婚約破棄の上にヤンデレ王子に一目惚れされただと!?
「侯爵令嬢リリアナ・グランツ、貴様との婚約は、今この場をもって破棄する!」
それはまるで芝居のようだった。王都一の豪華な舞踏会場で、絢爛なシャンデリアが輝く中、王太子アルバートはそう高らかに宣言した。
周囲の貴族たちは息を呑み、ある者は興味津々に、ある者は憐れむように私を見ている。
……でもごめんなさいね。私、割と冷めてるんです、今。
「まあ、それは残念ですわね。せめて、もう少し人目のないところでやっていただければ、私のドレスの生地も無駄に赤くならずに済んだのですが」
にっこりと微笑んで言ってやった。どこかの平民嬢よろしく地べたに這いつくばって泣き叫ぶとか、そういう趣味はないの。
「……っ!なにを、平然と……!」
「だって、王太子殿下。私のことなど最初からお好きではなかったのでしょう?それとも、何か心当たりのない断罪内容に、私がうろたえてくれるとでも?」
「黙れ、リリアナ!貴様がレイナ嬢に行った非道の数々、すでに証拠は――!」
ああ、はいはい。出ました、定番の「平民系令嬢への嫉妬による嫌がらせ」ね。そろそろ1万周くらいしたネタよ?
「その“証拠”、王立魔導監察局の印鑑付きかしら?」
私がそう切り返すと、王太子は一瞬たじろいだ。
やれやれ、ほんとに子どもなのね。貴族社会で“証拠”と呼ばれるものがどれほど形式と印章を重んじるか、ちょっとでも政治を学んでいれば分かることよ。
そしてその隣で、私のドレスの裾を踏みそうな勢いでぴったり寄り添っている平民令嬢、レイナ嬢。ああいう子、クラスに一人はいたわ。人のバッグ勝手に漁っておいて「落ちてたから届けたの♡」とか言うタイプ。
正直、うっとうしい。
「まあ、何はともあれ。婚約を破棄されるのは、こちらとしてもありがたいことですわ。長らく重荷でしたもの」
「……っ!」
アルバート殿下、顔真っ赤よ。怒りで?羞恥で?それとも、真実を突かれて?
とにかく私は会釈一つでその場をあとにした。ドレスの裾を翻し、完璧な姿勢で背筋を伸ばして。泣くことも、叫ぶことも、未練もなにもない。
だって私、あんな退屈で退屈で、退屈極まりない王子との婚約生活にうんざりしてたの。
週に三度の面会は、ひたすら王太子の武勲自慢。贈ってくる花は全部彼が育てたらしいラベンダー。私、ラベンダーアレルギーなんですけど?
そうよ、これは“解放”だわ。私は今、晴れて自由の身。
それがどんな意味を持つかを、彼らが理解するのはもう少しあとになるでしょうけれど。
この時点では、まだ。
……それから数日後。
「リリアナ様、申し訳ありません……王都から、正式に国外追放の命が……」
執事が申し訳なさそうに告げてきたその知らせにも、私は眉一つ動かさなかった。
あら、ようやく追放劇までテンプレ通りに来たのね。ええ、結構よ。こうなったらとことん“テンプレ通り”に破滅してやりましょうか――その後、全てをひっくり返すために。
でもこのとき、まさか命を落としかけた森の中で、隣国の“ちょっとおかしい”王子様に拾われるとは、さすがに予想してなかったけれど。
しかも彼、どう見ても病弱そうなのに、私のためなら全力疾走するし、常に目が据わってるし、笑顔が怖いの。なにそれ。
……うん、でも一番怖いのは、多分その“愛し方”なんだと思うわ。
なんというか、彼――アゼル王子の目、私のことしか映ってない気がするのよね……?
まさか、森で魔物に襲われることになるとは思っていなかった。
国外追放って、もっとこう……馬車で郊外まで送られて、「もう戻ってくるなよ!」みたいなノリで終わると思っていたのに。まさか途中で馬車の車輪が外れて、荷物もろとも茂みに投げ出されるなんて、ちょっとしたコメディじゃない。
しかも運悪く、そこに現れたのは牙の生えた大きなイノシシみたいな魔獣。毛が逆立っていて、唸り声もすさまじくて、まるで王都の貴族会議みたいな騒ぎ。
ああ、これが私の人生の幕引きかしら……と覚悟したそのときだった。
「汚らわしいモノが、我が天使に触れるなッ」
――何事かと。
咄嗟に振り返った私は、銀の髪をたなびかせた一人の青年を見た。目元は驚くほど涼やかで、けれどその瞳の奥には狂気……いえ、違うわ、執着という名の情念が渦巻いていた。
男はふらふらとした足取りで魔獣の前に立ち塞がると、細い身体からは考えられないほどの魔力を解き放った。眩い閃光が森を照らし、その一撃で魔獣は蒸発したかのように消え去った。
「…………今、死んだわね?あれ、ほんとに死んだわよね?」
私の問いに、男は優雅に微笑むと、すとんと膝をついて私に手を差し出してきた。
「ご無事で、何よりです。我が最愛の人」
いやいや、ちょっと待って。今、“最愛の人”って言いました?
