第452話 凄腕スパイの手並み
俺達は簡素な部屋に通され、長い机の椅子に座らせられた。ファーマー社の人間が後から入ってきて、シャーリーンに挨拶をする。どうやら名刺を交換しているようで、次にミオがそして俺が見よう見まねで名刺を渡す。
「これはどうも。わざわざインドまでご足労いただいてありがとうございます。レベンテック社さんから声がけはうれしいですね。これまでアラブ首長国連邦政府は、ファーマー社とは取引をしておりませんでしたから」
「非常に良いお薬を作っていると聞き及んでおります。感染症なども流行るこのご時世ですから、当社としては特例で認めてもらいました。アラブ首長国連邦では未だ取引はしないようですが、緊急特例承認をもらったのです」
レベンテックというのは、シャーリーンが属している会社の名称だ。アラブがゾンビに汚染されていないのは、ファーマー社との取引をしていないからだった。
「お目が高い。特に当社はウイルス関連やDNA関連の薬に強いですから、きっと御社のお役に立てるかと思います」
「ありがとうございます」
すると目の前の担当者が立ち上がって、部屋の壁際にある自動販売機にお金を入れて言う。
「何を飲みますか?」
シャーリーンが答える。
「三人には水を」
自動販売機からペットボトルの水を持って来て、俺達の前に並べた。シャーリーンがそれを開けて飲んだので、俺とミオもそれに習って飲む。
「インドは暑かったでしょう?」
「アラブとさほど変わりません」
「そうですか。それでは早速本題に入りましょう」
「はい。恐れ入ります」
ファーマー社の担当が、カタログを並べタブレットで情報を見せ始める。だがそのどれもが、予防薬や除菌薬の類だった。シャーリーンがそれを見て、ファーマー社の担当に言う。
「新薬は見せてもらえますか?」
「わかりました」
そしてタブレットで違う情報を見せ始める。すると少ししてシャーリーンが言った。
「恐れ入ります。ちょっとトイレをお借りしたいのですが」
「ああ、どうぞ。廊下を進んだ先にあります」
「失礼します」
俺とミオが、担当者と共にその部屋に残され、何も話す事が無いので黙っていた。するとファーマー社の担当が言う。
「ドバイは、いいところなのでしょうねえ」
そこでミオが言う。
「ええ。ですがチェンナイにも、歴史的な建造物がおありでしょう?」
「そうですね。でもネットで見るところによると、ドバイではよく高級車を見かけるとか?」
「それはそうです。あちこちを走ってますよ」
「きっとお金持ちがいるのでしょうなあ」
「だと思います」
「私達も、もっと貢献して頑張って、そのような暮らしをしたいと思います」
「ファーマー社さんは、世界で売れてますものね」
「おかげさまで。先進国では、特に当社の薬品やワクチンを使っていただいておりますね。なによりも、政府が直々に取引をしてくださることが多いですからねえ」
「世界中の政府に、ご意見番としていらっしゃいますもんね」
「ははは。そうなんですよ、世界がより良い薬品を欲しがっているのでしょう。レベンテックさんのように、政府に反して直接取引してくれるのはありがたいのですが、出来ればアラブ首長国連邦政府に働きかけて、説得してほしいものです。そう言う訳にはいきませんかね?」
「それは上司じゃないと分かりません」
「なるほどなるほど」
俺が見ると、ミオの眉間には血管が浮き出ている。恐らくは怒っているのだと思うが、顔は穏やかに笑っていた。
「下世話な話、ファーマー社さんはお給料がいいのでしょう?」
「そんなそんな、大したことはありませんよ」
「普通の企業よりは、いいと聞きました。出来る事なら、御社にお世話になりたいものです」
「またまたー。上司の方に叱られますよ」
だがそこでミオは表情を変えて言う。
「ですが、最近は株価も落ちぎみのようですね」
するとファーマー社の社員が、不機嫌そうな顔になり言う。
「そうなんです! ファーマー社を誹謗中傷するデマが広がっておりましてね! あの国連事務局での放送を見ましたか! あんなSFXまで駆使して、デマを広げようという組織があるらしいんですよ」
「それは酷い。どうしてそんな事するんでしょうね?」
「ですよね! 株価が下がれば私達への配当も下がる! まったく余計な事をしてほしくないものです! 特に正義の女帝とか言うテロリストが、世界中にデマをばら撒いているそうなのですよ」
それはミオの事だ。だがミオは顔色を変えずに言う。
「あの事件は見ました。あれは本当にデマなのですか? 随分リアルに見えましたが」
「やっぱりそう言う人多いんですよね。本当にテロには参っちゃいます」
「テロ…ふふっ。酷いものですね。人の命を何だと思っているんだか!」
ミオが膝の上で拳を握りしめている。顔は笑顔を形作っていた。目の奥が全く笑っていない。
コンコン!
「はい」
「すみません! 慣れないインドでお腹の調子を壊したようで」
「あ。それでは胃腸薬を」
「あ、それには及びません。私は専用の漢方じゃないと拒絶反応が出ますので」
「あ……そうですか……」
するとそこでシャーリーンのスマートフォンが鳴った。するとファーマー社の担当者が言う。
「どうぞお出になってください」
「すみません」
シャーリーンが電話に出て話をし、すぐに切る。
「すみません。せっかくお時間を頂いたのに」
「どうされました?」
「アラブ首長国連邦政府では、ファーマー社さんとの取引を認めないと会社に通達が入ったそうです」
「えっ!」
「当社としては、なんとしてもお取引したかったのですが……。それを突破口にして、アラブ政府を説得しようとしたんですよ。ですが…やはりだめになってしまったそうです」
「ちっ!」
「えっ?」
一瞬ファーマー社の担当は表情を変えたが、直ぐに元のスマイルに戻る。
「仕方ありませんねえ。当社との取引を拒むだなんて、アラブ政府の高官も何を考えているのやら」
「今、報道になっているようです」
「えっ!」
するとファーマー社の社員が、慌ててリモコンを取って部屋にあるテレビをつけた。テレビではアラブ首長国連邦政府が、ファーマー社とは取引をしないと発表しているところだった。
「残念です。私達も政府には逆らえません」
するとミオがニッコリ笑って言う。
「こんなニュースが流れてしまうと、また株価が下がってしまいますね。気の毒に」
「い、いえいえ。大したことはありません! 別に取引してくれる国はいくらでもありますから!」
「そうでしょうね」
そしてシャーリーンが席を立って言う。
「では失礼いたしました。不要な時間を取らせてしまいましたね」
するとファーマー社の社員が言う。
「もう少しきちんと根回ししてきてほしいものですな! 私達も忙しいので」
「本当に申し訳ございませんでした。ではあなた達、行きましょう」
そして俺達は普通に部屋を出て、そのまま門を通り外に出た。
ミオが腹立たしそうに言う。
「見送りもしない! どれだけ失礼なんだか」
「まあ商談にならないと決まりましたからね。本当に忙しないものです」
そこで俺がシャーリーンに聞く。
「情報は?」
「取れました。戻ったらお話しましょう」
「わかった」
俺達はチェンナイの町を歩いて、自分達のキャンピングカーに到着する。俺達が中に入ると、直ぐに車は出発した。
アビゲイルが聞いて来る。
「どうでしたか?」
「なんと言う偶然でしょうか、確か新聞でニュースがありましたね」
「人魚?」
「その湖付近に秘密の研究機関があります」
「そうなのですか?」
「情報はここに」
そうってシャーリーンは、USBのメモリを取り出した。それをオオモリがパソコンに入れて見てみると、そこにはチェンナイの研究施設の詳細が入っていたのだった。




