オアシス
テントの中で、一部が欠けたランプの明かりを頼りにトロイの体を手当てしていた。…乾燥薬草はポーションの原料としては有用だが、そのままで使うと効果はいま一つだ。…それでも感染症を予防するため、薬草を練り込んだ布切れを傷口に当て、その上から包帯を巻く。
「…悪ぃ、姉貴…俺また足手まといに…」
「ほんとだよ。…こんなダメな弟じゃ、当分嫁にも行けやしない。しっかり働いて恩返しするまで死ぬんじゃないよ? …ほら、これを食べて、さっさと傷を良くしておいて」
干し肉と乾燥野菜を挟んだサンドイッチと水筒を手渡した。
「わ、悪ぃ…半分食ってくれよ」
「いいから、さっさと食べな」
トロイの頭を軽く小突き、襟元を掻き抱きながら冷気が吹き抜けるテントの外へと出た。
「…ちょっと狭いけど、三人くらいなら何とかなるかも」
「…」
ダイスはテントの外に座り込み、遥か彼方の一点を見据えたまま動こうとしない。
「ねぇ、寒くないの?…アンタが風邪ひいたら終わりだよ?」
「…」
「…あの、これ、夕飯」
自分の分のサンドイッチと山羊の胃で作った水筒を見せると、その時だけ反応して、サンドイッチだけを取り上げ、赤子の頭ほどあるサンドイッチを二口で食べてしまい、そのまま再び…遥か北の方角を睨みつけている。 …オアシスのある方向を見ているのだろうか?
…仕方なく、水を飲んで空腹を誤魔化しながらその隣に寄り添って座ってみた。
「つ、冷たっ!? あ、アンタ、凄い冷えてるじゃない!? は、早くテントに…」
テントに連れ込もうと手を引くが、軽く振り払われてしまった。
「な、何すんのよ!?」
「…」
トレーシーを見向きもしない。
「…知らないからね」
トレーシーはダイスから離れ、テントへと戻った。
明かりに気付き、トレーシーは唸りながら目を覚ました。トロイは呑気にまだ眠っている。…怪我が悪化しなくて良かった。運が良ければ今日の夜にはオアシスに着けるかもしれない。
…その肝心なダイスは?
慌ててテントから飛び出し…脱力した。…昨日と同じ姿勢のまま、北の方角を向いている。
「…ごめん、もうご飯はないけど、このまま北に向かえば、早ければ夜にオアシスに着けるから。ほら起きな、トロイ!いつまで寝てんの!?」
「んあっ、おはよう…」
「ほんっとにアンタって奴は…」
トロイは再びダイスに担がれ、三人は砂漠を進んだ。…途中から視界が良くなった事もあり、道程は順調だった。 …ダイスが食欲こそ旺盛だが、水を一切必要としない不思議な体質も大いに助かった。…当然、水の方が人体には重要だ。ましてやこの灼熱の砂漠を行くには…
…思いついて、ダイスの体に触れてみた。
「…何だ?」
「うわっ、やっぱりひんやりしてるなって思って。…変わった体質だね…?」
「…」
そんな熱した鉄板の上を歩くような砂漠が、再び酷寒の砂漠へと変わろうとしていた。…湿度の無い砂漠があらゆる熱を砂に奪い取ってしまう。
星々と月の冷たい光も相まって、雪原を歩いているような気さえする。
「お、おい、姉貴、あの光!」
「オアシスだ!良かった、まだそんなに遅くない!まだ食堂も開いてるかも」
…心なしか、ダイスの足も早まったような気がした。
「ダメだ。門を閉じたら明日の朝まで開けない。規則なんでな」
壁の上から門番が苦笑しながら笑った。
「ね、ね、そう言わずに!こっちには怪我人が居るの、お金もあるし、このまま朝まで待って重症化したらどうしてくれるの!?」
「規則だからだめだ。…どいつもこいつもちょっとくらい開けてってのを聞いていたら、規則なんて意味ねーだろうが」
「そんなぁ…」
「ま、規則には門を開けるな、外壁を壊すなとは書いてあるが、飛んで入るなとは書いてねぇ。アルバトロスにでも頼んで乗せてもらったらどうだ?ははは」
別の門番が笑った。
「ひ、人の命が掛かってるのに……ッ?」
ダイスに腰を抱えられ、トレーシーは面食らった。
「飛ぶぞ」
「は?何言って……ンの―ッ!?」
「ひいぃいいい!」
高々と…門扉を嘲笑うように…ハーフアレディオも飛んだだろうか…急速に落下していく感覚にゾワッと寒気を感じるも、着地は静かだった。
門番達が目を丸くして一行を見ている。…いくら自分達で飛んでみろと言ったとはいえ、侵入者を止めねばならないのだが…止める事も忘れ、放心していた。
オアシスの街中に降り立ち、トレーシーはダイスと目が合った。
「…医者はいいのか?」
「そ、そう、まずお医者!」
ダイスの肩で白目を剥くトロイをよそに、二人は医者を尋ねて夜の街を進んだ。
「…まったくこんな時間に…それに酷い傷だな、ワイバーンにでも襲われたか…? …いや、ワイバーンに襲われたら、お前さん達のような弱小パーティじゃ骨も残らんか」
医者と助手の恰幅の良い初老のヒーラーに治療され、トロイの表情は見る間に和らいでいった。
「…サンドリーパーに襲われたの。すっごく怖かったんだから。…彼が居なければ二人共死んでたわ」
「バカをいえ。サンドリーパーなど、伝説のモンスターだ。せいぜい、デカめの以上個体スコーピオンでも見たのさ」
老医師も初老の助手もニコニコと困った子でも見るようにして笑った。
「本当なんだから…ねぇ、ダイス?」
「…どうでもいい」
