旅は道連れ世は情け
リノーシュとダイスは船の艫から、両舷の蒸気水車が描いた白波が尾を引く青い海を眺めていた。
「んーっ!良い航海日和だと思わないかい?大輔」
リノーシュが豊かな胸を逸らしながら大きく伸びをした。 ダイスは横目もくれず、離れていくブレメルーダの港をぼんやりと見つめていた。
「…ああ、そうだな」
「前もこうやって君と船旅をしたんだ。…その時は花の国、火の国と言う島国でね。そこの騎士…いや、侍や武士という戦士たちは、君のその刀と同じような刀を身に着け、君達の元の世界と似たような場所だったと君は言っていたね。 …ああ、今も花の国とは細々と国交を持っているよ。専ら、こちらが向こうへ行って取引をしてくるだけだけど。花の国は良質な金とミスリル原石が豊富でね」
「…俺は…」
「ダイス先生~、あの~」
ラナがオットリと割って入った。
「あっ、もう、ラナ。今、ダイスが何か言おうとしてたのに」
リノーシュが若干頬を膨らませながらラナを睨んだ。
「あう、ごめんなさい、リノーシュ様」
「…それで?トレーシーの船酔いがまだ酷い?」
「あ、いえ…そうじゃなくて…変な漂流者さんが」
「漂流者…?漁師かい?だったらすぐ助けないと」
「…いえ、ダイス先生もご存じの方です。見てもらった方が早いかと」
メノムが何とも言えない顔でリノーシュとダイスを促した。
0番艦キング・オブ・ノーチラスの艦首には海を覗き込む人だかりができていた。リノーシュとダイスの到着に気付くと、海兵と水兵が左右に分かれて道を開けた。
「これはこれは。高貴なる人よ、本日は良い巡り合わせを持てて幸せに思います」
…家屋の壁でも剥がしたのか、巨大な木板の上に座って釣りをする… 上等な燕尾服を身に纏った一匹のアイスオークが居た。
巨大なスーツケースまで携えている。
「本当だね。君は珍しい魔物のようだが、どうしてこんな所に?…海の魔物には見受けられないが?」
リノーシュは動じることなく、世間話を楽しむように…というより楽しんでいる。
「ええ、その通りです。…この通りあらゆる大陸を旅し、今はこうして海の旅路を楽しんでいた所です」
「旅だったのかい? …すまない、部下は漂流者と呼んだものだから、君が漂流しているのかと思ってしまった」
「いえいえ、お気になさらず。漂流者…言い得て妙です。純粋な意味で真の旅人とは、あてもなく漂う漂流者であり、ともすれば全ての人々はその波乱万丈、壮絶な人生をこうして穏やかな、そして時に時化で荒れ狂う海に例えるなら、その波間に生きる人々は生まれながらにして旅人…漂流者と言えるでしょう。…こうして人よりも人がましくある私など、正に漂流者…真の旅人と言えるでしょうな」
「とても興味深い理屈だ。…良ければこちらの船に乗り換えないかい?君との会話と哲学に興味がある。良ければ食事と紅茶もお出しできるよ」
「それはありがたい!幾ら空腹とは無縁の孤高の旅人とはいえ、魚に振られ続け、星に語らい、海と見つめ合い、この小さな板船と身を重ねるのも寂しくなってきていた所でしてね。 …あなたのような身も心も美しく、この海より深く広い知識をお持ちの方と語らえるのはこの上ない饗応です」
「…死にはしない。放っておけ」
最初に一目見ただけで甲板に引っ込んでしまったダイスが、不快感をあらわにリノーシュに言った。
「冷たい事をいわないでよ、大輔。君らしくもない」
「…奴は危険だ」
「君の方が戦闘能力は上だろう?大丈夫だよ。それに、全く邪な気配を感じないよ」
笑顔でダイスの絞りだす言い分を次々否定していくリノーシュ。
…確かに戦闘能力なら自分の方が上だろう…だが、あいつは…エーデンベルトで遭遇したアレと似た雰囲気を持っていた。…自分にとって苦手な、むず痒くなる感覚…
「…」
