オルカ
出航、そして奇妙な漂流者を拾ってから五日が経っていた。既に南大陸側の航行は終わり、北大陸に向けて航行していた。
この日も既に一戦を終えていた。 …何としても北大陸にダイスを到達させたくないと言わんばかりに、黒い異形に取り込まれた海洋モンスターの襲撃は増えつつあった。
キングオブノーチラスの広々とした食堂の一角に、旺盛な咀嚼音が響き渡る。
大量の大皿を皿ごと食わんとする勢いで平らげていくダイスと、それとは好対照なまでに…静々と紳士の手本のように洗練された仕草で肉を切り分けて口に運ぶフローズィアが並んで昼食を摂っていた。フローズィアはフローズィアで大淵を奇異の眼で見るでもなく、そのマナーに口出しするでもなく、ナプキンで口元を拭っては斜向かいの席に着いたリノーシュと、それこそ紳士淑女の見本図のように談笑しながら食事を楽しんでいる。
「それで、漂流生活を楽しんだと?」
「ええ。見事な火山島がある島国の沖を漂いかけた時は、地元の蛮族と思われる者達とスリルある交流を。あの時は流石に身の危険を感じたものです。あそこまで蛮勇なる人間も珍しいですな」
「…うーん、位置的に考えると火の国の南側かな…」
…翻ってダイスはというと、失ったエネルギーを取り戻そうとするように忙しく料理をかき込んでいる。その両脇に陣取り合うようにラナとパルムが並び…年長…彼女らより微かに年上として、大人の対応を強いられたメノムとクロエはやや不満げに対席で食事をとっていた。
フローズィアの対席に座ったトレーシーは、はたと思い付いてフローズィアに聞いてみた。
「あの、フローズィアさん。旅先でダイスの噂とかはお聞きになりました?」
「ああ、彼も色々な所を旅していたからね。それだけ、色々な噂があったよ。その多くは真偽不明な、尾鰭背鰭がついた武勇譚であったり、彼が名乗らなかった為に真偽不明となったものが多かったがね」
「へぇ、ラブロマンスの噂は?」
ピクッ、と…向こう側の席の空気が張り詰めた気がした。 …ダイスだけはまるで意にも介さずに料理と格闘を続けていたが。
「それがゴマンとありました。…彼はあの通り魅力的ですからね。…トレーシー、君から見て彼はどうかな?」
答えるのが怖いわ!
…向こう側のテーブルに目を向けないようにしつつ、笑いながら誤魔化した。
「あはは、ガサツで良く食べてぶっきらぼうだけど、根は良い奴だなって」
そう無難に答え切った。
「僕は大好きだけどなぁ。…ああ、勿論友としてね」
「忍ぶ恋、ですか。大人ですなぁ」
「ははは、やめてよ」
「ははは、それに比べて各地ではね。…恐らく嘘でしょうが、自分こそがダイスの妻だ、この子が英雄の子だという者も各地にチラホラといたものです。…まぁ真偽は彼の記憶とともに封印されている訳ですが」
「本物もいたりしてね♪」
リノーシュが火に油を注いで楽しむ、火遊びを覚えた子供のように屈託のない笑みを浮かべた。
…一層、向こう側の温度が下がる…
「それこそロマンですな」
ダイスが料理を平らげ終えると、おもむろに立ち上がって空間から和弓を取り出した。
何事かと見上げる一同に構わず、ダイスはそのまま席から離れていく。
「あ、あの、ダイス先生?どちらへ?」
メノムが追いかけた。
「敵だ。…左翼の味方艦はダメかもしれん」
「穏やかじゃないね」
リノーシュも立てかけていた弓を取り、ダイスに続いた。
「…私達が行っても今回は後手に回るだけだな。慌てず、ここを片付けてから行こう」
