緋色の空の下で
「足を止めず、隊列を崩すな!…馬を失った者、負傷した者は何としても逃げ切り、紫心騎士団と合流し、共に撤退しろ!」
ブレメルーダ越しの水平線にまだ浮かんでいる、赤々とした夕日に照らされた砂地交じりの平原を騎兵たちが駆け回っていた。
ランス、騎兵槍、サーベルに剣…それらが馬に跨った騎兵たちの影と共に、長々とした影法師になっていた。
黒獅子騎士団の新団長率いる、三個騎士大隊の救援に駆け付けた紫心騎士団…の撤退支援の為の戦いであり、我らが騎兵団1500余騎の晴れの初陣であった。
この五年間、自分が徹底的に吟味して選び抜いた…少女のみで編成された騎兵たちは、各隊ごとに機動展開し、敵集団に一撃を与えては駆け去っていき、それを追う異形の仮面を、背後から近づいてきた別の騎兵隊が貫いていく。
…ハッキリ言って、騎兵隊の活躍は…あろうことか、自分ですら信じられないほど目覚ましいものがあった。
…もっとも、これは自分が…敬愛する人からの受け売りを、余すことなく後輩たちに叩き込んだだけに過ぎなかったが。
夕焼けに対抗心を燃やすような緋色のまとめ髪を靡かせ、メノムは戦場の動向に目を光らせつつも、未だ胸から忘れられない人の後ろ姿を思い浮かべていた。
(…この騎兵団を…騎兵団を率いる私を見てもらいたかった…)
…この非の打ち所がない騎兵団を見て、どんな指摘をしてくれただろうか?どんな評価を下しただろうか? どんなに喜んでくれただろうか…
…どんなに私を褒めてくれただろうか…
…物思いに耽り過ぎた。隣を並走する副官に気取られぬよう、敢えて不機嫌に口を引き結んだ。
「…気にしないで。 …敵が何者なのか考えてただけ。考えるだけ無駄ね」
「はっ。…不気味な連中です。我らが赤の賽子騎兵団は良く戦っています」
「当然よ。 …最高の騎兵の教えを受け継いでいるんだから」
しかし…夜が迫ると共に敵の中に新種が混じり始めた。…パープルハートは撤退に成功したが、それと同時に新たに現れる敵軍団とのタイミングが悪すぎた。…敵を押し下げる為に動き回っていた精鋭部隊が孤立しつつあった。
…これが、明らかに知性を持って馬を狙って来た。
騎兵たちによって強化されている馬だが、この気色悪い生命体の触手を受け、馬の体が黒ずんだかと思うと暴れ狂って騎兵達を振り落とし、前線の騎兵が徒歩状態になりつつあった。…黒ずんだ馬はその首や腹部、尻のいずれかから馬の扁平なデスマスクを貼り付け、騎手に襲い掛かる敵の尖兵となった。
…馬を相棒とする騎兵にとってはこの上ない心理的ダメージと、屈辱である。
「…撤退を支援する。行くぞッ!弓・ライフルを使え!…どんなに助けたくとも敵に近づきすぎるな!自分が助けられる側になるぞッ!」
騎兵達はパープルハート時代同様の、機動力重視のハーフドアーマーと、今の自分も欠かさない行軍…ランニング訓練を徹底している。 攻めるのも逃げるのもとにかく速く。そして判断も早く。 …それがレッドダイスの鉄則だった。
自らの馬が変貌した化物に襲われる騎兵がいた。メノムは五発装填式のボルトアクションライフルを背から下ろし、その怪物に向けて一発、放った。
…ダイスに憧れ、射撃・弓の訓練も欠かさなかった。その銃弾も馬上からの射撃でありながら、正確に馬だったモノの横腹に浮かぶ仮面を砕いていた。 …もっとも、今のは撃ってくれと言わんばかりに狙いやすい、最適な部位にあった。 …別の部位なら厳しかっただろう。
馬の怪物が倒れ伏すの確認し、他の騎兵たちの様子を確認した。 …全体的に押されつつあった。
「後を任せた! 団員を回収しつつ、ブレメルーダに撤退してッ」
副官に本隊を任せ、単騎で救援に駆け巡った。
これでも、未だ全騎兵中最強であると自他ともに認められる汎用騎兵だった。
…あの、散々見てきた最強の背中をイメージし…槍を振るい、クリップで再装填したライフルを放ち、戦場を暴れ狂った。 その獅子奮迅の活躍により、味方と敵との間に幾分かの余裕が生まれた。
「メノム団長!?…申し訳…」
「挨拶は良い!走って!誰かに乗せてもらいなさい!」
構わずに次は敵に包囲されつつある味方を認め、その敵の背後から射撃。弾が切れると、すぐに騎兵槍に切り替え…敵を更に立て続けに二体切り伏せてから離脱した。
…離脱が遅すぎた。
