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正体  作者: ホソチヂレメンノビタ
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震戦

八歳から十歳にかけての二年弱、量子は毎晩同じ夢を見た。


琥珀色の粘液の中で、グロテスクな極彩色の数珠状の塊が、鼓動しながら、巨大に育っていた。


それから、鱗がびっしり生え痩せ細った人間が、二本足で歩き、体をボリボリ掻いていた。


彼らは目だけが爛々として大きく、ケタケタと笑い声を発する以外、言葉を話さない。


代わりに手足をブレイクダンスみたいに動かし、頻りに頷き、相手が見るべき場所を目で指し示して、鱗の生え際がリズミカルに青く光る。



夢を見るせいで起きると微熱があり、それが二年間毎日続いた。


母親は腹を立て、「怠け者」だの「頑固者」だのと罵って、生活が苦しいことまで責任転嫁してくる。


私のことは構わないで、働きに出ていいよ、と量子は母に言った。


実際、あると言っても微熱だから、付きっ切りで看病しなくても問題はなかったのだ。



しかし母親は、何故か働きに出なかった。


いつも家に居たが、居ながらにして、量子には全く関心のない様子だった。


家事を手早く済ませると、何かの設計図を描いたり、そこに熱心に書き込んだりしていた。


量子は熱のせいで衰弱し、四六時中不安で危うかった。


他に話す相手もなく、怒りが治まったのを見計らって、母親に何度か夢のことを話した。


震えてしまって上手く話せず、母はうわの空で家事を続けたが、ある時、ふとこう言った。


「そうやって何度も見る夢は、何かの予知夢かもしれない。何かを暗示してるのかも」


呟くように、母は途切れながら言葉を継いだ。


どうにかして悪夢を終わらせたい量子は、発熱の震戦に耐えつつ、聞き逃さないよう真剣に耳を傾けた。




普通の人でも予知夢のようなものを見ることがある。


単純に未来に起こる現象が再現され、現実にその状況になった時に、あれは予知夢だったとわかるというものだ。


だが、母の言う夢は、何かの形を借りて、漠然とした状況が夢に現れるそうだ。



例えば、ある理系の学生は空の夢を見た。


彼は公園にいて、ベンチに座っている。


子どもたちの蛙鳴蝉噪あめいせんそうが、遠くに聞こえている。


だが空は、いつもの解放感のある空ではなくて、自分の身体をへし折ってしまいそうなほど重い。


自分が潰されてしまわないように、その重さを地面に吸収させ、彼はただそればかりに心を砕いて、ようやっとベンチに座っている。


学生は3週間ほどその夢を見続け、2週目あたりには精神科も受信したが、単なる睡眠障害ということで、睡眠薬と漢方薬を処方されて、それはちっとも効かなかった。


彼は理系だったので、それが『磁場』に関係している何かの暗示かもしれないと言ったそうだ。


それから彼は大学院へ進み、地球の磁場と反磁性について研究を始めた。



話を結んだ母は、目に涙を溜めていた。


薄っすらと、それが自分の父親なのかもしれないと思ったが、母に訊いてみることはしなかった。


母が泣いていて、父が今いないことから、良い思い出でないのは明白だった。



母には話さなかったが、量子の悪夢には、もっと恐ろしい続きがあった。


鱗人間は、ケタケタ言いながら、量子を泡の海に投げ込む。


量子は泡にむせて息を詰まらせ、そのまま溺れてしまう。


逃げたり、反撃したり、駆け引きで言い包めようとするが、展開によって結果が異なっても、最後は一様に最悪の結末だった。


レントゲン検査の結果、副鼻腔炎と診断されたので薬を飲んだが、副鼻腔炎が治っても熱と悪夢は続いた。



何の節目だったか、徐々に悪夢を見なくなった。


科学に解決の糸口を求めた学生。


母から聞いた話から、思い立ち、独学を始めた頃かもしれない。


寝込んでいたわけではないので、行けそうな日は学校にも出席した。


病名も付かない欠席が多いせいで、クラスでは不登校の一種だと思われていた。


赤裸々な悪意を向けてくるのは、特に男子だった。


それがなくても、悪夢はその手の展開で苦痛に至ることも多く、量子は既に、異性に対して脅威と嫌悪感しか感じなくなっていた。


科学という支えが、量子の孤独な日常に与えられた、微かな希望だった。


弱った抵抗力を回復するには、日光浴が良い。


医者に勧められて、早朝の散歩が日課になった。




五年生の秋、次第に見えてきた回復の兆しは、義務教育の暗い一面を浮き彫りにした。


教室の端に集まり、こちらを見ては口元に笑みを浮かべている集団がいるのに、量子は気付いていた。


主犯格は、ロングヘアに前髪を切り揃えた桂木瑠衣かつらぎ るいという女子で、取り巻きは秘密を握られて、命令に逆らえなくなるのだそうだ。


そう教えてくれた隣の席の古関こせきという男子も、欠席した翌日、席に花瓶を置かれる古典的な嫌がらせに遭って以来、量子に話しかけなくなった。


量子はその頃、研究日誌として、SNSにアカウントを持つようになっていた。


その日読んだサイトや資料をピックアップし、数行の考察を書き留める、簡素なサイトだ。


それをどこからか嗅ぎ付けた者が、コメント欄に、匿名で書き込むようになった。


いくら考えても、同級生が量子のアカウントを突き止める方法は、思い当たらなかった。


メッセージアプリも、電話番号も、メールアドレスも、誰とも交換したことはない。


考えられるのは、桂木がいつも、自ら自慢と実益を兼ねてうそぶいている、「身内にクラッカー(※)集団のメンバーがいる」という話くらいだった。


※クラッカー:ハッキング技術を駆使してインターネット上で犯罪行為を行う人。