人体模型図を見ていたダイスだが、全く興味無さそうに答えた。
「…まったく。まぁ、別にいいけど」
「そら、治ったぞ。…命が惜しかったら身の丈に合った冒険をするんだな。次も助かるとは限らんぞ」
「はいはい分かりました」
「あぁ、生き返ったぁ…ようやく自分の足で歩けるぜ!」
「お腹空いた人ー?」
ダイスがこちらを向く。
「それじゃ、行こっか。助けてもらったお礼に、好きなだけ食べていいよ」
「お、おい、大丈夫なのか?こいつ相当食うけど…」
「大丈夫大丈夫!遺跡の中で古いベル通貨も結構拾ったから!」
医師たちへの謝礼を支払い、トレーシーは大淵に手招きした。
…ダイナー兼、夜は遊技場にもなる店内は、夜という事もあってか、ガラの悪い男達が何人か女を連れてアルコールを片手に遊んでいた。 トロイは身を固くしながら…決してそちらを見ないようにし、トレーシーも決して関心を持たれないよう、自然を装ってテーブル席に付く。その隣にダイスも座った。
「…飲む?」
「…?」
「ほら、お酒。エールか蒸留酒でも」
「…いや、いい」
「そう?じゃあエール二人分で。それと、出せる料理どんどん持ってきてください。大食い君が居るので」
「今日は儲かりそうだ」
店主が笑いながら厨房に立った。
姉弟が乾杯する間にソーセージの詰め合わせから始まり、香草をあえた豆料理、肉料理などが次々運ばれて来るが… その悉くを、モンスター処理で見せたような鮮やかさで次々と平らげていく。
…苦手な物は無いらしく、スワッジ貝などという、ナメクジに目のような模様が無数に入ったような…グロテスクな見た目のモノでも、抵抗なくスープでも啜るように平らげる。…テーブルの上に皿が摩天楼のように重なっていく。
「…よくそんなもの食べられるわね…」
「…?」
「あー、うん、好き嫌いが無いのは良い事だけどさ…」
「見ない顔だな、お嬢ちゃん」
遊技場で遊んでいた男達の一人がトレーシーの隣に腰かけた。…トレーシーは内心で毒づきながらそれとなくダイスの方へと席を寄せた。
ダイスは一瞬だけ男を見ると、興味を無くしたように食事を続けた。
「…豚のように食う男だ」
あからさまに嫌味を言われても見向きもせず…同意したくないが、本当にブタのように一心不乱に料理をがっついている。ガサツで早食いで、あまり上品な食べ方では無いが…それでも周囲には食べかす一つ散らばっていない。 …貪欲に飢えた獣が人間の食べ方を覚えた…そんな食事風景だった。
「可愛いでしょ? …これでもサンドリーパーを殺しちゃう凶暴なぶたさんなの」
さっさと帰れ、という意味合いも込め、後半は強い語気で言った。
「そいつはお嬢ちゃんが幻覚でも見てたのさ。良ければ特別なハーブもあるが、どうだい?…この辺の名産品だぜ」
「あー、ありがとう、結構よ」
「…トリップハーブは体に良くないよ。…後で廃人になった奴が何人もいるって…」
トロイが男を心配するように口を挟んだ。
「お前は黙ってな、クソ餓鬼。帰ってママのおっぱいでも吸ってな。 …それか、知り合いの大男を紹介してやるから、ケツからトリップさせてやろうか?」
男に気圧され、トロイは押し黙った。
…その沈黙を圧する旺盛な咀嚼音。
…それが男の神経を逆撫でしたらしい。
「…テメーはいつまで食ってんだ、この豚野郎がッ!!」
骨付き肉の乗った皿を取り上げ、ダイスの頭に叩きつけようと振り上げた腕が…捻り上げられた。
「ギャアアアッ!?」
それまでテーブルの騒動にも無関心だった「豚野郎」が、最初から男の背後に控えていたかのように…いつの間にか回り込んで男の腕を捻り上げていた。
…料理もしっかり取り上げてある。
腕を捻り上げた男を無関心に眺めながら…骨付き肉を骨ごと咀嚼しはじめ…その腕を軋ませた。
「ひいいぃいい!!や、止めてくれ、頼む!」
先立っての悲鳴を聞きつけ、男の仲間達が駆けつけていた。
「ソイツを離しやがれ!」
男の懇願に応じたのか仲間達の要求に応じたのか、ダイスは即座に男を手放した。
「…ふざけやがってこの野郎!」
椅子を持ち上げ、男はダイスの頭部に強かに叩きつけた。
…血一つ流すことなく、全く意に介してすらいない。悠々と骨付き肉を丸ごと呑み込み終えていた。
料理は全て平らげ、満腹になったのかダイスは更に頼もうとはしなかった。怯えて後退る男達に目もくれず、店を出ていく。
「あ、ここに、代金置いておきますね!」
…料理の分だけ計算してベルを支払い、トレーシーとトロイはダイスの後を追った。
「まって、ダイス!」
「…ダイス…?」
男達の一人が思い出したように呟いた。
「…変な名前だ…だが、聞き覚えが…」
厨房から出てきた店主が肉切り包丁を手にダイスの背を見送った。
「…五年と少し前、ここから北東に向かった先にある…エーデンベルトで大きな戦いがあった。旧シバ城の残党一万を制圧した、わずか一個大隊のブレメルーダの少女騎士団とその協力者数人が、二万の魔物の軍団を打ち破ったとか…その英雄の名が確か…」
店主は積み上がった皿を眺めて一人、内面に沈み込むように考え込んでしまった。
「…それとお前達、椅子代をしっかり払ってここを掃除しないと、親と署長に全て話すからな」
男達は真っ青になって店内の後片付けを始めた。