後悔する間もなく、馬に触手が突き刺さり、メノムは落馬して敵中に孤立した。
「グッ…!?」
襲い掛かってくる愛馬の触手から地面を転がって逃れ、その肩に浮かぶ仮面を穿ち、退路を振り返った。
…ブレメルーダ側への戦場一帯は逃げ場も無い程の敵に埋め尽くされ、味方は遥か遠くだった。
襲い掛かる触手を薙ぎ払い、少しでも敵の密度が薄い方へ、薄い方へと逃げ延びた。
…そうして逃げた先にはルボナ山の無慈悲な岩肌が通せんぼをするように迫ってきた。
平原を覆い尽くしつつある異形の群。 …最早艦砲射撃が必要な状況だった。
散々戦って肩で息をしながら逃れる自分に、疲れの色も見られない異形たちが執拗に追いすがってくる。
…自分も捕らわれたら、あの異形たちが浮かべているデスマスクにされるのだろう…
そんな悍ましい光景が脳裏に浮かび、縺れそうになる足を叱咤し、悲鳴を上げる心肺を励ました。
何の遮蔽物も無い敵だらけの平原を、僅かな退路を求めて南西側へと走り…その先の天然橋の向こうからも湧き出てきた異形の群れ。
…いよいよ逃げ場は無くなった。
へたり込みそうになる足を奮い立たせ、メノムは左腰に下げた…大切な騎兵刀を右手で抜き払った。
…あらゆる想いや光景が脳裏を過った。五年前、クロエ団長が連れてきた…ダイスと出逢い、いきなりそれまでの固定観念を全否定される様な演説をされて、児戯同然の鬼ごっこをやって…ラナやパルムと共に協力して、あのダイスに与えた、栄光の一撃… それからしばらく共に戦った冒険の日々…あの瞬間が、自分の人生の中で最高のピークだった。 …また逢いたかった…
…五年前、噂伝いに英雄の死が伝えられ…絶望した。 …それでも、そのやり場のない悔しさを原動力にして自分を徹底的に鍛え上げ、今の騎兵団の創設に奔走した。
…向こうで会えたら
「なんて数なの…今までの比じゃない…」
ブレメルーダ側に渡る唯一の岩場である天然橋を覆い尽くし、そして平原を覆い尽くす異形の大軍。その光景に圧倒されながら息を呑んだ。
…幸い、こちらはまだ安全なようだ。…流石のダイスでもあの数では…
…なにせ、ブレメルーダのものであると思われる軍隊が追い立てられるように引き揚げている。…壁上から眩い光が閃いたかと思うと、敵の一団が地面を抉りながら消滅した。 …高位弓士による攻撃か?
海上に数隻の船が遊弋し、扇状に展開し始めた。 …何かの粘菌のように平原に増殖し、蔓延していく黒い異形の群に向け、艦砲射撃をするつもりのようだ。
「…これはちょっと無理だね。一旦引き上げて…」
ダイスを見上げると、流石に圧倒されたのか、微かに口を開けてその光景に見入っている。…いつもの険しい顔ではなく…
「ダイス? おーい、一旦退くよ?」
「…」
トレーシーの言葉にも反応せず、一点を凝視して固まっている。その視線の先をトレーシーも見るが、黒い波に覆われて何も見えなかった。…そこだけ特に異形の密度が濃いような気もするが…
「…すまん。危なくなったら逃げてくれ」
そう言い残すと、トレーシーの言葉も待たず、残像を残しながら突進していった。
「ちょ、ちょっと!?」
黒い汚泥の中に一瞬、赤く煌く髪を見た気がした。
『―――先生、実は私、先生と同じ……』
それを見た途端…その、何の脈絡もない言葉が、曖昧な女の声が…耳障りなほど脳内にいつまでも反響していた。
…思い出せないが故の苛立ちと…ひどく懐かしい思いと… 良く分からない、激しい想いが煮え滾ってくるようだった。
…酷い胸の苦しみに耐えきれず、自分でも自身の突飛な行動を理解できないまま…ダイスはその濃密な異形の群がりに突進していた。
自分の殺気を感じてか、それとも自分を察知できる機能でもあるのか、異形の群はあらゆる人間や動物、モンスターのデスマスクを貼り付けた体をこちらに向けた。
空間から拳銃を引き抜き、記憶に無くとも体が覚えているその武器に赤い脈が浮き上がり、片手で間断なく連射した。
大砲のような轟音と共に、銃弾が自分と競い合うようにして標的に吸い込まれていった。 …一発で敵を消滅させた銅色の弾頭は千切れ、砕けながら…着弾の衝撃で不作為な回転を始め…周囲の異形を幾つか巻き込んだ。
…これでは危険か…? …弾倉内にまで侵蝕した血管が弾頭を赤く染めた。
そのまま発砲すると、今度は敵を貫通し、思わぬ方向には曲がらなくなった。…だが、何のために…?
