6億5100万
「私をこんな部屋に一人置いていくつもりか!?」
「他にどうしろって言うんだ!?」
アパートで、朝食のウィンナーと目玉焼き、トーストにコーヒーという、定番ブレックファーストを献上した直後の喧騒だった。
昨夜は散々酒盛りに付き合わされて、こちらが寝かけると怒鳴られてはまた飲まされという地獄を味わわされ、ようやく満足して寝たかと思うと早朝、ソファで寝ている所を叩き起こされ朝食を催促された。
お前は腹減らないんだろう、と反論すると、「だから食べなくていいという事にはならない」と返され、結局早朝から起こされる羽目になった。…おかげで寝不足気味だ。
朝食を差し出し、自分はこれからギルドに行くので留守番を頼む、と…至極当然の頼みを言ったまでだ。そこから今に至る。
「お前の仕事ぶりを見てやろうと言うのだ、連れて行くが良い」
「冗談じゃない!俺には家族が居ないと、仲間達は俺よりも俺の事を知っているんだ。お前が行ったら大騒ぎになる!それに、拠点にはお前の嫌っている女の子達も全員揃っているんだぞ。ついでに怖いお兄さんも二人いる。大人しくここにいろ」
「むむむっ…だが、お前よりお前に詳しいとはどういうことだ?」
「あー、それは…」
「…ふむ。ほほぅ…お前も中々どうして奇怪な奴よのぅ?」
勝手に思考を読まれるのは嫌だが、言葉による説明が要らないというのは何とも便利でもあるな、と、初めてその能力を評価した。
「…とにかく、そういう事だ。…なるべく早く、夕方には帰ってくると思うから、俺が帰るまでここで大人しくしておいてくれ」
「…嫌だ!行かせん!」頬を膨らませ、腕を組んで戸口に立ち塞がる。
「お願い致します!何卒、何卒、魔王陛下!」情けなく土下座までして必死に懇願する。
ピロリン、とスマートフォンが鳴った。慌てて見ると、いつの間にか大量のメッセージが届いていた。昨夜の騒動、そして酒盛り、早朝からの大騒ぎとあって、スマートフォンなど見ている暇もなかった。
「グループメッセージ…黒島から二件、斎城から二十件、香山から…三十三件…」件数の中にはビデオ通話も含まれている。
「よう、大淵。拠点に居ないみたいだが外泊か?」
一番最初は黒島からのメッセージだった。
宴席の際か、いつの間にか連絡先を交換させられていたアリッサからは一件。
「情婦デスか? XD」
「いやぁ~ん、ケダモノぉ~Xо」と黒島。
「……ッ…」
スマートフォンをテーブル角に叩きつけたい衝動を必死で堪えた。
そのアリッサの投稿を期に香山と斎城のメッセージが爆発的に増えていた。アリッサの投稿が十一時。
恐る恐る、先ほど気付いた最新のメッセージ欄に目を移す。
途中、香山や斎城の「大丈夫ですか?」「どこにいるの」というメッセージが見えた。
最新のメッセージは…香山から。
「これからご自宅に向かいますね!」
慌てて電話を掛ける。間を置かず、香山が出た。
『大淵くん、大丈夫!?何かあったんですか!?』
「何もない!心配させてすまなかった。携帯が不調でな、メッセ―ジに気付けなかったんだ!お騒がせしてすまない!これから拠点に戻るから!」
知らず、早口で捲し立てる。
『あ…そうだったんですか…あ、わ、私、てっきり大淵君が具合を悪くしたのかと思って…今、アパートの前に来たんだけど』
ゾッとして、魔王を押し退けて玄関近くの窓をそっと開け、外を伺う。
…果たしてそこには…香山と斎城の姿があった。
おお、神よ…我に試練をお与えになるんじゃねぇ。
「悪かった、今、出るよ!」
「行かせんと言っただろう!」
『あの、…今の声は?』
「テレビだ。切るよ」
通話を切上げ、魔王をひょい、と退かした。
「頼むよ、今回だけだ!帰ってきたら何でも言う事聞くから!」
「ムッ、言ったな! 男に二言は無いな?」
「…」
「なら行かせ…」
「無い!二言は無い!」
「良かろう、行って来い」
「冷蔵庫の中にあるものは好きに飲み食いしていいからな!」
部屋を飛び出し、素早くドアを閉めて施錠する。無論、中からは簡単に開けられるが。
「いやー、斎城まで来てくれてたのか!二人とも、わざわざすまない」
