あるひもりのなかくもさんにであった
「…酷く鬱蒼とした森ね。毒性植物やモンスターに気を付けて。…特に寺田君、あなたはヘンにあれこれ構わないでねッ」
先頭を歩く水原が寺田に厳しい視線を送った。
「はっ、もう忘れてんのかよ、健忘症か? …コイツを見な!」
寺田がアーマーのラージポーチから取り出したのは…例の植物図鑑だった。…妙にくしゃくしゃに見えるが。
「コイツがありゃ一発だぜ! …あーっと、例えばコイツはだな…」
「一々調べてる時間が無駄でしょ!触らなければ問題無いの!」
「…ていうかなんでそんなくしゃくしゃなの?一週間前はほぼ新品だったよね?」
マキが横目で寺田を見た。
「へっへっへっ、備えあれば無礼なしってな。馬鹿共に手伝わせて、学校出る前にしーっかり揉みくちゃにしておいた」
…あの強面のヤンキーズが揃いも揃って植物図鑑を嬲り回す光景を想像して、大樹はかぶりを振った。
他の女子はもう、我関せずと先へ進み始めた。 …無礼なし、にツッコむ者すらいない。
「…何でもいいけど、もうすぐカードが見つかるはず。…とにかく全体評価が下がるから、落伍だけはしないでね。まぁ、そうしたら賭けは私達の勝ちだけど」
「舐めてんじゃねーぞ! さぁ、行くぜ、大樹。そろそろカードがあるらしいから、目を皿にして探せ!」
「わかったよ」
しかし…水原が率いる女子チーム、寺田が率いる悪たれチームどちらが必死にエリア内を探しても、見当たらなかった。 …すぐに見つかると多寡を括っていたのだが、何時間経っても全く見つからなかった。…時計は昼を過ぎた所だが、灰色の曇り空と鬱蒼とした深い森の中で、まるで夜になってしまったようだ。
…そんな陰鬱な環境もあって、目標地点だというのにいい加減に見つからず、女子チームと寺田があからさまに疲弊し、全体に不機嫌な雰囲気が蔓延し始めた頃、大樹は…捜索直後から感じ始めていながら言い出せなかった疑問を、おずおずと主張した。
「…な、なぁ、皆」
「…んだよ、昼か?」
寺田が不機嫌に頭を掻いた。
「昼も大事だけど…何か変じゃ無いか?」
「…具体的に何が?」
水原も不機嫌そうに大樹を睨んだ。
「…こういうのって、あんまり見つからなきゃ教官が教えてくれるモンじゃないのか?…仮に教えてくれないとして…教官、どこに隠れているんだ…?」
「…そりゃ、その辺の草むらに隠れてたら、俺らじゃ分からねぇだろ」
「俺、父さんに山林でのサバイバル術を習ったから分かるんだ。…ここら辺は毒草があるから、とても人間が隠れ潜むには厳しすぎる。…解答用紙の余白を見て当たりをつけるような推察だけど、俺達への安全配慮的にも、いくらなんでもそんな意地の悪い隠し方はしないと思うんだ」
「…つまり、何が言いたい訳?」
ミサが幾らか…嫌な仮説を思いついたように青ざめ始めた。
「…そんなまさか、とは思うけど…教官に何かあったのかもしれない。…そして、カードは誰かが持ち去っているのかも」
寺田と水原は「そんなバカな」と腕を組んだままこちらを見ていたが、寺田が頷いて立ち上がった。
「…んじゃ、試してみっか」
すぅ、とその厚い胸板を膨らませるように息を吸い込んだ。
「おーい、教官!無事っスかぁ!?モンスターに喰われてたら返事くれ~!」
…森の端々まで聞こえそうな大声。どこかで鳥が羽ばたいて逃げる音と、獣の鳴き声が聞こえたが……しかし返事は無かった。
「安全確認です!さ、サインでも良いので!」
大樹が手をメガホンにして叫んだ。 …これにも反応なし。
「…ヤバくね?」
寺田がさすがに事態の深刻さを悟り、水原を振り返った。瑠衣と里香も身を寄せ合うようにして周囲を見回している。
「なぁオイ、まさかとは思うが場所間違いってか?」
「あのねぇ、寺田君じゃあるまいし、間違いなんてないわ!」
