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終章:子守歌

ブルーの思い出として語られた、ジークが今まで知らなかった祖母アーデルハイト。

彼女の人生に一端にふれられ、それが幸せなものであったとジークは確信した。


一方、遅れてきたアデルが皆に打ち明けたこととは――


『Desert Rose』の完結話となります。

<2071年 輝夜~楽園の果実ふたたび~>

 

 話し終えたブルーが時計を見ると、間もなく0時になるところであった。

「――ふぅ。随分長話になっちゃったわね。退屈だったかしら?」

 カヲリは首を振ると、ブルーの前に花の香りのするアイスティーを差し出した。

「話の中にでてきたハーブティーがたまらなく飲みたくなって……淹れてみたのでどうぞ」


 ブルーはハイジの父親の正体についてを除き、彼女との出会いからの全てを話した。長い時間話したようでもあり、彼女との濃密な数ヶ月が1時間足らずで語られたことを短すぎるとも感じた。


 ジークは腕を組んで天井を見上げ、自分が知りえなかった祖母の過去の話を反芻した。「死んだ夫の子供を身ごもった魔女」と噂されても祖母が気にする風もなかったのは、自分の子の誕生がこの上なく幸せな真実で包まれていたからだと知った。


 いつかこれを、母と妹に話してやりたい。そして今もまだあるのなら、その緑豊かなテキサスのランチをいつか訪れてみたいとも思っていた。海からの夜風は、彼にランチを渡る初夏の風を感じさせた。


 

 楽園の果実の店内が、静かに穏やかな夜に包まれようとしていたその時、けたたましい音を立てて店のドアが開いた。



「ごめーん!遅くなった!ブラインド閉まってるからもう帰っちゃったかと思ったよ」

 騒がしく店に入ってきたのは、「じゃじゃ馬」の血を引く女であった。両手に大きな紙袋を提げているのを見ると、ドアは足で開けたらしい。紙袋をどさっとカウンターの上に置くと、喉が渇いたと断りもなくジークの前にあるハーブティーを一気飲みした。


「アデル……何時間過ぎてると思ってるんだよ。お前に呼び出されたからこうしてみんなで待ってるんじゃないか」

 カヲリの淹れてくれた茶を妹に奪われた悔しさを滲ませてジークは言った。

「え、カヲリには遅くなるってメールしたよ」

「自分が行くまで話はしないで、でもみんなを何とか引き留めてだなんて無茶よ」カヲリはむくれた。

「あら、カヲリさんは事情を知ってたのね」

「で、なんだよ話って」


 まあまあ、飲み物でも飲みながら……と、アデルは紙袋から紙コップに入ったドリンクを出して、皆の前に並べた。ストローも勝手にブスブスと刺していく。

「コーラって…もうちょっと気の利いたもの買ってこいよ」

「私だってそうしたかったわよ。でも旦那が――…っ」


「?!」ジークがコーラを噴き出し、激しくむせた。

「だ…旦那ですって?!いつの間に?!」ブルーは目を白黒させた。

「アデル……迂闊にもほどがあるわ」カヲリは呆れたように肩をすくめた。


 