…香山と斎城は怪訝な表情を浮かべている。
「…たく、アリッサと黒島には参るぜ。人が返信できないのを良い事に…」
これは本心からの台詞だったからか、二人もようやく頷いた。
「とにかく、何も無くて良かったです」
「そうね。…昨日は楽しかった?」
「…?…楽しいって?」
「ううん。何でもない」斎城が微笑む。
挨拶代わりのカマかけだ。斎城との付き合いもそれなりになってきた。このくらいで襤褸は出さない。
路肩に停められたSUVに乗り込み、拠点へと向かった。
「よお、大淵!昨日はお楽しみでしたなぁ?」
「…ああ、お陰様でな」
オフィスに入ると、元凶である黒島とアリッサをひとしきり睨みつけた。
「そんなに見ツメられたら、恥ズカシいデス!」頬を押さえるアリッサ。…気色悪いことに、黒島まで同じポージングをしてお茶らけている。
こいつらには何をしてもエネルギーの無駄使いだ…。自分のデスクに着いた。
「まま、そうつんけんするなよ。…どれ、一つ冬の怪談話でも披露してやるよ」
「この冷え込む朝っぱらに、か?」
「そう。それも怪奇…消えた異世界少女! …これがまた笑えない怪談でな。昨日、お前が保護した少女がいただろう?」
「…ああ」…今は家にいる。
「なんと、昨日の夕方、隔離室から消えちまったんだよ!幽霊みたいに、な!ただ、これが幽霊話で終わらせられたら笑い話だったんだが、困った事に少女のサンプルはしっかり残されていた。…そして」
「…そして?」
「少女は幽霊じゃ無かった。監視カメラの映像が残っててな。隔離室の看護官が少女の異変を感じて駆け付けた途端、少女に見つめられるとぼんやりと立ち尽くして、隔離室から少女をそのまま素通りさせちまった。駆けつけた医官ら三人も同じく、ぼんやり君になっちまった。…その後、公園に出た少女は公園内の警備要員に次々話しかけつつ、悠々と公園を出て行ったそうだ。今、看護官達と公園スタッフは大絶賛聞き取り調査中だ。…ただ全員、口裏合わせじゃ済まない程その時の記憶だけ無くなっているそうだ」
「そんな事が…」…あるんだよな、これが。
「ああ。どうやらスキル保有者だったらしい。しかし妙だよな、お前らが見た時は何のスキルも無かったんだろう?」
「ああ、間違いない」それは本当だ。
「イエス。確かに見マシタ」アリッサも同意する。
「それで…その後の足取りは?」
「…公演からこの拠点方向へ向かった所までは分かっているが、そこから先の行方は分かっていない。今、警察が都内の監視カメラを徹底的に洗っている所だ」
「…そうか」
なら、遅かれ早かれ自分がその少女を連れ回していた事が判明するだろう。
考えてみれば当然のことだ。この大都会に一体何台の監視・防犯カメラがあるか。警察がそれを当たれば、例え裏路地や人通りが無い場所へ隠れても、この大都会の中で隠し事はできない。
唯一監視されていないとすれば、下水道くらいだろう。
「この拠点にも元からカメラが付いていたんだが、生憎と故障していて、修理は後回しになってた。だがまぁ、いずれ足取りは掴めるはずだ。まさか勝手知ったる日本、って訳でも無かろうしな」
「…そうだな。ちなみにサンプル検査の結果は?」
「病原体やら寄生虫は一切検出されなかった。放射能が無いという奇妙な点があったが、あの世界だからかね?その意味ではむしろ、俺達より綺麗らしい。 …だが問題はそこじゃない。血液型がこの世界に無い新型だったらしい」
「そ、そうか。輸血の時に大変だな」多分、必要ないのだろうが。
…とにかく、いつまでもこのまま魔王を自分が囲っている訳には行かない。
かといって、ギルドや政府に突き出す気もない。魔王自身に決めさせれば良い。
手に入れた国益をむざむざ手放すような事だが、元々、保護したのは自分だ。第三者にあれこれ言われる筋合いは無い。
…必要とあらば、奴が無事に向こうの世界に帰れるよう、ささやかながら手伝う覚悟もある。
だが、考え得る最善のシナリオとしては、魔王と日本が協定を結ぶ事だ。そこから恒久平和への糸口を探り、互いの利益をすり合わせ、行く行くは平和条約を締結できれば大円団だ。
…いや待て、それこそ面倒ごとになるのか?
