死が2人を分かつまで
報われない恋をしている。
彼の目線の先には、常にあの子が居た。
大きな目に長いまつ毛、少しくせっ毛の肩より長い髪。笑顔が絶えない彼女は常に世界の中心に居た。
私は、なんて比較対象にもならない。
彼には既にお前はいい友達、と言いきられている。告白前に玉砕だ。
彼の瞳が熱を持つ。私から見てもあの子は完璧だ。完璧に可愛らしい見本のような女子。
適うはずもない。
「見すぎ」
見惚れていた彼の肘に鉄拳を食らわすと、彼はハッとした様子であわててこちらを向き直す。
「いや、ホント綺麗だよな」
「輪の中入ってきたらいいのに」
「いや、だってそうしたらさ」
「いいよ、私の事は気にしないで」
「……わかった」
席を立って、彼は輪の中に入っていく。私は立ち上がって屋上に向かう。
「もうらくになりたい」
ただ逃げたい。ここに居たくない。
私を呼び止める声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだ。
大事なものには失ってから気づくって言うし。
柵を越えて空を飛ぶ。ふわり、と一瞬鳥になった気分だったけれど、あとは頭から真っ逆さま。世界がスローモーションに見えて、窓越しに彼と目線があった気がして私は彼に向かって微笑む。
本当に好きだったよ。
だからもうさよなら。
襲って来るだろう痛みに耐えるように目を瞑る。
けれど、いつまでたっても衝撃は来なかった。
「なあ、なあって!」
体を揺さぶられる衝撃に驚いて目を開ける。彼が目の前で眉間に皺を寄せて、泣いていた。
「痛くない?」
「なんで飛び降りたりしたんだ」
「なんで生きてるの。怪我もしてないみたいだし」
「どうしたらお前は生き延びてくれるんだ」
彼は起き上がった私を力いっぱい抱きしめる。
「俺と付き合ってもダメ、なら最初からって思った。なのに、なんで死ぬんだよ」
「なんのはなし?」
「お願いだから生きてくれ」
「だから、一体なんの」
彼の体を押しのける。彼は子供みたいにボロボロと涙を流して私の肩をぎゅうう、と掴む。
「俺はお前と一緒に生きたいだけなんだ」
ループが始まったのはいつからだっただろうか。
俺は彼女が好きだった。彼女も俺が好きなのはわかっていたから告白した。ふられるなんて、思ってなかった。
彼女は自己評価が低い。彼女の周りは彼女を貶めて下げるヤツらばかりだった。彼女が友達だと言うのなら俺は彼女の意思を優先しようと。そう思っていたら、彼女が死んだ。
屋上でふざけていて、間違って押してしまったなんて誰が信じるんだろうか。
その場にいた1人を問い詰めたら、彼女は故意に突き落とされていた。俺の事を好きだった彼女の友達に。
断ったのも、そいつが原因だったらしい。
彼女の葬式には参加せずに、俺も彼女の後を追って飛び降りた。
そして俺は自分のベッドで目覚めた。時間が巻き戻った事に気づいた。
俺は真っ先に彼女の友達を排除した。彼女は孤立したけれど、俺が傍にいた。彼女を1番に支えようと思った。
その矢先に、彼女が飛び降りた。
遺書には自分が出来損ないのせいで俺に迷惑をかけているのが辛い、と書かれていた。
なんだそれ。迷惑なんて誰が言ったんだよ。
俺は確信を得て、同じように屋上から飛び降りた。そして、彼女が自殺する幾日か前に戻ると同じように彼女の友達を排除し、彼女が入っても害のないグループを探した。
クラスの人気者、中心。あのグループなら彼女を守ってくれるだろうか。俺は彼女に相応しいかどうか暫く観察した後、合格だと判断する。
交渉に向かってから、彼女が席に居ないのを気づいて、ふと嫌な予感がして窓を見ると、窓越しに彼女と目線があった。
そして今日に至る。
気が狂いそうだった。どうやったって彼女は死を選ぶ。どうやったって救えない。今日は何度目なのだろうか。彼女は何度目の死を迎えたのだろうか。彼女にとって死が救いなら、いっそ。そう考えて彼女の首に手をかける。
