新世界の私
私の世界は滅んだの。
滅ぼしたのは私。
あの世界を捨てて新しい世界で生きるの。
ここは、どこ?
寒くて、寒くて、でも暖かい。
何も見えない程真っ暗なのね。
灯りひとつ灯らない場所にいるのは世界を滅ぼした罰なのかしら。
暗い、暗くて悲しくて。
寒い、とても寒くて。
・・・でも誰かの胸の鼓動が。触れあっている場所の温もりが私を暖める。
私はボトボトと音がする程涙をこぼした。
止まらない涙をそっと拭うのはだれ?
私の頬を優しく撫でるのは誰?
「怖い夢でも見たの?兄ちゃんが傍にいるから大丈夫だよ」
私に兄なんていないわ。
それなのに優しく包むように私を抱くのは誰?
暗くて寒いのにこの腕が暖かいの。
苦しくて悲しくて涙が止まらないのよ。
「大丈夫、大丈夫だよ」
優しい声に胸が詰まる。
背中をトントンと優しく叩くあなたは誰なの?
私はたった一人なの。
誰も信じられないし、誰もいらないのよ。
一人きりの世界で生きていくの。
「大丈夫、大丈夫だよ」
あぁ、それなのに。
この声に。
背中に手をまわす暖かい腕に。
優しくトントンと叩く手に。
涙が止まらないの。
この温もりを無くしたくなくて私も彼に腕を回す。
すがり付くように。
救いを求める哀れな私を。
お願いだから離さないで。
次に目を開けた時、私の横に十歳くらいの少年が寝ていた。
私を抱き抱えて眠る茶髪の少年。
朝日が差し込む窓の光で、昨夜は見えなかった風景が見えた。
質素で小さな部屋。
暖炉も無く寒い部屋。
上に掛けてあるのは粗末な布。
これが上掛け布団の代わりだと言うのだろうか。
寝台はクッション性はまるでなく木の板の様に固い。
恐ろしいほど粗悪な場所なのに私を抱き抱えて眠る少年の腕が暖かくて心地よくて目眩がしそうな程だった。
こんな温もりを私は知らない。
誰も私に教えてくれなかったから。
私の視線の端に金色のキラキラした物が目に止まる。
掴むとそれは金髪で。
そっと引っ張れば地肌が痛む。
え?これは、私の髪なの?
モゾモゾと動いたせいなのか横で眠っていた少年が目を覚ましてしまった。
瞼が上がるとそこには温かな深緑の瞳があった。
彼は私と目が合うと、ふわりと優しく微笑んだ。
私を慈しむ瞳。
ジョシュアを思い出して思わず目をそらす。
こんな瞳の人が傍にいてくれるなら、なんて幸せな人生だろう。
そう思っていたのよ。
私はただ、それが欲しかっただけなのに。
「泣き虫さん。おはよう」
知らずに涙を溢していた私の顔を覗き込み、頬に手を伸ばして優しく笑う。
まるで無条件で私を愛する様に笑うのね。
こんなこと今までにあったかしら?
「どうしたの?本当にそんなに泣いてばかりだと目が溶けちゃうよ」
私は何も言えず、ただ静かに泣いた。
ここが新しい世界なの?
ここなら私を愛してくれる人がいると言うの?
あなたが愛してくれるというの?
それなら貧しい暮らしだろうと以前の生活よりもよほど幸せだわ。
そんな夢みたいな事が私に起きたというの?
「泣かないで」
私の涙を宥めるようにそっと目元にキスをする彼。
こんな優しさを私は知らない。
滅んだ世界は氷のように冷たい世界だったから。
「本当に泣き虫さんだね。ジュリア」
「・・・え?!」
そう呼ばれて驚愕に目を見開く。
ぞわりと背筋に鳥肌が立った。
新しい世界でもその名前を聞くなんて。
滅んだ世界で。最も私が憎んで妬んだ名前。
私の全てを奪った、女の名前。
私の双子の妹だという、女の名前。
「ジュリア?」
彼は私の瞳を覗き込んで、そう呼んだ。
私は震える手で金髪に手を伸ばす。
「嘘、嘘よ」
「ジュリア?!」
取り乱して立ち上がり鏡を探して部屋を見渡す。
貧しいこの部屋に姿見などある筈もなく。
えも言えぬ恐怖に駈られて私は部屋の外へと飛び出した。
「ジュリア?!」
呼び掛ける声を無視して。
足の裏の痛みをも無視して。
靴さえも履いていないのだから、小石の引き詰められた道はとても痛かった。
それでも立ち止まらず姿見を探して走り回る。
綺麗に磨かれた店舗の窓ガラス。
その前に立って私は愕然とした。
そこには子供の頃の私に瓜二つな、けれども色味の違う金髪に青い瞳のボロ布を着た少女が写っていたから。
「嘘でしょ?」
声も私の声なのに。
「ジュリア!どうしたの?」
痩せ細った女性が私の腕を取る。
「家に帰ったら、ロイがおまえが取り乱して外へ行ってしまったって言うから」
そう言いながら女性は私の頭を抱きギュッと抱きしめた。
「私は・・・」
