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17.村の人たちは温かく

 次の日の朝食のとき、老夫婦は心配そうに尋ねてきた。ルーティはこれからどうするのか、と。


 緑の海はもう見られたのだし、家に帰るのかい? とも。


「……わたしには、帰るところはもうないんです」


 そう切り出したら、二人とも目をむいていた。


「……なので、この村に置いてもらえないでしょうか。これからはずっと、この緑の海を見て過ごしたいのです。空き家か何かあれば、助かるのですが……」


「物好きだな、あんた」


「でも、気持ちは分かるよ。私も、若いころからずっとこの村にいるけれど……今でも、風景の美しさに心奪われずにはいられないから」


「ま、それは俺も同じだ。……空き家なら、ちょうどいいのがあるぞ。飯を食ったら、みんなで行ってみよう」


「ああ、あそこだね? ルーティさん、本当にあの海が気に入ったみたいだし……ちょうどいい」


 二人はそんなことを話しながら、納得したように笑いあっている。わたしはそんな二人を、ただ黙って見つめていた。




 そうして朝食のあと、二人に連れられて砂浜にやってきた。


 この村の建物は、半分くらいが砂浜よりも陸側の、土の上に建っている。そして残り半分は、砂浜に建てられているらしい。ちょうど、目の前の家のように。


「前に住んでたばあさまが、一人暮らしはつらいと言って、近くの町に暮らす娘のところに移り住んだんだ。それで、今ここは空き家になっている」


 そう言って案内された家は、小屋と呼んだほうが正しいくらいに小さなものだった。


 砂浜にたくさんの丸太を打ち込み、それを土台としてその上に家を建てているらしい。部屋の床は、外の砂浜よりもかなり高くなっている。


 中に入ると、部屋は三つあった。入ってすぐに一部屋、その奥にもう二部屋。入り口近くの部屋には、かまどが作られていた。食材などを載せておく棚もある。


 奥の二部屋は、寝室のようだった。古い木の寝台が置かれていて、そこには草を編んだらしい敷物が載せられている。


 家も寝台も素朴で、どうにも頼りない。けれど昨晩泊めてもらった老夫婦の家も、こんな感じだった。ここは温暖だから、こんなつくりでも大丈夫なのだろう。


 賃料はいくらですかと聞いたら、ただだよ、という言葉が返ってきた。誰も住んでいないと家が傷むし、家守としてこまめに手入れしてくれればいいさ、とのことだった。


 あまりにあっけなく、驚くほどとんとん拍子に、話が進んでいる。


 ずっとずっと憧れていた緑の海に、こうしてたどり着くことができた。それだけではない。これからは毎日、緑の海を眺め、波の音を聞いていられる。思う存分、心ゆくまで。


 これはきっと、不幸ばかりのわたしの人生を哀れに思ってくれた、神様からの贈り物なのだろう。


 そんなことを考えつつ、一緒に小屋を見にきていた老夫婦におそるおそる声をかける。


「とても素敵なおうちですし、ここで暮らせるのなら嬉しいのですが……その……もう一つ、甘えてもいいでしょうか……」


 すると老夫婦が、同時に首をかしげた。目の見開きかたも、首のかしげかたも、ぴったり同じ。


「わたし、家事ができなくて……ここで暮らそうにも、どうやったらいいか……」


 旅の間は、ずっと宿屋に泊まっていた。旅に出る前は、ずっと誰かに世話をしてもらっていた。


 自分の力で、一人暮らし。それはとっても魅力的な響きだけれど、今のわたしにはどうしようもない。どうにかして、もう少し助けてもらわないと。


 情けなくなってしょんぼりしていたら、外が騒がしくなっていることに気づいた。たくさんの女性がお喋りしている声だ。


 それらの声は、どんどん近くなる。そして声の主たちが、勝手にこの小屋に上がり込んできた。わたしを見て、はっと目を見張っている。


「おや、あんたんとこに客が来てるって聞いたけど、綺麗なお嬢さんだねえ」


「あらほんと。いっぺん町で見た、劇のお姫様そっくりだよ。お上品なところとか、さ」


「この家に案内したってことは、もしかしてこの子はここに住むのかい?」


 声の主たちは、とっても元気な中年女性たちだった。身なりからすると、この村の住民なのだろう。みんながっしりとしていて強そうで、そしてなんだかとっても楽しそう。


「ああ、そうだよ。みんな、ちょうどいいところにきてくれた」


 彼女たちを見て、老女がぱあっと顔を輝かせた。


「こちらのお嬢さん、ルーティっていうんだけれどね、長い長い旅をして、わざわざここまで来てくれたんだ」


 その言葉に、疑問が投げかけられる。


「どうしてまた、こんな田舎に? ここはあまりに田舎であまりにとりえがなくて、そのせいで領主様からも捨てられた『どこでもない地』なのに」


 人里離れた辺境では、時々そういった事態になることがあるのだと、本で読んだ。


 土地から得られるものがあまりに少ない、住民が細々と食べていくのが精いっぱい、そんな地が国のあちこちにある。


 領主からしてみれば、そんな地を領土としていても、何一ついいことがない。民から得られる税はとてもわずかなものでしかないのに、災害などの有事の際には民を守らねばならないからだ。