「ごめんね」
彼女が微笑む。泣きながら俺は手に力を込めていく。
「直ぐに後を追うから」
そこで2人で生きよう。死ねない世界なら2人で生きられる。
ガタン、と外で何かが倒れる音がして、女性の叫び声と男性の怒鳴り声が聞こえてくる。俺は我にかえって手の力を抜いて彼女から手を離す。咳き込む彼女を横目に、カーテンをめくって外を見るとナイフを持った男が外で暴れているのが見えた。
「ど、うしたの」
「外でナイフ振り回してる」
「本当だ」
警察を呼んだ方が良いのだろうけれど、窓越しに見下ろす世界には現実感がなくて、テレビドラマでも見ている様だった。
「ここに閉じ込めたらもう死なない?」
「それもいいかもしれないね」
「結婚しよう。養うから一生外に出ないで。学校もやめてくれて構わない。辛いなら死以外を選んでくれ」
「どうして死を選んではいけないの?」
「俺のエゴだ。もう君の死体は見たくない」
再び抱きしめると、彼女の心臓が動いている音がして生きているのだと安心する。首をしめて殺そうとしていたのに、生きていて安心するなんて矛盾しているなと思うけれど。
「私の事が好きなの?」
「君が居ないなら俺が生きる意味なんてない」
「答えになってないような」
「好きだ」
「告白より先にプロポーズって」
彼女は呆れたように笑う。俺は彼女の頬に触れ、唇をそっと重ねる。
「結婚しよう」
「あのね」
「返事は?」
「いい、けど、っ!いや、こないで……」
背中に衝撃が走る。そういえば家の鍵はどうしていたっけ。彼女の上に庇うように覆いかぶさっていると、背中に刺さったものは抜かれて、何度も何度も俺を抉る。彼女が離して、いやだ、なんて言っているけど聞くわけないだろ?
パトカーのサイレンの音が聞こえてきて、走り去る足音がしてから彼女の顔を見ると涙でぐしゃぐしゃだった。
「ハハ、いつもと」
逆だな、言い終わる前に意識は途切れた。
最初からこうすればよかったんだ。俺が死ねば、彼女は。
「死なせないから」
私は血まみれのまま学校の屋上に向かう。包丁で自分の体を刺すのは流石に気が引けた。道行く人は血まみれの私を見て悲鳴をあげたけれど、そんな事どうだっていい。
階段を何段か飛ばしてのぼって、ようやく屋上への扉の前につくと、鍵がかかっていて外に出られないようになっていた。
「なんで……なんで!!!!!!」
ガチャガチャと乱暴にノブを回しても、空回りするだけで空くことはない。
「それなら……!」
いくつ街の高めのビルに向かったけれど、屋上への扉は同じように閉ざされていた。それならと階段の踊り場から飛び降りようとしてたところを警察に捕まってしまった。
事情を聞かれ、何日間か拘束された後家に帰れたのでタオルをノブに括ってそのまま首をつった。それでも死ねなかった。
何度死のうとしても死ねなかった。
ついには拘束されて病院に入れられた。
これじゃあ彼を救えない。
ガラスを割って手首を切った。
死ねなかった。
薬をくすねて一気飲みした。
死ねなかった。
こんなの、生きているって言えるのだろうかという暮らしを何年も繰り返して。
私は監視の目を盗んで飛び降りて、ようやく戻ることができた。
家の鍵はかけた。部屋の鍵もかけた。首をしめる彼が懐かしくていつの間にか泣いていた。
「なんで泣くんだ?」
「やっと会えたの」
彼の手から力が抜けていく。外はパトカーのサイレンが鳴り響いている。予め不審者を見かけたと通報しておいたのだ。
「やっと、やっと」
私は彼に抱きつく。
「もう死なないから。だからあなたも死なないで」
彼はなにも言わずに私を抱きしめてくれた。
もうこの温もりを失ったりはしない。
「本当に、死なないんだな?」
「貴方が死なないなら」
「そっ、か」
彼は心底安心したように微笑む。報われない恋をしていたと思っていた。その恋は報われていたのに。
「一緒に生きよう?」
今度はお互いしわくちゃのおばあちゃんおじいちゃんになるまで、2人で一緒に。