ソーダ
ペリエは天然の炭酸水だ。
緑色のガラス瓶は透明。
真昼の東京で、こんな風に窓辺にそっと置く。
しゃりしゃりとアルミ製の蓋を開けると、気泡が上がってくる。
瓶の中はきっと、炭素で満たされている。
温泉だったら、炭酸泉は毛穴の中まで洗浄してくれる。
すごく清潔だ。
机上に注ぐ緑色のプリズム。
量子はうっとりと頬杖を突いた。
「先生。
私、八幡二丁目高校 化学部から、世界的発見が複数輩出すると思う」
「お、何だ石原。粘菌迷路には飽きたのか」
「我が子に飽きたりするわけないわ。どうしてって訊いて」
「ううむ。何でだ」
「ふふふ、聞いて驚くな。
人類を進化させる新分子を発見したの」
「なんだそりゃ。構造式は」
「それはまだ言えないんだ。
先生が研究して先に発表しちゃうでしょ」
「俺は化学部顧問として、お前の研究が人道的かどうか監督する義務があるんだぞ」
「人道的だよ。だってこのままじゃ、人類は絶滅しちゃうもん」
「だけど、進化させるんだろ。
遺伝子的にヒトじゃなくなってしまうってことじゃないか。
そもそもその分子は、どうやってヒトのDNAを進化させるんだ」
「簡単だよ。
抗体に分解されず、
タンパク質と誤認される分子にすればいい」
「恐ろしいこと言うな。
処理できなければ、抗体が傷付いて腫瘍になるだろう」
「そこが狙い目だよ。
悪性腫瘍の治療技術はもう開発されてるでしょう」
「万能細胞?」
「まあ、治療されない人はそのまま癌で死んじゃうけど。
寿命だからしょうがないよね」
「おい、まてよ。万能細胞って…お前、もしかして」
「私が開発するのは、人類が創造する新しい分子。
それだけだよ。
人類の種に貢献するために生まれてくる。
もう名前も付けてあるの。
『Nano-i』っていうんだ、分子サイズだからね」
「化学式は」
「内緒だよ。
ヒントは光合成。
人間が光合成できるようになったら、炭素界でも生存できるでしょ」
「は。光合成?クロロフィルか」
「人間に有害だから、炭素は汚染物質だと思われてる。
でも活用できるようになれば、炭素は綺麗なんだよ。
汚いと思ってるのは好気性生物だけ」
「まあ、確かに菌類は植物に近いが。
まさか粘菌じゃないだろうな」
「先生。新しい分子だって言ってるでしょ」
「発癌性があるんだろ」
「先生は大人でしょ。
開発段階で多少の犠牲は付き物だよ。
人類が知恵の結晶である最先端技術を駆使して生き残るのは、悪い事じゃないと思うな。
だって地球は、文明が進歩するたびに氷河期になって、種を沢山絶滅させるじゃない」
「お前、変わった考え方するな。普通逆だろ」
「文明が悪で、地球が天罰を与える?
インディアンだったらそう言うよね」
「あながち馬鹿にはできないぞ。
地球の氷河期にだって、きっと天文学的な事情があるんだ」
「人間て、反省が好きなんだよ。
何でもっと自分を肯定的に捉えられないのかしら。
グノーシス主義を知ってる?
人は生まれながらに悪だって、そんなこと毎日思いながら生きてるから、自殺が絶えないんだよ。
もっと前向きに生きないと」
「石原らしくないな。どちらかと言うと魔性だろ、まだ小童だけどな」
「先生!私だって来年はもう大人だよ。もう選挙権もあるよ」
「基礎は大事だぞ。
人間として大事なことがこれから沢山分かってくるだろ。
大人になるのを焦ることはない。
それでいつか、俺を唸らせるような論文を書いてみろ」
「わかってないな、先生は。生徒が優秀なのは喜ぶべき事なのに」
「なんだかな。お前を見てるとたまに怖くなるよ。
あんまりヒヤヒヤさせるなよ」