しかし、いくらクラッカーと言っても、IPアドレスを特定できなければ、量子のPCに侵入することはできないはずだ。


書き込まれる内容は、その日量子がしたことや、自宅の様子や、量子の体調に関係したプライベートなものだった。


服の色を迷った日の「今日は青の気分じゃなかった?」という他愛ない書き込みから、援助交際を仄めかす組織犯罪のような内容まで、趣向は様々だ。


量子の私生活や学校での様子が見える距離にいて、量子の情報を大人の世界の何らかの組織に売った人間がいる。


量子はすぐさまアカウントの更新をやめ、ネットサーフィンでの情報収集も、オフラインでの記録のみに留めた。


桂木瑠衣は相変わらず教室の隅でたむろしており、「あのチキンが…」など聞えよがしな談話が聴こえてくる。


子どもは無垢で、学校は安全な場所だと大人は言うが、どう考えてもそんなはずはない。


信じたくはないが、この世にはネット犯罪や、怪しくも臓器売買などという商売も実在する。


小中学校は、全ての子どもを受け容れているのだから、どんな身内がいても不思議ではないのだ。


その子の責任ではないが、家庭で安全を保障されない状況であれば、加担を強要されて拒める子はいないだろう。


だが、そういう偏った家庭があるからこそ、学校が必要だともいえる。


つまり量子は、弱肉強食というほど、社会は温かみのない場所ではないと考えていた。



本が良い例だ。


本を一冊書くのは簡単なことではない。


それでも筆者が労を厭わないのは、本には分け隔てがないからだ。


量子は予てから感じていた。


人は、好きな人には真実や親切心をありのままに伝えるのに、嫌いな人には嘘と不親切な気持ちを伝える。


間違っても好かれては困るから、好ましくない人物を演じるのだ。


だから嫌われがちな人は、一生、嘘と不親切にしか接する機会がない。


そんな不運な人にも、著作家は分け隔てなく、真実の情報を伝える。


しかもその情報は、本当に人類が生存するために必要な、大事な情報であることが多い。


人の温かみを感じる機会が少なかった量子にとっては、どんな難しい本も「生きろ」というメッセージで満たされているように感じた。


少なくとも著者にとってその本は、一冊の本にするに相応しい、読者が知ってメリットのある情報が書かれているのだ。


また、本が他者に利するために綴られるように、世の中に出回るあらゆる物にも、他者に利するための工夫が散りばめられている。




桂木の動向は徐々にエスカレートしていた。


母親に相談しても「ネットなんか利用するとろくなことはない」と一言で片付けられてしまった。


書き込みの内容に関しては、同級生だという確たる証拠がないということだった。


つまり、実生活と書き込み内容がシンクロしていると感じるには、「本人がリアルタイムで読む」という条件を満たす必要があった。


例えば、たまたま遅刻してしまった日に「遅刻は良くないよ」と書き込まれた場合、「だれが、どこから、見ていたのだろう」という怖さが湧いてくるが、後で読み返せば、誰でも遅刻する可能性はあり、誰にでも書けることだと言える。


逆に、遅刻しなかった日に「遅刻は良くないよ」と書き込まれることはないから、自分の行動を知った上での発言であることがわかる。


1度きりなら偶然ということもあり得るが、そういう書き込みは既に百の桁を超えていた。




もちろん、相手にウイルスファイルを開かせたり、ウイルスを仕掛けたリンクにアクセスさせることができれば、端末に侵入できてしまうことは既に知られている。


だが量子のオンライン上での動線を把握しているのでない限り、電話番号もメールアドレスも知らない相手の端末に、ウイルスを仕込むことはできない。


量子は、IPアドレスを知らない相手の、オンライン・アカウントを特定する方法を調べ尽くし、二つの方法を突き止めた。


ひとつは、ある組織に参入して、特殊なネットワークを利用する方法だ。


その特殊なネットワークは国際テロ監視システムで、通信ケーブルが引かれている場所ならどこへでも侵入することができる。


街頭に設置された監視カメラだろうが、Wi-Fi基地局だろうが、電話線だろうが、データ通信を傍受できるのだ。


このシステムを管理しているのは、世界の治安を管理する国際組織で、列記とした合法機関のため、自分がテロリストでない限り、通信傍受を恐れる必要はない。


もう一つ考えられるのが、昔ながらの盗聴技術だ。


今では通信販売で簡単に手に入る機器なので、容疑者は人口と同じだけいると言える。


盗聴器を仕掛けるといえば、最近では$CLOWNドル・クラウンという米国に本拠地のあるカルト教団が、都市伝説的な存在になっている。


この教団は『才能のある逸材を発掘することが、地球の霊魂を豊かにする』という教義のもとに、日夜人材発掘に明け暮れているそうで、芸能人や学者には$CLOWN教徒であることを公表している人も多い。


逆に言うと、今時、個人宅を監視するのに、盗聴器のようなアナクロな方法を使っているのは、$CLOWNくらいだとも言える。


なぜなら、盗聴器というのは一定の周波数で無線でデータを飛ばすので、市販の盗聴装置探査機で検査すればすぐに見つかり、見つかった盗聴器は証拠品になってしまうからだ。


調べた結果、最悪、桂木瑠衣の身内が$CLOWNのメンバーだったとしても、教団内で個人情報を共有される程度で済むことがわかり、一安心した。


それにしても、桂木瑠衣は本当に底意地の悪い顔をしている。


たとえ善意であったとしても好きになれないタイプだが、量子の見立てでは、慈善事業にかこつけて、サディズムを遺憾なく発揮できる場に利用しているだけの手合いではないだろうか。


滝にでも打たれて、少し精神修養を積んだ方が良い。

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