私たち、今初対面なんですけど!?
「えっと……どちら様で?」
「これは失礼、自己紹介が遅れました。私は隣国カリュスの第二王子、アゼル・エリオット・カリュスと申します。以後、愛を注ぎ尽くす覚悟ですので、どうかよろしくお願いします」
すごく丁寧なのに、内容が重い。
「なぜ私に……そのような?」
「前世で、貴女に出会った夢を見たのです。幾度となく。あなたが笑い、泣き、怒る姿までも……完璧に」
「前世?夢?」
「運命って、信じますか?」
「いいえ」
即答だった。
でもその時の彼の顔、泣きそうで。ああもう、そういう顔しないでくれない?
「い、いえ……少しなら、信じるかもしれませんわ。ええ、少しだけ」
「……ふふ、嬉しい」
その時のアゼル王子の微笑みは、月明かりよりも美しく、けれど同時に背筋が寒くなるほど狂気じみていた。
彼はその場で私をお姫様抱っこし(えっ、病弱じゃなかったの!?)、そのまま「急ぎ王城へ」と部下に命じた。
私は何が何だか分からないまま、ふかふかの毛布に包まれ、金と白の装飾が施された馬車に乗せられ、気づけば王城の奥深く、アゼル王子の専用塔に“幽閉”――いえ、“保護”されていた。
「今宵から、ここが貴女の部屋です」
言われて見渡せば、花柄のカーテンにベルベットのシーツ、食器は全て金細工。あれ?私、貴族の身分を剥奪されたんじゃ……?
「何かご不便があればすぐに仰ってください。水は銀精霊で清めてあります。空気も、貴女の好みに魔力で調整済みです。あと、お付きの侍女たちは全員、恋愛感情を持つ性質を魔術的に封じております」
「…………それ、やりすぎじゃないかしら?」
「いいえ、貴女のためです」
……え、これって、溺愛というより監禁に近くない?
そう思いながらも、私は紅茶を一口含んだ。
美味しい。
しかもアールグレイの香りが私の好みど真ん中で、カップの柄まで私の故郷の窯元製だった。
……本当に、どこまで調べたの?この人。
その夜、私はふかふかのベッドに横たわりながら思った。これはもしや、王太子の婚約破棄よりもずっと厄介な運命に捕まったのではないかと。
だって彼、寝る前にこんなこと言ったのよ。
「おやすみなさい、リリアナ。明日も貴女の笑顔を守るために、僕は世界の全てを壊せる気がするよ」
……ねぇ、誰か、この恋のブレーキペダル持ってない?
