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ギャラリーランコントル  作者: 津村
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プロローグ



 賑やかな宴も終わり、沖から流れてくる海風が優しく体を冷ましていく。


 雲のない星空は悠久を写し、それでもいつかの終焉のために、今夜も健気に瞬いている。


 たまたま生命体として生まれ、限りある命を消費するだけの人間は、神から知恵を与えられ、結果としていつしか無になろうとも、可能性に向かって今日も希望を探し続けている。


 それをバカらしく思ったこともあったが、誰かの言葉を借りるなら、この惑星で邯鄲かんたんの夢を見るのも、今ではそう悪くもない気がしている。


 背後から芝生を歩く音が近づいてきて、俺のすぐ後ろで静かに止まった。


 さて。


 この夏の物語の、序章を話そう。









 明確な最初の記憶なんて、勿論ない。


 今まで俺の名前しか言えなかった妹が、急にパパママと、何故だか『あくびどり』を連呼するようになったとか、もうすぐ従兄弟が増えるとか、そんな話題で我が家が盛り上がっていた頃、俺は突然この街に連れてこられた。


 もしかしたら両親は、幼い俺に引越しについて何度も説明していたのかもしれない。けれど今残っている記憶の限りでは、それは本当に唐突に、ドライブのつもりで車に乗っていたら、いつの間にかこの街に移住してきていた……というイメージしかない。


 そんな訳で、両親の故郷である静岡の、父の実家で暮らすことになった俺は、東京では行けなかった幼稚園なるものに放り込まれた。


 風邪っぴきの妹を看病する母の負担を考慮して、初登園は祖母と父に連れられたと思うが、その辺の記憶もかなり曖昧だ。


 兎にも角にも、父がかつて通っていた幼稚園に俺も通うことになり、そこでトウマと出会った。


 湊と湊人。


 もっぱら下の名前で呼び合う子供たちにとって、同じ名前は死活問題だった。


「ミナトがトウマ、新しいミナトがハルナ」


 あくまで非公認なクラス会議で可決されたのが、つまり今の俺たちの呼ばれ方で、ハルナは少々言いにくかったらしく、いつのまにかハルと簡略化されていった。


 トウマは当時から人気者だった。それだけはハッキリと覚えている。性別を問わず常にトウマの周りを友達が囲んでいた。一人でいることを好んだ俺は、そんな様子をいつも絵本を広げて遠くから見つめていた。


 とある休日、祖父と日課の散歩をしていると、近所の家に連れていかれたことがあった。そこでトウマが待ち構えていたときは驚いたが、祖父とトウマの仲がとても良かったことには、声を出すほど驚いた。


 本当なら当人同士で自然と友達になるのが好ましいが、なかなかクラスに馴染まない俺に、祖父やトウマが痺れを切らし、とうとう俺を強制連行した、というのが実のところだったようだ。


 あとは何となく、流されるままにトウマと仲良くなり、地域柄もあって一緒にサッカーをさせられ、そのまま近所の小学校に入学……という、実に穏やかな日々を過ごした。


 風向きが変わったのは、小学三年生になった頃だった。


 ある日、地元じゃそこそこ名の知れたジュニアチームから声をかけられた。トウマは俺が誘われたと言っていたが、俺の記憶ではトウマが誘われたことになっている。どちらにせよ、その頃にはもう俺とトウマのコンビは鉄板になりつつあったから、チームとしてもそれなら二人で、ということになったのかもしれない。


 入団と共に生活は一変した。小学生ばかり集まっているというのに、そこは想像より遥かにシビアな世界だった。


 サッカーというのは八人ないし十一人でやると相場が決まっている。なのに所属する人数は軽くその数倍。フル出場はおろか、公式戦に一度も出ないまま辞めていく奴も沢山いた。相手チームの前にチームメイトと競うなんて、とっても心優しい俺には辛いものがあった。これは冗談であり、冗談ではない。


 そんな激しい競争の中でも俺が挫折しなかったのは、監督やコーチのお陰でサッカーの理解度がどんどん深まっていったという所が大きい。


 ボールをゴールに蹴り込む。極端に言えばたったこれだけのシンプルなゲームの裏に、とんでもなく緻密に計算された戦い方があった。普段、何気なく見ていたJリーグの試合も、コーチの解説がついた途端にパズルの組立てを見ているかのような感覚になった。それは至ってシンプルなものから、一見して戦術と分からないものまで多種多様に。それを解いていくのが、たまらなく面白かった。


 見たらやりたくなる。やりたくなったら、後は技術力を高めるしかない。だから必死に練習をした。トウマと一緒だったから、どんなに辛くても何の苦にもならなかった。


 その頃、高城さんの兄と何度か対戦したことがあった。どうして記憶に残っているかと言えば、「本当に嫌味な攻め方しやがって」と、試合後に褒められたからだ。この頃の俺たちは、格下相手には弱点抜きで攻撃し、格上にはとことん弱点をついていく、という我ながら差別的な戦い方をしていた。妹である高城さんにあれを見られていたとするなら、一緒に祭りに行ってもらえただけで、御の字だと思う。