今の日本は…例えるなら、治安の悪いカジノの中で、馬鹿みたいな独り勝ちを占めているガリヒョロメガネ君だ。その卓の周りには、有り金を全部溶かした…とまではいかなくとも、遊ぶ金が欲しい筋肉ムキムキ、人殺しを屁とも思わない、極悪メンズが取り囲んでいる。
…本心はガリヒョロモンキーになど微塵も興味が無い自由のビッグガイが、頼もしい顔で「ツイてるな!でもここは危険だから、俺が傍にいてやるよ!」と眼鏡君の肩を叩く。
他の真っ赤な友情クラブは「イカサマだ」「分け前を皆で分けるべきだ」などと囀りながらナイフをちらつかせる事だろう。 …もちろん、ビッグガイはナイフを持った相手と、ハリウッド映画さながらの正義のバトルアクションをする漢気は無い。 ガリヒョロ君に「お前の取り分くれてやれ」とアドバイスくらいはしてくれるかもしれないが。
卓の中心で踊るのは魔王だ。…アイツなら実際、嗤いながら踊るだろう。
下らないが、あながち間違いでもない妄想劇を繰り広げる大淵を見つめ、アリッサが笑いかけた。
「ドシマシタ、大淵? 黒島のホラーストーリー、ソンナに怖かったデスか?」
「あ? あー、怖い怖い。…何が怖いって、俺の手柄も消えたのが一番怖いよ。まぁ、無事ならいいんだが」
「ふーん?デモ、無事だと思いますよ。…世界一安全な場所にいると思いマス」二ィ、と口の端を上げるアリッサ。
「そーそー、なんたって日本だし。まぁ…変態野郎も居るけど。 すぐ見つかるよ」と川村。
「…だな」
「さて諸君、今日の業務だが…」
その日は今後のゲート向こうの世界における調査の方針と自衛隊との打ち合わせ、また、現時点における日本各地から編成予定の大規模応援部隊についての説明などがなされた。
それによれば今後、彼の世界…便宜として名付けられた「魔界」調査の為、日本各地のギルド加盟会員の中から、応募とオファーを併用しての精鋭集めが行われるという。勿論、能力優先で採用されるが、百人近い枠は既に半分以上が埋まり、能力と実績を厳選しての採用が行われているという。
魔界調査に当たっては、前回設置したベース1を拠点にしつつ、少女を保護した廃墟を目指し、今度はそこにベース2を設置し、山脈を越える足掛かりにするという方針が決まった。
最後に設けられた質疑応答の場で、思い切って質問してみた。
万一…魔界に首領が居るとして、それを捕虜とした場合、どう扱うのか。
国の担当者は、その質問には「現時点では想定していない」と答えるだけだった。自衛隊関係者は「武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律」に準拠して対応すると答えた。
全員から奇異の目で見られつつも、
「あらゆる可能性を考えるのが危機管理の原則ですから。…たとえそれがUFOだろうと」
などともっともらしく締めた。
夕方。四時あたりから、無性に時間が気になった。
(アイツ…大人しくしているだろうか…)
ようやく業務が終わる六時半、黒島のお茶らけた終了宣告を聞き流し、手早く荷物を纏めに掛かった。
「よう、大淵、飲みに行くのか?」
「いや、少しな」そう言葉を濁し、足早にオフィスを出た。
「すまん、また外泊するから、何かあったら連絡してくれ。…今度は大丈夫だ」
大淵が去ったオフィス内に静寂が訪れる。学校に通っている星村以外、全員が腰を上げずに大淵の背を見送っていた。
「これは…どうやら私の推理に間違いは無かったようだな、アリソン君」
「ハイ、ケーブホ殿。ン?黒島、推理シテマシタっけ?…しかしこれは間違いありマセンねぇ…」
ニヤニヤと悪だくみ顔で大淵の出て行った戸口を見つめる黒島とアリッサを見て、香山と斎城は呆れ顔で互いの顔を見合わせた。
