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ギャラリーランコントル  作者: 津村
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紫陽花の咲き乱れる庭で




 目を丸くする俺に「あぁ」と呟くと、ルカは手の中のドリンクを一口だけ飲んで続ける。


「ごめん、言ってなかったね。アンナは間違いなく血の繋がった俺の母親だよ。それに、メアリーは本当の祖母だ。けど実際に面倒を見てくれたのは、メアリーの二人目の娘なんだ。クロエっていうんだけど」

「クロエさんの話なら、最初の夜に少しだけ」

「少し話を遡ろう。アンナと俺の父親が出会ったのは、アンナが短期留学をしてたミラノの大学だったんだ。父親がアンナをナンパして、アンナがそれに引っかかった。普通なら、留学が終われば二人の関係も終わると思うけど、アンナは女子校に通ってたから、そういう意味では世間知らずだったんだろうね。帰国してからも、俺の父親からの連絡を待ち続けた。待ち続けて二年が過ぎた頃、たまたまアメリカ出張をしていた父親と、ニューヨークの街中でばったり再会したんだ」

「凄いな。映画みたい。運命だよ」

「普通ならな。けど父親は違った。アンナのことなんて、最初からただの遊び相手としか見てなかったんだよ。だからその時も、出張中の暇つぶしにアンナと遊んだ。で、俺ができた」


 ルカが呆れ顔でため息をつく。


「妊娠が分かったのは、もちろん父親がイタリアへ帰った後だ。だからアンナも諦めて、俺のことも捨てようとした。けど、それを許さなかったのがメアリーだった。自分でしたことは、最後まで責任を持てって強く言ったんだ。全く、お節介だろう?放っておいてくれてれば、今ごろ俺は存在してなかったのに」

「それは嫌だよ」

「ともかく、そうして俺は生まれることになった。メアリーはすぐに父親を見つけ出して、お前も責任を取れって、家に乗り込んで凄んだらしい。そこは、シングルマザーの強さだよな」


 あのメアリーに追い詰められたら、そりゃあ誰だって首を縦に振るしかない。


「色々あったけど、二人はミラノで同棲をはじめた。だから俺にもイタリア人の名前がつけられた。父親にはそこそこ可愛がられてた記憶がある。けど俺が小学校に上がるより前に、二人の関係は破綻した。だからアンナは俺を連れてアメリカに帰った。メアリーはその頃にはもうあのギャラリーにいたはずだ。だからアメリカに帰っても、アンナと俺を助けてくれる人はあまりいなかった」

「メアリーはアメリカに帰らなかったの?」

「あの画廊を守るのは、メアリーにとって何より大事な仕事だからな」


 もしその時、メアリーがアンナさんを日本へ呼んでくれていたなら、俺たちは幼なじみになっていたかもしれないのに。悔やまれる。気の利かないメアリーめ。


「生活の為にアンナは働きに出た。記憶の限り、朝から晩までずっと家にいなかった。そこで俺の世話をしてくれたのが、まだ学生のクロエだった。クロエは可哀想な甥っ子の為に、毎日食事を作ってくれた。もちろんピザの日も沢山あったけどな。アンナはどんどんクロエに甘えていって、その内に俺の学校のことまでクロエに任せるようになった。でもクロエも大学を卒業したら、働かなきゃいけない。そうしたら俺は完全な邪魔者になる。アメリカでは、まだ一人で家にいられる年齢じゃなかったんだ」

「そんな状態なのに、メアリーは何をしてたの?呑気に日本にいたの?あそこはそんなに大事なギャラリーなの?アンナさんやルカよりも?」

「それはメアリーが決めることだ」

「でも」

「メアリーだって、無視をしていた訳じゃない。俺のことについて、父親に連絡を取ってくれたりもした。でもその時にはもう父親は結婚していて、子供もいるから無理だと言われたらしい。それに、俺の存在は今の家族には言えないからって。ま、アンナとは事実婚だったからな」

「みんなもっとルカのことを考えるべきだ」


 怒っていると、隣でルカが笑う。


「だから俺は空気を読んでさ、寮のある学校へ入ったんだ。そうしたらみんなハッピーだろ?問題は全て消える。あの時は、もうアンナに迷惑かけないで済むって安堵した。俺といる時は、いつもイライラしてたからな。だからこれでアンナに許して貰えると思った。前みたいな良好な関係に戻れるって。けど、違った。アンナにとっては許すとかの問題じゃなかった。自分の手から離れた途端、俺の存在そのものを消したんだ」


 慰めようにも、何も言葉が浮かばなかった。


「クロエもメアリーも、心配していつも連絡をくれたよ。けどアンナからは一度もなかった。長い休みの時はクロエの家に帰って、学校で必要なサインもクロエがしてくれた。クロエが未だに独身で子供もいないのは、もしかしたら俺のせいかもしれない。実質コブ付きみたいなもんだからな。……あぁ、俺って本当に迷惑な奴だな」


 孤独の膜を纏ってそう話すルカに、俺は泣きたくなった。俺にとってこんなに大切な人なのに、ルカは自分のことを邪魔だなんて思ってる。そんなの、間違ってるのに。


「アンナと何年かぶりに会ったのは日本に来る少し前だよ。クロエに呼ばれて、家に帰ったらいたんだ。あんまり長いこと会ってなかったから、最初はお互い誰か分からなかった。その時に言われた。「結婚する。子供も生まれる。貴方は好きなように生きればいい」って。きっと妊娠して、昔自分が子供を産んだことを思い出したんだろうな」