 だからそういった地は自然と、領主の支配から外れた『どこでもない地』と化す。どうやらここも、そんな場所の一つのようだった。


 でもそれなら、わたしの死に場所としてはちょうどいいのかもと、そう思った。


 もう、貴族の世界はこりごりだ。できることならここで、何者でもないただのわたしとして精いっぱい生き、最後の瞬間までここの暮らしを楽しみたい。


「まあ、色々訳があるみたいでねえ。旅の間の話はたくさんしてくれたのに、それより前のことは何も教えてくれないし。ただ、できるならこの村で暮らしたいと、そう言ってくれたんだよ」


 老女が、そう言って肩をすくめる。しかしすぐに、明るい声で続けた。


「この村は海に抱かれた、優しい場所さ。事情持ちでも変わり者でも、ここの海が気に入ったんなら仲間だよ。もっとも、私たちに悪さをしなければ、だけどね。みんな、そうは思わないかい」


 老女の呼びかけに、女性たちは笑顔で次々と返事をしていく。


「思う」


「思うわね」


「確かにそうね」


「じゃあ、今日からルーティは、あたしたちの仲間ってことだね」


 彼女たちの返事に、老女が満足そうにうなずく。


「そうそう。で、その新しい仲間がいきなり困っているんだよ」


 老女が思わせぶりに言葉を切ると、女性たちが興味津々といった顔で身を乗り出してきた。


「この家で暮らしたいけれど、家事が分からないとかで。そっちはまあ、私が教えてやれなくもないけど……それよりも先に、家の掃除をしなくちゃならない。あんたたち、手伝ってはくれないかい?」


「ああ、そういうことなら任せておいて」


「なんなら、家事を教えるのも手伝うよ。よろしくね、ルーティ?」


 いきなりこちらに話を振られて、びくりとしてしまう。しどろもどろになりながら、こちらこそよろしくお願いします、と返した。


「あんたがどこから来たのか知らないけど、ここはいいとこだよ。田舎だし小さな村だけど、海の恵みのおかげで食うには困らないし」


「だねえ。おかげで毎日、のんびり過ごせてる」


 そういって、女性たちは明るく笑った。あっけらかんとしたその笑顔に、ちょっと見とれてしまった。


 ひとしきり笑ったあと、老女と女性たちは顔を突き合わせて、あれこれと相談を始めている。


「まずは料理……食材を手に入れる方法も覚えないとね」


「貝拾いのこつ、釣りの仕方……モリの使い方も教えておく?」


「それに、畑仕事もだよ。確か、あっちのほうの畑が空いてたよね。でも、すっかり雑草だらけになってるから、最初はあたしたちが手伝わないと」


「野草のつみ方も教えたほうがいいんじゃない? ルーティ、そういうことも知らなさそうだから。だよね、ルーティ?」


 ぽかんとしながら眺めていたら、またしても突然声をかけられた。


「は、はい……そもそも、何も知らないので……」


 そう答えながら、少し悲しくなる。十八年も生きてきたのに、わたしは何もできない。そのことを、改めて実感してしまって。


「あらまあ、しょげちまったよ。あんた、なにか訳ありなんだろ? だったら仕方ないさ」


「そうそう。料理と洗濯、あとは掃除……ひとまずそこまで覚えておけば、まあ暮らしていけるから、気軽にね」


「掃除なんて、別にしなくても大丈夫だって」


「がさつなあんたはともかく、ルーティはそういうわけにもいかないよ」


「失礼ね。ま、ほんとのことだけど」


 そうしてまた、みんなは楽しげに笑う。今までの人生で、こんなに明るい笑い声に囲まれたことなんて、なかった。


「……あれ、どうしたんだいルーティ、突然泣き出して!?」


「いえ……嬉しくて……わたし、ここに来て、よかった……」


 勝手に、涙がこぼれ落ちていく。けれどそれは、決して悲しい涙ではなかった。


 ぽろぽろと涙を流しながら、心配してくれるみんなに笑いかける。胸がぽかぽかと、とても温かかった。

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