第520話 研究所から脱走して来た男
しばらく荒野の道路を走り抜けて、俺達はニューメキシコ州へと入った。枯草の荒野の大地が広がり、とても乾燥している土地だ。それでいて熱くはなく、日光だけが俺達の乗るキャンピングカーを照らしている。
何故俺達がここに来たかというと、ジェフ・ベイツの情報を手繰っているうちに、ある米軍の研究所とのコンタクトが何度かあったからである。仕事上の関係なのかと思っていたが、国立感染症研究所との繋がりが無いような施設だったために確認しに来たのだ。
ミオが言う。
「ここも独特な風景よね」
「確かに、ユーラシア大陸とはまた違うわね」
ツバサがそう言うと、マナがポツリという。
「乾燥で肌が悪くなりそう。シャーリーンさんがUVのクリームを用意してくれて良かった」
「ほんとうね」
いずれにせよキャンピングカーでの移動なので、日光は問題ない。今は、郊外の研究所に行くために、高速道路を下りて何もない道をひた走っている。
だが一時間ほど進むと、路上に人影がいるのが分かった。
「道路に誰かいるなあ」
運転しているタケルが言う。
言われて俺達が前を見ると、真っすぐの道の上に一人の人が歩いているのが分かる。
「車もねえし、フラフラだぞ。どうする?」
するとミオが言う。
「もし困ってるなら助けましょう」
「りょーかい」
俺達の車が近づくと、男が力なく手を振った。
「やっぱ困ってんだ」
車を道路わきに停めた時に、皆が俺を見る。もちろん確認する為だ。
「あれはゾンビじゃない」
「そうか」
そうして俺とクキが車を降りると、その男はばさりと道路に倒れ込んでしまった。急いで駆けつけると、肌は乾燥しており憔悴しきっている様子だ。
「大丈夫か?」
「あ、あう。み、水を」
そこにミオが水をもってやって来たので、俺が受け取りそいつに渡す。
ゴク! ゴク! ゴク!
五百ミリのペットボトルが一気に空になる。だがそれでも意識がもうろうとしているらしく、まだフラフラしていた。そこにエイブラハムがやってきて、男に触れても良いかと俺に聞いて来る。
「問題ない」
エイブラハムが触れると、険しい顔で言う。
「熱がある。熱中症だな」
それを聞いてクキが言う。
「運ぶか」
俺達が男を車に運ぶと、気を失ってしまったようだった。とりあえず水で濡らしたタオルを巻き、冷えたペットボトルを首や脇に挟む。
タケルが言う。
「冷房ちょっと強めにかけとくか」
「そうね」
応急処置をして、エイブラハムが言う。
「どこかに入院させた方がええがのう」
「でも、ここから研究所までは、街らしきものは無いですよ」
そこで俺が言った。
「大丈夫だ。とにかく回復魔法をかけて回復させる」
男に手を触れて回復魔法をかけると、苦しそうな表情が引いて落ち着いてきたようだ。
「大丈夫そうだ! 武、車を出してくれ」
「あいよ」
そうして車はまた走り出す。少し走っていると、男が薄っすらと目を開けた。そこでエイブラハムがぬるめの水と、食塩を差し出す。
「これをペットボトルに入れて飲みなされ」
「すまない」
そうして男は食塩水を飲み干した。回復魔法をかけているので、直ぐに普通の状態に戻る。ようやく意識がはっきりして来たのか、そいつが窓の外に目を向けた。
「お、おい! 何処に向かっているんだ!」
それにはクキが答える。
「この先にある、米軍の研究所だ」
「米軍? 違う! だめだ。戻れ! 俺はそこから来たんだ!」
「どういう事だ?」
「とにかく戻るんだ!」
そいつは突然立ち上がって、運転席に向かおうとしたので俺が押さえた。
「まて。説明しろ」
「やめてくれ! このまま戻らないでくれ!」
明らかに様子がおかしい。そこでクキがタケルに言う。
「いったん止めろ」
「ほい」
車が止まると、その男は少しだけ落ち着きを取り戻す。あたりには何もなく、ただ広い荒野のど真ん中に車は止まっていた。
「答えてくれるか」
「わ、わかった」
とにかく男を落ち着かせて、話を聞く事にした。
「直ぐに警察に行ってくれ」
「警察?」
「あそこでは違法な人体実験をしている。俺は募集広告を見て家族で被験者に申し込んだんだ。募集ではサプリメントの試験となっていたんだが違う。寸前のところで逃げ出して来たんだ。頼む! 警察に! あそこにはまだ家族がいる!」
「人体実験?」
俺達は顔を見合わせる。そこでクキがアビゲイルに言った。