 笑いの込められたルカの言葉に、絶望的な気持ちになる。


「じゃあ……だったら、アメリカになんて帰るなよ!ずっと日本にいればいい!」


 そうしたら思いの外大きな声が出て、自分が興奮状態であることを自覚した。こんなにぐちゃぐちゃした感情、はじめてだ。怒り、悲しみ、絶望、憤り、それぞれの境い目が分からない。


「ルカの帰りを待ってる家族が当然いると思うから、もっといて欲しいなんて言えないんだよ!なんだよそれ、だったらルカを俺にくれよ……」

「ありがとう、ミナト。ミナトのお陰で、俺は救われたよ」

「そんなことない……俺、ルカに何もしてあげてない」

「俺はここに来て初めて、俺のことを必要としてくれる人たちと出会ったんだ。ミナトの家族だけじゃない。最初はマスター。次に商店街の人たち。その後はトウマ、高城さん。それに、ミナトのクラスメイト、街の人たち。みんなミナトのことを心配してた。早く元気になってほしくて、俺にミナトのことを頼んできた。誰かに何かを頼まれるなんてこと、生まれて初めてだった」

「そんなことを……」

「日本に来るまでは、そんなに邪魔なら消えてしまおうと思ってたんだ。小さな頃からメアリーに聞かされてた素敵なこの国で、人生最後の思い出をつくろうって。だから日本語も勉強した。日本の人は素晴らしいけど、英語が通じないからな」

「最後の思い出なんて、冗談でも言うな」

「そんなに怒るなよ」

「怒ってない。悲しいだけだ」


 手で顔を覆って背を丸める俺に、ルカはポンポンと肩を叩く。


「日本語を勉強しはじめたら、幸運なことが起こった。メアリーにミナトを紹介してもらえたんだ。詳しい事情は聞いてなかった。ただメアリーのところでバイトをしていて、暇そうだから先生にしてあげるって言われたんだ。楽しかったよ。手紙の中のミナトも、日本も、ファンタジーみたいに輝いてた。だから、ミナトがこんなに大きな傷を背負ってるなんて、想像もしてなかった」


 輝いていたのは、ルカの方だよ。懐かしい、まだ女の子だと思っていたルカも、手紙では毎日が楽しそうだった。まさか、そんなに辛い思いをしてるなんて想像もつかないほど、文章の中の君は笑顔に溢れていた。


 お陰で俺にとってのニューヨークは、とても楽しくて、魅力的な街なんだ。


「ミナトは間違いなく、みんなのヒーローだ。沢山の人の思いを背負って、よく働いてくれた。痛みも苦悩もあったろうに、そんな顔ひとつ見せずに、いつも周りの期待に応えてくれた。みんな心から感謝してる。だから、ミナトにはちゃんと笑っていて欲しいんだ。ミナトが隠れるように生きていくなんてこと、誰一人だって望んじゃいない。何より、生まれ育ったこの街を、嫌いになって欲しくないんだ」

「みんなに……気を使わせてたんだな……」


 ずっと心の中で謝ってたんだ。


 ごめんって。


 でも面と向かって言う勇気なんて微塵もなくて、だったら俺のことなど早く忘れてしまえと、心の底から願ってた。


 実の母からの連絡を何年も待っていたであろうルカの気持ちも知らずに。


「ミナトと出会えたから、俺は生まれた意味を見つけることが出来た。色んな場所に連れ回してごめん。ちょっと荒療治だったかもしれない」


 向こうから人がやってくる気配がして、それを機に俺とルカは立ち上がった。会話の続きは心に仕舞い、社殿を目指して再び山の中を歩きだす。修行のように無心で足を出し続けると、やっと二つ目の鳥居に辿り着き、そこで階段地獄も終わりを告げた。


 あとは緩やかな参道を歩いていけばいいだけ。ゴールはもうすぐそこだ。


「やっと着いた」

「思いの外キツかったな」


 到着早々、二人並んで手を叩き、想像よりこじんまりとした拝殿に参拝をする。淡島神社は弁財天ということで、俺もルカもお金にだけは困らないように、と強めの念を込めて。


 木々の隙間から吹く涼しい風に当たってしばらく休憩をした後、重い腰を上げて下山を開始した。


 予想通り、帰り道の方が膝にきたが、それでも痛みに足が止まるなんてこはなく、無事に最初の鳥居に着いたときは、膝を褒めてやった。


 熱も腫れもなし。やればできるじゃないか。


「ミナト、歩ける?」

「歩けるけど?」


 色々と知られてしまっているルカに、それでも強がって何てことない風を装いながら、島を時計回りに進む。


 獅子岩を通り越し、きれいに舗装された道をゆったりと歩くと、左手に広がる海と空のコントラストがまさに夏色で、無性にアイスが食べたくなった。


 一旦そう思うと、雪だるま式に膨れ上がる欲望は止められず、ルカに「アイス食べよう!」と提案すると、それに乗ったルカと共に、やたら浮かれたトンネルをそそくさと抜けて島の表側に戻った。


「運動した後のアイスは最高だな!」

「ミナト、声が大きい」


 少し離れた所で、俺たちを見てクスクス笑っているお姉さんたちに気にも留めず、お揃いの柄のソフトクリームを並んで食べる。


 ガリガリ君じゃなく、ソフトクリームというのが、旅行感が出ていて気分が良かった。


「ペンギンは見ておかないとな」


 そう言ってルカがマップを広げる。


「あの子をあれだけ熱狂させるペンギンがどれ程なのか、楽しみだね」


 フェリーの待ち時間を利用して、至ってイメージ通りの可愛いペンギンを何枚か写真に収めると、俺たちは島を後にした。


 今夜はルカの送別会。


 ギャラリーの裏庭で、バーベキューをするらしい。






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