ナイトメア
朝八時前…ヤーナは私服に着替え、あの教会の前に佇んでいた。
程なくして、あの小さな男が教会の方から不機嫌そうに歩いてきた。
「…何の真似だ?」
男は左右を見回し、大淵らがいない事を確かめると、見下したように…(実際はヤーナに見下ろされているのだが)笑った。
「…昨日の人達とは別れてきました。お願いです、ラーマを探しているんです。…何でもしますから、どこにいるか教えてください」
教会の鐘が八時を知らせた。教会前広場には村中の人間が朝から暗い顔で集まって来る。男女は問わないが、十代から40代までの、比較的若い人間達。…その中にラーマはいなかった。
「…そんなに会いたいなら、ここでこいつらと一緒に働いてもらおう。…そうすれば会わせてやる」
「…わかりました」
他の住民たちと共に、教会の中へと進む。…祭壇の前で聖職者の二人が住民たちを待ち受けていた。
「…皆さん、本日もありがとうございます。…それでは…」
例の重厚な扉の鍵が開けられ、地下室への扉が開けられた。
「待ちな、嬢ちゃ…ヤーナか!?」
後ろから大柄な男が声を掛け、驚いた顔を見せた。
「ホルべさん。…お久しぶりです」
「ブレメルーダへ仕えていたんじゃないのか…?まぁいい、ここに来ちまったなら仕方ない。…最初は怖いだろうから、俺が先に行くよ。…怖いバケモンがいるが、傷付けてくるわけじゃないから、あまり怖がるなよ?」
「は、はい…」
ホルべの背に付いて階段を下りる。下り切って左側には上に繋がる階段…例の厳重に封印された扉から、微かな光が漏れているが、地下室は朝でも真っ暗なままだ。 …その地下室に住民たちが後から続々と入って来る。
「…いいか、目の前に来ても大声を出したりしなければ何も起きない。…ただ、眼を瞑っていればいい。…そのうち嫌な夢を散々見る事になるが、それだけだ。怖がらなくていい」
「は、はい…」
漆黒の闇の中から、何かがヒタヒタと石で作られた床の上を近づいてくる気配。…恐らく裸足。生物的な足音が、恐怖を一層掻き立てた。
やがて、闇に慣れた目に体をくねらせながらこちらに向かってくる人影が見えた。
一体だけ…酷く痩せた人間にも見えるが、どう見ても人間ではない。灰色に近い肌をくねらせ、ホルヘに次いで…ヤーナを覗き込んだ。
「ッ…」
昨日、あの不思議なからくりで見て居なければ、悲鳴を上げてしまっていたかも知れない。…何とか悲鳴を堪える。
「…よし、あとはただ時間まで待つだけだ。…嫌な話だが、トイレはそこに下へ降りる窪みがあるだろう?…最悪だろうが、あそこへ行ってくれ。…ただし、奴が離れている時にな」
ホルべが小声で説明した。
「…嫌でなかったら漏らしたって構わん。 …大抵の奴は最初、動くのを怖がってそうしていた」
「…襲っては…来ないんですよね?」
「…大声を出したり、やたらに注意を引かなければ大丈夫だ」
…ホルべとヤーナの囁き声に反応したか、ヒタ、ヒタ、ヒタと足音が近づいてくる。
「…」
二人の前で止まると、ヤーナの顔を再び覗き込んで来た。
(…声さえ出さなければ…)
目を閉じ、震えて耐えた。
「ヤーナ」
(え…?)
聞き覚えのある声にドキリとした。…ラーマ?
しかしラーマがここに居る筈は…それに、居たとして何故声を出しているのか…これは幻聴に違いない…そうだ、幻聴…
「ヤーナ、たすけて」
…確かに聞こえる。耳元で直接話しかけて来る。
「ヤーナ、ヤーナ、ヤーな、やーな…」
しつこく呼びかけられ、薄らと目を開けてしまった。
「ヤーナ、俺、こんな体にされちゃった」
あの化け物の顔がラーマになっていた。
「ッ…!」
それでも悲鳴と嗚咽を堪えた。
暗転。
夜の森を歩く自分。 …両脇の深い森から誰かの視線を感じる。
「大丈夫だよ、ヤーナ。俺が守ってやるから」
いつの間にか隣にラーマが居た。ボサボサのくせっ毛に日に焼けた肌。優しげな顔立ち。間違いなくラーマだった。
「ラーマ!よかった…」
「危ないから、はやくこの森を抜けよう。…来て」
ヤーナの手を取り、月が照らすささやかな明かりを頼りに森を駆ける。
「私、教会の地下に…あの化け物が…」
「怖い夢でも見てたのか?まったく…お前は昔から怖がりだったからな」
ラーマは幼馴染だが、兄のような存在でもあった。…隣同士、貧乏な家の育ちだったが、一緒に砂浜でよく遊んだ。そしてよくからかわれた。…自分が誰かにいじめられると、ラーマはいつでも助けに来てくれた。 …意地悪で悪戯好きな…勇者でもあった。
そうか、今までのが夢だったのか…考えてみれば、自分が王城に勤められる訳が無い。自分は今もあの集落で…父と母も生きていて、今は漁で釣れた魚を捌いて、干す…そんな手伝いをして生きていたのだった。 そう言えば、来月には…ラーマとの結婚も控えていた。…なんでそんな大事な事を忘れていたのだろう?
