プロローグ 「白い手」
この国を興した「祖」は、天から降りたと伝わっている。
祖の偉大な功績のひとつは、大陸の主要な大都市から小さな町にいたるまで、「火焚きの室」という消して消えない焚火と「泉の加護の水瓶」という井戸をおき、そこから、小さな村の隅々にまで火と水を供給するいわゆるライフラインを確保したことだ。かれの偉業については、語りつくせぬが、数え切れぬ昼と夜を経たいまも、それらは人の命と生活を護っているのだ。
戦の絶えぬ北方の諸国では、幾度も街が焼かれ 村が壊された。そのたびに消えぬ焚火は壊され かれぬ井戸さえ何度も埋まってしまったという。人の気配が消えて魔獣や他の生き物の気配すら耐えてしまうこともしばしばであった。
それでも、生き残った人々の幾人かは、命と引き換えに得た勇者の 名声や武勲や金銀の数々を、数多くの歌や曲にして残してきたが、どれも国が興っては消えていくのにあわせて、廃れ消えていくのだった。
しかし 大地はしたたかである。
戦渦に、幾度も焼かれたあと、コケや雑草の類が顔を出し土を癒し始めると、人はまた集まり始め、新たな長があらわれて、集落をつくる。
そうして壊れた焚火の室と、埋まった井戸をほりかえすと、消えぬ炎と尽きぬ泉もまた人々を加護し始めるのだ。
「実に不思議でありがたい。」
長老たちは、「祖を神格化してはいけない」という戒めともに、古の知恵に感謝し、神聖な火と水を大切に守るのだった。
そうして 北方の国のひとつ、王都エルシファルもまた、幾度も戦により主を失いつづけた。
先年の戦で戦死した王にかわり、その跡継ぎの王子が側近とともに復興する途上であるが、優秀な錬金術師や大工や学者たちによって かつての美しい都を取り戻しつつある。広場の中央に噴水があって、地下に大きな泉を持ち、石造りで清潔な街がよみがえりつつあった。
そして ある日の夕刻。
いくつもある消えぬ「火焚きの室」のひとつに、老人と子供たちがあつまって二重の輪を作っている。ちかづいてみると、その真ん中に背の高い歌い手がすわっていた。
「みておくれよ.この新しい火焚きの室の石積みを! 実にいい仕事だろ?ウチの人が王子と一緒に積んだんだ」
買い物かごを持った女性がうっとりといった。
「王子はみずから、石を運び木を伐り図面をひいて指揮したのだ!」
感嘆して王子を絶賛するのは壮年の大工だ。
それを聞いていた白髪の老人が、王宮のほうを見つめてつぶやく
。
「あの方は、わしらにいろいろなことを教えてくれとおっしゃるのだが、その…聞き取りにくいだろう話も、せかさず我慢強く じっと聞いて下さるのだよ…」
「ありがたいな」
別の年おいた男がうなずいた。二人は額に手を当てて、王宮に感謝の礼をささげた。
「私達とも遊んでくれるのよ!」
おさげに髪を結った少女が嬉しそうに言う。
「うんうん。昨日もぼく、王子と石投げしちゃった」
やせた茶色の髪の少年があいづちをうつ。
老人やおさな子の話を、深くうなずきながら聞くその人は、リュートを取り出して、美しい音を奏で始めた。乳白色の長い髪をゆるくたばね。質素だが丈夫な布でできた泥染めの旅装束を着ている。
(異国の 魔法使いみたい…)
赤毛の少年がつぶやいた。
室で、ぱちぱちと火花のはじける音がする。
季節は春 人々は火室からの、心地よい温風を感じている。
そして 流れてきたリュートの音色に、仕事からの帰り道 ふと足を止めた。
「おや? 吟遊詩人が来たのか?」
「久しぶりに来てくれたんだな。」
「おい! 聞いていこうぜ。」
「そうだな。 飯はそのあとだ」
そして 音楽の聞こえるほうに、大勢の大人も集まってきた。
赤毛の少年は その人の足元に座って、じっと白い手をみつめている。魔法のように弦を操り、時にゆるやかに 時にかき鳴らして 美しい音を生み出している。
瞳の中には、星がたくさんきらめいていた。
近々の戦禍のせいで、赤毛の子のみならず、子供たちはみな吟遊詩人など見たことも聞いたこともなかったのである。
その人は、そっと赤毛の子の髪を愛おしそうになでて、歌い始めた。
『耳を澄ませ 聞こえるか 私の叫び 私の祈り~
耳を凝らせ 聞き逃さぬよう 祖の祝福 ひとの歌を』
「さて」
白い手のその人の、落ち着いた声が 告げる
「はじめよう」