 そんな日々を過ごし、気がつけばトウマ共々トレセンに選ばれていた。それはいつしかナショナルトレセンになり、全国に仲間が増えていった。


 家族は大喜びをした。けど、俺とトウマはあまり乗り気じゃなかった。


 そりゃあ俺たちだって光栄だということは重々知っている。けど小六の、今年で最後になるこのチームを率いる身としては、どれだけチームの完成度を上げるかの方がより重要だった。


 一度トレセンのコーチに思いきり怒鳴られたことがある。一つのことに執着しすぎる余り、横にいる相棒やチームを軽んじてると言われた。毛頭俺にそんな気はない。けど今になって思えば、無意識がプレーにまざまざと現れていたのかもしれない。とにかくその時は酷い怒られようだった。「お前にはチームを支配させる為に司令塔をさせている訳じゃない!」と、コーチから突風が吹いてきそうなほどの圧を食らった。


 そして我が家にアトムがやって来たのも、この頃だ。気分屋のイメージが強い柴犬のはずが、アトムは年中無休の甘えん坊で、常に誰かしらと一緒にいた。お陰でアトムの為にと用意した立派な犬小屋は、ほとんど使われることもなく、今も新築状態で野ざらしにされている。


 アトムは幼い頃の妹と一緒で、とにかく俺の横に座りたがった。団欒の時はもちろん、寝るときもよく俺の部屋に来た。冬になると布団の中にまで入ってくるから、それは少しだけ煩わしいと思うこともあるが、可愛さで上手く帳消しになっていた。


 まだ子犬だったアトムは、俺が遠征や合宿に行くといつも酷く寂しがった。特に帰ってくるはずの夜になると無駄吠えをして、何度も家族を悩ませた。


 中学に進学したら、トウマと一緒に一部リーグのジュニアユースに入った。理由は一つ。入れたから。しかし自分の強みは自覚していた。俊足と判断力の速さだけは誰にも負けない自信があった。そこにはそれを伸ばしてくれる、信頼できるコーチもいた。


 今までいた地元チームとは違い、練習場が格段に遠くなり、その上トレセンもあったから、とにかく毎日忙しかった。試合や大会も増え、この試合がどの大会なのか、練習試合なのか、紅白戦なのか、ここが一体どこなのか、よく分からない時も正直あった。


 そんな多忙を極める中、話したこともない隣のクラスの女子から告白をされた。女子はもれなく全員トウマを好きになる。それがこの世の摂理だったから、トウマじゃなく俺がいいなんてどうかしてると思った。


 俺は安易にオーケーした。と言っても、デートなんてしてる暇はないから、主にSNSでのやり取りだった。可愛い子だったし、優しかったし、何よりトウマの話を一切しない辺り、本当に気の利く素晴らしい子だったと思う。お守りにと貰った手作りのミサンガは、今でも押し入れの奥の奥に捨てずにとってある。


 練習が早く終わった日は、決まってアトムを連れてトウマと一緒に近所の土手を走った。一番にへたばるのは勿論アトム。だからいつも、ぐったりしたアトムをおぶって家に帰った。


 あの頃は何もかもが順調で、充実していた。


 トウマとも目が合わずとも意思疎通ができるようになり、急な戦術変更にも即座に対応してくれた。俺がいるからトウマが点を取ってくれる。そう自惚れていた時期も、少なからずあるくらいだ。


 自他共に認める名コンビ。


 大きな大会で優勝を掴み取った時は、そう遠くない未来に二人でフル代表まで駆け上がるんだと、疑いもなく信じていた。


 いつしか日本代表として海外にも行くようになり、街を歩けばよく声をかけられた。東京から取材に来るマスコミもいたし、週刊誌に俺とトウマの特集が組まれたときもあった。みんな期待している。誰より、俺自身が。


 だから膝の違和感も、最初は無視していた。


 俺が痛みに顔を歪めるより前に、コーチが怪我に気がついた。ある日の練習後に呼ばれ、その場でチームドクターが診てくれた。


 病院に行くように勧められても、それがきっかけでスタメンを外されるのが嫌で、次の日から痛みを態度に出さないように、更に膝を踏ん張った。


 中三の秋には、もうどうにもならない状態になっていた。こっそり行った病院の診断結果は、要長期安静。


 冗談じゃなかった。これから大事な試合が沢山あるのに、一日だって練習は休めない。レギュラーの席だって、油断をすればあっという間に誰かのものになってしまう。


 だから嘘をつき続けた。


 そしてとうとう、限界が来た。


 脂汗を浮かべながら何とか海外遠征をやりきり、年を越した一月。


 誰にも相談せず、監督に引退する旨を伝えた。


 ずっと心配していたらしい監督は、俺の決断に何も答えなかった。ただとても長い間床を見つめ、やっと顔を上げると俺の肩を叩き、何度も頷いた。


 その日の帰り道、そのまま家に帰る気にはなれなくて、駅でトウマと別れてから、何となく丘に向かって歩きだした。途中で雨が降りだし、だからついでに俺も泣いた。


 誰もいないと思って大泣きしていたら、突然誰かに呼ばれ、寿命が縮むほど驚いた。声の主は傘をさし、急いで俺を家に招き入れた。


 そこは画廊だった。ケーキの甘ったるい匂いがする中、生まれてはじめて油絵を至近距離で鑑賞していると、タオルとケーキと、温かな紅茶が出てきた。オーナーと名乗る女性は、俺が泣いている理由も聞かずに静かな声で見ていた作品の解説をしてくれた。その話し方がとても耳に心地良くて、気づくと俺の涙は止まっていた。