「――つまりだ、今日ここにオレたちを呼び出し、まずは結婚を認めてもらおうとしたんだなお前は」

「でも本当はもう結婚してるんでしょう?だからつい『旦那』だなんて!」

「まさかあれか、既成事実を作ってしまって反対されないようにしたとかじゃ――」

「嫁入り前の娘が……いえ、もう嫁入っちゃった娘かしら…どちらにしても不道徳よ!」


 ジークとブルーに次々に詰問されて弁明もさせてもらえないアデルはしびれを切らした。


「んもう!お兄ちゃんもブルーもいったん黙って!」

 アデルが叩いたはずみで、カウンターの天板にひびが入った。

「……」

「……」

「ごめん、つい力が」

「いいのよ、お給料から天引きしておくから」

「そんなぁ~」


 この高級感ある店内の調度品だ。一体いくらの弁償金になるのか想像もつかないが、想像がつかないゆえにアデルも皆も大人しくなった。


「うっかり旦那って言っちゃったのはマズかったけど、実際は籍は入れてないんだ。というか、エースの方の事情でまだ手続きができてなくて」


 このうっかり者の妹は、皆が分かっているものと思ってか名前を言っていなかったが、やはりあのvampの男か――とジークは複雑な思いになった。

「そのへんの事情はオレにはわからんが、その『旦那』はなんでこの場にいないんだ?結婚の挨拶にしろ承諾にしろ、ふたり揃って来るのが筋だろう」

「あたしかジークさんが反対すると思って怖がってるんじゃないかしら」

 ブルーがつんとした態度をとる。

「ブルーさんは、アデルの結婚に反対?」カヲリが尋ねた。


「んー…そうね、天使的にはvampの伴侶になるのは反対したいところねぇ」

(事実を知らないとはいえ、この兄妹にはほんのわずか天使の血が入ってるのだし……)

「オレも反対だ。結婚の報告を女に任せるような無責任な男に妹はやれん」


 感情に任せて言ってしまってから、これじゃただの頑固おやじみたいじゃないかと気まずくなってアデルを見ると、彼女は何とも言えない微妙な表情をしている。


「――そうなんだよね……ちょっと結婚、考えなおそっかなぁ」

「え?いや、お前一度決めたことをそんな簡単に辞めるのは感心しないぞ」

「ジークさんは賛成と反対どっちなのよ」


 あきれ顔のブルーにたしなめられて、ジークは考え込んだ。

(vampになったことで、アデルが覚醒の反動で命を落とす危険はなくなった。たしかにそれはエースのおかげであるが、たった一人の妹を異種族の嫁にやるというのはオレの中では別の話で……)


「カヲリさんは賛成なのよね?なにかあたしたちの知らない事情も知ってそうだし」

「親友の幸せを祝福しない理由がないですもん。それに、アデルも冷静になってよ。つまんないことでケンカしただけじゃない」

「まぁそうだけどさぁ……これから一生、下手したら100年単位で連れ添うわけだし」

「結婚をためらうほどのケンカってなんなの?むしろそっちの方が興味あるわ……」


 これよ、とアデルはカウンターに置いた紙袋を指さした。赤地に黄色の「M」の文字、先ほどのブルーの話にでてきたあの店のものである。


「この手みやげがどうした?量が半端ないのはなんとなく分かるが……」

「アデルはね、今夜ここで結婚を報告するのに、それはそれは気合を入れてたのよね?」

「うん、それなのにエースったら……」


 アデルは今夜のために、有名菓子店の数か月待ちの特注ケーキを予約しておいたのだ。式もままならない時世であることから、ちょっとしたセレモニーのつもりでもあった。


「私に急用ができちゃったんで、エースに受け取りをお願いしたんだけど、お店を間違えてこの通りよ……」

 アデルはため息を吐いたが、ジークとブルーには事情がさっぱりである。

「どこをどう間違ったら、ケーキがハンバーガーになるんだ?」


 ケーキを頼んだ菓子店の名前は「Mr.Donald」。若い女性の間では知らぬ者はいない店だ。しかし日本での生活の短いエースにそれが分かるわけがなく――


「エースさん、名前を聞いただけで、勝手にマックと勘違いしちゃったみたいなのよ。当然お店に行ってもケーキなんてないし、仕方なく適当にハンバーガーを買ってきたらしいわ」

