第二歌 黒い鳥と金の塔 〈二〉
若い商人は、たいそう酔ったらしく 歌い始めは瞼が重そうだったが、冒険者のくだりではっと目を覚ましたように、聞き入っていた。
「なあなあ、そいつはいったいどこの生まれなんだい?顔に入れ墨ってめずらしいだろ?」
白い手は、微笑んでいった。
「失われた国のひとつに、入れ墨を入れる一族の棲む国があったと聞きますが、いまはその習慣のみ受け注ぐ人がいるばかりだそうです。私は、海都マティーヌの商人から聞いたことがあるだけで、会ったことはないんですが」
「ふうん」
若い商人は 続けてくれと身振りし、詩人はうなづいて 再びリュートを奏で始めた。
~♪
あくる日 初穂亭の仕切る麦の刈りとりを手伝う というケインのうわさはあっという間に広がって、近隣からみなが手伝いを打診してくるほどです。
宿の女将は、積極的にケインの宣伝をし、刈りとりの手伝いスケジュールを調整しはじめたのでした。
「そのために雇ったんだもの、食い扶持は働いてもらうわ」
ケインはにこにこしながら、女将の指示通り、宿のマキ割り、家畜の世話 、妹の護衛と配達物の荷物持ち…という具合にもくもくと手伝っていました。夜食にソマリの特製シチューを3杯お替りしても、女将は何にも言わずにたっぷり食べさせるのでした。
ありとあらゆる仕事を依頼されて、拒まず何でも引き受けるのはなぜなのか、ティナはケインにたずねたことがあります。
「まあ、工夫すれば大抵のことは大体できる。難しいことも中にはあるけど…」
肉団子をほおばって
「とりあえず 食べるw それから考える」
ケインの口癖でしょうか。そういって笑うのでした。
若い商人は思わず口をはさんだ。
「おい。ちょっと待てよ。仕事ってそんなことまでさせんのか?よくまあ、言いなりになってるってもんだ。俺ならとっくに切れてトンずらしてる!」
歌を聞いて飲んでいた商人たちはいっせいに大笑いした。
「そりゃおまえ 一口に冒険者って言っても、冒険する金を稼いで おまけに食うためには そういうこまごましたこともするさね。宿のあるじと契約したんだろ、寝床と食いもんとひきかえだ」
「だいたいさ、冒険者ってなんだ?」
「傭兵みたいなやつらもいるしな」
「遊んでるわけじゃねえとは思うがな、腕も立つし、知識もある」
皆はさんざんあれこれ言い合いをし、「食うためだ!」と、結論して大笑いした。そして肉団子食いたいといって食糧袋を探しに行くものも。
隊商主は、酒袋を白い手に差し上げて、続きを促した。
~♬
オアシスに旅人は珍しくないものの、おおむねよそから来た者たちは、通り過ぎてゆく存在。ケインのような冒険者は、ほぼ全員が近隣の大きな国の王都での仕事を求めて移動します。決まった行先のないものなら、たまに季節的労働者として、とどまることもあるでしょう。しかし、砂嵐の時節がやってくるというのに、物好きにもオアシスにとどまるものはほとんどいません。それもあって、ケインはあちこちの畑から※「ガシャル麦」の刈り入れの手伝いを頼まれました。
常時雪のかかる雪山のひとつ 「黒爪連山」と呼ばれるひときわ険しい山に棲むという大鷲の精霊により、もたらされたガシャル麦は、オアシスという特異な環境下で、すくすくと育ちます。
商人たちはこれを元手に、あらゆるものを扱うトロイ大流通をつくっていったのでした。いまや東海岸の港から、ミスト大陸までその枝を広げることになったのです。
まさにガシャル麦は、この国の宝なのでした。
明後日から刈り取り、という日、ケインは女将の妹ティナと庭仕事をしていました。
「よお、ティナ」妹はビクッとしてもっていた草刈鎌を落としました。
街道から声をかけてきたのは、明日手伝いをする畑の持ち主の次男です。
