お茶会
毎度のことだけど、どうしてこんなに大量の荷物がこのトランクに収まるのか不思議になる。服や装飾品はもちろん、ある時は大きな木彫りの熊まで詰め込んだことがあった。誰に渡したのか、帰国した時にはなくなっていて、代わりに俺のためにとナイキのスニーカーが入っていた。
「荷物はこんなものかしら。次は確認事項ね」
「はい」
そこからは二人であちこち移動し、ケーキの場所から町内会費の集金の予定日まで、細かな雑用のチェックをしていく。それからそう、肝心なギャラリー業務のことも。
「この絵は来週末にハシモトさんが取りに来るから、頼まれたら梱包するのを手伝ってあげて」
「取りにって、この絵、売ってしまうんですか?」
「ええ。新天地は横浜。大都会ね」
「でもここの絵はメアリーの宝物って」
「もちろん宝物よ。でも私の命はもうそう長くはないでしょう?野良になってしまう前に、どんどん新しい家族に紹介しないと」
「そう長くないって、縁起でもない」
「絵は人間よりずっと長生きをする。だから持ち主が死んでしまったら、また新しい持ち主が現れるのをじっと待つ。こうして画廊に飾られるものもいれば、地下室に閉じ込められてしまうものもいる。最悪、処分ね。どう?そう考えると、カメやオウムのようでしょう」
「理屈は分かりますけど」
「ここの画廊を継ぐ人が現れない限り、私はこの絵たちを何とかしないと」
「じゃあもう新しい宝物は入ってこないんですか?」
「縁があれば連れてくるつもり。でも譲ってほしいと言われたら、これからは躊躇なく売っていく」
「そうですか」
何だかショックだ。ここに常設している作品たちは特別で、絶対に売らないものと思っていたから。現に今までギャラリーでは企画展以外のものを販売したことはないし、毎日額縁の掃除だってしている。
だからと言って、俺が継ぐので売らないでくださいとは言えないけど、独占欲のような愛着は、この一年間のバイトで芽生えていた。
そうか。この絵とはもう会えなくなってしまうのか。
「そんなに気に入ってたの?」
「まぁ。毎日見ていたので」
「今度の家は海が見える小さなカフェなの。とても素敵なところだから、いい人が出来たら行ってみて」
「はい」
当分のお別れだな……と思いつつ、俺は素直に首を縦に振った。
【2】
それからあっという間に一ヶ月が過ぎた。俺は今までと何も変わらず平凡で平穏な日常を過ごし、今はギャラリーの受付でスマホの地図を広げている。
お客さんは休日だから三人いて、それぞれ好きな絵の前に立って静かに鑑賞中。誰一人として口を開かないから、俺も物音ひとつ立てないように慎重に調べ物をする他なく、そうしてかれこれ一時間が経つ。
いつまでこの窮屈な時間が続くのか。肩が凝りそうな沈黙を破ったのは、当画廊の主人、メアリーだった。
「お茶を淹れたので、どうぞ庭のテーブルにお掛けになって」
「わぁ、シフォンケーキですか。いい香りですね」
メアリーは洋菓子を作るのが趣味で、こうしてときどきケーキを焼いては、気まぐれにお客さんをお茶会に誘う。そして画廊に来た人を裏庭に呼び寄せると、街と海を見渡しながらのんびりとお喋りをする。相手は様々で、単なる通りすがりの芸術に何の哲学も持たない一見さんから、わざわざメアリーとのお茶会を目当てに来たプロの画家まで、とても幅広い。
バイトの俺は大抵ギャラリーの中からその様子を眺めているだけだけど、ごくたまにメアリーから手招きをされる時がある。今日みたいに。
「へぇ、君、高校生なの。可愛いから中学生くらいかと思った」
「よく言われます」
生クリームがたっぷりと添えられたシフォンケーキにフォークを入れながら、俺は手招きしたメアリーに心の中で毒突いた。その話題は今の俺にとって一番の地雷だ。三人の中で唯一の男性客が、俺に向かって「羨ましい」と微笑みかける。