取り合えれば逃げるにせよ戦うにせよ楽なのだが…戦いにおいて味方との情報通信が、戦力どうこう以前にいかに重要かを思い知らされる。
「…皆にはどうか俺の判断を信じてもらいたい」
…こんな判断を下したくは無かったが、判断を迷っていれば…或いは一見安全そうに見える転移による退散…これらを選べば、取り返しのつかない事になる予感があった。
合理的に考えれば転移でさっさと避難するなり、斥候を送るという手もあるのだが…今はそんな事で時間を無駄にしてはならない気がする。
「…わかりました。 紫心騎士団はダイス様について行きます」
今回の主役となるであろうクロエが表明した。
「…了解した」
尾倉も既に腹を決めているようだ。…他の皆も異を唱える者は居なかった。
…信頼がこれほどありがたく…胃をえぐり取るような痛みになるとは思わなかった。
…もし、自分の勘と判断が間違っていたら、皆を地獄へと突き落としたことになる。…そしてそれは、その時にならなければ正しかったかどうか、分からない。
「…全軍の準備が整い次第、夜襲を掛ける。…十分すぎるくらいに準備しておいてくれ」