「ビンゴじゃないか?」
「まだハッキリとは分からないですね」
「行って見るしかないか」
そう言うと、男は青い顔をして言う。
「ダメだ。いっちゃダメだ。警察を連れて行こう」
そこでクキがはっきりと言った。
「もしそこで想像するような事が行われていたら、俺達が何とかする」
「……あんたら一般人だろ」
「まあ、そうだけどな」
「行くな。とにかく引き返して、警察を呼んだ方が良い」
だがクキが首を振って男に言う。
「多分。警察じゃ太刀打ちできん相手だろうな」
「あんたらだって出来ないだろ! 俺は皆を代表して、ひとりで何とか脱出して来たんだ!」
「出来る」
だがそう言うと男が、大きな声で騒ぎ出した。
「じゃあ! 俺だけおろしてくれ! ここから歩いて行く!」
「町まではだいぶあるが」
「あそこに丸腰で行くくらいなら、その方がマシだ」
だがクキが男に諭すように言う。
「その施設から逃げて来た……という事は脱出ルートを知ってるんだな」
「な、なんとかな」
「案内してくれ」
「い、いやだ! やめろ! それじゃ家族を救えない!」
真っ青になって暴れそうになったので、コンッ!と俺が意識を刈り取る。
「ついたら起こそう」
「ああ」
そうして俺達は研究所に向けて再び進む。すると道の先に施設が見えて来た。
「遮蔽物が無いから目立つな。だが道は続いていて、通過できるようにもなっているようだ」
「じゃあ、通過するふりして通り過ぎてみるか」
「そうしてみよう」
そして俺達の車が走っていると、その前にある監視所から人が出て来た。
「なんだぁ? 族車止めみたいなのが敷かれたぞ。パンクするかも」
銃をもった軍人らしき人間らが十人ほど出て来る。そのうちの一人が叫んだ。
「車から降りろ!」
そいつがやってきて運転席のタケルに言っている。なので俺とクキが代表して降りる事にした。下りて目の前にしてみれば、全員がヘルメットをかぶっていて顔が見えない。
クキが言った。
「あー、旅行なんですがね。何かありましたか? 我々はこの道を抜けたいんだ」
すると兵士が言う。
「男を見なかったか? それほど背は高くないが、無精ひげを生やした男だ」
「どうだったかなあ」
曖昧に答えると、兵士達はぞろりと俺達を囲んだ。
「もし男に接触したなら、一緒に来てもらわねばならん」
「いやいや。我々は旅行をしているだけだ」
「車の中を見せろ」
車に行けば、当然男が見つかる。そこで俺はクキに目配せをする。クキが兵士二人を連れて行き、俺は兵士達に銃を向けられている。
「物騒だな」
「黙ってろ」
そして、クキが二人を車に乗せつつ後ろから飛びかかったのを合図に、入り口の監視カメラに居合で刺突閃を飛ばし、更に俺はそこにいた八人の意識を刈り取った。
車の方からはクキが頭の上で丸を作っている。
俺は道路に倒れた男らを、ポイポイと道のわきに投げ込み、パンクさせるための器具を遠くへ放り投げる。するとキャンピングカーが進んできて、クキが残りの二人もポイっと道路わきに投げた。
「ファーマー社のマークが無いな」
「いずれにせよ怪しい」
「だな」
俺が車に乗り込んで、逃げて来た男を起こしす
「う、うう……」
「着いたぞ。案内してほしい」
「う、うわ!」
研究所の近くに到着して、男は怯えるような顔をする。
「どうした」
「まさか。あんたらも研究所の人間か?」
「違う」
道路脇に倒れている軍人を指さす。
「ころし……たのか?」
「その方が良かったか?」
「そ、その方が良い! これをあんたらがやったのか?」
「そうだ」
すると男の目に、生気が戻ってきたようだ。
「武器をもっているのか!」
「まあ、そうだが」
今度は男がクキにしがみつくように言う。
「なら、まだ中に被験者がいる! そいつらを助けられないか!」
「わかった。まだ、生きていれば助けられる」
「そ、そうか! それで、銃は?」
「無い」
「はっ?」
「大丈夫だ。それに銃を使えば敵にバレる」
「……わかった。あんたらが何ものかは知らない。だが助けてほしい……あそこには、俺の妻と娘もいるんだ」
俺達はまた顔を見合わせて、男に言う。
「人質がいるなら、静かに入って言った方が良いな。侵入経路を教えてくれるか」
「わかった。行こう」
そうして、俺達は車に残るのは危険と判断し、全員でこっそりと研究所に入る事を選んだのだった。




