昔話
三題噺もどき―ひゃくさんじゅういち。
お題:満月・古い・針箱
シン―とした空気が張り詰める。
息を吐けば、それは白く染まり、ゆるりと世界に溶けていく。
かじかむ手のひらを温めようと息を当て、冷えての繰り返し。
「……」
これだから冬は嫌いなのだ。いくら温めようと、ぬくもりを求めようと、すぐに冷たさに襲われる。無意味と化す。―何もかもが無駄な抵抗だと言い聞かせてくる。
「……」
今は仕事の休憩時間。
日は昇っているが、その温かさなどあってないようなものである。
―何せ外に居るのだから。
社内にいるとどうも息苦しくて、居心地が悪い。だから、私は休憩の度にこうして外に出てくる。窮屈な世界から逃れるように。
「……」
一応弁当を持参しているので、ベンチに腰かけたまま足の上に広げている。冬に入ってからは、水筒の中身は暖かな麦茶に変更された。麦茶と言えば、夏の飲み物というイメージが強いだろうが、私は年中飲んでいる。緑茶や紅茶よりは、麦茶派だから。たまに水だったりもするが…それは、麦茶を作るのをさぼったときぐらいである(結構な頻度であったりする)
「……」
一口、暖かな麦茶を飲み込み、ほっと息をつく。この時間が一番落ち着ける時間だ。仕事中は緊張し続けている。この時間が終わってしまえば、まだ業務に戻る。
午後からの(と言っても今が14時だが)仕事を乗り越えるためにも、この時間は大切だ。―休憩時間に社内に居るなど、意味がなくなる。
「……?」
そうして、今日もゆっくりとした時間を過ごしていると、視界に何かがちらついた。
ふわりと舞う、白い、何か。
視線は無意識に上空へと向けられる。
「……」
視線の先には、青い空が広がっている。昼間だというのに、真白な満月が浮かんでいる。
まるでそこだけ、ぽっかりと穴が開いたように、その満月は存在を主張している。―しかしどこか、消えそうでもあった。
「…雪…?」
その空から、ひらひらと、雨の代わりに降り落ちてくる。
―空は晴れているのに、雪が舞っていた。
ふわりと舞うそれは、太陽の光を浴びて、キラキラと光っていた。
「……」
ふと、昔のことを思い出した。
―まだ私の幼い頃。祖母がまだ存命だったころ。
その日も、こんな風に、晴れた空に雪が舞っていた。雪が降るだけでも珍しくって、子供ながらにわくわくしてしまって、外で遊びほうけていた。
古い大きな家に住んでいた祖母は、数年前に夫(私の祖父)を亡くし、1人でその家に住んでいた。だから、孫の私が来たときは、いたく喜んだものだった。いろんな話をしたし、たくさんの事を教えてくれた。
「……」
その日、慣れない雪で遊んでしまい、派手に転んだ私。
お気に入りのスカートがほつれてしまって、泣きじゃくってしまった。どう考えても自分が悪いのだけど、お気に入りのものが壊れたという喪失感に襲われて。
それを見かねた祖母が、「どれ…」と、針箱を広げながら、チクチクとスカートを直してくれた。
その時に、祖母が話してくれた。
『――は、こんな話をしっているかぃ?』
そう言って始まった、祖母の昔話。祖母が住んでいた集落で聞いたという、話だそうだ。
『ある晴れた日。一人の農夫が道を歩いていたんだと。
『すっと、突然チロチロと真白なものが空から降ってきた。
『何かと思えば、先までなかった真白な月が空に浮かんでいた。
『月のかけらが降ってきたのだと、農夫は思ったそうだが、それはどうやら雪と呼ばれるものだった。―陽の光を受ける雪は、言い尽くせぬほど、美しかったそうだ。つい農夫は見入ってしまい、そこに1人、立ち尽くしていた。
『その真横を、何かが、すーと通り抜けた。
『よく見れば、それは、どこまでも続く、長い行列だった。横切ったのは、その列の先頭だった。
『じっと、見れば、白無垢と、黒の紋付き袴が並んでいた。
『どこかの、家で結納でもあったのか―と、思ったが、そんな話は聞いていない。しかも、よく見れば、その背中がいやに盛り上がっているようにも思えた。
『さらに目を凝らしてみると、それはどうやら、人ですらなかった。
『列に並ぶ彼らも、先頭に立つ二人の夫婦も。皆頭の上に、丸い小さな耳があり、その背には太い尾があった。
『それは、狸の、狸たちの、花嫁行列だった。
『それからというもの、晴れた日に、真白な月と、真白な雪が見えた日には、狸たちがどこかで嫁入りをしているのだと。』
そんな、昔話。
「……」
狐の嫁入りは来た事あるけど、狸って…と、今なら不思議に思っただろう。
しかし、幼い頃の私は無邪気にも、私も見てみたいと、祖母にねだった。そのまま、直してもらったスカートをはき、二人で歩いたものだった。
「……」
その道中も、たくさんの昔話を聞かせてくれた。今ではもう忘れてしまったものもある。もしかしたら母も聞いていたかもしれない。案外覚えて居たりしないだろうか…。
「……」
ふわふわと舞う雪たちは、どこかで行われている狸たちの結婚を祝して。その列をかざりたてているのだろうか。
真白な満月は、彼らを照らす光を、きっともたらしているのだろう。
太陽の光では、彼らには少々強すぎるのかもしれないから。
「……」
そんなころを、ぼぉっとしながら考えながら、弁当を口に運んでいた。
いつの間にか休憩時間は終わってしまった。雪の中での休憩も悪くないと、そんなことを思いながら弁当を包みなおしていく。
「……?」
緑の中に、こげ茶の毛玉がひょこりと覗く。
それは、私に気づいたのか、慌てたように茂みに隠れ、どこかに消えてしまった。