行く手に大きな影が立ち塞がった。
周りの森からも男達が退路を塞いで現れる。…盗賊…!
「逃げろ、ヤーナ!」
「でも…」
「早く!」
背を押され、前に立ち塞がった男の脇を通り抜け、必死に走った。
あれ、なんで…
足が、ふわふわとして思うように前に進まない。…確かに走るのは苦手だったが、こんな動きじゃ…
水中でほぼ全身を浸かりながら、底を蹴りながら進むようなもどかしさ…こんな動きで逃げられる訳が無い。
案の定、盗賊の男が難なく追いつき、殆ど進めない自分を捕らえた。
いやだ。
たすけて、ラーマ
ラーマが来てくれたが、彼は既に手足を切り落とされ、顔は別人のように殴り崩されていた。…それでも辛うじて片目だけは見えるらしく、血と涙を流しながら自分を見下ろさせられている。
男達の手が自分の衣服を剥ぎ取りにかかる
いやだ…いやだ…!
「もう嫌だぁああ!」
誰かの悲鳴で悪夢から目覚めた。
目の前に悪夢は居たままだったが、その化物は声の主を振り返り、向かっていく。
「ば、馬鹿、気は確かか!?」
叫んだ若者の隣に居た男が急いで座らせようとするが、若い男は隠し持っていたナイフを抜き、怪物に向かっていった。
しかし難なく頭を掴まれてしまった。…その骨と皮しかないように見える外観からは想像もできない怪力で、化物は若者を高々と持ち上げた。
「アッ、あああッ!」
メリメリ、と骨が軋む音が響いた。
(ヤーナ!)
自分の中から聞える声…ダイスさんの声!
「た、助けて下さい、皆さん!」
言われた通りにイメージする。部屋の中にいる皆をここへ…
大淵が飛び出し、怪物の腕を斬り払い、素早く男を連れて跳び退った。
ギャァアアアアア
続いて出されたアリッサが怪物の元に駆け付けると、勢いそのままに回し蹴りを食らわせた。
「よく頑張ったな、ヤーナ!」
黒島がヤーナの頭に手を置いた。…その仕草がラーマを思い出せるのと安心させるのとで、ヤーナは思わず泣き出してしまった。
突如として現れた六名の奇妙な出で立ちをした騎士達の登場に、住民は動揺を露わにした。
「安心してください!ブレメルーダから派遣された調査隊です。リノーシュ王の名の下に皆さんを必ず保護します!」
大淵が声を張り上げて言うと、住民たちは安堵したように…或いは落胆したように崩れ落ちた。
…こんな危険な事で些細な日当でも、それが貴重な収入源になっている側面もあったのだろう。…だが現に今、こんな方法がいつまでも続く訳が無いという事が証明された。
アリッサの回し蹴りで昏倒していた怪物…ナイトメアが起き上がった。
大淵、香山、斎城、アリッサ、黒島、浮田の六つの探照灯に照らされ、ナイトメアが眩げに手をかざして獰猛な唸り声を上げた。
やがて、ナイトメアが咆哮を上げると、大淵達の脳裏に…それぞれがトラウマとする悪夢の光景が流し込まれた。
「…ッ」
皆がそれぞれの抱える悪夢を見せられ、苦悶の声を上げた。…アリッサが特に苦しげに頭を抱えている。
「ぐっ…すげーな、眼を閉じても開けても強制的に見せられるとは……けどよ…」
(そんな作り物の悪夢より、もっと酷い現実の悪夢を経験しているんでな)
…ガキの頃、母親に連れて行かれた銭湯で同級生の女の子と遭遇しちまった事とかな!
