序章:「彼女」の思い出
2071年、日本の他種族共生特区「輝夜」にて。
Bar「楽園の果実」に呼び出されたジークとカヲリとブルーは、待ちぼうけを食わされていた。
そんな時、店内に流れた静かなクラシックをジークは「子守歌だ」という。
それを聞いて愉快そうにする天使のブルー。
彼女には、その曲にまつわる思い出があったのだ。
親友~ジークの祖母であるアーデルハイト~との思い出が。
<2071年 輝夜~楽園の果実~>
女は時計をちらりと見ると、店内に流れていたジャズの有線を切った。途端に潮騒がこの店のBGMとなる。カウンターから出て看板の照明を落とし、シェードを下げた。あけた窓からは海風が潮の香りを運んできて、その心地よさに思わず目を細めた。
カウンター席で、ライムを絞った炭酸水を飲んでいた男が、申し訳なさそうに女に言った。
「カヲリちゃん、ごめん。あいつ一体何やってるんだか……」
カヲリは首を振って答えた。店の時計は23時を回っている。
「いいのよ。ジークも呼び出されたんでしょ?この時間じゃあもうお客さんも来ないし、閉めちゃいましょう。それにしてもアデル、遅刻でも来るって言ってたのに、さすがに遅いわよね。ブルーさん、何か聞いていない?」
「あたしよりカヲリさんじゃあないの?まあ、あの子にナニかあるってことはないわよ……で、あたしは居ていいのかしら?」
同じくカウンター席で、こちらは冷酒をちびちび飲んでいた天使、ブルーはカヲリとジークの顔を見て尋ねた。
輝夜のビーチにあるBar「楽園の果実」では、店長のカヲリ、客であるジークとブルーが、店員でありジークの妹であるアデルに待ちぼうけを食わされていた。どうしても頼みたいことがあるから店で待っていてほしいと呼び出された3人は、呼びだした当人が一向に現れる気配がないので時間を持て余していた。
カヲリは2人に飲み物のおかわりを尋ね、自分も軽い果実酒を飲むことにした。
「これからはプライベートで飲む時間にしましょ。ブルーさんもジークも、時間があるならどうぞおしゃべりでもしていってくださいな。うちの不良店員がご迷惑をおかけしました」
そういうと、レジスターの電源を落とした。慌てて財布を出したジークを制し、夜遊びの過ぎる定員の給料から引いておくと、カヲリは冗談めかして言った。
「そもそも、アデルのやつ、何でオレたちを呼びだしたんだろうな」
ブルーと同じ冷酒を飲みながら、ひとり言のようにジークがつぶやいた。
「さぁ……お給料の前借りかしらね?何か急にお金が必要になったとか……」
「あら、あたしはスナイプの依頼かと思ったけれど?一体、誰を撃ってほしいのやら」
「だったらわざわざ3人とも呼び出さなくても……」
そこまで言って、ジークは違和感を覚えた。このふたり、何かを隠している。というより、3人が3人とも、誰かが事情を知ってるはずだとカマをかけ合っているみたいだ。しかし、実際のところオレは何も知らない。「次の非番の前夜、果実に来て。頼みたいことがあるの」と用件のみのメールが一通、あったきりだ。
こちらの都合を返信して以来連絡はとっていないし、今日は何度か電話もメールも入れているが、全く反応がない。カヲリやブルーも同じ用件で呼び出されていると知らなければ、心配で居ても立っても居られないところだが……。
「カヲリさん、やっぱり何か音楽をかけてもらっていいかしら?」
「もちろん……何かリクエストは?」
「クラシックをお願い。静かな曲がいいわね」
有線のチャンネルを合わせると、ピアノ伴奏に合わせた女性の歌声が流れてきた。誰もが一度は耳にしたことがあるメロディに、ジークがぽつりと「子守唄か」と言った。
「あら、確かに静かな曲だけれど、これは子守唄じゃないわよ」
「あぁ、そうなんだけれどね。うちの母親がオレたちを寝かしつけるとき、枕元でよくこれを歌ってくれて……だからオレはしばらくこれを子守唄だと思ってたんだ」
「へえ……ちょっと素敵な話ね」
カヲリが同意を求めようと、ブルーの方を見ると、何やら愉快そうにくすくすと笑っている。それを見たジークが照れくさそうに言った。
「やっぱ、変だよね。これを子守唄の代わりになんて……」
「いいえ……笑ったのはびっくりしたから……でも、あたしも素敵な話だと思うわ」
「びっくりって、どうして?」
ブルーはグラスを置くと、カヲリとジークの方に体を向けた。店内には透き通るような女性の歌声が流れている。
「この歌がどうして子守唄なのか知ったら、あなたたちもきっと驚くわ。そのために、あたしが今から昔話を一つするわね」
――あたしと、ジークさんのおばあちゃんの話よ、とブルーは静かに語り始めた。
Deadlock Utopia 続編『Desert Rose』(前)に続きます。