隣国カリュス王国の王城塔、第三の尖塔。その最上階に位置する“特別居住室”が、今の私の住まいだ。
「保護のため」っていう名目で、アゼル王子の采配で整えられた部屋。食事は最高級、寝具は雲より柔らかく、窓から見える庭園は私の故郷の屋敷の配置と一緒。壁に掛けられた絵画は、私がかつて描いたものと酷似したタッチだった。
ええ、つまり、完全に監視されてたということよね。
「リリアナ、朝食はもう食べ終わった?」
アゼル王子が静かにドアを開けて入ってくる。ノックはするけど、返事を待たずに入ってくるあたり、彼なりの“親密さ”らしい。ええ、もう慣れたわ。
「ええ、一応。果物サラダとポタージュと……あの、デザートのミルフィーユがどう考えても朝から食べる量じゃないと思うのですが」
「栄養バランスは完璧だよ。あれは特別製だから、糖分はすべて植物由来。君の体調に合わせて、魔術師が五時間かけて調整してある」
「……それを、朝食に?」
「君の脳内ホルモンの分泌を最適化するためには必要だと、僕の分析が出している」
分析って何?それ、医学?それとも恋愛工学?いや、最早オカルトの域よ。
「それで、今日は午前中に軽い散歩をして、午後から魔法治療師による定期検査、そのあと……」
「ちょっと待って。私、スケジュールなんて立てた覚えは――」
「君の安全と幸福を最大限に保つために、最適なプランを僕が作ったんだ」
当然のような顔でスケジュール表を差し出される。そこには「笑顔ポイント向上時間帯」「香りによる精神鎮静ゾーン」など、常軌を逸した詳細な日課が記されていた。
あのね、王子?私、別に動物園のパンダじゃないの。
「ねぇ、アゼル様。一つ、確認してもいいかしら?」
「なんでも聞いて、リリアナ」
「私は“幽閉”されてるのかしら?それとも“溺愛”されてるのかしら?」
「もちろん後者だよ。幽閉なんて、そんな無粋な真似をするわけがない」
「じゃあ……城外に出るのは?」
「君に害意を持つ者が存在する限り、それは推奨できない。いずれ世界が君にふさわしい場所になるまで、僕が整えるよ」
……あ、これ、やっぱり幽閉だわ。
そう思いながらも、私は次の衝撃に備えていた。というのも、昨日侍女がぽろりと漏らしていたのだ。
「殿下、今夜のご入浴の件で……」
「入浴って何?王子が入るお風呂の話?」
「いえ、リリアナ様の……」
そう。彼、ついに私の入浴にまで口を出し始めたのだ。
夜、バスルームに入ろうとしたら、白金の大きな札が扉に貼ってあった。
《アゼル様入室禁止指令(発令者:リリアナ)》
《監視魔眼起動済。盗視検知機作動中》
「これは……?」
「私のささやかな抵抗です」
アゼルは、笑った。なんというか、非常に危険な微笑みだった。
「そう……君は、僕にそこまで気を許してくれていないのか。ならば、段階的に信頼を積み重ねていく必要があるね」
「入浴にまで信頼度って関係ある!?」
「あるよ」
即答。
その後、私は自分でお湯の温度を調整し、なるべく早めに湯船を出て、バスタオルも急いで巻いて寝間着を着た。誰もいないバスルームなのに、なぜか全方向に背中を見せたくなかったのは気のせいじゃないと思う。
でも――
私、嫌だとは言ってないのよね。不思議と、彼の干渉を“本気で拒絶できない”自分がいる。
あの冷たいようで優しい指先。心が見透かされるような灰銀の瞳。
……たった一人だけ、本当に私の価値を信じてくれた人。
彼の愛は、狂っているけど、真剣だ。
「……もう、知らないわよ」
毛布を頭までかぶって、私はその夜、少しだけ安心して眠った。
恋は、時に正しさを失わせるもの。でも――私、もしかしたら。
少しずつ、彼に堕ちていってるのかもしれない。
アゼル王子の“愛情という名の監視下”で暮らすようになって、もう十日が過ぎた。
毎朝のスキンケアは、専属魔術師が魔力で毛穴を整えるところから始まり、朝食は三大栄養素と恋愛運を考慮して調理されたメニュー、午後は魔導士による健康チェックと、夕方には“疲労とストレスの可視化瞑想タイム”がある。
もうね、これは令嬢じゃなくて国宝の扱いよ。
そんなある日、アゼルの私室でお茶をしていたときのこと。
「リリアナ、君に見せたいものがある」
彼はそう言って、一冊の古い魔導書を取り出した。
表紙には、私の家系――“グランツ侯爵家”の紋章に似た文様が刻まれていた。
「それ、もしかして……」
「聖女エルリスの血統図だよ。君の家系は、その末裔に当たる。代々、微弱ながらも癒しの力を宿す血族。けれど長らく、その力が表に出ることはなかった……君を除いてはね」
私は息を呑んだ。
癒しの力?まさか、あれか。小さいころ、兄が転んだ時に手を当てたら、傷がふっと消えた、あの奇妙な出来事。
父は「気のせいだ」と笑っていたけれど、まさか本物だったなんて。
「どうして、アゼル様がそれを?」
「君に出会うよりずっと前から、僕は君の存在を探していた。予言にあったんだ。“銀の光に守られし癒しの乙女、滅びの前に現れ、傲慢を浄化する”と」
「……傲慢、って?」
「君を追い出した王国のことだよ」
静かな声でそう言いながら、アゼルは机の引き出しを開けた。中から取り出されたのは、一枚の魔導印刷紙。
「これは、君の婚約破棄の場面を映した魔導録画の記録だ」
私は思わず立ち上がった。なぜそんなものが……?