騎兵刀の護拳を鳴らし、ナイトメアに迫った。
一閃。
白刃が煌き、異形の怪物は真っ二つに崩れ落ちた。…それこそ悪夢のように、跡形も無く消滅していった。
「…映像は記録してある。これだけ目撃者もいるしな」
「もう大丈夫です、皆さん。順番にここを出て下さい」
斎城の声に促され、住民たちは放心した顔で階段を上って行った。
「お前らはここから出さん!」
固く閉じられた鉄扉から、あの小男の声が響いた。
…脳筋よろしくぶち破っても良いのだが…
「藤崎、尾倉、突入頼む」
『任せろ!』
『了解』
…程なくして、扉の向こうから騒がしい物音が響いた。
「な、何をする、無礼者め!わかっているのか!?私は…」
鉄扉が開け放たれ、外の光が差し込まれた。
例の小男が縛られ、聖職者二人が項垂れていた。
「…あなた方は聖職者でしょう。どうしてこんな事に加担を?」
「…全てお話します」
昨日の夜、特に気を病んでいた方の聖職者が口を開いた。
…半年前、領主の家来がこの村にナイトメアを持ち込んだ。…その時のナイトメアは幼体で、幼子程のモンスターで、この状態では通常、野宿している人間や小動物に忍び寄り、悪夢を見せることでマナ…魔力やSPの本質的な力を奪い、糧とする。
「…最初の内は本当に簡単な仕事だったんだ。コイツの居る部屋で数時間、ちょいと嫌な夢を見ているだけで、一日50ベル貰えた。それで六人家族が四日間は確実に食っていける。この村じゃ、魚も思うほど取れないし、羊も稼ぎにならない。皆喜んで仕事にしたよ。…モンスターを商売にするなんて、本当に馬鹿だった。ナイトメアはどんどん成体になっていった」
ホルべがポツリと零した
成体になると、ナイトメアの脅威度は格段に跳ね上がる。それまでは殺しとは無縁だが、刺激すると相手を殺してそのまま食らう。また、悪夢の内容も子供が見る様な怖い夢というレベルではなくなり、人の精神を蝕む物となり、貪欲にマナを貪る。
…これだけなら住民がこの仕事から手を引けばいいだけなのだが、成体となったナイトメアは、マナの供給が立たれるとより敵対的になり、人家を襲い、直接人を殺してでもマナを奪うようになる。…これまで住人からマナを吸い上げ続けた分、そこいらのモンスターとは別格の戦闘能力も有していた。
大淵達ほどの戦闘能力を持った戦士でなければ、退治は困難だった。…精神力が弱い者など、あの悪夢を見せられた時点で精神崩壊してもおかしくない。
この村を惨劇の舞台としたくなければ、住民が何十人かずつ、ローテーションしながらマナを供給し続けなければならない。…しかしマナを与えればナイトメアはより凶暴に、力を増していく。 悪循環が出来上がってしまっていた。
最初は数人の選ばれた住民だけが行っていた仕事だが、次第にその数も増えていった。
…そして三週間前、ついにラーマにも声が掛かった。…とはいえ、最初の内は家来の指示で意味のない、簡単なフェイクの仕事をさせ、彼を安心させたのだろう。
「じゃあ、ラーマや皆さんから手紙が来なくなったのは…?」
「…ラーマが手紙を書いていた事がバレた。…それで住民全員が外部へ漏らさないよう、見せしめに…」
「ま、まさか…」
「…死んではいない。だが、ナイトメアの相手を一人で一晩中させられて…精神を病んでしまった。…多分もう元には…」
「そんな…」
「…自宅には居ないと言われたが、今はどこに?」
「…こちらです」
聖職者たちが招く先は、昨日の聖職者たちの私室だった。…その部屋の奥には壁に隠し部屋があり、底に六台の簡易ベッドと六人の人々が横たわっていた。
「ラーマ!」
ヤーナの呼びかけにも反応せず、ラーマは上の空で何かをブツブツ呟き続けている。
「…桜、ヒーリングを試してみてくれ」
「…はい」
香山はラーマのからだと頭部に向け、ヒーリングを施したが…やがて止め、大淵に向かって首を振った。
「我が見てみようか?」
マオが患者達を覗き込んだ。
「うむ、魅了で書き換えできるな。…加減して、打ち消してやれば…」
「うっ…お、俺は…」
ラーマが苦しげに起き上がった。
「ラーマ!」
「ヤーナ!?どうしてここに…?」
「…一件落着だな。マオ、他の患者も頼むよ」
「うむ、高くつくぞ!」
大淵は仕上げの為、聖職者たちと小男の前に戻った。
「あなた方の事は見なかったことにします。…聖職者なんですから、自分の身は自分で正してください。…そんでもって御宅は青髪の牝王とやらの元へ連行します」
「こ、こんな事をして、どうなるか分かっているのか!?」
「知ったことか」
そう吐き捨てると男を尾倉に任せ、教会を後にした。