「ディック…」
ケインは怪訝そうに、震えているティナをじっとみつめました。
「やあ あんたが近頃きた冒険者か」
「ああ、そうだ。ケインです。よろしく」
「ああ」
ケインは、作業手袋をぬいで、親睦の握手をしようとしましたが次男はふんと鼻をならしながら、右手をひらひらさせて、ケインの手は取らずに、ぷいっとティナのほうを向いて言った。
「な、おまえ聞いてるんだろ?ねえさんから」
ティナはびくっとして少しうつむいていました。ケインは黙ってその様子をみつつ、首を振って手袋をはめ作業に戻りました。
「今年の収穫が終わったら、おれんとこに嫁にくるって話」
「そ、それは…え、えっと」
「聞こえねえよ」
大きな声を出すディックに、ティナは手を震わせて話ができません。
「はあ」 ディックは ため息をつき 呆れて肩をすくめるのでした。
「相変わらずだな、いちいちびくびくすんなよ、まったく」
そして、呟くのでした。
「俺がいじめてるみたいじゃねえかよ…」
「ご、ごめん、なさい。う、うまく、話せなくて…」
消え入りそうな声で、ティナはいいます。
舌打ちしながら、ディックはティナの手をつかんで引き寄せました。
声にならない声をあげ、ティナは固まっています。
「こわがるなよ。俺こう見えてお前のこと大事に思ってるんだぜ」
そのとき、
ディックは肩をつかまれて、ふりむきました。
「それじゃ 伝わらない」
いつのまにか、ケインがそこに立っていました。
ディックは顔を赤らめ、ふりほどこうとします。けれども、肩に置かれた手は、そんなに力を込められてないのに ディックは動けないのです。
「は、はなせよ!なんだよ!」
「あんたの気持ち。それじゃ伝わらない」
「なん・・・だと!」
ディックがケインの手を振り払い、殴りかかろうとするのをひょいと避けて、ケインはディックに両手をあげて降参の意思をしめしました。
「いや、すまない。あんたの邪魔するつもりじゃなくて、力づくじゃだめだっていいたかっただけで。ゆっくり話をしたほうがいい。ああそうだな、デートとかしてだな」
「はあ?」
ディックはため息をついて、首を振りふり 言ったのです。
「おまえ おかしな奴だな。調子狂っちまうぜ。もういい。明後日からは刈り取りだ、朝早いぞ。遅刻したら値切るからな!ソマリさんにぶったたかれねえように 精々よく働けよ」
すたすたといってしまったディックの後ろ姿を見送り、ティナはため息をついた。
そしてじっと彼女をみつめるケインに気づいて、顔を赤らめて家のほうに走って行ってしまったのでした。
~白の手の注釈 ※ガシャル麦と行商
高温なこの地でもそだてられる改良種で、普通の麦の二倍ほどの大きさの実を付ける。熱に強く やせた土地でも収穫できる。。
この雨季の時期でさえ 雨が一週間続いても 数週間雨がないこともあるため、普通の作物は自生がしにくい。『砂漠と荒れ地にて』というヴィオル帝国の学者がしるした紀行書物にも ガジャル麦についての伝承が書かれている。
「『ガシャルの恵みは 精霊ファルクラムの慈悲により 我らの糧として下されたもののひとつ。感謝と敬いとを忘れるべからず』その言葉を受け注ぐ人々は、おのれの食べる分だけを細々と作り 食している。ためしに、種を持ち帰り分析しようと試みた同胞がいたが、帝国に持ち帰ることができなかった。帝国と西都ドラジュの国境アテン雪山連峰にたどり着く前に、一行は行方をくらませたときく」
南都首長国アドル・トロイ全体の、主要産業は、あらゆる物品の行商業だが、もとになったのは。ガシャル麦の商いである。
蛇足だが、いつの時代も、ヴィオル帝国の学者は、その好奇心ゆえに、様々な災厄を招くと、多くの国民から煙たがられ だいたい嫌われている。