遠距離攻撃能力を持たない他の少女達に言い聞かせるようにフローズィアは紅茶を啜った。
警鐘が鳴らされることは無く、代わりに激しい破壊音が穏やかな海に響き渡った。
左翼、500メートル先を護衛していた10番艦、ハンターは一発の砲弾を撃つことも敵わぬまま、中央部から一撃粉砕され、艦首を上げながら海へ沈み始めた。
…穏やかな海に不気味な殺気と静けさ、そして細かな残骸が残った。
何名か助かった乗組員が海上で藻掻いているのが見えた。
「くっ…どこに行った…!? …スティングレイだってあんなパワーは無いぞ…」
リノーシュは構えを解きながら周辺の海を見渡した。…波一つ立たない。
ダイスが縁に駆け寄ると、即座に弓矢を番えて真下に放った。
…音としては認識できないが、海中から体を何かが駆け抜けていく感覚と微細な振動。
「…奴の悲鳴だ。…だが、これ一発では死なんようだ」
「…まさかこれが…シャチか…」
ダイスの一撃に耐える魔物など、候補はそういない。
「…来る」
ダイスが弓を番えた。 リノーシュも同じ方向を狙い、メノムも片膝を付いてしゃがみ、ライフルを構えて膝射の姿勢を取った。
担当する位置の砲兵も砲座を移動させ、攻撃に備えた。
100メートルはある、シャチの…黒一色に染まった巨体が空に跳び上がった。
魚…と言うよりは、マンタをより細身に、流線型に縦長にしたような、どこか神々しさもある飛翔姿だった。 …よく見ると黒一色ではなく、その体にはびっしりと細々とした白い斑点…喜怒哀楽様々な表情のデスマスクが浮かんでいた。
銃声。そして砲声。メノムの銃弾は効果を確認できず、砲弾は全く敵の軌道に追いつかず、風を裂いたリノーシュの矢は命中するも体の一部を削いだだけに留まり、ダイスはシャチが太陽と重なる瞬間に矢を放った。 しかしこれはシャチが急激に身を捻って躱した。
…掠めた衝撃波がその体表を幾らか削る。
「チッ…」
ダイスが目を細め、忌々しげに舌打ちした。…二射目は間に合わず、それより弓を空間に戻し、紫電と炎の剣を手に取り、それぞれ左腰と右肩のハードポイントに装着した。
…当然、シャチはただ跳んでジャンプを披露しただけではなく、その体にびっしりと張り付けていた穢れを落として行った。
雨のように空から落ちてくる異形が、100メートル上空から甲板に向けて落下してくる。
ダイスは再び空間に手を入れると、散弾銃を取り…四発だけ残っていた赤いシェルを詰め、フォアエンドを前後して初弾装填した。 そして、立て続けに空に向けて発砲した。
12G・ブラッドレイン。30発もの…遊戯銃に使われるようなサイズのスチール玉が文字通り、赤く天に降りかかる雨となって四発発射されると、落下中の異形の殆どが赤い雨に貫かれて消えた。
散弾銃を空間に放り込み、今度は炎の剣を抜いた。しぶとくデッキへの落下に成功した異形が、手近にいた砲手と海兵に襲い掛かる。
リノーシュ、メノムと共に異形の群を切り裂いて回った。 食堂に残っていたチームも駆けつけた。海に落下した異形が船の縁から乗り込んでくる。
「ぐぁあああ!」
水兵が触手に捕らわれ、体が黒ずんでいく。
ダイスが瞬時に駆けつけてその異形を掴み上げると、青い光と共に異形は消え…水兵も元に戻って気を失った。
「…チッ…標的を変えた…」
「何だって…!?」
「…補給艦を破壊するつもりだ」
…船と乗組員を人質にしつつ、明らかに自分を海中戦へと誘い込んでいる。…あの巨体に電撃は効くだろうか?