リノーシュを恨めしく思いながら見つめるが、リノーシュは涼し気に部下に命じて縄梯子を下ろし、そのアイスオークを引き上げた。
「お招きいただき感謝いたします、美しき王よ。私は氷の芸術家にして孤高の旅人…フローズィア・ボアホッグと申します」
「ブレメルーダ国王にして海軍提督のリノーシュ・ベイエッジです。共に旅を楽しもう、芸術の旅人よ」
「ありがたきお言葉です。 ん?…おお!そこに居るのはデューク・大淵では無いか!挨拶も無しとは寂しいな、戦友よ」
「…」
ダイスは腕組みしたまま警戒感を露わにフローズィアを睨んでいる。
「ダイス先生…私達…ダイス先生は昔、危ない所をこちらのフローズィアさんに助けられたんですよ?…あの、その節は無理を聞いていただいて…ダイス先生を助けて下さってありがとうございました」
「おお、あの時のフロイラインがこうも一層美しく…その襟元に光る勲章は、意匠からすると騎兵団長かな?貴女の栄光に心からの祝意を」
フローズィアは洗練された仕草で跪くとメノムの手を取り、その手の甲に恭しく口づけをして見せた。
…一層、むず痒くなってダイスは口を引き結んだ。
「はい。ダイス先生の教えのお陰なんです!」
「…大淵よ、妬かせてくれるではないか。こんな素晴らしいフロイラインを弟子に持てる事を君はもっと天に感謝し、誇るべきだ」
…ダイスは一層苦々しい顔でフローズィアを睨んだ。
「はっはっはっ! …どうやら、色々あったようだが…例の…レイスという勇者の亡霊には打ち勝ったようだな。あの時の君とは比べ物にならない力と覇気を感じるぞ」
「レイス…」
…一瞬、ダイスの眼に陰鬱としたものが宿った。
「…あまり思い出さん方が良い類の結果だったようだな。失礼したね」
「…」
船は再び海を進みだした。
「それにしても久しぶりでは無いか。今まで何をしていた?…何年か前の風の噂では英雄は死んだなどと聞いた事もあったが?」
フローズィアは船の縁に軽くもたれ掛かりながら、太陽の周りをカモメが輪を描く船上の空を見上げた。
「…わからん。 …気が付けばトレーシーに助けられていた」
ダイスはその隣で海の彼方…北の方角を見つめていた。…可能な限り海魔との遭遇率を低減するため、いきなり遥か遠洋には出ず、比較的浅い大陸沿いを航行しながら、ある程度北大陸に近いルートから海を渡る。
リノーシュによれば片道一週間程度の旅だという。今回はこの0番艦、1番艦、10番艦の他に、北大陸へのエーテルや各種素材、物資、燃料を積んだ9番補給輸送艦、ハーベストが追随していた。これも五年前に大破沈没したため、ウルフに先駆けて最優先で四年前に急遽建造された艦だった。
「私へのそのそっけない態度と言い、記憶喪失というやつかね?」
…お前に対しては元からこうだった…と思いたい。 …まぁ、あの銀色の奇人よりは遥かに抵抗感は薄いが…
「あたしがどうしたって?」
まだ少し顔色の悪いトレーシーが、ポーションによって幾分回復したらしく、風を求めてやってきた。
そして…当然のようにダイス達と並んで会話しているアイスオークを見て硬直した。
「ム?アイスオークを見るのは初めてかね、お嬢さん?」
「は、はい…」
「…怖がるな、おそらく無害だ」
「お嬢さん、とても綺麗な心と体をお持ちのようだ。…だがその美しい心に、アクセントとして狂おしい愛憎…嫉妬の念を抱いているのが素晴らしい。 …永遠の芸術品に興味があったら私に一声掛けてくれないかね?」
「は、はぁ…?」
「…やめておけ、恐らく碌なことにならん」
「心外だな。なんという事を言うのかね、大淵よ…私はただ氷漬けの美学という…」
護衛のウルフから警鐘が鳴り響いた。
「ふむ。…美学の欠片も無い音だ」
「…」
