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12.妹は勝ち誇る

「お久しぶり、お姉様。……なあに、あたしの顔に何かついているの?」


 双子の妹、アデリーナ。その顔を見たことで、自分でも驚くくらいに動揺してしまっていた。


「い、いいえ。その、どうしてあなたがここに?」


 マセッティの屋敷からこのトリエステの屋敷まで、馬車で半日以上かかる。おそらく彼女は昨日の夕方にトリエステの街に着いて、宿に泊まっていたのだろう。そうして朝一番に、この屋敷にやってきた。


 でも、その目的が分からない。わたしのことを嫌いな彼女が、何をしに来たのだろう。


「どうしてって、簡単よ。シルヴィオ様をもらいにきたの」


 そんな、まるで物か何かのように。そう思ったけれど、口が動かない。


「ねえお姉様、どうしてあなたが突然シルヴィオ様のところに嫁がされたのか、その理由を知っているかしら?」


 知っているけれど、口にしたくはない。黙ったまま、ぎゅっとこぶしをにぎる。


 しかしアデリーナは、わたしの表情からだいたいのことを読み取ったようだった。勝ち誇ったような笑みを浮かべて、さらに語る。


「トリエステの家は先代と先々代のせいでめちゃくちゃになっているけれど、歴史のあるいい家よ。歴史の浅いマセッティ家としては、ぜひともお近づきになりたい。お父様はそう考えたの」


 ……やっぱりお父様は、そういう人だった。利益にならない人間に、わざわざ近づこうとはしない。もっとも、そんな推測が当たっていたところで、嬉しくもなんともないのだけれど。


「でももしかしたら、トリエステ家はそのままつぶれてしまうかもしれない。お父様は、そんなところに大切なあたしを嫁がせるわけにはいかなかった」


 背中を丸めているわたしとは裏腹に、アデリーナは誇らしげに胸を張った。


「けれど、シルヴィオ様は有能なかたなのね。どうにかこうにか、トリエステ家も立ち直ってきている。これなら、あたしをやってもいいって、ようやくお父様のお許しが出たのよ」


 その言葉に、耳を疑う。だってシルヴィオ様の妻は、わたしなのに。……昨日初めて目が合った、それくらいに弱いつながりしかないけれど。


「アデリーナ、どうして、そんな……」


「どうしてって、理由は簡単よ。シルヴィオ様、とっても素敵なかたなんですもの。以前、一度だけお茶会でお見かけしてから、ずっと気になっていて……」


 とたん、彼女の目に強い怒りがひらめいた。嫁入りのあの日、彼女が見せたのとまったく同じ表情だ。


「たとえお飾りでしかなくても、あなたがあの人の妻であることが許せないの」


 しかしそれも一瞬のことで、アデリーナはこの上なく愛らしい笑みを浮かべた。


「けれどもう、それも終わり。あたしは全力で、あなたからシルヴィオ様を奪うから」


 彼女の言葉に、笑顔に、心がすうっと冷えていく。


 ああ、終わりだ。


 わたしはついさっきまで、小さな希望のかけらを抱いていた。もしかしたら、シルヴィオ様と打ち解けることができるのかもしれない、と。


 彼はずっとわたしに冷たく当たっていたけれど、あのとき蜂から守ってくれた。


 あのとき、初めてわたしをまっすぐに見てくれた。彼の顔には、嫌悪の色は少しもなかった。ただ、わたしのことを心配してくれていた。


 でもそんな希望も、もう捨てるしかない。アデリーナが本気を出したら、わたしではたちうちできない。家族を、居場所を奪われたように、このままシルヴィオ様も奪われてしまう。


 絶望に打ち負かされて、下を向く。と、きびきびとした靴音が近づいてきた。


「……ベルティーナ? と、そちらは……」


 シルヴィオ様の声がした。けれど、顔を上げられない。今彼の姿を目にしたら、泣き崩れてしまいそうで。


「はじめまして、アデリーナ・マセッティです! こちらのベルティーナの、双子の妹です」


 アデリーナの声は、上機嫌そのものだった。


「あ、ああ。シルヴィオ・トリエステだ」


「存じております。以前、遠目にお見かけしたことがあるんですよ。こうしてお話しできて、とっても嬉しいです」


 とても無邪気に、彼女は話し続ける。きっと彼女は、とびきり魅力的な笑みを浮かべているのだろう。


「シルヴィオ様、ちょっと立ち入った話をしてもいいですか?」


「ああ、何だろうか……?」


「シルヴィオ様は、お姉様のことが嫌いなんですよね」


 遠慮のかけらもない言葉に、身がこわばる。否定してほしかったけれど、シルヴィオ様は何も言わなかった。


「でしたら、お姉様を離縁して、すぐにあたしと再婚しませんか? それなら、お父様の顔に泥を塗ることにもなりませんし」


「だ、だが……姉を離縁して、すぐに妹と再婚というのも……」


 あまりにも大胆な提案に、シルヴィオ様はとまどっているようだった。


「大丈夫ですよ、お姉様は一度も社交の場には顔を出していませんし、誰もお姉様のことを知りませんから」


 社交の場。その言葉に、あのときのことを思い出してしまう。期待してしまって裏切られた、あの悲しい日のことを。ぐっと唇をかんで、涙をこらえる。


「いや、それが……友人たちは彼女のことを知っているから、そうもいかないんだ」


 シルヴィオ様は、うろたえつつも抵抗している。それが世間体のためなのだと分かっていても、嬉しいと思ってしまう自分がいた。


「でも、悪い噂のあるお姉様をいつまでもおそばに置いておくのはよくありませんよ。今すぐとは言いませんが、考えておいてくださいね」


 可愛らしく言い放ったアデリーナに、シルヴィオ様の低い声が重なる。


「……ああ」


「それにしてもシルヴィオ様って、見た目も麗しいですけれど、それ以上に内面も素敵ですね! お姉様のことを気づかうその優しい心、軽率に行動を起こさない思慮深さ」


 さっそく、アデリーナはシルヴィオ様をたらしこもうとしているようだった。


 甘く優しい声で、相手をいい気にさせる言葉を次々と投げつけていく。これが、彼女のいつものやり方だった。


 はたから聞いていると少々過剰だと思える、くすぐったい言葉の数々は、なぜか毎回驚くほどの効果を上げていた。


 彼女は両親だけでなく、使用人たちもこの調子で一人ずつとりこにしていた。マセッティの屋敷で彼女に取り込まれていなかったのは、クレオだけだった。


 きっとシルヴィオ様も、あっという間に落ちてしまうのだろう。そしてわたしには、もうどうすることもできない。そんな絶望が、胸を真っ黒に染めていく。


 そうして彼女は、シルヴィオ様を連れて立ち去ってしまった。二人の気配が完全に消えてからも、わたしはその場から動けないままでいた。

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