「王都で密かに活動している情報ギルドの協力で手に入れた。正規の許可は取っていないが……真実を記録することは、正義に含まれると思わないかい?」
「ちょっと待って、これ……!」
映像の中では、王太子アルバートと平民令嬢レイナが、舞踏会の前日に密会し、綿密に“断罪劇”の台本を打ち合わせていた。彼らが私をはめるために細工した偽の証拠、演出、観客の配置……すべてが克明に記録されていた。
こんなものが、あったなんて。
「証拠能力としては十分だ。君が受けた仕打ちは、すべて嘘の上に成り立っていた。君の名誉は回復される。望めば、王太子を公に裁くこともできる」
アゼルは私を見つめて言った。
彼の目は、あの時と同じ。私の存在そのものを肯定する、灰銀の瞳。
「復讐を望むなら、僕は君の剣になる。けれど……君が穏やかに暮らしたいなら、僕は世界を君の庭に変えるだけだ」
どうして、彼はこんなに私のことを……。
「……あなた、ほんとに、最初から全部知ってて、私を迎えに来たの?」
「もちろん。君は、僕が生まれてからずっと探していた、唯一の“愛すべき狂気”だ」
ああ、もう、やっぱりこの人ちょっと危ない。
でも、不思議と胸が温かかった。誰にも信じられなかった私の真実を、最初から信じていた人がいた。それがどれほど救いになるか、私はようやく分かった。
翌朝、王都に激震が走った。
王太子アルバートとレイナ嬢の密会映像が、魔導通信網を通じて全貴族家門に送信されたのだ。
送り主の名前は明かされなかったけれど、関係者なら分かるだろう。
――これは、“ざまぁ”の始まりだ。
王都では今、“大炎上”という言葉すら生ぬるい騒ぎになっているらしい。
件の魔導映像が貴族家門すべてに送信されてから、王宮の信用は地に落ち、政務官たちは責任の所在の擦り付け合い。肝心のアルバート殿下は、あろうことか「罠にはめられた!」と喚いているそうで……あらまあ、**それをやったのは貴方よ?**って、どこから突っ込めばいいのかしら。
そして、そんな混乱の渦中で、私はアゼル王子に手を引かれ、公式に“隣国の賓客”として王都へ招かれていた。
「よくもまあ、あんな顔で帰ってこられたわね、私」
「復讐に来たわけじゃない。正義の散歩さ」
「じゃあこのドレス、毒々しいくらい赤いけど、“正義カラー”ってことでいい?」
「とても似合ってる。血の色に勝る女神の象徴だ」
もうこの人、言ってることが毎回ホラー寄りなのに、声と顔が綺麗すぎるのが罪なのよ。
王宮の謁見の間に入ると、見慣れた面々がいた。王太子アルバート、そして件のレイナ嬢。ふたりとも、前回の舞踏会のときとは打って変わって、見るからに青ざめた顔をしていた。
あら、顔色がよくないじゃない。もっと健康的な“ざまぁ”をお届けしましょうか。
「侯爵令嬢……いえ、前侯爵令嬢リリアナ・グランツ。なぜ、ここに……!」
アルバート殿下が叫ぶ。ああ、でもその前に。
「“前”ではありませんわ。あの婚約破棄の一件で家門を追われた件について、すでに王室裁定にて撤回されております。グランツ侯爵家は正式に復権し、私は侯爵令嬢に戻りました」
「なっ……そんな馬鹿な……!」
「さらに言えば、名誉毀損および虚偽断罪による損害賠償と、公爵家からの謝罪勧告も出ております。そちらがそれを拒否された場合、隣国カリュスとの国交条約違反として、外交的制裁も視野に入っております」
そのすべてを淡々と述べたのは、アゼル王子だった。
いやもう、冷静なのに圧がすごいのよ。空気が震えてる。ちょっと怖い。
レイナ嬢は、もはや泣きべそ状態で王子の後ろに隠れていた。あのときは勝ち誇った顔をしていたのに、今はまるで子犬みたい。
でも残念ながら、今ここで噛みついてくる狼は私の隣にいるのよ。
「アルバート殿下、最後にお聞きします。あの日の断罪劇、あなたの意思で行ったものですか?」
「ぐっ……!違う、私は騙されて……レイナが!」
瞬間、レイナ嬢の顔が凍りついた。
「わ、わたしじゃ……!アルバート様が、リリアナ様に不満を持っていたから、わたしに相談してきて……!」
見苦しい。
どちらが先に言い出したかなんて、もうどうでもいい。問題なのは、ふたりとも進んで“あの茶番劇”に乗ったという事実。