女子一同が頷いた。確かに地図とコンパスを見合って、優等生の水原らしく授業で習った通りにここまで来た。…大樹自身は父から教わったフィールドワークの経験があり、その経験からしてもこの場所で間違いは無い。
「…大樹先生の名推理がドンピシャかよ…けどどうすんだ? …まずは行方不明の教官探すか?それとも花火上げっか?」
花火とは、各パーティーメンバーに一本ずつ配られた、最終手段用の非常信号花火である。リタイア以外の非常事態…パーティメンバーの病気、思わぬ大怪我などの緊急事態、そして、万一だが教官に何かあった際の手段である。
…クリアカードも見つからず、各パーティのルート上に24時間、必ず監視している筈の教官が、確認の為の呼びかけにすら応じてこない以上、花火を打ち上げる他無かった。
「…そうね、それじゃ…」
「っしゃ、俺にやらせてくれよ!」
寺田は喜び勇んで花火を荷物から取り出し、着火する準備に入った。
「…あっ、あぅ…あぅ…!?」
急にマリーが奇妙な声を上げ出し、寺田含め一同がマリーを見た。
「ん?どーした?オットセイの真似か?」
「そんな訳ないでしょ! …って…」
マリーの視線の先を見た水原がフリーズして絶句した。
釣られて大樹も見上げるが、鬱蒼とした緑葉の生い茂る木々と灰色の空しか見えない。
「…なに?」
「い、いたの…こんなおっきい蜘蛛みたいなのが!」
水原は両手を広げてこちらを見た。
「…もしかしてアラクネさんじゃない?オルド山を越えた麓でキャンプした時に見たよ」
「あ、アラクネ…あぁ、言われてみれば確かに…」
「俺が見たのは白のアラクネさん。特別指定魔物だから襲ってこないよ」
「…緑色だったけど」
「…黒でもなくて?」
…言ってから、黒のアラクネは南大陸に居るという父の記述を思い出した。
アラクネに同じ色は存在しないとされる。全てが色違いで存在するのだ。
「…まて、何か聞こえたな…」
大樹も耳を澄ませる。 …どこからか微かな人の声らしきものが聞こえる。
「…ふー…」
くぐもった声。まるで口を何かで抑えつけられているかのような…
「こっちだ!」
大樹はパーティの先導を務め、声のする方…鬱蒼とした木々の中に分け入っていった。
…と、大樹は手に感じた鋭い痛みに顔をしかめた。…グローブの隙間から覗いた手首に血が滴る。
「ま、待った! …毒草が大量にある」
…長い葉に毒々しい赤い筋が走る葉を大量に伸ばす、ススキに似た植物。葉は驚くほど鋭利で、一度切られるとそこから毒液が入り込み、暫く苦しめられる。 …よほど小さな子や弱った人間なら危ない事もあるが、早々死ぬことはない。…ただ、これで弱らせられている時にモンスターに襲われるのが最悪だ。
「ひ、ヒールを…」
「大丈夫!俺は自動回復があるから、それで相殺される。…その内治るし」
ヒールにせよポーションにせよ貴重だ。…温存しなければ。 …このスキルは本当にありがたい。
草を薙ぎ払おうと大樹は鵺啼を抜き払い、藪漕ぎの要領で皆の為に道を作った。
…しばらくすると、気の幹に括りつけられた、二メートル近い白い繭のような物が見えてきた。
「…開けてみる。皆、周囲を警戒して」
「…わかった。 …気を付けて」
水原が応じた。 …というか、いつの間にか勝手に仕切ってしまっていた。…まぁ、緊急事態だから仕方ないか。
大樹は繭に慎重に近づいてよく観察した。 …よく見ると人間の鼻が覗いていた。 …まさか。
「きょ、教官なんですか!?」
「…ふ、ふーッ!…ふふーッ!!」
弱り切った鼻息で返事をするように眉が微かに藻掻いた。
「待っていてください、今助けます!」
慎重に眉を切り離して行く。鵺啼は妖刀で、この手の粘着物を刃が喰らってくれるので切れ味が阻害される事は無い。…魚を捌くより簡単に繭を解体した。
「これは…糸か…」
「…に、逃げろ…奴が…緑のアラクネが来る…! …私は囮だッ!」
教官に突き飛ばされた。…自分の居た地面にべっとりと糸が張り付く。
「だ、大樹君、上!」