「うぅむ。まぁ、確かに大淵の様子はいつもと違うな」と、藤崎。
「…放っておけ」 腕を組み、全く興味を示さない尾倉。
「そうはいくかよ、マブダチじゃんか!」と川村。
「これより大淵大輔の大追跡を行う。全捜査員、出動せよ!」
「…はしゃぎ過ぎだよ。大輔君にだってプライベートがあるんだから」斎城が窘めた。
声こそ静かだが、透き通った声は同時に強い意志を持っていた。
「…」黒島はばつが悪そうに苦笑し、悪ふざけを取り下げるかという時。無表情で斎城を見ていたアリッサがにんまりと笑顔になった。
「…じゃあ斎城サン達は待機デスネ♪ケーブホ殿、イキマショウ!」
「…」斎城が忌々しそうにアリッサを睨む。
「ご安心クダサイ、例えどんなショッキングな現場を目撃したとしても…斎城サン達には言いません。プライベートを他者にヒロメルような事はイケマセンからネ…。逆に言えば、プライベートを他者に広めズ、本人にも悟られなければ誰も傷付かないのデス」
「…っ」
「デハ黒島ケーブホ、案内をオネガイシマス!」
「あ、ああ…」
アリッサに背を押され、黒島は大淵の跡を追いかけさせられた。
「遅いぞ」
玄関を潜るなり、魔王は本来の姿で、ソファのど真ん中に鎮座してテレビを見ていた。言葉に反し、口元はわずかに笑っている。目の前のテーブル上には大淵の部屋にある全ての雑誌や本、ポストに放り込まれたチラシなどが広げられていた。
「すまん」
「良い。…この世界でも戦争はあるのだな。しかも人同士が争って居る。お前の国は侵攻を食い止めているのか?」
「…まぁ、そうとも言えるのか」
これからはどうなるか分からないが。目の前の魔王を見つめた。
「ん?私がどうかしたか?」
「あー…飯の前に話がある。」とはいえ、考えは筒抜けだろうが。
「ふむ…なるほど、私の処遇か」
幸いなことは、モンスターと魔族・魔物は違うという事だ。 魔王の直接の配下ではなく人間と動物のような関係性だという事だ。つまり、モンスターによる被害は動物による災害と同意だ。この状況下にあってまだ、日本と魔王軍は戦争をしていないのだ。
従って、ここにいる魔王はこの世界で何ら犯罪も犯しておらず、罪に問われる事は何一つない。
…寧ろ、昨日の強行偵察で緊急避難とは言え…こちらが魔物を攻撃している。
「ああ、ヘルハウンドなら私が一時不死の加護を施してやったから、無事だぞ」
「そ、そうなのか!?すげーなお前…」
「うむ!崇め奉るが良い!…まぁ、お前達に殺されたカロンはダメだったが…」
「…」
「ああ、待て、馬鹿者!早合点するな、責めているのではない!あの時カロンは己の信条と我を思う心に従い、お前達を襲った。お前達はそれを打ち破った。それだけだ。どちらに善も悪もあるまい。それに、カロンは憎しみで動くような者では無かったしな」
「…すまん、気を遣わせたな。あー、これからの事だが、個人的には大ごとになる前に魔界…あっちの世界に帰るか、この国の指導者との会談を勧めたい。いずれの選択をするにせよ、俺は全面的に味方する」
「当然だ。お前は私の下僕だからな」
「…で、どうする?」
「うむ。会談で良いではないか」事も無げに即答する。
「そ、そうか。わかった」
この国の政府なら…良くも悪くも…相手に対して高圧的にはなりにくい国柄だ。 最終的にはお互いウィンウィンな関係を築いて終われるのではないか、と楽観的な期待が過った。
…卓外の外野連中が、それを大人しく見守っていてくれるとは思えないが。
ただ、彼の世界において…恐らく自分達と同じ姿の…異世界人類を滅ぼしたことは念頭に置かねばなるまい。そして国民感情を考えれば、それによる一定の距離も必要になるだろう。