ダイスとフローズィア、そしてリノーシュはウルフの見える右舷へ移動した。左舷を守るのは10番艦、ハンターだ。
「進水式をしたばかりなのに早々失うなんて冗談じゃない。…艦を守り抜いて先立たれた先代艦長にも合わせる顔が無いよ。二人共、力を貸してもらえるかい?」
リノーシュが弓を取った。
「分かった」
ダイスも空間から和弓を取った。
「お任せあれ、王よ。快適なクルーズ旅行にささやかな礼をしようではないか」
拳の骨を鳴らしながらフローズィアはウルフに向け、海面に思い切り吸い込んだ息を吹きかけた。 その海面を凍らせて氷の道を作った。
「うぅむ、やはり海とは相性は最悪だな。足場は持って五分か…利用する際は気を付けたまえ。少々滑るぞ」
船を飛び降りると、フローズィアはウルフに向かってスケート選手のように鮮やかに滑走して行った。
「…死角で狙えん」
ダイスも弓を諦め、甲板を助走すると2アレディオ以上あるウルフの甲板に飛び移り、黒い触手を絡めるタコのような海洋モンスターに向き直った。
「…こんな場所まで…」
リノーシュは旗艦である0番艦の甲板から弓を番え、援護できる瞬間を待った。
甲板に伸ばされた触手を切り払い、ダイスは黒く変色したオクトーを炎の剣で斬り捨てた。例え僅かな切り口であっても、溶岩にでも触れたように発火・爆炎を起こしながら焼き消えていく。…仮面を破壊するまでも無かった。 背後から迫るクラーケンに余裕をもって向き直るが…その体が完全に硬直したかと思うと粉々に砕け散った。
甲板に踊り込んで来た黒い半魚人型の異形…海兵の剣や槍を逆に奪い取って甲板の兵に襲い掛かる異形に、その頑強な蹄による掌底を叩き込んで一撃粉砕。迫るもう一体には刈り込むような跳び回し蹴りで上半身ごと吹き飛ばして完全破壊する。
更に迫ってくる黒い半魚人をダイスの剣が切り上げ、瞬間、一人と一体の武神は敵の中を交差した。
こちらは任せても大丈夫か、とダイスがフローズィアを見た。
「面倒な小物は私がお相手しよう」
その言葉にダイスも頷き、海中を見た。海面から10メーター以上も伸びあがった黒々とした鎌首…巨大な海蛇、シーサーペントがその鎌首を持ち上げ、船に突進しかけ…これはリノーシュの正確無比な一撃によって頭部ごと消し飛んだ。
「…しかしこの黒いのは君を追っているようだな」
「…どうやら俺が疫病神らしい」
「それはそうだが、だからといって君が人々から離れればこの連中の思う壺だろうな。人間と君との距離を離し、隔てるのが連中の目的と見た。兵法の基本だからな。…その後、君をどうにかさえすれば人類を始末するのは時間の問題だろうからな。…逆の順番でも構わんわけだ」
「…」
ダイスは海中に再び目を落とした。 フローズィアの作った足場に飛び移り…海面に跳んだ。黒々とした巨大で鋭利な棘。…スティングレイの触手を切り落とし、更に真っ黒に汚染されたスティングレイ本体を炎の剣を突き刺して始末し、ダイスはそのまま海中に自ら潜航していった。
…深い海の底から無数の怪物が浮かび上がろうとしてくる所だった。
…面倒だ…
海中から紫電を抜き払い、敵に向けて突き出した。
…眼を閉じ、歯を食いしばる。
凄まじい電流が自分ごとこの周囲の海中を走った。それが浮かび上がる怪物たちを震わせ…全てが力なく浮かび上がっていく。
…自分の攻撃は流石に少々堪えた。ダイスも浮かび上がり、足場である氷に手を掛けたが、ボロボロと脆く崩れて行ってしまう。
ウルフの甲板からフローズィアが浮き輪付きのロープを放り投げた。その浮き輪に片腕を掛けて掴まると、海兵と水兵がダイスを引き上げてくれた。
海面に夥しく浮き上がっては消滅していく死骸を見つめ、ダイスは甲板に戻った。
「相変わらず無茶をする」
フローズィアに肩を竦められ、ダイスは小さく頷いた。