「どうしたんだい?母ちゃんだよ?!」
ビクリ、と体を固くする。
私のお母様は、私が赤子の頃に亡くなった。
「あぁ、ロイが言うとおり何だか様子がおかしいね。熱でもあるのかしら」
女性が顔を近づけて額をつけてくる。
「わ、私がジュリアなの?」
声が震えた。
嘘よ。
違うと言って。
心配で潤んだ瞳で私を見る彼女。サッと私を抱き抱えると急ぎ足であの貧しい小屋へと戻って行く。
「あぁ、ジュリア、しっかりしておくれ。」
まるで呪文のように耳元で何度も祈るような声を聞く。
「あぁ。ジュリア。ジュリア」
私を掻き抱いて何度も何度も。
愛情を込めて、何度も何度も。
ジュリアは私と共に生まれ落ち、双子は不吉だという母の指示で乳母に棄てに行かせた赤子だった。
そこで貧しい暮らしを何年もしていたと聞く。
13歳で教会の聖女に選ばれた彼女は16の歳に父に見つけられて我が家に引き取られるまで。
ずっと貧しい生活を送っていたという。
そんな可哀想な境遇の妹を私は愛せなかった。
私とそっくりなのに色味の違うジュリアを。
あの子は私を妬み恨んでいた。
そんな心を私以外の誰にも見せずに、私から父を奪い、ジョシュアをも奪った。
お父様はジュリアこそベネット侯爵家の血筋の娘だとおっしゃった。
私にはいつも冷たく接していたのに。
ジュリアは可哀想な身の上なのだと、猫可愛がりをなさった。
学院の皆はジュリアが私に虐げられているという言葉を信じた。
滅びの魔女の末裔よりも聖女に選ばれたジュリアの方が真実だと、誰もが信じた。
私は清く正しく生きたいの。ジュリアがどんなに貶めても、私が正しく生きていればいずれ真実は明らかになる筈だと。
そう信じて生きてきたのに全てを失った。
まさか、あの虚言癖で人を貶めて喜ぶ女に私の全てを奪った憎い女になってしまったと言うの?
聖女なのに悪魔のような、あの女に。私が?
ゾッとする心と私を抱きしめる母だと言う女性の温もりが混乱を余計に掻き立てる。
「あぁ、ジュリア。ジュリア」
ジュリアの名を呼び掻き抱く腕。
温かな温もり。
ジュリアはこんなに愛情を受けて育ったのね。
私とは大違い。
小屋に戻ると入り口でロイが倒れていた。
「ロイ!大丈夫?発作が起きたの?」
私を下ろすと彼女はロイを抱き抱えた。
その時になってロイの手足が酷く痩せていることに気付く。
「医者を呼ばなきゃ!ジュリア!ロイを見ていておくれ!」
ロイを粗末な寝台に横たえさせると彼女は飛ぶように走って小屋を出て行った。
私はおそるおそる寝台へ近寄る。
青白い顔の彼を見て胸がつまり枕元に顔を寄せた。
うっすらと深緑の瞳を見せたロイは「ジュリア、大丈夫だよ」と力無く笑った。
嘘よ。
大丈夫じゃないくせに。
そんな状態なのに私に・・・ううん、ジュリアに笑いかけるの?
大事に大事にジュリアを扱うの?
私は大嫌いなジュリアになってしまった。
嫌で堪らないのに。
あなたがそんなに大事に扱ってくれるのなら。
大事な妹だと愛してくれるのなら。
優しく名を呼んでくれるのなら。
私、ジュリアになっても良い。
唇をかんで、泣くのを堪える。
再び力無く瞳を閉じたロイにそっと声をかける。
「・・・お兄さま」
呼び掛けたら、慕わしさが胸に込み上げてくる。
「私の。お兄様・・。」
でも、待って。
ジュリアは天涯孤独なのだと言っていた。
それならお兄さまはどうなるの?
母親だと言うあの人は?
ジュリアは数々の嘘の悪業で私を悪女だと貶めた。
いつも泣いて私にどんな虐めを受けたのか誰かに訴え、可哀想なジュリアを演じていた。
そんなジュリアが私と2人きりで周りに誰もいないからワザワザ嘘をつく必要が無い時、私に大事な人を殺されたのだと憎しみを込めて糾弾してきたことがある。
馬車の前に身を投げ出し、私に救いを求めたのに私は馬車から顔さえも出さなかったのだと。
私のせいで大事な人を永遠に失ったのだと。
私にそんな記憶は無かったからまたジュリアの嘘なのだと思ったけれど、ジュリアの迫力に恐怖を感じる一方でなぜだかとても胸が痛んだのだったわ。
そんなことはしていない、それでも。
あの話だけはなんだか、ずっと胸に残っていた。
それってまさか・・・
恐ろしい考えを封じ込めたくて、ぎゅっと目を閉じることしかできない。
私はこの温もりを失いたくない。
会ったばかりの母だという女性も兄だというロイも失いたくなくて。
ただこれから訪れる恐ろしい別れを拒む様に目を閉じることしか出来なかった。
読んでくれてありがとうございます。




