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28.幸せの形

「シルヴィオ様、魚が焼けましたよ」


 わたしが焼いているのは、昨日釣ってさばき、塩水につけてから干した魚だ。身はふっくらと柔らかに、皮はこんがりと。もうすっかり、料理にも慣れた。


「こちらのイモもいいあんばいに蒸しあがったぞ。今日は畑仕事があるし、しっかり食べておかないとな」


 イモの入った鍋を手に、シルヴィオ様が朗らかに笑う。


 最近ではわたしたちも、畑仕事をするようになっていた。野菜やイモは物々交換で手に入れられるけれど、自分たちで作れるようになっておいたほうがいい。


 あれこれと村の人たちに教えてもらいながらの畑仕事だったが、最近ようやく形になってきて、手助けされることもなく仕事をこなせるようになっていた。


「そろそろトマトが食べごろですね。たくさん実ったねって、みなさん褒めてくれて……」


「ただそのぶん、鳥にも狙われたな。網をかけてどうにか防いだが……」


「鳥も食べたくなるくらいですから、きっと、甘くておいしいトマトになっているのでしょう」


 そんなことを話しながら、わきあいあいと朝食をとる。そうしていたら、ふと思いだした。


「あ、でもそろそろ、従弟さんからの書類が届くのでは……」


「ああ、そうだったな。今日の午後、伝書鳩が着く予定だ。それまでは好きに過ごそう」


 ほんの少し変わったのはわたしたちだけでなく、この村もだった。村の片隅に、周囲の建物とはちょっとそぐわない、大きめの建物がいくつか新たに建てられたのだ。


 建物の一つは、トリエステの屋敷との連絡を密にするための伝書鳩小屋だ。


 ここで飼われている鳩たちは、この村とトリエステの屋敷との間を、驚くような速度で飛ぶことができる。おかげでシルヴィオ様と従弟さんは、これまで以上にこまめに連絡を取ることができるようになっていた。


 そしてまた、馬車と馬をしまっておける馬小屋もできた。急ぎの用で近くの町に行きたいときのためのものだ。この馬車は、村のみんなで使えるようにした。


 この村には馬がいなかったということもあり、遠くに用があるときは徒歩かロバだけだったから、みんなにはかなり喜ばれている。


 さらに、伝書鳩の世話人と御者が暮らすための小屋も建てられた。もともと近くの町で暮らしていた彼らは、この村の暮らしにもすんなりとなじんでいた。


 これらの小屋を建てられたのは、もとはといえば村長から受け取った袋入りの真珠のおかげだった。


 あれですっぱりとマセッティとの縁を切ることができたトリエステ家の財政は、さらに安定していた。滅亡の危機を完全に脱するだけでなく、そこそこ余裕もできていたのだ。領地にある町や村に、ちょっとした設備投資ができるくらいに。


 そしてその恩恵は、この村にもやってきた。従弟さんから予算を聞いたシルヴィオ様は、きちんとした港を作るとか、開墾して畑を広げるとか、そういった形での援助にしようかと思っていたのだ。


 村のみんなにそのあたりの意見を聞いてみたところ、こんな返事が返ってきた。


『港? 別にいいよ、あたしたちは。今の暮らしが気に入っているからね』


『うかつに海をいじるなというのが、この村のおきてじゃからのう』


『それより、シルヴィオさんこそ不便じゃないかい? 従弟さんと連絡するたび、いちいち近くの町まで出かけてさ』


『シルヴィオさんも俺たちの仲間なんだし、もっと楽をしてもいいと思うんだ』


 それを聞いたシルヴィオ様とわたしは二人して考え、これらの小屋を建てることにしたのだ。


 これで、シルヴィオ様と従弟さんはより綿密に連絡を取れるようになった。村の人たちもちょっと便利になった。


 ただ、それでもやっぱり気になるところはあるもので。


「今度、きちんとした倉庫を建てようと思うんだ。海神の人形は村長の家から動かせないとして、それ以外のものはよそにしまっておいたほうが安全だろうし」


「それはいいですね。ただやっぱり、村長の家だけでも補強しておいたほうがいいような気もします」


「やはり、君もそう思うか」


「だって、あの家……あんな高価なものを置いておくには、あまりにも粗末で……嵐の日など、心配になってしまいます」


 村長の家は、わたしたちの家や他の村人の家と大差ない木の小屋だ。伝統的な方法で建てられているとかで、見た目よりはずっと丈夫……らしい。けれどやっぱり、見ていてちょっと不安だ。