密集していた敵が見る間もなく消滅していき…その中に異形に触手を突き立てられて苦しみ悶える赤髪の若い女が居た。
…言い知れない激情が燃え狂い、女を黒く穢している異形を無造作に掴んだ。その手が青い光を放つ。
「消えろ」
それが最初から存在しなかったように消え失せ、全身を黒ずませかけていた女の体が元の色彩を取り戻して行く。
「うぅ…」
メノムは混濁とした意識のまま、気力を振り絞り…なんとか上半身を起こした。
揺らめく視界が徐々にクリアになっていき…見覚えのある人影を見た。
…擦り切れたキツネ色のマントを羽織り…あの日、あの時…そして今の今まで想い続けたその姿のまま…彼は底に立っていた。
…その顔はかつての優し気な面影は殆ど残らず、瞳は光を失って猛禽のような鋭い眼差しですらあったが…自分と視線を合わせると…微かに…微かにだがかつての…あのおどけたダイス先生のそれと同じ光が戻った。 …それだけで涙が溢れてきてしまった。
…たとえ果てる最期に見た、自身の願望から生まれた妄想…幻覚であったとしても…そこには焦がれて止まなかった人の姿があった。…これで心置きなく逝ける…
ダイスが駆け寄り、自分の元に屈みこんだ。その目は依然としてやや険しかったが…自分を気遣うように、幾分表情を和らげていた。
「ダイス…先生…私…」
…そこで神経の糸が切れてメノムは気を失った。
ダイスはメノムの無事を確認すると…再び光の無い鋭い目で肩越しに敵を一瞥した。…狩猟者、或いは処刑執行人の眼だった。
…自分の殺気を感じたのか、微かに後退る異形までいた。
…魔力による産物であろう連中に、生命や感情など感じないが…或いは乗っ取った生命体の残滓だろうか。
空の拳銃を空間に放り込んだ。 …こいつらは刀で切り刻まなければならない。…そうしなければこの激情が収まらない。
…ああ、一つ思い出した。…この使いやすい刀…紫電だ。…効率を上げるため、もう片手に空間から抜き出した剣を握った。
リノーシュは砲撃中止の信号弾を打ち上げた。 …沖合に待機していた艦隊から潮風に乗って乗組員たちのどよめきが聞こえて来そうだった。
それこそ艦砲射撃で吹き飛ばされるように、天然橋方面から戦場へと波紋が広がるように…黒い波が消え失せていく。
「あ、あれは一体…」
側近の一人が呆気に取られてその光景に見入っていた。
「さぁね…けど、心当たりはある」
リノーシュは酷く懐かしく感じた。
「それに、いつだって彼は、この国が危ない時に駆け付けてくれたからね」
向かってくる相手は瞬時に斬り捨て、逃げようとするものは…残像を伴いながら瞬時に追いすがる悪魔から逃げる術など元より無かった。
ブレメルーダ外壁に逃げ延びた異形は幸運といえた。壁上からの射撃系攻撃を自らデスマスクに受け、それが唯一の逃げ場だと言わんばかりに消滅していった。
…それ以外の異形は、どれだけ遠くに逃げようと消滅の運命から逃れる事はできなかった。死神の振るう青い刀の餌食になり、赤く輝く剣に叩き斬られ…それでも逃げ続ける大軍を殺人的な旋風が消滅させた。 黒い波が次々と消滅し…間もなく戦場に夜闇と共に静けさが訪れた。
「待機部隊は戦場を警戒・捜索。 …ただし、敵はほぼ殲滅されたものと思われる。生存者との同士討ちに注意せよ」
壁内の広場で横たえられ、手当を受ける兵達の脇を駆け抜け、それまで待機していた部隊の兵達が松明や光の魔法石を抱えて門を潜って出ていった。
…しかし、橋を渡り切った所で偵察部隊は光に照らし出された人影を前にして立ち止まった。
…黒髪の少女を従えた…懐かしい姿の騎士が…メノムを抱きかかえて立っていた。
…遠目にも、姿形こそあの生き別れた日と同じ姿だったが…彼が既に多くの呪いと困難、そして災いを背負わされている事は容易に想像できた。 …それでも…こうして再会できたことが何より嬉しかった。
「…おかえり、大輔…」
リノーシュは最愛の…親友の姿を認めて呟いた。