 引退することは直接トウマには言わなかった。ただ高校は近くの、特にサッカーの強豪校でもない所に行くと伝えた。


 そして引退試合当日。


 相手は因縁のあるライバルチーム。スタメンはどいつもこいつも見飽きた顔ばかり。プライドにかけて、絶対に負けられない試合だった。


 後半二十分、未だスコアは動かない。観客もいまいちスイッチを入れない両チームにイライラしている。


 後半二十五分。我慢大会に耐えられなくなったのか、相手ボランチが急に動き出す。ディフェンスラインも上がりはじめ、ようやく餌に食いついてくれたようだ。


 俺は素早くトウマに合図を送る。が、やっぱりこちらは見ていない。それなのに、トウマの右足はしっかり希望通りの場所を向いてる。よしよし。さぁ皆さん、やっと見せ場ですよ。


 目の前を通りかかった、テクニックはあるがイマイチ足の遅いサイドバックから易々とボールを奪うと、既に全速力になっているトウマの行く先に、思いきりクロスボールを蹴り上げた。


 俺にとって、それが最後のプレーになった。


 あと五分。それに耐えられず、俺は後輩に後を任せた。


 試合終了のホイッスルは聞いていない。


 ロッカールームに戻った途端に崩れ落ちた俺を、春から俺の監督になるはずだったユースの監督がおぶって病院まで連れて行ってくれた。


「榛名。お前、バカみたいに凄い選手だな」


 一言そう言い、痛みに涙を流す俺を家族にさえ会わせずに一人にしてくれたことは、消えてしまいそうな小さな自尊心を守ってくれたんだと、今でも心から感謝している。


 かくして俺はただの平凡な高校生になった。進学を機に彼女とも別れ、特筆すべきことは何もない。


 ただ一つだけ、大問題を抱えていることを除けば……だが。


 高校の入学式でトウマの姿を見つけた時は、心臓が止まるかと思った。


 難なくユースに昇格して、清水の高校に通うはずなのに、なぜかトウマは俺と同じ制服を着て校門に立っていた。


「よぉ、ハル。退院おめでとう。入学式に間に合って良かったな。手術どうだった?全身麻酔ってマジで寝るの我慢できないの?」


 頭が真っ白になるとは、正しくこのことだった。


 真っ直ぐに俺を見るその顔は「俺にも半分責任がある」と言っていて、受け止めるには重すぎるトウマの気持ちに、俺はどうすることもできなかった。


 トウマは俺がいなくたって、十分代表にもしがみついていられただろうに。


「うん。我慢しようと思ってたけど、四秒数えたら手術が終わってた」


 その瞬間だと思う。俺とトウマ、そして俺の周りで、サッカーの話が禁句になったのは。


 二人で昇降口を抜けると、急に見知らぬ女子が俺の目の前に飛び出してきた。


 驚いて、トウマ共々立ち止まる。


「私、二組の高城雫っていいます!よろしくお願いします!」


 ペコリとお辞儀をすると、その子はそのままダッシュで廊下を駆け抜けていってしまったので、俺が挨拶を返す暇もなかった。


「ハルのタイプだな」

「っていうか、焦りすぎて俺とトウマ間違えてないか?」

「さぁ?俺が女ならハル一択だからなぁ。強いくせにあどけない顔が最高だよ」

「殺すぞ」


 肩に回されたトウマの腕を振り払って廊下を歩くが、周りの視線があまりにも痛くて、俺は即日退学したくなった。


 その日の帰り道。俺は約束通り、丘の上のギャラリーにいた。ドアを開けると鈴の音が響いて、奥からオーナーであるメアリーが出てくる。


「おかえり、ハル。さて、まずはおやつを食べてから、その後に仕事を教えるわね」


 こうして俺の高校生活がはじまった。


 全てを失い、童顔のコンプレックス以外何もない俺は、毎日学校帰りにここへ来て、様々な縁を持つお客さんを画廊へ招き入れている。


 メアリーから君を紹介してもらうのは、この年の冬のことだ。サッカーと決別をして、そろそろ一年が経とうとしていた。


 そして、次の夏。


 俺が苦心して作った心の殻を、無邪気な君が、海の向こうからぶち壊しにやって来た。




最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


このご縁に感謝いたします。

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