「お二人のやり取りは、すべて魔導映像に残っています。それを隣国の評議院に提出した場合……外交問題として本格的に立件されますが、どうなさいます?」
アゼルの声は、いつもの甘やかすような声音とは別人のようだった。
「……っ、許してくれ……リリアナ。謝る、だから……っ!」
王太子が土下座した瞬間、あちこちで貴族たちがどよめいた。
けれど、私はその頭を見ても、何も感じなかった。
ああ、私、本当にもうこの人のこと、何とも思ってないんだな。
「謝罪は受け取ります。でも、許しませんわ。私の時間と誇りを無駄にしたその代償は、きちんと払っていただきます」
それが、私の答えだった。
そして、謁見の間を出ると、アゼルが私の手を取った。
「……かっこよかったよ、リリアナ」
「そう?ちょっと言いすぎたかと思ったけど」
「いいや。君が言葉を放つたび、僕の中の恋慕が限界を突破し続けてる」
そう言って、彼は私の手の甲に口づけた。
ああもう、この人ほんとに、危ないレベルで私を愛してるのね。
でもそれが、嬉しいと思う私は――もはや、とっくに落ちてるのかもしれない。
春の陽光が、庭園の白薔薇に降り注いでいる。
かつて王都に咲いていたそれよりも、ずっと美しく感じるのは、たぶん私の気持ちが違うからだろう。
今日は、私の結婚式。
侯爵令嬢リリアナ・グランツとしてではなく、カリュス王国の第二王子妃、リリアナ・エリオット・カリュスとしての、新たな人生の始まりの日だった。
「ねぇ、アゼル様……ほんとにこのドレス、私が着て大丈夫?」
「似合わないはずがない。何しろ、何千枚も試作させた中で、君の魅力が最も際立つ一着を選んだんだから」
「……そんな無駄なことを」
「君のためなら、世界中の布地を買い占めたって構わない」
相変わらず、アゼルの愛は常軌を逸している。けれど、最近はそれが妙に心地よくなってきているから不思議だ。
「本当に、いいの?私なんかで」
「君“なんか”じゃない。君“だから”いいんだ。僕の世界の中心は、君しかいないんだから」
彼が差し出す手を取った瞬間、祝福の鐘が王都中に鳴り響いた。
式はこぢんまりと、けれど格式高く執り行われた。出席したのは、信頼できる者だけ。私の家族、復権した家門の関係者、アゼルの側近たち。そして、式の途中に思わず吹き出してしまいそうになったのは、式の安全を確保するため、半径百メートル以内に“恋愛感情を抱く者”を入れない結界が張られていたこと。
「……そこまでやる?」
「当然だよ。今日は、君だけが僕の妻になる日なんだから。他の感情は、すべて邪魔だ」
「うん、知ってた。愛が重いって、もう慣れた」
だけどその重さは、私を苦しめるものではなかった。むしろ、支えてくれる。
誰にも信じられなかったあの頃の私に、そっと手を差し伸べてくれた人。
私の価値を、誰よりも先に見出してくれた人。
その人の隣に立てることが、今では誇りだった。
「これからも、私はあなたの傍にいていいの?」
「ずっとだよ。君を離すくらいなら、僕が世界を捨てる方を選ぶ」
ああ、またそういうこと言う。
けれど今日は、そんな言葉すら嬉しい。
式が終わって、披露宴の席でふとアゼルが私の耳元に囁いた。
「……ちなみに、君のために用意した新居、ちょっとした工夫をしておいたんだ」
「嫌な予感しかしないけど、どういう“工夫”か聞いてもいい?」
「入口が一つしかない、崖の上の離れ島に建てたんだ。誰も来ないし、僕たちだけの楽園だよ」
「ちょっと待ってそれ“工夫”って言わない!事実上の監禁よそれ!」
「違うよ、“ふたりきりの幸福”だ」
……ほんと、変わらないのね、この人は。
でも、私も変わった。
逃げない。否定しない。受け止める。
だって、私はもう――
この狂ったように優しい溺愛の中に、幸せを見つけてしまったから。
「アゼル様。これからもよろしくね」
「もちろん。僕は君のことしか見えないから」
誰にも邪魔されない愛の中で、私はそっと彼の手を握りしめた。
これが、私の“婚約破棄”の、その先の物語。
ざまぁ返しも、涙も、憎しみも、すべて越えて――私は今、とても幸せです。
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