出る杭はなんとやら
「…人間にとって、一番嫌なことはなんだろうか? …色々な意見があるだろう。だが、「もの」ではなく、「こと」だ」
心理学の授業の最中だった。「闘争時に陥りやすい心の罠」というテーマだった。…すべからず人は自分の見たい現実を真実として脳が情報をキャッチしやすくなるメカニズムからやや脱線して教師は語り出した。
「…先生の場合は…嫌な話だ、見下していた相手が、実は自分より遥かに有能で、実力を持っていたという事実を突きつけられる事だ。…知っての通り、ステータスを持つ生き物だ。…こら、そこ、マッスルポーズをするな、そのステータスじゃない。 …お金持ちだとか、運動ができるとか、勉強ができる、仕事ができる…人を引き付ける話術や、顔や容姿もそうだな。 …これが無ければ無い程惨めな事は無い。そして、悲しいがステータスの無い者は誰からも相手にされない。…これは人間のみならず、全ての動物にも言える真理だ。魅力のない動物は、いくら僕たちか聞いて美しいと思う声で鳴いても種を残す相手に選んでもらえない」
…正に俺だったな。…今はどうなんだろうか?
黒板の前で滔々と自論を展開する教師をぼんやりと見つめながら、大樹は自分の「ステータス」について考え込んだ。
「…そこまでは動物と人間も共通だが…人間は動物よりも残酷で残忍だ。それらを持たない同胞を蔑み、集団で迫害する。…タチが悪いのは、これに意味など無い事だ。…なんとなくやっているだけ。個人的な憎しみさえ無いことだ。 …だが、もしそのステータスが無いとして見下し、虐げてきた相手が、自分より…若しくは自分達より優れた存在だとしたら…? …恐怖だ。今更になって復讐を恐れ、今まで意味もなく「なんとなく」やっていたそれは、初めて意味を持つ物に変わるかもしれないな…」
木琴をイメージしたチャイム音が鳴り響いて、教師は慌てて授業内容の進展を確かめた。…やや苦笑いしながら「今日はここまで」と告げ、終了を告げた。
まだ二限か…今から昼が待ち遠しい。…今日こそはマイナー人気の為数量が少なく、品切れしやすい、C定を食べてみたい。…クソッ、どうして俺の好物ってマイナー派で、すぐに無くなるんだろう?そのくせ需要競争は結構激しくて…
「大樹君」
後ろから瑠衣に肩を叩かれた。聞き慣れた声に振り返ると、黒崎瑠衣が微笑んでいた。…相変わらずスタイルが良い。…背も自分より遥かに高く、マリーに近い。…なんか俺に優しい娘は皆背が高いんだよな…いや、俺が低いのか… クソッ、父さんだって179もあったんだ、俺だってもう少しすればきっと…
「ああ、瑠衣さん。お疲れ」
「瑠衣でいいよ」
「…なんか、女の子を呼び捨てにするの慣れなくて」
なにせ、一度もお付き合いした事ないからなぁ…いや、幼馴染の子たちとは中等部に上がって別れるまでは普通に呼び捨てし合っていたが…
…あの頃はヤンチャだったのに、こんな風に臆病になってしまうとは…
「…どうかした?」
「…いや、人は嫌な風にも変わってしまうんだな、って。 …俺も昔はもっと普通に、誰とも対等に接していた筈なんだけど…ふとしたきっかけで、今はこんなに卑屈だよ」
…瑠衣の心配してくれるような誠実な表情を前につい、口を滑らせた。
「…何があったの?」
「…ちょっとね」
…あまり瑠衣には知られたくなかった。…この他意の無い純真な心と顔に、同情を加えさせたくなかった。
「そっちは授業、どう?」
「まぁまぁかな。…実は理数がちょっと苦手」
「俺も。 …だいぶ苦手」
「よう、スーパー一年生!」
戦闘服の肩に白い二本線…二年生の先輩だ。大柄な友人らしき男子生徒を二人連れ、廊下の真ん中を堂々と歩いてきた。…小柄な一年男子がそろそろと脇に避ける。
…髪もワックスくらいで特に染めず、派手なピアスもしていない。…だが、どこか自分の悪友である寺田やヤンキー仲間達とは似ていても決定的に違う…形容しがたいオーラがあった。
「あっ…初めまして…竹内先輩」
大淵は戦闘服のネームプレートに書かれた名を呼び、礼儀よく頭を下げた。右後ろの瑠衣も品良くお辞儀した。
「お行儀良い奴だなぁ?とても学年トップとは思えねぇな」
「いえ、自分は四席ですので」
「第一次実習じゃ大活躍だったじゃないか。…なに、未来の英雄様の御尊顔を拝んでおきたくってよ」
…竹内の視線が背後に…通行の邪魔にならないようにと隠れた瑠衣に注がれる。
…何か、落ち着かない物を感じて大樹は拳を解した。
「可愛いじゃん。彼女か?」
「あっ、いえ…」
「可愛いね。名前教えてくれる?」
大樹を押し退けるようにして竹内が瑠衣に近づく。 瑠衣が更に自分の後ろに隠れる気配。
…これでも雄として備わっている原始的な本能か、進もうとするその手を掴んでしまった。
「触んなよ、カマ野郎ッ! …気色悪りぃな!?」
「す、すみません」
…確かに、遠慮がちに掴んだので、「行かないで」とでも言わんばかりのねっとりとした動作になってしまった…しかし、だからと言ってそこまで言わなくても… …早く手を洗おう。
連れの二人がゲラゲラと笑い、また予鈴が鳴ってしまった事もあり、先輩方は退散していった。
「…普通の人だったのかな。だとしたら悪いことしたかな」
「…大樹君の名前は聞かないのに、私の名前を聞くのが普通の人?」
「ああ、そう言えば確かに」
「…私、あの人苦手だな。…大樹君も気を付けた方が良いかも」
「…そうだね、何事も用心に越したことは無いから」
急ぎ足で次の授業へと向かった。
「…お前、あの大淵大樹のダチって奴か?」
「? あっ、ハイ。そうッスけど?」
…五限の授業をトイレと偽って抜け出し、屋上で遅い昼寝をしている折の事だった。
「これ。二年の竹内さんから。大淵大樹によろしくって」
一枚のそう厚くもない封筒を渡された。渡した二年生はさっさと立ち去っていく。
「…なんだぁ、野郎から野郎へ拳のラブレターってか?」
寺田は懐かしの風物詩でも見るように、微笑ましそうに封筒を開けた。…元々、封もされておらず、これ見よがしに便箋らしきものが覗いていた。
「…ンだよこりゃ…」
取り出した紙と…写真を握り潰し、寺田は携帯電話を取り出した。
「…悪ぃな、大平。…んだよ、オメーもサボりかよ、なら悪くねぇな。 …放課後、何人か兵隊連れて来れるか? …ああ、大至急頼む」
非常階段へ飛び移り…端から見れば猿のような見事な身のこなしで愛車である真紅の単車へと飛び乗り、駆けつけた教官を無視して大急ぎで学校を飛び出した。