「…ここは任せた」
「…すまない、大輔…」
「気にするな、リノーシュ」
肩を叩かれ、リノーシュは目を瞬いた。
…本来の大淵らしい、フランクな仕草だった。
ダイスは後方から必死に追随する補給艦へ向け、鋭く跳んだ。…武装も無しで海中に巨大な存在が居るとなれば、乗組員の感じる恐怖は相当なものだろう。
…シャチはいつでも破壊できたであろうものを、補給艦・ハーベストの周りを嬲るようにわざと荒波を立てていた。…堪り兼ねてハーベストから救援を要請する信号弾が上げられ、警鐘が鳴らされた。
シャチは和弓を警戒してか、ハーベストの影に隠れている。…とても肉眼では確認できない。気配と敵意だけが頼りだった。 …その方が目で見るより、位置関係は正確に読み取れたが。
乗組員たちの驚愕した顔を横目に海中へと飛び込み、そのまま先行していく。
…望み通り来てやったぞ
そこの見えない海底。…呼吸は必要としない。人で言うHPと、超高純度燃料であり非常燃料と言えるエーテルがこの体の命の全てだった。…例え人間でいう即死状態に陥ろうと、エーテルが残っていればすぐに体は再生し、戦闘を放棄して眠る事を許さない。体ごと一瞬で消滅させられればその限りでは無かったが、この乗っ取られたシャチにそれが可能かは疑問だった。
そして、エーデンベルトやクリスタル洞窟でたっぷりと補給したその超高純度燃料は、まだ一滴も使っていない。…その他にトレーシーが、あの男に隠して相当量の超高純度エーテルをくすねて確保してくれているのを見た。
深海から伸びてきた触手が両足と両腕を捉えた。 …紫電からの放電で、その触手は即座に力を失い、大型のオクトーが力なくノロノロと浮上してきた。
しかし、自身も放電に巻き込まれ、微かな隙が出来ていた。背後から忍び寄っていた全長30メートルにもなる巨大クラゲ…シャンデリアがダイスの体に絡みついて捕らえた。
傘の部分のみ黒ずみ、やはり無数のデスマスクがこちらに喜怒哀楽の表情を見せていた。
放電。…シャンデリアは全く動じず、その半透明だった触手類がその名の通り眩く発光を始め、逆にアーマーの隙間から突き刺した毒針で超高圧電流をダイスだけに直接流し込んできた。 …例え耐属性自慢であろうと、体内に直接突き刺されて流される毒と電撃の前ではいつまでも耐えられない。
「ッ…」
…HPが削り取られていくのを感じる。 …いくら予備…命があるとはいえ、それを当てにすることはできなかった。…それも尽きれば今度こそこの光届かず、助けなど来得ない海底で永遠に眠ることになる。
…自分が全面的に不利な海底に自ら入り込んだという事は、そう言う事だった。
…それでも、乗組員達をあのまま殺させる訳には行かなかったし、この選択を疑いはしなかった。
シャンデリアに拘束され、手はその体に届かず…海中を藻掻いた。
そこへやはり黒ずんだスティングレイが海底から現れ、ダイスの胴を巨大な毒針で突いた。…本来なら胴体が千切れてもおかしくは無かったが、独尊が半壊しながらもそれを防いでくれていた。
「ッ!」
…しかしHPが果て…エーテルが供給される。…残りエーテルは8割…
シャチは五十メートル先まで近づきつつも決してそれ以上は近づかず、配下の者達がダイスを処刑するのを見守っているようだった。
『…どんな敵が相手でも、逃げずに最期まで』
…死の際に脳裏に浮かんだ…誰かの声…誰か…?
再び胴を突かれ、今度はアーマー腹部が完全に破損し、胴が五分の一を残して繋がっている程度の重傷を負った。 …残りエーテル6割。
再び毒針が突き出される。
…いい加減、記憶を思い出そうとするのに目障りだ。
…全身に強化の赤い脈が走る。触手を引き千切りながら触腕を脇に抱え、圧し折った。和弓を取るとスティングレイを一射で沈め、伸ばされたシャンデリアの触手を掴むとそれを消した。…この和弓は水中にも拘わらず、全く初速を落とすことなく目標を射抜いていく。
…一早く逃れようとするシャチに向け一射。…皮肉なことに、宙を飛びながら身を捻られるより、水中を高速で泳いでいる方が遥かに動きが制限されており、狙いやすかった。
尾びれから口へ抜けるように矢が容赦なく巨大な身体を貫いていき…シャチは海面に巨大な水柱を立てながら肉片のみとなった。
敵の気配が消滅した事を認めて海面に浮上すると、救助に戻ってきた0番艦と鉢合わせた。
「大輔っ、無事かい!?」
リノーシュが一早く自分を見つけ、艦首から叫ぶと同時に振り返り、士官たちに船を寄せるよう指示を下していた。
…少し疲れた。…こんな時、声を出さずとも…なにかいい返事の方法があったような気がする…
ダイスは何気なく手を上げ、リノーシュに向けて親指を立てて見せた。
「……はは…! それいいね、大輔!」
リノーシュも親指を立てて返した。