見上げるが、その巨体は八対の足を広げて別の木へと飛び移り、待機させていたパーティーの面々に向かって白い物体…糸玉を次々と腹から吐きつけた。
「キャーッ!」
「やだッ!? なにこれ!?」
「うげぇーッ! …う、嘘だろ!? と、取れねぇッ!」
メンバーが全身を糸に絡められ…ちょうど、ネズミ捕りや虫捕りの粘着剤に引っ掛かった獲物のように…白い糸を引きながら藻掻いていた。
「だ、大樹くん、助けて下さい~」
泣き顔のマリーが懇願した。…這いつくばるように捕らえられている。
「あらあら、可愛いお嬢さんたちに…美味しそうな坊や達」
「…お、大淵…逃げろ…逃げて信号弾を打ち上げるんだ!そして他の教官に伝えろ…!」
教官がふらふらと立ち上がり、サーベルに手を掛けた。
「あんなにいっぱい吸われたのによく頑張るわね、さすが先生♪ …でも、もういらないの」
目にも止まらぬ速さで糸玉が繰り出され、大樹は咄嗟に躱した。
「くッ!?」
「ぐぉっ!」
またもサーベルごと拘束された教官が膝を付いた。もう片脚にもダメ押しの一発を放たれ、地面にひれ伏す形にさせられてしまった。
「さぁて…私も女の子の血は要らないのよねぇ…ゴブリンにでもあげて、何かの肉と交換しようかな?」
…大樹の反応を楽しむように樹上で糸をブランコ代わりにして頬杖をつく妖艶な緑色の美女。…先日見た、白のアラクネの色違い…緑のアラクネだった。
「…み、皆を解放しろ…!」
「やだ♪ …って言ったら?」
冷やかすような目で笑って見せる。
「お、お願いしますッ」
…眼は離さず、武道式の辞儀をして頭を下げた。
「もっと嫌」
…興を削がれた、と言わんばかりにその視線が冷やかなものに変わった。…こうなったら最終手段。
…これだけはやりたくなかったが…仲間達の為だ。
「…一応言っておくけどな」
「…なぁに?」
「…俺の父親は、あの、大淵大輔…伝説の英雄・ダイス様だぞ?」
…アラクネの瞳孔と口が開き、その冷笑が消えた。
す、スゲェ…さすが父さん! …アリッサオススメ・アーカイブで寺田と一緒に観た、CG再現された大昔の時代劇…あれの終盤のワンシーンみたいに…この強敵が明らかに畏怖の感情を見せた。
勝ち確である。 …既に自分の脳内では荘厳なる「勝利のお説教タイムのテーマ」が流れている。
「…父さんに言われている。改心した敵は殺すな、と。…君だって食べるためにやっていたんだろう?だがもう、こんな事は止めて改心するなら…」
「そう…今日は何て良い日なのかしら。この曇り空のようにね♪」
「へっ?」
…何やら雰囲気が一気に不穏になった。…下手すると、さっきの方がまだ可能性があったくらいに。
「実はね、何年か前に会った水色のアラクネがそれはもう自慢していったのよ。…私は今後一生、世界一不幸なアラクネだ、ってね。 …何事だと思うじゃない? …聞いたら、それはそれは美味なる勇者の血の味を知ってしまったんですって。…もうこの味を知ってしまったら、どんな宝石のような美少年の血にも魅力を感じられなくなってしまったってね。 …気になるじゃない? …でも、その英雄はもう元の血の味には戻らないそうなの。だから不幸だって。 …笑っちゃうわよねぇ?」
「…まさか、その英雄って」
「そう、貴方のお父様♪ …父子なら、限りなく同じ味がするはずじゃない?」
…アラクネの眼に恍惚とした狂気が宿る。 …そりゃ、最高の御馳走を目の前にすれば俺だってどんな顔をしているか分かった物じゃないけど…
「…英雄の息子だぞ…俺に手を出せば…」
「そうね、他の子たちはしっかり隠蔽しなくちゃ。…安心して、貴方はいざという時のためにも、死ぬまで殺さないであげるから」
言い終える前に糸玉が飛ぶ。
「冗談キツイよ、こんなの!?」
辛うじて糸玉を避け、木立を遮蔽物代わりにして糸玉を避けた。 …兎に角、俺がアレに捕まったらコンティニュー無しのゲームオーバーだ…ッ!
