笛響く城
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやの地元って、城跡とか城址公園はあるか?
俺のところにはあるな。最寄駅から徒歩5分くらいのところに。
城跡っていっても、広々とした堀と石垣が残されているだけ。堀の中の空いたスペースが動物園やアスレチック公園になって、開放されているな。
つはものどもが夢のあと……が、新しい世代の夢をはぐくんでいくんだ。方法は違えど、その本意に少しでも沿っているのを願うばかりだな。子らへの平穏を望む、という点で。
現在でも、日本に残されている城跡の数は100単位であるみたいだが、戦国の知識で得た限りだと、実に2万以上の城が当時は存在していたらしい。
記録にも残らない、口伝の城もあるようでな、俺も小さいころにじいちゃんやばあちゃんから聞かされたことがあるぜ。
そのうちのひとつに、不思議な伝説もくっついていてな。お前の好きそうな話だと思うし、聞いてみないか?
時は戦国時代。
俺の地元の大名はそれなりに力があったようで、精力的に領地拡大の戦を行っていたらしい。それでも3代かけてようやく領内を完全統一って話だから、歴史に残る大名家に比べれば遅足に思えるだろうな。
そんで対外の戦にも目を向け、はじめての遠征をおこなった折に、それは起こったんだ。
そこは小高い山の上に設けられた、城を攻めている際のことだった。
その日の戦では、大量に火矢を射かけたところ、「ドーン」と火薬が爆ぜる音がして、城の一角から煙が上がったんだ。事前の調べで、その個所は武器庫のあたりではないかと、見当がついていた。
さらに情報によれば、武器庫のほど近くには兵糧庫も存在しているらしく、そこが延焼しているならば、もうけものと思われていたんだ。いかに強力な兵であれど、食う飯が焼けてしまっては、満足に戦うことはできまい、と。
その日、これまで城内からかかさずあがっていた炊煙が、初めて姿を見せなかった。
これはいよいよ予想通りかと、一部の将はざわめくが、殿様はそれをおさえる。
自分の思惑を裏付けるものが、こうも早く、都合よく出てくるのは怪しい。米を炊かずとも食うものがないと決めつけるは、早合点にすぎる。ゆめゆめ油断をするな、と。
その日の攻防も膠着状態に終始し、日が暮れてからも城、およびその周辺や他大名の動きに関する報告を受け続けていた殿様。その耳にふと、美しい笛の音らしきものが、ほんのかすかに届いたんだ。
耳の良い者の話では、音は山の上の城から聞こえてくるという。その音色は、殿様の家の誰よりも流麗なもので、ややもすればうっとりとその音に耳を傾けてしまいそうになる。
しかし慎重な殿様は、ここでも気を緩めなかった。
「あの音をよく聞こうとすれば、もっと城へ近づかねばならん。なれば自然、矢や鉄砲の間合いに入ってしまい、夜目が聞く者に狙い撃たれんとも限らぬ。
誰ぞ、あの曲を聞くに良い場所へ、床几とわら人形を持て。将を模した鎧を着せ、企みか否か見てやろうぞ」
その指示で、城よりよく見え、音もよく届く3カ所に、わら人形で作られた影武者が配された。信憑性を増すための小姓も数人そばにつけ、音色が響く一刻(約2時間)あまりの間、持ってきた飯や酒を食べてくつろぐ素振りを見せながら、目を光らせていたそうなのさ。
その警戒あってなのか、殿様の恐れた狙撃は実際に起こらないまま。城攻めはそれから10日あまり続く。笛はその音色を変えながら響き、殿様のこしらえた影武者も、不自然にならない程度、場所を移動させ続けていた。
少しでも状況が動けば、兵をまとめる準備に入るのもやぶさかではなかった殿様だが、相手の援軍の報せなどは、一向に入ってこなかったらしい。
――確かに、この城は交通の要衝とはいいがたい。だが援兵の気配もないのに、城の兵が死んでいく道を城主が望むのか?