「家に帰ったらキッチンにこの紙袋がでーんと置いてあって、エースはなんでかドヤ顔してるし、ケーキ屋さんは閉まっちゃってるしで……」

「いいじゃない、また頼めば。今度はエースさんだって間違えないわよ」

「今日はもう完全にケーキの口だったのにぃい」


 想像以上につまらない理由で、ジークもブルーも唖然とするしかなかった。ただケーキが食べたかっただけとみえるアデルを見ると、むしろエースに同情すら覚える。


 ブルーがふと紙袋の中身を覗き込んだ。

「――でも、今はなんとなく『これ』を食べたい気分だわ」

「あぁ、たしかに、オレも今夜はこっちだな」

「私も」

 アデル以外の3人は、カウンターの上にいそいそとハンバーガーのセットを広げだした。


「しかしこれ何人ぶんだ?」

 どう考えても10人分はある。

「ジークは知らないの?アデルが食べるのよ、ね?」

「だってお腹空くんだもん、vamp化してから特に……人間と魔族とvampのぶん必要なのかも」

「じゃ、アデルの方にもっとおいてあげなくちゃ」

 てきぱきと並べられるハンバーガーとポテトとドリンク。3人の様子を見てアデルはぽかんとした顔をし、すまなそうにごめんねと言った。


「いやいや、むしろちょうどよかったんだ」

「マックをこんなに食べたくなったのは久しぶりだわ」

「アデルも早く食べましょ」

 3人は待ちきれないようにハンバーガーにかぶりついた。


「えっ、みんなどうしちゃったの?今日は3人そろってハンバーガーの口なの?」

「内緒よ」

「うん、うまい。アデルがもうちょっと早く来ればなぁ」

「あの話が最高のスパイスになったってところかしらね」


 えー、なんかズルい!とむくれそうだったアデルも、3人につられてハンバーガーに手を伸ばした。どうやら機嫌は治ったらしく、ひとつ目を頬張りながらも、もう片手ではポテトをつまんでいる。


 そんなアデルを見て、ブルーはハイジとの再会を思い出していた。



『食べられるとこまででいいから、遠慮なくいっちゃって、ホラ!――』



 見た目は似ていないし、ハイジのような強さもないこの孫娘だが、しゃべり方と仕草はそっくりだ。無鉄砲で回りを考えずに突き進む癖があることや、ちょっぴりデリカシーに欠けるところも。


――そしてあたしはきっと、この子にもこれから散々手を焼かされるんだわ。ハイジのことを放っておけなかったようにね。


 

「アデル」

「ん?」

「ここに呼んであげなさいよ、彼のおっちょこちょいのおかげで、あたしたちも結婚を許す気になってるんだから」


 アデルはハッとし、恥ずかしそうにうつむいてメールを打ち始めた。彼はほどなく店にやってくるだろう。そうしたら散々にからかって、おめでとうと言ってあげたい。


 ハイジは若くして愛するものを失った。それでも彼女の一生は幸せなものであったが、アデルにはそれ以上に幸せになってもらいたい。そのためにもエースにはくぎを刺しておかなければ――。


(なんだか娘や孫を見る気持ちになるわね……。まぁそれも新鮮で刺激的だわ)



 その時、有線から先ほどと同じ曲が流れてきた。

 ヴェルナーの「野ばら」である。


「ほにーひゃん、ほれ、ほもひうは」アデルが口をもぐもぐさせながらジークに何事かを言った。

「食べながらしゃべるんじゃない」ポテトをつまみながらジークは苦笑いした。

「――これ、子守唄って言ってたよね。子供の時、覚えてる?」


「あっ!」アデル以外の3人は顔を見合わせた。そんな3人の様子を見てアデルは目を丸くしている。


「そうそう、肝心な話をしてなかったわね」ブルーはぺろっと舌を出した。

「この歌がどうして子守唄なのか、ブルーさんは知ってるっていうんだよ」ジークはアデルに教えた。

「それでアデルのお祖母さんのお話を聞いてたのよ。素敵な話だったわ。マックの話もそこでね」

 私なしでズルいなぁと口では不満を吐きながらも、アデルは興味深そうにブルーに話の先を促した。



「話はまた、50年以上前に戻るけれどね……」



 ハイジが無事元気な女の子を出産してひと月あまり経った頃、ブルーはハイジのある様子を不審に思った。ランチの女達がなにくれと世話を焼いてくれるので子育ては滞りなく行われていたし、子供達も本当の妹が出来たかのように可愛がってくれ、何一つ問題はなさそうだった。


 しかし、ハイジは時々子供を抱いてふっと姿を消すのである。姿を消すと言っても、厩舎の飼葉の束に座ってガブリエルに鼻息で叱られたり、リンデンバウムの葉を見上げてため息をついたり(おそらくグランマが姿を現すのを待っているのだ)しているだけなのだが、その時はあきらかに他人を避けており、深刻に悩んでいるように見えた。