…左腕に糸が絡まりかけ、慌てて鵺啼で切り払った。
「逃がさないから♪」
「くそぉ、何がHP50000だよ、ふざけんな!?」
しかも速いし…!序盤で出会ったら詰みって奴だろ、これ…!?
「すばしっこい子ねぇ…逃げられたら流石に困るから、本気出しちゃおうかな」
「ち、調子に乗るなよ…!」
俺だって逃げているばっかりじゃない… …日菜子さんや秋山さん、マオ姉…皆からいろんな稽古をつけてもらっていたんだ。
…そして…父さんからも。
…そうだ、あの必殺技…父さんのアーカイブにあった…
…なんで知っていたんだろう? …まだ見る前だったのに…
大樹は踵を返し、追いすがっていた糸玉を切り払った。
「あら?戦う気になった?」
アラクネが鋭利な八対の足の内、前足でおちょくるように構えて見せるフリをした。
「…ゼロ」
「なぁに?」
バースト…
「…アタックッ!」
またもアラクネが目を見開く。前足を上げてガードするが、その硬い装甲に覆われた前足二本を易々と切り裂き、ビタリと首筋に妖刀の妖しく刃を突き付けた。
「ッ!…な、なんてボウヤなの! …大人の戦士でも切れない私の足を…」
「…最後の警告だ。…まだ悪さをするつもりなら今度は切る。…余裕だよ?」
「くっ…」
悔しげに大樹を見下ろすが、既に生殺与奪の権限を目の前の幼い少年に握られた緑のアラクネは、やがて力なく降伏の意思を見せた。
「…親子揃ってアラクネ殺しでもある訳ね…殺された姉妹は居ないけど」
「…俺の勝ちだよね?」
「…そうね。凄い坊やだこと。 …でも、これからは私もこの森で大人しく…」
「あのさ、父さんは口約束で許していたみたいだけど、俺、そういうの嫌なんだよね」
「…へ?」
「勝ったんだからテイムさせてよ。…調べたんだけど、明白な意志を持って襲ってきた魔物は特別指定魔物じゃないし」
当然の権利だと言わんばかりに大樹はまたまた星村あかりが開発したテイム用結晶石を取り出した。
「えっ、ちょ……あ~れ~」
アラクネの姿が消えてゆく。
「それじゃあ、これからよろしく。アラクネさん。 …あぁ、勿論使役するからにはタダ働きなんかさせないからさ。…俺のでよければ血も少しくらいはあげるし」
…その一言で結晶石からの抗議の念は綺麗サッパリ無くなった。
「…最初からこうすれば良かったか…ああでも、どうせ近距離だし、暴れている魔物には使えないしな」
大樹は大急ぎでパーティメンバーと教官を解放しに戻った。
「そういえばアラクネさん、このくらいのカード…紙を見なかった?」
『あの男が木に掛けようとしていたので一緒に繭に包んだかと。 …大樹様が最初に斬られた繭をお調べ下さい』
「なるほど。オーケー」