…待てよ
それについて、何か…何か根本的な…致命的な見落としがあるような気がしてならない。
だが、自分の頭のキャパシティでは、それ以上考え付くことはできそうになかった。思い出せないソレは、服の中に入り込んだ小さな虫のようなムズ痒さを残した。
「…まぁ、いいか」
目の前のコイツが、少なくともこちらの世界では何一つ疚しい所の無い存在だと分かれば、それでいい。何の病気も持たない事は自分達の検査時から分かっていたし、これで大手を振って外を歩ける。
パスポートやら在留資格やらは限りなく黒のグレーだが…。
「何だ?パスポートとは?何かの呪文か?」魔王が純真な目で不思議そうに見上げた。
「…まぁ、魔法書みたいなもんだ。さて、そうと決まれば…」
後顧の憂いは断った。さっさと警察にでも通報して、少女を再び保護し、彼女の正体について知った、というシナリオで国に掛け合っていくか。
いや待て…ギルド上層部を通した方が楽か?お偉いさんの方がこういう事に関してはパイプもノウハウも圧倒的にあるだろうしな…
魔王が会談に前向きな事、彼女が何一つ咎を背負っていない事で大いに気が楽になり、大淵はあれこれと今後の方策を思案した。
「ダイス、会談もよいが、食事がしたい。今日は何を献上してくれるのだ?」
「あ、ああ。さて、どうするか…」
我に返り、冷蔵庫の中身を確認した。…ビール、牛乳、パン、買い置きの総菜、その他保存食…そのまま食べられる物は、ものの見事に何もかも無くなっている。野菜類は…そもそもこの自宅から生活拠点を引っ越したため、何も残っていない。
「あー、また外食にしよう。ちょっとしたお祝いだ」
これから忙しくなる。きっと、魔王が政府首脳との会談と各種交渉に臨むにつれ、自分は蚊帳の外に出される事になるだろう。…もしかすれば、これで当分、お別れになるかも知れない。
「…何だと?」
魔王が見上げた。
「え?」
「お前と離れ離れになるなら会談は無しだ。ここにいる」
「まて、それなら大丈夫だ。お前がそう望めば、俺も帯同を許されるさ」
慌ててそう付け加えた。
「…そうか?」
「ああ、こちらの首脳だって、お前と会談して、平和条約を締結したい筈だ。無体な事はしない」
「…なら良い」
安堵した。あやうく、ようやく手の届きかけた最良のシナリオがおじゃんになるかと思った。
「捜査員が、容疑者のアパートを包囲する…」
黒島が警察特番よろしく状況をセルフナレーションする。
背後の斎城は鬱陶しそうに溜息を吐いた。
「被疑者、の間違いじゃないの?」
「ふふん…斎城、お前には気の毒だが、アイツは案外モテるからな…あまり期待し過ぎて、現実に裏切られると、傷も深くなるぜ」
「…」
「香山サンも斎城サンも来てくれてタノモシ—デス!やはり、助け合いはナカマの基本デスよネ!」
「…あなた達が無茶をするといけないから、私が無理矢理お願いしたの」
「あ、いえ…私もその、大淵君の様子が気になって」香山は正直に白状した。
「ンー、香山サン、スナオ!大淵はスナオな女性に弱いと見マシタ!きっと、連れ込んでいる女の子も香山サンみたいなタイプデスね!」
「…」
香山は何とも複雑な、辟易したような苦笑いを見せた。
「サテ、ケーブホ、ドウシマス?」
「…よし、配置についてから突入だ。全員、忍び足で行くぞ」
「ラジャー!」
「は、はい…」
「…」
極めて怪しい四人組が階段をぞろぞろと忍び足で進み、大淵の部屋の扉周りに待ち伏せた。
その異様な光景を見かけた通行人が、足早に立ち去っていく。
(やっぱりやめれば良かった…)