意地か? 自らの命惜しさか? あるいはこちらの思いもよらぬ策が……。
思案する殿様が控える陣幕に、やがて伝令が入ってくる。
城の大手門を破ることに成功し、兵たちが一挙に内部へ侵攻を開始したと。
それからは、これまでの苦労がまるで嘘のように、落城までは滞りなく進んだ。
というのも、大手門を守っていた兵たち以外、城の中はほぼもぬけの殻。城主とその側近の姿もなく、ひそかに逃げ出していたらしいんだ。
それを知った周りの将は、逃げた城主をおとしめたり、首実検を始めたりもした。
みな、長い籠城戦で疲れている。ひと段落したらこの城でそのまま休息を取り、明日より早急に城の整理や、守備の手はずを決める腹積もりだったんだ。
しかし、城内を改めていた殿様は、あることに気がつく。
本丸にあたる城の窓たちには、戸がついて開閉できるものも多い。それらがいずれもしっくいなどでがっちり固定され、動かすことができなくなっていた。
閉じた窓は閉じたまま。開いた窓は開いたまま。その奇妙なつくりに首をかしげながらも、殿様は自分もまた城内の一室で、休むことにしたんだ。
そして日も暮れたころ。熟睡していた殿様は、聞き覚えのある音を聞いて、目を覚ます。
あの笛の音だ。かつて城内から響くと察せられていたそれは、いまや耳をつんざくばかりの巨大な音と化して、殿様の鼓膜を震わせている。
城内を見回っていた兵たちは奏者を探し出すが、殿様は察していた。おそらく、見つかるはずがないと。
城の外から入り、また外へと出ていく風。それにざわつく、開け放した窓たちの震え……奏でているのは、この城そのものだとな。
「みな、この城から出ろ! とく退け! ほら貝を鳴らせ!」
そう叫んだ殿様の声も、おそらくは届いていないだろう。窓の外より見下ろす城内の兵たちは、困惑顔であたりを見回す者が大半だ。
急な階段を何段も飛ばし、長年の戦で鍛えた体の力に任せ、殿様は城をどんどんとおりていく。
初めの悲鳴は、数刻前に破られたばかりの、大手門からあがった。
そばにある数本の木の梢が揺れたかと思うと、燭台の近くに立っていた門兵の身体が、ぽーんと宙を舞った。壁を越える高さまで上がり、叩きつけられた兵の太ももは、イノシシの牙で突かれたかのように、深い傷ができていた。
続いて三の丸にも、怒号の渦が響き渡る。このとき三の丸にはおよそ120の兵がいたそうだが、この正体不明の輩におよそ2割が重軽傷を負わされたらしい。
そいつの影すらつかむことはできなかったと、生き残った兵たちは語る。そこかしこに火が焚かれているのに、襲撃者はその明かりの中に姿を見せない。
ただ地面にめり込むひし形、ひし形の足跡。それに遅れて立つ盛大な砂ぼこりだけが、そこにいる何かの気配をかもしだした。
二の丸にはこれに10倍する数の兵が詰めていたが、外へ出ている数なら先ほどの2倍ほどに過ぎない。
異変を察知し、槍で行く手を塞ごうとしたものがいたが、弾き飛ばされる。
くわえて、この襲撃者は斜走も蛇行も混ぜてきた。放たれた矢はその大半が外れ、良くて城郭、悪くて反対側へいる味方の急所へ突き立ってしまう。
だが、ただ一矢。見えざる襲撃者へ食らいつき、大きく揺れる矢羽の姿があった。
食い込んだ矢じりは見えぬから、奴にもしっかり肉がある。そして目印があれば、ずっとその軌跡をとらえやすい。
本丸へ突っ込んだ襲撃者は、すでに準備を整えていた兵たちに、わきから次々と槍を繰り出された。
実に20本近い槍が、見えない肉へ食い込み、とうとう襲撃者の足跡はとまった。「どどっ」と音を立てて待った砂ぼこりを最後に、城まであと百数十歩というところで、槍たちの山は動かなくなったんだ。
しかし、気を抜いてはいられない。城からの笛の音はまだまだ絶えず、また門のあたりが騒がしくなってきた。
ほどなく、城内へとどまっていた兵たちは、殿様の指示通りに外へと逃げ出していた。
あの透明な襲撃者たちは、殿様たちでなく、あの音を狙っているらしいことが、不幸中の幸い。進路をふさがなければ、気まぐれな走りをされない限り、ぶつかられはしなかった。
昨日、陣を張っていた丘まで逃げた殿様たちは、そこで笛の音の途絶えと、新しい不協和音を耳にする。
それはつい先ほどまで、自分たちが占拠していた城が、無残に倒れていく姿だった。土台をやられたらしく、天守までおおよその形を保ちながら、すとんと木々の下へ隠れていき、大きな地揺れが起こったんだ。
後日、その城のあった場所を改めたものの、わずかな石垣を残して、城郭のほとんどは姿を消してしまっていたそうなのさ。