「ならば今度、どうにかして村長を説得するしかなさそうだな……骨が折れそうだ」


 そう言いながら苦笑するシルヴィオ様は、けれどなんだか楽しそうだった。


 朝食の後片付けを終え、二人で家を出る。今日もよく晴れて、いい天気だ。


「今日も、海がきれいですね……」


「ああ。いくら見ても、飽きることがない。君の目と同じ、美しくも強い輝きだ」


「ふふっ、そう褒められるとくすぐったいです」


 わたしたちは毎日、こうやって一緒に海を見ている。わたしを救ってくれた、わたしたちを引き合わせてくれた、そんな緑の海を。


「……こうしていると、夢を見ているのではないかと思うことがある」


 海を見つめたまま、シルヴィオ様が目を細める。


「君と心を通わせることができて、トリエステの家も守られて。そして何より、君が元気に生きている……」


 夢を見ているような気がするのは、わたしも同じだ。小さなころから憧れていた緑の海のそばで、愛しい人と穏やかに暮らす。


 ずっとマセッティの屋敷の一室で息をひそめて過ごしていたあのころ、トリエステの屋敷で下を向いて過ごしていたあのころは、こんな日々がくるなんて想像もしていなかった。


 そんな思いをこめて、そっとシルヴィオ様の腕に自分の腕をからめ、彼の肩にそっと頭を寄せる。


「これは、現実です。とっても素敵で、とっても幸せな」


「……そうだな」


 そのまま、わたしたちはただ寄り添っていた。目の前に広がる海に、感謝の思いを捧げながら。




 その日の午後、トリエステの屋敷を守ってくれている従弟さんから定期連絡がやってきた。その内容を目にして、シルヴィオ様と二人顔を見合わせる。


『トリエステの家は、宝の山を手に入れた。そんな噂が広まっているんです』


 当主夫妻は南の地、かつてはどこでもない地だった場所に移り住み、そこで驚くほど豊かに過ごしているらしいと、他の貴族たちはそんなふうに噂しているのだそうだ。


「噂の出どころは、あの真珠の山のようだが……」


「……となると、他のものをお金に換えるのは、もう少し待ったほうがよさそうですね……」


 海神様の像の修理にはとうてい使えっこない、村長の基準によれば品質の低い真珠の山。それがわたしたちの役に立ったと聞いて、村長も村の人たちも大喜びだった。


 余っていた真珠の袋を一つ、サンゴの袋を一つ。それらをわたしたちの家まで持ってきた村長は、これで家が広くなったわいと笑いながら帰っていった。


 それだけでなく、村の人たちが続々と貝細工を手にやってきた。適当に売り飛ばしてくれと、そんな言葉を添えて。


 みんなは「暇つぶしに作ったやつだよ」「余ってたから」などと言っていたけれど、それにしてはできばえがよすぎた。


 虹色に光る、思わずため息が出てしまうような見事なものばかり。シルヴィオ様も、「……普通に貴族の家の置物として通用するな……」などと言っていた。


 今のところそれらの品々は、わたしたちの家にしっかりとしまわれている。でもいいかげん、トリエステの屋敷に送らないといけなさそうだ。少しずつ増える貝細工の置き場に、そろそろ困ってきていたから。


 そんなことを考えていたら、連絡の続きを読んでいたシルヴィオ様が、難しい顔でつぶやいた。


「今までは強気に出ていたマセッティ伯爵が、近頃妙に下手に出てくるようになったらしい。トリエステが力をつけてきたから、ということなのだろうが……」


 考え込みながら、彼はそっとこちらに視線を向けてくる。


「……君は、どうしたい? その、マセッティの者は一応、君の家族……なのだし」


「ふふ、シルヴィオ様はわたしに尋ねてばかりですね。気づかってもらえて、嬉しいですが」


 胸がくすぐったくて、自然と笑みが浮かんでしまう。


「どうぞわたしのことは気にせずに、シルヴィオ様の思うようになさってください。……正直、わたしにとって家族と呼べるのは……あなただけですから」


 そう答えたら、シルヴィオ様は泣き笑いのような笑顔になる。そしてそのまま、静かに首を横に振った。


 先日、わたしはまた体調を崩した。といっても、少し食欲がなくなっただけだ。


 村の女性たちは「もしかして」「あれだね」とくすくす笑っていたのだけれど、シルヴィオ様は血相を変え、医者を呼んできた。以前、わたしが寝ついたときに呼ばれたあの若い医者だ。


 若い医者はわたしを診て、すぐに大きく笑ったのだった。おめでたですよ、と。


 あのときのシルヴィオ様の喜びようったらなかった。ぼろぼろと大粒の涙を流して、わたしをぎゅっと抱きしめたのだ。そして次の瞬間、大あわてでわたしから離れた。まるで、わたしを壊してしまわないか心配しているような、そんな仕草だった。


 あれ以来、シルヴィオ様はずっとわたしの体調の心配ばかりしている。じっとしすぎるとお産が重くなるから、適度に動いたほうがいいですよと言われているのに。


「……今は、私たち二人だけだ。けれどもうじき、三人になる」


 この上なく優しい声で、シルヴィオ様がつぶやく。ちょっぴり涙声だ。


「ブリジッタもクレオも、喜んでくれました……」


 このことについて、二人にはもう手紙を書いた。そうしたらあっという間に、返事がやってきた。お産は手伝いますからとか、お子様に必要なものを持って参りますとか、そんな感じの。


「……喜んでいたのはいいが、二人ともそのまま、こちらに居つきそうな勢いだったな」


「にぎやかでいいと思います」


「それに、村の者たちも手助けしようと張り切っているしな」


「心強いです」


 そうして、二人でくすりと笑いあった。


 小さなころから憧れていた、緑の海。わたしたちの子どもは、その海のそばで生まれ、育つ。たくさんの、優しくて温かい人たちに囲まれて。


 想像しただけで泣きたくなるくらいに、幸せだ。でもその幸せは、もうじき現実になる。


「幸せすぎて、ちょっと怖いです」


「大丈夫だ、私がついている。……頼りないかもしれないが、全力を尽くす」


 そう言って、シルヴィオ様は席を立ち、わたしの前までやってきた。そのままかがみこみ、座ったままのわたしをそっと抱きしめる。


「君も、私たちの子も。私が守る」


「……はい。頼りにしています」


 シルヴィオ様の胸にもたれかかって、そっと目を閉じた。窓の外から、穏やかな波の音が聞こえていた。

ここで完結です。お付き合いいただき、ありがとうございました。

☆などいただけると今後の励みになります。

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