斎城は羞恥心と共に軽い後悔を覚えていた。特に、四人の中でも突き抜けて背の高い斎城は、その美貌も相まって嫌が応にも注目を引く。
「ケーブホ殿、中から声がシマス!女の声です!」 アリッサが小声で叫ぶ。
「見損なったぞ、友よ…一線を越えたな…突入!」台詞に反し、黒島の顔は悪戯心と喜色を露わにする。
不意にインターホンが鳴り、大淵は顔を上げた。魔王と自分の洗濯物を外の洗濯機に放り込もうと、洗濯カゴに詰め込んだ所だった。続いてノック。
「開けろ、FBIだ!」
「開けナサイ!CIAデス!」
「まったく…あの馬鹿共は…」薄々察しては居たが、やはり尾行してきたか。
(だがもう、隠す意味も無いか…)
魔王は片眉を上げ、不思議そうにドアを見つめている。
「間に合ってるよ、帰れ」
「情婦を連れ込んでるんデスネ!?フケツデス!」
「…じゃあ開けてもいいが…騒ぐなよ」
鍵が開けられ、ドアがすんなりと開く。ドアの間から顔を出した大淵は、斎城と香山の姿を認めて苦笑した。
「香山…斎城まで。…二人とも、ご苦労だな」
香山は顔を赤らめ、頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ…」
「わ、私はこの人達の見張りだから…」
大淵がいかがわしい行為に及んでいないのは明らかだった。だが、先頭の二人は悪びれるどころか、好奇心も隠さず、隙間から部屋の中を覗こうとし、大淵から脳天チョップを頂戴して悶絶した。
「ノ~ッ!フジョ暴行デース!」
「暴力反対!戦争反対!平和を守れ!」
「だったら喜べ。戦争回避、平和も守れるかもしれんぞ?」
大淵が不敵に口の端を上げるので、黒島とアリッサも「おや?」と顔を上げた。
「…へぇ、お前にしちゃ随分粋な事を言うじゃないか。それで?どういうことだ?」
「ふぅむ? 初めて見るアホ面だな。いい道化になりそうだ」
大淵の肩から顔を出す魔王。人間の変身は解いている。
「…」
「…」
黒島とアリッサが笑顔のまま固まった。アリッサは徐々に表情を消していく。黒島はと言うと、笑顔のまま凍り付き、口だけ震わせはじめた。
「い…いやぁああああーッ!!」そのまま甲高い悲鳴を上げた。
「うるさいぞ、いい加減にしろ!」階下の住人が下の廊下から怒鳴る。
「あっ、はい、すみません!」そして、瞬時に気を取り直した。
「…とまぁ、そういう事だ。隠していて悪かったな」
大淵は一行に経緯を説明した。魔王は相変わらずソファに鎮座し、大淵はその隣に座るよう命じられ、他の皆は是布団に座っている。
「そうか…いやー…何というか…お前、何かととんでもない大物釣りあげて来るよなぁ」
「…まぁ、今回に限っては、同感だ」
「…いやしかしコイツは…うーむ…」
黒島の顔は浮かない。香山と斎城は最初こそ魔王の容姿に驚いていたが、今は落ち着いている。代わりに、やはり黒島同様浮かない顔を向けていた。
アリッサだけが無邪気な笑顔で足を投げ出し、足先をぱたぱたと上下させている。
「…どうしたんだよ。今すぐにとは行かないだろうけど、こうして魔王も平和の為の労力は惜しまない姿勢だ。それの何が悪いんだよ?揃って浮かない顔して」
「…ホントーにオヒトヨシサンですねぇ、大淵は。でも私、そんな大淵がベリーラブデス!」
代わりにアリッサが口を開いた。
「…何がだよ」
その質問をスルーし、アリッサはにこやかな顔を魔王に向けた。
「…マオーサマ?あなたの軍勢の兵力はどのくらいデスカ?」
…兵力…確かにその計算は抜けていた。
基本的に、ポテンシャルを持つ大国同士の和平とお付き合いは、お互いの戦力が拮抗して初めて成立する。…とるに足らない小さな国相手であればその限りでは無いが、基本的に、軍事力の差があり過ぎると、相手国を奪ってしまおうと戦争に発展する事もあるのだ。 シーソーと同じだ。