 あるときブルーは、娘を抱いてテリーの牛追いを見ているハイジの背後からそっと近づいてみた。かすかな独り言が聞こえたので、それに耳を澄ませたブルーはハイジの悩みの正体を知り、ふふっと笑い声を洩らした。


「うわぁ!びっくりした!……なんだブルーかぁ」

「なんだじゃないわよ。ねえ、あなた今、歌っていたの?」

 ハイジはぎくりとして、そのあとまいったなあという顔をした。

「この子に、子守唄を歌ってあげたくてね、だけど……」


 自分は子供に歌ってあげる優しい歌を何一つ知らないのだと、ハイジは言った。娘が生まれる前まで、ひとり復讐のために生きるか死ぬかの瀬戸際を歩いてきた自分には、そんな歌を聴くゆとりがなかったのだとも。

「ランチのみんなは子育ての何もかもを教えてくれて、それはとっても助かっているのだけど、歌くらいは母親の私から与えてあげたいの」

「その気持ちは分かるわ。でもね」

「我がままかな?」

「歌うにしたって、もうちょっと選びなさい。さっきこっそり聞いたけれど……ロックはいただけないわ」


 そりゃそうよね、とハイジとブルーは顔を見合わせて笑った。二人は気づかなかったが、腕に抱かれた娘も、たしかに、かすかに微笑んだのだ。



「そういうことがあって、あたしがハイジに教えたのがこの『野ばら』だったの。子守唄ではなかったけれど、とても優しい曲だったから」

 ブルーは手のひらを皆のほうに向けて「はい、これでお話は本当におしまい」と微笑んだ。


「ブルーがおばあちゃんに教えて、それを母さんが私たちにも歌ってくれたから、ずっとこれを子守唄だと思ってたんだね……なんだか不思議」

「あたしだって忘れかけていた話よ。まさか数十年経って話すことになるなんてね、不思議」


 

 有線から流れる「野ばら」は、女性が日本語で歌ったあと、男性が原詩で歌うというものだった。

 ブルーはそれにあわせて、その懐かしい歌を口ずさんだ。


Sah ein Knab' ein Röslein stehn,

Röslein auf der Heiden,

war so jung und morgenschön,

lief er schnell, es nah zu sehn,

sah's mit vielen Freuden.

Röslein, Röslein, Röslein rot,

Röslein auf der Heiden.



 アデルとジークは心地よさそうにその歌に聴き入ったが、カヲリだけは違う反応をした。歌い終わったブルーににじり寄り、ドイツ語が分かるのかと質問している。


「そりゃあ、天使ですからね。人の言語をこうも多彩にしたのはそもそも天界の思惑だし、大抵の言語は分かるわよ。ただ、日本語は難し――」

「ブルーさん、うちでバイトしない?」カヲリが真剣な目で言った。

「は?」目を丸くするブルーに、カヲリは続けた。


 ここ数年、輝夜には外国人の訪問が増えている。情報の売買を「副業」とする住人にとって、外国語は何よりの武器になる。どうか楽園の果実の店員として、その手助けをしてくれないかというのだ。


「カヲリ!スカウト熱心もいいけど、ブルーは一応天使だよ?」

「一応、って失礼な……。でもまあ、人間界の社会勉強にはいいかもしれないわね。気が向いたときだけ、お手伝いしてあげてもいいわよ」


 この輝夜という街には油断ならない魔族やvampだっているし、仕事という口実で滞在し続られるなら好都合でもあるのよね。それに――。



 あたし自身がこの街にちょっとだけ愛着をもってるっていうのもあるしね。


 

 深夜を回った楽園の果実の店内は、新しい店員を迎えてにわかに賑やかになった。海風の音。有線から流れる静かなクラシック。女達の笑い声。ちょっと品のない食べ物の匂い――ブルーはかつてもこんな風に穏やかな夜を過ごしたことを思い出していた。



『Desert Rose』 Fin


Deadlock Utopia 続編『Desert Rose』を読んでくださってありがとうございました。


この話で謎の生命体である「残党」の正体を明かすことができました。

過去に残党との間に起った、輝夜での大戦闘については、次の完結編で触れたいと思います。

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