「きひひひひひひ! …聞いて腰を抜かすな? 我が栄光の魔王軍。その威容を教えてやろう!」
得意げに腕を組んだ魔王が、ソファの上にちょこん、と立ち上がった。
「闘将・バルべス率いる精強無比な魔族戦士隊、およそ一億! 鉄将・ゴルゲ率いる魔王軍ゴーレム隊五千万!並びに魔王軍術師隊百万! そして獣将・ヒューノ率いる魔王軍主力、五億! 総軍、六億五千万超の、最強無敵の魔王軍だ! どうだ、恐れ入ったか!?」
部屋に沈黙が流れた。誰もが目を剥いて茫然自失し、さすがのアリッサも表情を消して息を飲んでいる。
「…少し大げさすぎないか?…本当の所はどうなんだ?」自分の乾いた唇を動かし、声を絞り出す。
「本当、とは?」
「だからその…本当の総数は?」
「まったく…聞き逃したか?六億五千万超えだ!…数字の桁が分からんのか?」
6億5000万…
地球の総人口こそ82億超えだが…それがどうしたという戦力差だ。人口の殆どは戦力外だ。
では軍隊はと言うと、世界最強と謳われる米軍ですら138万人。 中国が200万、ロシアが150万…自衛隊、わずか22万…。
しかも、この数字の中には後方支援部隊や、事務・司令部関係といった重要な役割…戦闘に向かない数も含まれている筈だ。
モンスターより遥かに組織力と知能があり、戦闘能力も高い魔物がこの世界に侵攻すれば…どの国も遅かれ早かれ、破滅は免れられまい。
…そして現状、その最恐無敵の軍勢の矢面に立たされるのは、自衛隊という22万の防衛組織。
滑稽なまでに悲劇は続く。各国軍隊の数字には予備戦力や、公には知られない隠し玉もあるだろう。仮に…あり得ないことだが、志願兵や女子供・老人、病人も武器を手に立ち上がり、世界の戦闘人口が60臆に膨れ上がったとしよう。
6億5000万という魔族に対して、スキルの恩恵が得られるのはそのうち一体何人か。…世界中で40万程度。
自衛隊よりは多いが、彼ら…自分達のような人々を中心として戦わねばならないのだ。
6億以上の、今までのモンスターよりも遥かに手強い相手と。
ダメだった。大淵の脳内のシミュレーターは、何度、どれだけ人類に有利な最大条件に設定しても、滅亡という結末は変えられなかった。
「…ナカナカ過激な話デスねぇ」
流石のアリッサも、頬を引きつらせながら笑っている。
…彼女がどこの組織に属するかは知らないが、恐らく自分以上にこの状況が…いかにこの世界が滅亡に近い場所にあるかを理解しているに違いない。
…演技には見えないその様子からしても、米国情報機関の予想をも遥かに裏切る内容だったのだろう。
「…仮に、そんな魔界と日本だけ仲良くなって見ろ。世界中が日本をどう見るかな?」
裏切り者…世界の敵…少なくとも、世界経済とは完全に隔絶され、想像を絶する混乱に見舞われるだろう。
「ふぅむ。お前達人間も難儀な生き物だな。文明が複雑すぎて、互いに根を絡め過ぎているのだ。だから相手を切れば、結局は自分の手足も切る事になる。今更変えようも無いがな。」
その通りだ、と思った。
だからこそ人類がここまで発展してこれたのだろうが、こと魔界に対してそれは弱点でしかない。
「だが安心せい、ダイスよ。お前は我が寵愛の元、庇護を約束しよう。そして行く行くは我が夫となり、魔界も、この魔王軍もお前の忠実なる力となるのだ! この果報者め!その幸せを噛み締めるが良い!」
「勘弁してくれ…」 大淵は頭を抱えた。
…6億5000万の魔王軍?世界? …頭がパンクしそうになる。
…俺達は何て連中を相手にしようとしているんだ…? こんな強大な相手と交渉なんてできるのか?
「…寵愛?夫? …何の話かな?」香山と斎城が殺気を放ち始める。
「それは勿論…」魔王が絶壁のような胸を張って答えようとする。
「待て、止めてくれ!頼むから!」
大変な事になった…。 先ほどまでの浮かれた楽観ムードや、和平条約の世界など、きれいさっぱりと消えてしまった。
自分の精神世界でムンクの叫びをしながら、なんとか自身の精神崩壊を防ぐのが精一杯だった。
上層部への報告は、一笑に付された。そんなバカげた戦力が存在する筈は無い。その自称・魔王に騙されているのだ、と。 与えられた指令は継続調査だった。
いかなるリスクも見逃さず、笑わず、真剣に向き合ってきた我が国も、その途方もない天文学的数字の前に目と耳を塞ぎ、自分達の見たい現実…殻に籠ってしまったらしい。
気持ちはよく分かる。
仮に…米日中露の、夢の大連合が実現したとしても、その正規軍の数はたかだか600万程度。…そこから更に、後方支援部隊・軍属の数を差し引く気力は起こらなかった。
考えてみれば、我が国は敗ける事を知らない。
独立戦争以来と真珠湾、そしてテロ。それ以外は他国へ武力侵攻する戦争・作戦は星条旗の星の数ほどあれど、その本格的な武力侵攻を自分達が受ける事は無かった。
パールハーバーは知っていても、第二次大戦で徹底的に破壊され、緩やかな国民洗脳まで受けた日本人の方が、敗ける事への恐怖心は薄いのでは無かろうか。
もっとも、今度の相手がその程度で済ませてくれる保証は無かったが。向こうの人類の様に、絶滅させられる可能性も依然として存在し…戦争になれば、それは現実となるだろう。
もし戦争となり、魔王軍が嘘偽りない大軍で、それがモンスターとは別物であるというなら…この島国と人々は最初の生贄になるだろう。そして日本の滅亡後、日本を中心として世界各国が処刑執行を待つ罪人の列のように、ゆっくりと滅びていくのだ。
核と経済崩壊で自滅するのが先か、魔物の物量で圧死するのが先か、の違いに過ぎない。
アリッサは湯の中で自分の胸を見つめた。
自慢の胸を穢す、消えない火傷跡と傷跡。どの男達も、ベッドでこの傷を見ては顔を顰めた。その後に掛ける言葉は様々だが、その違いはどうでもよかった。さっさと寝て、仕事を済ませるだけだったから。
今でも思い出して笑うのは、萎えて逃げ出した男だ。あれは実に面白かった。危うく仕事も失敗するところだったが。
(大淵はどんな顔をしマスかねぇ?)
…忌々しいことに、演じた、陽気なステレオアメリカンの口癖が染み付きつつあった。
さっさと終わる筈だった仕事は、よりによって大淵が思わぬ方向へと世界ごと広げてしまった。
初めて見た時から思っていたが…本当に胸糞の悪い男だ。 見ているだけで虫唾が走る。
これまで相手してきた、豚の排泄物以下の男共がセクシーに思える程に。
「…」
仕事をしてきた男達には、どんな容姿だろうと全く嫌悪感は無い。だが…アレだけは…
湯の底から現れ、足元から這い上がって来る大量の毛虫や蛆…蛭。大量の不快害虫の群体の中で、その醜い顔が現れ…脂臭い吐息を吐きかけながら私の身体を舐め上げて来る…。
「ひッ…」
恐怖し、その顔を思い切り叩く。湯が弾ける音が響き、長い髪を指先で梳いていた斎城、その隣の香山が何事かと振り返った。
「oh、スイマセン!一回やってみたかったんデス!『爆裂炎神拳』!」
「…お風呂では静かにね」斎城が窘め、再び髪を丁寧に洗い始めた。
「アイ!マム」
あの魔王は思考を読めるという。…あの部屋で思い出さなくて良かった…。
…畜生。あのイエローめ。 嫌な事まで思い出させてくれる。
訝しげに見続ける香山の視線にも気づかず、アリッサは透明な湯を睨み続けていた。




